2.星空とともに
8/3 あとがきに小話をさらに追加
巫女の帰還からさらに一年と少し経った頃。
ルリとヒスイはふたりで、アーベンの家に来ていた。
「今日はヒスイさまもお泊まりだね!」
アカネの年若いきょうだいがはしゃぐ。
大部屋の中は、アカネの幼いきょうだい親戚たちで大変賑やかだった。
「それではアカネさん、リリアナさん。ふたりをよろしくお願いします。術士さんにもよろしくお伝えください」
部屋の外で、ふたりの母である巫女が、家主のアカネとリリアナにあいさつをしている。
ヨハンは、村の男衆に連れ去られるようにして宴会へ担ぎ出されたため不在だ。
アカネは笑いながら、
「ああ、任せてくれよ。こどもらも喜ぶしさ」
「今度は、巫女様も泊まっていってくださいね!」
リリアナは少し未練があるようで、巫女に目で訴えている。
「ありがたいですが、母が心配しますので」
巫女はそれに苦笑で答えた。
巫女の母――紅き竜は、巫女が帰還して以来、山を空けて外泊することにいい顔をしない。
わからないでもないが、少し心配性だとルリは思っている。
「ルリ、ヒスイ。ご迷惑のないようにするのですよ」
「心得ている、母さま」
「大丈夫です、おかあさま」
ルリとヒスイは、それぞれ素直に返事をする。
巫女は優しい笑顔で頷き、アカネとリリアナに見送られて山へと帰って行った。
◇ ◆ ◇
いつの間にか勃発した枕投げの後、大部屋のこどもたちはそれぞれの親に怒られ、床に入る。
元気はありあまっていても体力が尽きるのが早いので、灯りが落ちるとそう時間も経たないうちに眠り始めた。
寝息と時々小さないびき、虫の音と聞き取れない寝言の中、ルリはふと目を覚ます。
それはルリだけではないようで、
「ねえさまも、起きているんですか……?」
ヒスイの控えめな声が聞こえた。
「ああ。ふと目が覚めた」
「ボクもです」
ヒスイが小さく笑う。
しかし、困ったことになった。
一度目を覚ますと、中々眠れないのは魔法生物であるふたりも変わらないからだ。
母の腕にある鱗でも思い出して数えるか、と思ったところ、ふたり以外に誰かが起きた気配がした。
「……おしっこ……」
目をこすりながら起き上がったのは、アーベンだった。
ルリも身を起こす。
「アーベン。起きたのか」
「ルリさま……ヒスイさまも……」
寝ぼけ声で、アーベンはルリと、続けて起き上がったヒスイを交互に見る。
「小用? 暗いからついていこうか?」
言うが早いか、ヒスイは静かに寝床から抜け出す。ルリもそれに続いた。
「うんと、うん……。くらいの、こわいから……いっしょに……」
「じゃあ、一緒に行こうね」
「私も行こう。顔を洗いたい」
そうして、三人はそっと大部屋を抜け出した。
ルリが水場で顔を洗っている間に、ヒスイとアーベンは厠から戻ってきた。手を拭きながら、すっきりとした顔をしている。
アーベンはすっかり目を覚ましてしまったようだ。
「目が覚めてしまったな。しかし遊ぶわけにもいかないし、戻るか」
「はーい」
アーベンは両手をルリとヒスイにつなぐ。
大部屋に戻ろうと一歩を踏み出した時、三人の視界が一転した。
家があったはずの周囲は、白い地面と暗青色の草原に。見渡すばかりに広がる星の海は、より明るく。
三人は、生き物の気配が極端に乏しいどこかに立っていた。
「ここ、どこ……?」
アーベンは不安そうに、つないだ手に力を込める。
「聞いたことがある。時たま、夜の世界と境界が薄くなると」
ルリは、その手を握り返しながら言った。
「ルリさま、それってどういうこと?」
「私たちが暮らす世界から、夜の世界に迷い込んでしまったということだ」
「でも、少しすれば戻れるって、紅玉のおばあさまがおっしゃっていたから大丈夫だよ」
ヒスイが優しく笑いかけながら付け足す。
「そういうことだ。アーベン、少し歩いてみるか?」
「うん! みんなでたんけんだね!」
