7.花嫁と妹(後編)
朝になった。
日の出前に目を覚ました巫女は、顔を洗ってから軽く身体を動かし、薄く化粧をして朝食を取りに宿の食堂に向かう。
今回の結婚式は村を挙げて盛大に行われるようで、宿の主人たちもいつもより早く仕事を始めていた。
「おはようございます。ご主人たちも今日の式の準備を?」
「おう、巫女様おはようさん。おれらは料理の一品の担当だよ。村中で分担してんだ。なんせみんな楽しみにしてたからな!」
「そうそう。やっとあのふたりがくっついたわけだからねぇ」
宿の奥方も、仕事をしながら会話に混ざる。
「いやー、アカネも苦労したよなあ。あんなニブチンなんて好きになっちまったばっかりに」
「たしかにヨハンは色々と噂があってゴタついてたけど、アカネちゃんもアカネちゃんで見ててもどかしかったわよぉ。自覚がないのか、いーっつも一押しが足りなくてねぇ」
「あー、まあなあ。そのへんリリアナが一番頭抱えてたわなあ」
「そうねぇ、リリアナちゃん。あの子はあの子で、なんだかんだ引っかき回してはいたけどねぇ」
主人と奥方の思い出話に相槌を打ちながら食事を終え、巫女は部屋に戻って支度を始めた。
赤を基調とした礼服に袖を通し、左腕の露出する部分は、華やかな刺繍の施された幅の細い布を巻く。
ただの布だと浮いてしまうし、包帯のように見えて却って悪目立ちするのだ。
次に、色を用いていつもよりも少し濃いめに化粧をする。これくらいの方が、礼服に負けず華やかになってちょうどいい。
そして背中まで伸ばした黒髪をまとめ上げ、金の髪飾りと逆鱗の首飾り、透かし彫りの金の腕輪を身につける。生成り色で大判の薄絹を羽織れば、赤の強さを和らげられて目立ちすぎることもない。
「早起きしすぎたかなあ」
思いのほか時間が余り、巫女は手持無沙汰になってしまった。
こういうとき、いつもなら体を動かしたりするのだが。礼服を汗で濡らすことなどできないし、村の中で長物を振り回すなどもってのほかだ。
余興としてなら喜ばれるかもしれないが。
「主役はどうしてるかな」
リリアナがいることだし、着付けなどは心配いらないだろう。
その頃、リリアナはアカネの赤い髪を編み込んでいた。
「へー、器用なもんだな」
「アカネちゃん、まだ動いちゃだめ」
兄との婚約が決まった日、リリアナはアカネをなんとか言いくるめ、式の日まで髪を伸ばさせるという約束を取り付けた。
アカネは渋々ながら今日までその約束を守り、赤い髪は肩甲骨あたりまで伸びた。
その甲斐あって、こうしてリリアナは花嫁の髪を好きにいじることができている。
「うん、やっぱり白多めにして正解。アカネちゃんの髪色よく映える」
編み込みに白や桃色の生花を差しながら、リリアナの口元には自然と笑みが浮かんでいた。
アカネの花嫁衣装は、婚礼用民族衣装の形を参考にしながら、様々な色味の白を使っている。
村では花嫁衣装の色は特に決まっていない。白の占める面積が大きめで、他は伝統的な紋様や刺繍があるくらいだ。
アカネは大判の羽織り布でゆったりと肩を包み、腰のあたりで金糸を織り込んだ赤い紗の帯を結んでいる。
リリアナが仕立てた白を基調とした花嫁衣装を、アカネの赤い髪と帯の赤が引き締めていた。
「じゃあ、次は本格的にお化粧ね」
「私の番ね。アカネ、じっとしていなさいよ」
「わかってるよ」
リリアナは、アカネのふたつ上の姉と交代した。
「リリアナは自分の仕上げをしてきなさい」
「はーい」
リリアナはアカネたちの家を出て、隣の家の自室に向かう。
明日、いや今夜から、この家に家族が増える。
アカネとはそれこそリリアナが生まれた頃から付き合いがあるし、お互いの親が亡くなってからはさらに家族ぐるみで助け合ってきた。
もはや隣同士で暮らす大家族のようなものだが、それとこれとはやはり微妙に何かが違うのだろう。
今夜は新郎新婦ふたりで気兼ねなく過ごせるよう、リリアナはアカネの実家に泊まることになっている。着替えたら、今の内に着替えなどを運んでおいた方がよさそうだ。
そう思いながら歩いていると、リリアナの部屋の前で佇む兄を見つけた。
「お兄ちゃん。ちゃんと着てるね」
「まあ、そのへんはね。昔からリリアナにみっちり叩き込まれてきてるから」
兄ヨハンの衣装は、濃紺の合わせの上下に、金糸の刺繍が施された白い帯。腰に儀礼用の小刀を差し、額に濃紺と金で作られた組み紐を結んでいる。
メガネを外して大人しく立っていれば、今日の主役にふさわしい立派ないい男に見える。
リリアナは自分の裁縫の腕前と、兄の着こなしに感心した。
これは、普段からリリアナが口を酸っぱくして見た目や服装に関して言っていたおかげもあるだろう。
