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8.ルリのおつかいとアーベン

紅玉(こうぎょく)さま。かあさまたちはそくさいであるそうだ」


 ルリは両手に抱えた品々を敷物の上に下ろし、竜の紅い巨体を見上げた。


「そうか」


 竜は短く答える。

 娘たちが旅に出てから、よく繰り返されるようになった会話だ。

 娘たちは便りこそ寄こさないものの、互いの大まかな近況は知ることができた。


 それは、身体の大半が魔力であるルリの特性による。

 ルリは自分の魔力をこめた瑠璃珠を拠点にすることで、その間を自由に移動できるという能力があるのだ。


 山の周囲に配置されている瑠璃珠は七つある。

 この『紅き竜と巫女の領域』にひとつと、六つの村々に通じる主要な道にひとつずつ。

 ルリと娘が身につけている瑠璃珠の腕輪も拠点として機能するので、娘の元への行き来は意外と頻繁だ。

 今さっき敷物に広げた品々も、娘たちから預かってきたものだった。


「いつも思うのだが、お前の能力は随分と使い勝手がいいな」

「わたしにとってもよそうがいのことだ」


 ルリは無表情に頷く。が、相変わらずその目の輝きは強い。


「かあさまたちから、紅玉さまへみやげものがある。のこりは、わたしがふもとであきなうぶんだ」


 広げた品々を探り、ルリは両手で抱えるほどの大きな水晶を取り出して掲げる。

 ただの水晶ではない。

 白い砂を固めて形作られた、八重咲きのふくよかな花を一輪、結晶の中に閉じ込めていた。


「『砂漠の薔薇』か。また珍しいものを」

「かあさまは、紅玉さまのこのみをよくはあくしている」


 その言葉に、竜はふっと笑みをこぼす。


「お前だけでなく、物も転移させられるとはな。まったく便利なものだ」

「うむ。わたしもあきないのしながてにはいるし、かあさまたちにとどけものもできる」

「また何か頼まれたのか」

「『まじないふだ』をいくらかおおめに、だそうだ。いがいとしょうひがはげしいらしい。さばくのくにへはいれば、そこでてにはいるそうなのだが」


 そう言って、ルリは作業場兼倉庫として使っている洞穴に入っていった。

 ほどなくして、束ねた紙片を持って出てくる。まじない札だ。

 ルリが今手にしている札自体は、娘がルリに教えて作らせたものだ。大元は、娘が以前商人から手に入れた。

 作り方は、娘がやや後ろ暗いことをして商人から聞き出したものだ。「完全に自分用として使っているのでよし」というのが娘の弁である。


 娘だけでなく、ルリも日常的にこの札を使う。

 まだ身体の魔力が安定していないルリは、竜の魔法を吹き込んだまじない札を使いながら魔法の練習をしている。

 時々、今日のように娘から補充を頼まれるので、消費量はそれなりにあった。

 今では、毎日の札作りがルリの日課に組み込まれている。


「すぐに行くのか」

「うむ。はやくほじゅうしたいそうだ」


 ルリはまた別の洞穴に入って行く。そこには、抱えるほど大きな『拠点』が置いてある。


 それからしばらく時間がかかった。


「いまもどった」


 手ぶらのルリが洞穴から出てきた。持っていた札の束は、うまく渡せたようだ。

 竜の下へと歩いてくる途中、ルリの後頭部でふたつに結んだ藍の髪が片方、さらりとほどけた。髪紐が緩んで落ちたのだ。


「ふむ」


 ルリは無表情に、髪紐を拾って口に咥える。

 そして手早く髪をまとめあげると、きゅっと濃い空色の紐で結んだ。


「どうだろうか」


 くるりと、竜の前で回ってみせる。


「よく結べている」


 竜には人間(ルリは人型の魔法生物だが)の髪型などよくわからないが、緩む様子もなくきれいに仕上がっているように見えた。


「かあさまのところでほどけていれば、ゆってもらえたのだが」

「自分でできるだろう、ルリ」


 今しがた見事に結い上げて見せただろうと、竜は言外に怪訝さを(にじ)ませる。