アーベンは不安な顔を消し、はしゃいだように笑った。
黒と暗青色の世界に生き物の気配はなく、時折ホタルのような小さな光が飛んでいる。
三人はあてどなく、白い地面を気ままに歩いていた。
「あれ、なにかひかってるよ」
アーベンが立ち止まり、ほとんど影のような草むらを指さす。
ほんのり白く光る小さなものが、そこにあった。
「ふむ。小石だな」
ルリがひとつ、淡く発光する白い小石を拾い上げる。
「わー、きれい!」
「いるか?」
ルリは小石をそのままアーベンに渡す。
「いいの? ありがとうルリさま!」
「あっちにもあるな」
「あ、ぼくもみつけた! ルリさまにも、はい」
ルリとアーベンは、どんどん小石を拾ってはお互いに渡していく。
「ヒスイ、お前はいいのか?」
「ボクは大丈夫です。ひとつ拾いました」
ヒスイは、自分の手の中の小石を見せた。
「そうか」
ルリは特にそれ以上追求しなかったので、苦笑するヒスイの心情には気づかなかった。
◇ ◆ ◇
「さすがに飽きてきたな。まだ戻れぬものか」
ルリたち三人は、開けた白い砂地に座って星空を見上げていた。
生き物の気配が極端に薄いせいか、星の光がやけに鮮やかに感じられる。
ルリとアーベンの膝の上には、お互いに見つけて渡し合った光る小石たちが、小さな布に包まれて乗せてある。
「ほしぞらって、ルリさまの目ににてるね」
アーベンが、紺碧に金の粒を散らしたようなルリの目を覗き込んで言う。
「そうか?」
「うん。ルリさまの目って、よるのそらみたいにあおくって、おほしさまみたいにきらきらしたものがあるよね。いっつもおもってたんだ」
アーベンは朗らかに笑った。
「そうだ! ルリさま、おおきくなったらぼくのおよめさんになってくれる?」
「ぶっ」
ヒスイが噴き出し、げほごほとむせる。
「大丈夫か?」
「だ、だい、」
言えていないが、ヒスイはむせながら「大丈夫」だと手の動きで訴えた。
アーベンがその背中をさすっている。
「ぼ、ボクは、大丈夫だから、続け、」
ヒスイは胸をたたきながらむせて続けていた。
「……それで。突然どうした、“およめさん”とは」
ヒスイの背中をさするのを交代して、ルリは聞く。
「えっとね、ルリさまはいつもぼくとあそんでくれるし、だいすきだからだよ」
「そうか」
ルリは一言で言い表しづらい、複雑な表情をした。にやけそうになるのを我慢しているようにも見える。
「今は無理だぞ」
「だから、ぼくたちがおおきくなってから。ぼくのおとーさんおかーさんも、おとなになってからけっこんしたんだよ!」
アーベンは口を尖らせる。
「……考えておく」
「うん!」
アーベンが満面の笑みを浮かべた時、静かすぎる夜の世界が一変した。
三人は、夜の世界に迷い込んだ時と同じ、水場へと戻っててきたのだ。
夜の世界を歩き回って疲れていた三人は、そのまま大部屋に戻り、すぐに眠りに落ちた。
◇ ◆ ◇
ルリとヒスイのお泊まりの翌日。ふたりは山の頂“竜と巫女の領域”に帰ってきていた。
「ルリ、どうしたんです?」
ぴったりとしがみついてくるルリを、不思議そうに娘が見る。
「母さま。私は今まで性別を持たなかったが、母さまと同じになることを決めた。だから、こうして参考にしている」
「あら、そうでしたか。なら、あとで一緒に温泉に入りましょう」
娘は、ルリが持ち帰った多量の小石を目にとめ、楽しそうに微笑んだ。
一方、アカネたちの家では。
「ルリさまにもらったんだよ。ぼくもたくさんあげたんだー」
アーベンが、ごろごろと“白い小石”を広げるのを見て、大いに噴き出しむせるアカネとヨハンがいたのだった。
◆ヒスイのイタズラ
ある日の昼。リリアナは、自室で新しい服の型紙を起こしていた。
リリアナは現在十三歳。
成人こそまだだが、甥アーベンをはじめ、隣家の幼い親戚たちの面倒をよく見るしっかり者だ。
ただ、毎日ではないが頻繁なそれのせいで、寝不足な日もある。
「ねむい……」