ただでさえ頼りなく見える兄は、少しでも服装などが乱れるといけない。
第一印象で損をしないためにそのあたりを徹底した結果、兄は「黙っていて動かなければ」それなりに見えるようになった。
「アカネちゃんもそろそろ準備終わるよ。私はこれから支度するから、お兄ちゃんはとりあえずじっとしててね」
「わかったよ」
「あと、式の時はメガネ外してもらうから、転ばないように気をつけてね」
兄は苦笑して、自室に消えるリリアナを見送った。
リリアナは戸をしっかり閉め、衣装掛けから一着の礼服を取り出す。
巫女がリリアナのために仕立ててくれた、淡い若草色の一着だ。首回りがほどほどに開いていて、袖は短くふわりと軽い素材で作られている。裾には明るい黄色い小花の飾りが刺繍とともにあしらわれていて、リリアナのかわいらしさを嫌味なく引き立てる、と巫女は言っていた。
巫女は以前、リリアナの作った服を、仕事がていねいだと誉めてくれた。巫女が作ってくれたものも、迷いなく無駄のない潔さが感じられる。
リリアナは手早く着替えて、青い珠の首飾りと銀の花の髪留めを身につけ、姿見の前でくるりと回った。
「うん、私ってばやっぱりかわいい!」
鏡に映る自分に笑いかけ、アカネの装飾品を持って再び隣の家へ向かった。
「おお……」
ヨハンの口から、自然と感嘆の声が漏れる。
「なんだよ」
対するアカネは、少し居心地悪そうに視線を逸らす。
「いや、本当にキレイだなって……うぐっ」
アカネが無遠慮にヨハンの脇腹をつねった。
「ちょっとやめて、ふたりともせっかく着付けたのがよれちゃうから!」
落ち着かない様子でふたりの着付けを整えていたリリアナが、非難めいた声でたしなめる。
「悪ぃ、ついな。ヨハンもなかなかいい男に仕上がってんじゃねーか」
「まあ、そこは私たち世話役のおかげもあってね? ふたりとも動いたりしゃべったりしなければ、元はいいんだから」
腰に両手を当てて立つリリアナの言葉に、新郎新婦であるふたりは苦笑した。
「じゃあ、私は行くね。身体のことについては、お兄ちゃんたちの専門なんだからしっかりね!」
「うん。もちろんアカネには飲ませない」
「絡むやつはぶっとばしていいよな」
「それじゃ着崩れるしあぶないから! そういうのは周りに任せればいいからね!」
リリアナはそう言って、外へ出て行った。
その背中を見送って、
「じゃあ、行こうか」
「……おう」
ふたりは腕を組んで、出口で緊張気味に待つ、先導役を任されたアカネの幼子きょうだいたちの元へ向かった。
昼から始まった式は、華々しいものになった。
見目の良い新郎新婦はもちろん、穏やかな天候、色鮮やかな装いの村人たちのおかげで会場はとても明るい。
半数以上がにこやかな、残りは過剰ににこやかな笑顔を浮かべた村人たちに囲まれ、ヨハンとアカネは指輪を交換し、盃を交わした(アカネは懐妊しているため、清めた水のやり取りになった)。
村の世話役から祝いの言葉に始まり、家族や親しい友人たちの激励や歌、巫女から披露された「恋のおまじない」の顛末などで大いに盛り上がる。
ひとしきり終わったところで、新郎新婦と村人たちとの歓談が始まった。
宿の主人たちをはじめとした村人たちの豪華な料理を手に、立食形式でみなが思い思いに語らう。ヨハンが友人たちに笑顔でどつき回されているのを、巫女は人の輪から外れたところで見ていた。
そこへ、花嫁姿のアカネが歩いて来る。手には杯をふたつ持って。
「よっ、巫女様」
「アカネさん」
アカネは杯ひとつを巫女に渡す。中身はどちらも果汁の飲み物だ。
巫女は礼を言ってそれを受け取り、アカネの杯と軽く打ち合わせる。
澄んだ音がした。
「今日はありがとうな。アタシは普段があんなんだから花嫁衣装なんて似合わねーだろって思ってたけど、さすがリリアナだよな。なんとかにも衣装ってヤツ?」
そう言ってひと口飲む。巫女もそれに倣う。
「アカネさんは、自分で思っているよりも女らしいですよ。口は悪いですけどね」
「ははっ、口が悪いのはちがいねーや!」
アカネは笑った。
そのままふうとひと息ついて、顔を巫女へ向ける。
「なあ、妙なことを言うんだけどさ。アタシさ、巫女様のことずっと前から知ってたような気がすんだよ。ついつい気安く話しちまう」
「私も、アカネさんとは気の置けない仲のように思うんですよ」
「本当かい? 気が合うのかね」
巫女は、小皿に載せたつまみの豆をアカネに差し出す。
アカネは礼を言ってひと粒つまみ、もうひと粒取って巫女の口元に持って行く。巫女は少し笑って口を開け、アカネはそこに豆を放り込んだ。
「実は何年か前にさ、アタシと近い仲の誰かが生贄に行っちまってさ」
アカネは空を仰ぎ見る。