「あまえかたというのはそれぞれなのだ、紅玉さま」


 まだうまく動かせないために乏しい表情と、その割に強い光を宿す目が常であるルリだが、顔にははっきりと読み取れる感情が浮かんでいた。

 信念、というものだろうか。

 竜は、ルリの自己主張を見た気がした。




 今日は、ルリが初めてひとりで麓の村へと下りる日だ。

 向かう先は娘の生まれ育った村で、前回ルリの御披露目で最後に回ったところである。

 順番通りなら次は隣の村だが、今回はいつもの商い以外に用があった。


「準備はできたか、ルリ」

「うむ。かあさまからたのまれた、いわいのしなはこれでぜんぶだ」


 ルリは商いの品とは別に、小さな包みを用意していた。

 それは、娘から持って行くようにと言われた品だ。


「もううまれているだろうと、かあさまはいっていた」


 流行病(はやりやまい)の騒動から、いわゆる十月十日ほど。人間の赤子が母親の腹で十分に育ち、産まれると言われている月日が経っていた。

 娘の姉である赤い髪の女、アカネもおそらく出産を終えているだろう。

 今回ルリは、娘からの祝いの品を届けるという「おつかい」を頼まれていた。


「人間の繁殖期間など気にしたことはなかったが、このくらいなのか」

「紅玉さまもわたしも、にんげんのそれとはむえんであるからな」

「娘の姉の子か。娘にもいくらか似ているのだろうか」

「わからないが、かあさまと、あねのアカネはにていたようにおもう」

「そうか。なら」


 竜は魔力を集中させる。

 竜の眉間が紅く輝き、ルリの首飾りに、小さな紅玉のかけらが現れた。


「それは私の目の代わりだ。それを通して、私は離れた場所の様子を見ることができる」

「ふむ……」


 ルリは首飾りを見てから、竜の顔を見上げた。


「どうした」

「いや、紅玉さまはみてみたいのだな、とおもったのだ」


 それだけ言うと、ルリは素早く洞穴の瑠璃珠まで走り、竜の言葉を待たずに転移した。


(せわ)しないことだな」


 竜は小さく息を吐くと、ルリの首飾りに付けたかけらに意識を集中する。



 紅玉のかけらに魔力をつなげた時、竜の視界には雑木林がいっぱいに広がっていた。ルリが山裾の瑠璃珠まで転移したのだろう。

 そのまま視界が揺れて、ルリの手が背の高い草をかき分けていく。

 緑はすぐに割れた。ルリは、人間に踏みならされ、多少舗装された道に出る。

 身体をひねるように進路を変えれば、手が届くような距離に村が見えていた。


「紅玉さま、きこえるだろうか。わたしのことはしんぱいないので、このままみまもっていてほしい」


 この魔法は音も伝えるのかと竜が思っていると、ルリは迷いなく村へと歩みを進めた。



 村に足を踏み入れたルリは、村人たちからどうしようもないほど注目されていた。

 前回、娘たちと派手に暴れてから初めての訪問。それを抜いたとしても、ルリが人前に姿を現すのは二度目だ。

 それも、『紅き竜の巫女の代理』として。

 衆目を集めるのも仕方がない。


 それを知ってか知らずか、はたまた無視しているのか。ルリは臆する様子もなく(元々表情も乏しい)、その中を突き進む。

 そして村にある程度入り込んだところで、


「せんじつはしつれいした。わたしは、『紅き竜の巫女』であるかあさまのだいり、ルリだ。しばらくかあさまのかわりをすることになっている」


 ざわり、とその場の村人たちの間に、小声の波が広がっていく。


「べつに、とってくったりはしない。ああいうこと(・・・・・・)さえなければ、だが」


 びくりと、村人の何人かが身構えた。

 おそらく、言葉の内容と、ルリの妙に強い眼光に怯んだのだろう。ルリ自身はいたっていつも通りのはずだ。


「ほとんどのむらびとは、あれ(・・)とはかんけいないのだろう? ならばわたしはきにしない。かあさまも、『紅き竜』もだ。きょうは、かあさまがあつかっていたいつものしなと、めずらしいしなもある。とどけものがおわればあきないをするから、きになるものがあればみにくるといい」


