回想:おまじないの白い石
九歳の誕生日を迎えた夜、ヨハンは村はずれの空き地に呼び出されていた。
丈の低い草と小石がまばらに転がる場所で待っていたのは、ヨハンがよく知る黒髪の少女だった。
満月を見上げこちらに背を向けて立つ少女は、微かに月光を反射する白い服に身を包み、この世の者ではないように見える。
「ちゃんと来たのね」
少女は、ヨハンが声をかける前に振り向いた。整ったつくりの顔が、月の光に白く照らされている。
隣に住む、幼なじみの少女の妹だ。
「こんな時間にどうしたの? 暗いから早く帰らないと叱られるよ」
「月があかるいもの、だいじょうぶ」
少女は澄まして言った。
「ヨハン、手をだして」
「手?」
「はやく」
「いいけど……」
ヨハンは言われるまま、手のひらを上にして少女に差し出す。
少女はにっこり笑って、手に握っていたものをその上に置いた。
「石……?」
少女の温もりを持った、白い小石だった。ほんのりと、白く光っているように見える。
「これ、光ってる?」
「そう。なかなかみつからないの」
少女は微笑みを浮かべながら、ヨハンの顔を覗くように見上げてくる。
「ねえ、ヨハン。好きなひとはいる?」
突然の質問に驚いて、ヨハンは少女の顔をまじまじと見つめてしまった。
幼なじみの妹は、おませというか、そういうところがある。
「いないの?」
少女は小首を傾げながら、重ねて聞いてくる。肩下まで伸びた黒髪がさらさらと流れた。
「いない、かな……」
赤い髪がふと脳裏をよぎったが、濁して答える。
きっとただの好奇心からだろうし、正直に答える必要もないという思いもあった。
「じゃあ、私がおとなになったら、ヨハンのおよめさんにしてくれる?」
「え!?」
想定外の言葉に、渡された小石を落としそうになった。
「好きな人がいないんだったら、私を好きになってもいいでしょ?」
幼なじみの妹はそう言いながら、距離を詰めてくる。
ヨハンはその分だけ後ずさった。
「だめなの?」
「だめっていうか……」
まっすぐ自分を見つめる少女と目を合わせられなくて、ヨハンは明後日の方向に視線をさまよわせる。
「やっぱり、ヨハンはアカネお姉ちゃんが好きなのね」
「へ!?」
少女は若干肩を落として、二、三歩下がった。
「いや、ちょっと何を言って……」
「みててわかるもの。私がどれだけヨハンを好きでも、ヨハンはお姉ちゃんばっかりみてる」
そんなに見ていただろうかと、ヨハンは動揺しながら記憶を探ってみようとし、
「かして」
そんなヨハンの隙をつき、少女はヨハンの手から白く光る小石をひったくる。
そして、
「えいっ」
月が見える方向に向かって投げてしまった。
「え、あれなかなか見つからないんじゃないの?」
「みつからないわ。だから、今度はヨハンがさがすの。それで、アカネお姉ちゃんにわたして」
「それ、どういう……」
「お姉ちゃんのこと、好きなんでしょ? あれをあげたら、お姉ちゃんよろこぶんじゃないかな」
少女は振り向いて、ふふっと笑う。
「……探さなかったら?」
「泣くわ。『お姉ちゃん、ヨハンがひどいの』って」
少女の姉で、ヨハンにとっての幼なじみのアカネに絶大な効果がある言葉を悪びれずに言う少女に、ヨハンは絶句してしまった。
もともと、アカネはこの黒髪の妹に甘いところがある。妹はアカネの母親が亡くなったあと、ふたり目の母親から生まれた。だから、アカネたち赤い髪のきょうだいとは、はっきり髪の色が違う。
何年か前までは、母親や髪のことで一部のこどもにからかわれてよく泣いていた。そのたびアカネがかばったり、村のガキ大将を追い回したりして守っていたのだ。
しかしそれも、下に黒髪の弟妹が増えるにつれてなくなった。
それからこの少女は、少しずつお転婆ぶりを発揮するようになっていったのだ。
「さがしてくれるでしょ?」
今まさに、そのしたたかさが発揮されているらしい。六歳にして、末恐ろしいことである。
「わかったよ……」
今回は折れることにして、ヨハンはアカネの妹が石を投げた方向へ、のろのろと向かう。
光る白い小石探しは、思っていたよりも難航した。