「どういうわけか顔も名前も、どんな関係だったかもほとんど覚えてねーんだけど……。巫女様と話してると、そいつのことを思い出す気がするよ」
「あら、不思議ですね」
「だろ?」
アカネと巫女は顔を見合わせて笑う。
「私も妙な話をしましょうか。実はですね、私の初恋の人って術士さんみたいな人だったんです」
「へえ?」
アカネが意外そうな顔をして、少し間の抜けた声を出す。
「いつもどこか抜けているのに、これと決めたことには真剣で」
「でも、女関係は無自覚で滅茶苦茶で?」
「そう、そうなんです」
巫女はうんうんと、何度も頷く。
アカネは苦笑し、
「それは疲れる初恋だったな」
「ええ。相手が鈍いのと、恋敵が強すぎて投げちゃいました」
「それは投げて正解だよ!」
アカネは杯の中身が揺れるほど豪快に笑った。
「しっかし、巫女様が勝てないような恋敵か。どんなやつか興味あるな」
「それが、昔からお似合いで。運命の相手と言いますか。ただ、お互いとても鈍くて。見ているこちらは、もどかしいどころではありませんでしたけどね」
「そいつぁーたまんねぇな! 背中を『押す』じゃなくて、突き飛ばしたくなったろ?」
「それは今日の主役にも言えることですよ?」
「いや、それは……」
言葉を濁して、アカネはまた杯に口をつける。
「ところで。私から、結婚祝いとしてお香と香炉を持ってきたんです。寝室で焚くといい感じなんですけれど、今夜さっそくいかがです?」
「ばっ……!」
アカネの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ちょ、待て! 巫女様っ!」
「あははははっ」
赤い礼服を着た黒髪の美女を、白い花嫁衣装で赤い髪の美女が追い回す。
見た目華やかなふたりのやりとりを、村人たちが離れたところから微笑ましく見守っていた。
「あとで色々言わせてもらうからな!」
人に呼ばれ、アカネが赤い顔をして輪の中心に戻るのを見ながら、
「本当におめでとう。ヨハンに、アカネ姉さん」
巫女は。
誰からも、実の姉の記憶からも消えた妹は、小さく呟いて優しく微笑みを浮かべていた。
宴もたけなわを過ぎ、式も終わりに近づいた。
「巫女様も二次会参加するだろ?」
こっそりと賑わいから抜け出し人気のないところへ出た巫女を見つけ、アカネが声をかける。
「いえ、私はこれで。宿にある荷物は私からのお祝いなので、あとで開けてみてください」
巫女はピイーっと、高く指笛を鳴らす。
ほどなく、山の方から何かの影が近づいてきた。
それは段々と大きくなり、風を切る音と熱風を伴って巫女の後ろに着地する。
地面の揺れと風に煽られ、アカネは思わず目を閉じ腕で顔を庇う。既視感がアカネを襲った。
風が収まってから目を開けると、いつかのように、そこには全身から高熱を放つ紅き竜がいた。
その巨体は家屋を越えて見えたらしく、村の方からざわめきが聞こえてくる。
巫女はそれを気にも留めていないようで、いつ持ち出したのか、赤い刃の長物を立てて持っている。
「ご結婚、本当におめでとうございます。改めてお祝い申し上げます」
驚きで言葉を失っているアカネに、巫女は柔らかな笑顔で言祝ぐ。
「急な用事を思い出してしまいましたので、これにて失礼いたします。次にお会いできるのは少々先になりそうですが、術士さんと、お腹のお子さんと、みなさんとでお幸せに」
羽織った薄絹の裾をつまみ、巫女は軽く礼をする。
「もういいか、我が娘よ」
「はい、お母さん。行きましょう」
竜の背に軽々と飛び乗り、巫女と竜は飛び去った。
呆然としているアカネの視界から、その影は見る見るうちに小さくなる。
人間の前で初めて交わされた母娘の会話は、あっという間に麓に広まることとなった。
竜は背に娘を乗せ、山の頂へと、迎えの時よりも速度を落として飛んでいた。娘が振り落とされぬように。
「赤い髪の娘は、お前の姉だろう?」
「はい。父の前妻が亡くなる直前に生まれた子で、私が後妻から生まれた最初の子です。だから髪の色が違うんです」
「そうか」
竜は短く返す。特に感慨はないようだ。
「姉さんとは年も近くて、仲も良かったんですよ。私が親のことや兄姉たちと違う髪色のことでからまれた時は、いつも庇ってくれて。だから、姉さんはあんな感じになったとも言えるんですけれど。私の下にきょうだいが増えるにつれて、そういうからかいもなくなっていきました。でも、姉さんは口が悪いままでしたね」
娘は苦笑する。
竜はしばし無言で飛行に集中しているようだったが、
「よかったのか?」
ひと言だけ発した。
「あのもどかしいふたりの結婚式に参加できて、満足です」
娘はくしゃっと表情を崩して笑った。
村人と巫女編、ひと区切り。