 ルリはそれだけ言って、さっさと歩きだす。

 迷いのない歩みに、持ち直した小さな包み。

 アカネという赤い髪の女のところへむかっているのだろうと、竜は推測した。


「あの……、えっと、ルリさま!」


 自身を呼ぶ声に、ルリは足を止めた。そして振り返る。


「あの、ええと。あの、この前はお兄ちゃん……治癒術士ヨハンを助けてくれてありがとうございます!」


 勢いよく頭を下げたのは、明るい栗毛色の髪を背中まで伸ばした少女だった。

 何度か見た覚えがあるな、と竜は記憶を探る。

 たしか、あの治癒術士を助けるために山に登ってきたことがあった。

 名前をなんといったか――


「私はリリアナっていいます。治癒術士ヨハンの妹で、妻のアカネちゃんは義理の姉です!」


 本人が言っているのだからそういう名前なのだろう。

 竜には特に感慨がなかった。基本的に、個々の人間についてなど大して関心がない。


「れいにはおよばない。あれはかあさまがしたことで、わたしはながれでつきあったまでだ」


 ルリはじっと見つめながら言った。リリアナはその視線にやや怯んでいる。


「それでも、助けてくれたことには変わりないから……。あれから変な人たちもそんなに見なくなったし。巫女様は今いないから、代わりにお礼を聞いてください!」


 リリアナは再度、勢いよく頭を下げた。

 頭の動きに合わせて鞭のようにしなる栗毛を、ルリはひょいと避ける。


「そういうことなら、うけとっておこう。ついでだ、いえまであんないしてほしい。かあさまからあずかったしなを、とどけにいくところだったのだ」


 言いながら、ルリはリリアナを待たずに歩き出す。リリアナは慌てて、ルリを先導するように少し前を歩き始めた。


「届けものなら私が預かりますよ?」

「いや、ちょくせつとどけにいきたい。できたら、うまれたこどものすがたもみたいのだ」

「ああ、なるほど」


 リリアナはにっこりと笑い、足取り軽くルリを案内した。




「アカネちゃーん、お客さんだよー」


 声量を抑えて、リリアナはそっと戸を開ける。少しの間中の様子を伺うと、ルリを中に招き入れた。


「リリアナおかえり。お客って……」


 乳飲み子を膝に乗せてあやしていたアカネが、リリアナの連れてきた「お客」を見て目を見開く。


「ルリ様!」

「うむ。げんきそうでなりよりだ」

「あぅー」


 ひとつ頷いて、ルリは戸のそばに荷物を下ろす。その中から小さな包みを取り出すと、両手で持ってアカネの元まで歩く。

 乳飲み子は機嫌がいいようで、時折声を出しては手を動かしている。


「かあさまからの、しゅっさんいわいのしなだ。うけとってほしいが……むずかしそうだな」


 赤子で両手が塞がっているアカネを見て、ルリはあたりを見渡す。


「私が預かります!」


 リリアナが両手を差し出したので、ルリはそこに包みを預けた。


「ありがとう、ルリ様。巫女様が旅から戻ったらお礼を言わないとな」

「だぅー」

「つたえておこう」

「ああ、ルリ様からも伝えておいてくれるとありがたいな」


 おそらくルリの言ったことの真意は伝わっていないが、ルリはアカネの言葉に頷いた。


「なかみは、あかごのふくやこものだ。あるていどのちょうせいはきくようなものらしいから、てなおしもらくだろうとのことだった」

「へえ、さすが巫女様だ」

「ちゃー」

「こんかいは、こうりょうなどはないそうだ」

「ぶっ。いや、それはなくていいよ……きにしないでくれ」


 娘は、姉に自分の記憶がないのをいいことに、からかっているだけではないかと、竜はだんだん疑いだしていた。


「ところで。ちかくでみてもいいだろうか」