白い小石自体があまり見つからないということもあったが、満月の光が明るく、見つけた小石が光っているかたしかめづらかったのだ。
これは違う、これも違うと地面を這うようにして小石を探すヨハンを、少女は手近な岩に腰掛けて見ている。
「がんばってー」
少女は棒読み気味に声援を送ってくれた。
ヨハンは脱力しそうになりながら、小石探しを続ける。
「そういやさ」
手は休めずに、ヨハンは口を開く。
「君はどうして僕を好きになったの?」
成果の見えない作業に疲れて、よく考えもせず発した言葉だった。
少女はきょとんとした後、「んー」と少し考える素振りをして、
「たとえば今、ヨハンは私のおねがいどおりに小石をさがしてるでしょ?」
「まあ、うん」
「そういうところかな」
「うん?」
少女の言葉は謎かけのようで、答えになっていないように思えた。
「わからないならいいの」
「そっか……」
ヨハンは立ち上がり、手や服に付いた砂粒を払って少女の元へと向かう。
「はい。見つけたよ」
そして、ほのかに光る白い小石をひとつ、少女の手の上に乗せる。
「だから、私じゃなくて……」
「大丈夫、まだあるから」
ヨハンはもうひとつの光る小石を少女に見せた。
「君も苦労して見つけたんだろうから、ひとつあげる」
少女は最初ぽかんとしていたが、次第に表情を険しくして、
「そうじゃないの! このうわきものー!」
ヨハンの手の中にあった小石を再びひったくり、ふたつとも力の限り放り投げた。
「もう、ばか! やりなおし!」
「ええっ!?」
少女の剣幕に負けて、ヨハンは再び小石探しをする羽目になってしまった。
ようやくひとつ小石を見つけたころには、少女は帰ってしまったらしく、どこにも姿が見当たらなかった。
翌朝。苦労して見つけた白い小石を渡された幼なじみの少女アカネは、
「石? 光る? ……ほんとだ。まあ、くれるっつーならもらうけどよ。お前時々妙なことするよな」
怪訝な顔をしただけだった。
その後ろで、黒髪の妹が「あちゃー」と言いたげに眉間を押さえているところを見るに、何か彼女の目論見と違ってしまったようだ。
ヨハンとアカネが小石の意味を知るのは、もう十年ほど後のことになる。
◇ ◆ ◇
「知らなかったからとはいえ、信じられませんよね。二股ですもの」
娘は憮然とした表情を作る。が、それはすぐに苦笑に変わった。
「それに、姉さんも。まさか知らないとは思いませんでした。村の女の子で知らぬ者なし。ずっと語り継がれてきたおまじないだったのに、ですよ?」
「だからお前はあのふたりに対して下世話だったのか」
竜は、ここ半年間の娘の行動に納得した。
「あら、下世話だなんて。まあ否定はしませんけれど。十年も進展がないとは思わなくて、多少強引な手も使いましたしね」
「流行病の時か」
竜は、半年ほど前の騒動を思い起こす。
たしか、娘が術士と姉を洞穴に数時間閉じ込めたのだ。わざわざ小細工までして。
「結果、丸く収まりました。めでたし、めでたしです」
「結局のところ好き合っていたのだろう? 放っておけばよかっただろうに」
「いいえ、あれで良かったんです。でなければ、術士さんが無自覚の内にまた何かやって、術士さんに想いを寄せる女が増えてややこしくなるだけでしたでしょうから」
そんなものかと竜は流す。
元々、個々の人間の繁殖には興味が薄い。
「お前は……」
「三度も生贄に名乗り出た娘、それが私ですよ? 十五で成人、十七なら嫁いで独立していてもおかしくない年齢です。私の場合はそれが“紅き竜の巫女”だっただけですし。顔を見たくなったら、またいつでも山の品を持って下りればいいだけのことですよ」
娘は笑った。
「今度は、お母さんの思い出話を聞いてみたいです」
娘は、竜の体に甘えるように寄りかかる。
加護つきの首飾りのおかげで、竜の高温の体表で燃えることもなければ熱くもないだろう。せいぜい、すこし暖かいと感じるくらいか。
「そうだな。明日にでも少し話してやろう」
「約束ですよ!」
娘は、服を着替えるため寝床に向かいながら、念を押した。
次回、竜の昔話の予定。