睡魔に抗えず、リリアナは椅子に座ったままうつらうつらと舟を漕ぐ。
間もなく、突っ伏した栗毛頭と手の隙間から、規則的で静かな寝息が聞こえてきた。
そこへ、翡翠色の頭の少年が、そっと足音を忍ばせて歩み寄る。
「リリアナさん、これはイタズラです。石の意味は知っていますけど、イタズラですから」
ヒスイは悪戯っぽく笑ってリリアナの手に小石を握りこませ、その場を去った。
しばらくして。
目を覚ましたリリアナは、手の中のそれを見てひどく動揺した。
しかし相手がわからず、仕掛け人の意向もあって事態が進展することはないのだった。
◆ルリとヒスイは、竜に
「ということがあったのだ、紅玉さま」
「初めて迷い込みましたけど、生き物はほとんどいませんでした」
「だが、星空は美しかったな」
「はい! ねえさまの目みたいに、光の粒がキラキラしていました!」
興奮気味なヒスイの言葉に、ルリはわずかに頬を緩ませた。
褒められたことよりも、アーベンという幼子とのやり取りを思い出しているのだろうと、竜は小さく鼻息を吐く。
「珍しい体験をしたな、ふたりとも。私も若い頃に迷い込んだことがあるが、あの星空は別格だ」
ここ“竜と巫女の領域”から望める夜空も美しいが、“夜の世界”のそれとは比べるべくもない。
しかし。
「お前たちも感じたろうが、あれは“死の世界”と呼ばれることもある。あそこで力尽きた命が空に昇り、輝くからこそ美しいと聞いたこともあるくらいだ。滅多なことでは閉じ込められることはないが、必ず出られるとも限らない。運がよかったな」
竜は何の気なしに言ったのだが、ルリとヒスイは神妙な顔をして黙ってしまった。
脅かしすぎただろうかと、竜は続けて口を開く。
「なに、こうして無事に帰ってきたのだ。気にすることはないだろう。あれはそうそう迷い込むところではないし、恐ろしいだけの世界でもない。お前たち、光る白い石を見つけただろう?」
ふたりは、こくりと頷いた。
「それは妖精の化身だ」
「妖精、ですか?」
「そうだ。妖精というものは動くものに限らぬ。そしてそれがあれば、あの世界など特に恐れる必要はない。何故だかわかるか?」
「……幸運を、もたらすのか?」
顎に手をやり首を傾げながら、ルリが答える。
竜は頷いた。
「あれは、善なるものがかたちを成したものだ。見つければ必ずこちらに帰ることができる。ときたまこちらでも見つかるようだが、何やら人間の若い娘たちの間でもてはやされているようだな」
以前、娘からそんなことを聞いたなと思い出しながら、竜はふっと息を吐いた。
加減と方向を間違えたようで、不意をつかれたふたりはころころと転がってしまったが。
「あら、受け身をとりましょうね」
薬草採集から戻ってきた娘が、ふたりを器用に受け止める。
「うむ、まだ精進が必要だな」
「ボクも、がんばります……」
ルリは片膝を立てて逞しく立ち上がり、ヒスイはまだ目を回しながら娘に助け起こされた。
「お母さんたち、何かおもしろい話をしていたんですか?」
「ああ。“夜の世界”と、そこにある光る白い石の話をな。娘。お前も昔、村の近くで白い石を拾ったのだったな」
「ああ、その話でしたか」
娘は笑い、ぱちりと手を合わせた。
「あの石は“夜の世界”から時々こちらに零れるものだ。お前も願掛けをしたことがあっただろう」
「はい、懐かしいですね。何度もきれいな星空の見える場所に迷い込んでは、拾って持ち帰ったものです」
「拾……迷い込んだ?」
ルリが明らかに困惑した声を出した。ヒスイも怪訝な顔をしている。
「ええ。よく、静かで美しい夜空の下に迷い込む夢を見ていました。でも、見つけた白い小石はしっかり手の中にありましてね。どうせだと思って、“おまじない”の道具を探す定番の場所に蒔いたりしたんですよ。昔から白い小石は人気でしたから。思えば不思議な体験でしたね」
朗らかに笑う娘を前に、一頭とふたりは閉口したのだった。