 ルリはアカネに訪ねた。

 何を、とは言うまでもない。

 アカネは笑みを浮かべ、


「ああ。どうぞ」

「だー」


 ルリは静かに歩いて、赤乳飲み子に顔を近づけた。竜からもその顔がよく見える。

 その顔は、


「にているのか、よくわからないな」


 率直な感想をルリは口にする。竜も同じ感想を抱いたところだ。

 強いて似ているところを挙げれば、アカネの赤い髪とヨハンの栗毛を混ぜたような髪色をしているくらいか。


「ははっ。まだぷにぷにだからなー。一応、目元はヨハン、口と耳はアタシに似てるんだ。ま、アタシとリリアナくらいしかわからないんだけどよ」


 アカネは、自分のこどもの頬をつつく。小さな手がぎゅうっと握られた。


「名前はアーベンっていうんだ。生まれたのが夕方でさ、そういう意味の名前なんだよ」

「そうか」


 竜の視界に、アーベンの小さな手が伸ばされて大きく映る。が、すぐにそれは遠ざかった。ルリが身体を引いたのだ。


「すこし、さわってみてもいいだろうか」

「ああ、いいよ」

「ねんのためにてをあらおう。みずばをかりる」

「あ、こっちです」


 リリアナに案内され、ルリは水場で手を洗ってきた。

 清潔な布を借りて水気を拭き取り、リリアナにそれを返す。


「では、しつれいする」


 そう言って、ルリはアーベンのおくるみを遠慮なく(めく)った。

 予想外の行動に、アカネもリリアナも口をぽかんと開けている。竜も少し驚いた。


「ついているな」

「まあ、男だからな……」

「ぁうー」


 おくるみを元通りに直すルリを、アカネはなんとも言えない表情で見ていた。

 ルリは、アーベンが伸ばした手に指を近づける。

 アーベンは、ルリの人差し指をぎゅっと握った。


「ありゃ、つかんじまったか」

「かまわない。ちいさいな。ほんとうに、ちいさい」


 機嫌よく声をあける小さな赤子を、ルリはじっと見ていた。



「じゃまをしたな」

「いや、楽しかったよ。贈り物もありがとうな」


 アーベンを抱いたアカネとリリアナが、戸の前でルリを見送る。


「お兄ちゃんには会っていかないんですか?」

「いりそうなものは、アカネにみつくろってもらった。あうひつようはないだろう」

「そうなんだ、あはは……」


 リリアナは苦笑いを浮かべていた。


「またくる」


 ルリは短く言うと、村人たちとの商いのためにその場を後にした。




 村での商いを滞りなく終え、ルリは日が落ちる前に竜の元へと帰ってきた。


「どうだっただろうか、紅玉さま」


 村人や旅の商人から買い入れた品を整理しながら、ルリは竜に話しかける。


「お前のことは心配していなかったが、思っていたよりもうまくやっていたな」

「かあさまが、いままでうまくやっていたからだろう。わたしは、それまでつみかさねたものをりようしただけだ」


 ルリはそう言うが、その目は輝いていた。

 それなりに楽しかったのだろうと、竜は小さく笑う。


「紅玉さまはどうだったのだ、あのあかご、アーベンは」

「人間の赤子を見るのは久方ぶりだが、不思議なものだな。あれが生き物とは。娘と似ているのかは、よくわからぬが」


 人間に限らず、生まれて間もない生き物は不思議な存在だ。

 竜は自らの子育てのことを思い出しながら目を細めた。


「娘にも後で教えてやれ。甥は健やかであったと」

「そのことなのだが」


 ルリは手を止め、竜をまっすぐ見上げる。


「かあさまの瑠璃珠がこわれたようだ。つたえにいくしゅだんがない」


 ルリはただ、目に強い光を宿していた。

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