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プロローグ

「起きろ、朝食の時間だ。グズグズするなっ!」


 小さな窓から差すわずかな光だけが室内を照らす。

 部屋の中は鉄の格子で区切られていてその1つで寝ている奴隷に看守の男は歯をむき出しながら怒鳴る。

 奴隷は看守の声に応えるように体を持ち上げるが看守を睨むように一瞥した後、再び敗れたベットの上に腰を下ろした。


「ちっ可愛げのない奴だ。ツラと身体はいいんだからもっと俺にサービスすれば悪いようにはせんぞ」


 看守の下卑た笑いに奴隷の少女はさらに機嫌を悪くしたのか配膳された朝食の簡素なスープを投げつける。

 皿は格子に引っかかったが中身は看守の顔にクリーンヒットして熱いからか怒りからかみるみるうちに顔が赤くなっていった。


「クソッ!! このガキが調子に乗りやがって!!」


 看守は牢の扉を開け少女に殴りかかろうと胸倉を掴んで持ち上げる。

 まだ幼いうえに栄養失調で体重が軽い彼女の身体は軽々と宙に浮かんだ。

 だが奴隷の身体…… 売り物に傷をつける訳にはいかないと寸前のところで気付き手を離した。

 代わりに近くにあった木製のバケツを少女の真上でゆっくりと引っ繰り返す。

 中に溜まっていた異臭を放つ液体が少しずつ身体にかかる。

 愉快そうに見ていた看守だったが少女が気にもせず自分の事を殺意を込めた目で睨んでるいるのに気付くと怖気づかれた様に足早に牢から出て行った。

 少女は馬鹿にするように鼻を鳴らすと続いて自分の放つ臭いにしかめっ面をして部屋の隅に向かう。

 各牢には小さな水道が付いている。

 身体を直接洗えるほどの大きさはないので普段から身体を拭くために使っているタオルを濡らし服を脱いだ身体に滑らせていく。

 未成熟な少女の裸体は汚れていてもわかるほど美しい白くキメ細やかな肌で黒髪がよく映えている。

 身体を拭きながら少女はここ最近で自分の身の回りに起きた不可解な事について考えを巡らせていた。


 話は彼女がまだ”彼”だった二ヶ月前まで遡る。


 彼は二ヶ月前まではどこにでもいる普通のフリーターだった。

 高校生の時両親が事故で死んでしまい最初こそ悲しんでいた彼だったが時間が経つにつれてだんだんとその気持ちは薄れていった。

 同時に多額の慰謝料と保険金が入ってきた彼はついにはその金を使って昼夜を問わず遊びまわるようになっていく。

 学校にも行かなくなり通帳の中の金が空になったときに残っていたのは遊びで生まれた人間関係と高校中退の学歴のみ、他には何もなかった。

 仕方なく彼はバイトを始めた。

 大学にも行かずにバイト、同僚とパートはいつも陰でこそこそと笑っていた。

 バイトを始めて三年経ったころには友達もみんな近づかなくなっていた。

 金がなくなって付き合いも悪くなった男などどうでもよくなったのだろう。

 彼も昔の友達のことはどうでもよくなっていった。

 そんなことよりも生きていくための金を稼ぐのに必死だった。

 だがバイトだけの単調な生活には耐えられず彼はそれまでまったく興味のなかった漫画やライトノベル、アニメを見るようになった。

 見るまではオタクの好きなものと偏見を持っていたが、気まぐれにためしに買ってみた数日後には虜になっていた。

 生活費を切り崩しては本屋に足を運び夜は睡眠時間を削ってテレビから離れなかった。


 しかしそんな日々にも終わりがくる。


 彼の住んでいた家が火事で焼けたのだ。

 火の不始末が原因だったそうだ。

 バイトから帰ってきた彼の目に映ったのは燃える家と焼け焦げた灰、苦労して少しずつ貯めた金も本もどこにもなかった。

 生きるのに疲れた彼は翌日適当なマンションの屋上から飛び降りた。

 飛び降りた後の記憶はない、落ちている時に気を失ったのだろう。


 死んだはずが目を覚ますと知らない場所の知らない人物になっていた。

 その場にあった鏡に映る自らの姿を自分だとは思えなかった。

 身体と鏡の中の人物の姿がシンクロしているのを見て信じざるおえなくなった。

 彼…… 彼女は知らない女によってこれまた知らない男――今となっては奴隷商人だとわかるが―― に売られるところだった。

 知らない女は彼女の母親だったらしく育てるのが面倒になった顔はいいから高く売れるだろうと人の風上にも置けないことを言っている女。

 親の残してくれた金を好き勝手に使う奴とどっちがクズか勝負ができそうだ。

 どうやら彼は今まで生きてきた世界とは違う場所に飛ばされた様だ。

 しかも今までの自分とはまるで違う人間になるかたちで。

 最初は地獄で見ている夢だとも思ったが覚めないところを考えると間違っているのだろう。

 再び死のうとも思った、何せ境遇が境遇だ。

 転生していきなり奴隷である。

 しかし彼女は思いとどまった、それではこの身体の持ち主があまりにも可哀想だ。

 今でも彼女は状況に正確には付いていけてはいない。

 それでもここが夢ではなく現実だということは認めるしかなかったのだ。

 なぜ女になっているのかはわからない、だがもしこの子の本当の持ち主が意図せず身体を彼女にとられたのならそれは哀れなことだ。

 本来の持ち主がいるのならその彼女にせめてもの罪滅ぼしとして精一杯生きるべきではないのか。


 ……いやこんなのはただのいい訳だろう、自分の異常さを否定するための。

 彼女は楽しんでいるのだろう、まるで漫画のように違う身体になってしまったこの状況を。 


 新たな身体で生きていく。 

 そのためには手段は選ばない、人を騙しもしよう、他人を不幸せにもしよう、そんな事は関係ない。

 彼女がが目指すのは唯一つ奴隷からの成り上がりだ。

 そう決意した彼女はそれから二ヶ月の間耐え抜いてきた。

 フリーターのおっさんはもう死んだ。

 人生を再スタートしよう。

 この暗い、希望のない鉄格子の中から。

 少女、名前はまだない。

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