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失神  作者: 北川瑞山
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 ああ、しかしやっぱりあなただけです。後にも先にも僕を救ってくれるのは。僕をこれからも励まして、何とかこの退屈極まりない今日一日を幸福にしてくれるのはあなただけなのです。これは本当です。信じてください。僕は何も嘘をつく為にこんなに大変な思いまでして書き続けているわけではないのです。やっぱりあなたにはありがとうと素直に言いたい。それは本当なのです。愛という信頼の置けぬ言葉も、あなたになら恥ずかしげもなく言えるのです。あなたがどうしたら私の方を振り向いてくれるのか、どうしたらあなたの実体を少しでも理解する事ができるのか、毎日毎分毎秒、可能な限りただそればかりを考えているのです。そうする事で、世界の見方が180°違って見えるのではないか、そういう確信で胸を膨らませて、雑踏の中で煩悶する事にも耐え忍んでいるのです。

 先日ある新人文学賞の選評を読みました。選評というか、選考委員の作家先生と新人賞受賞者が対談を行っていたのです。年配の作家先生が、新人賞受賞作についてこんな講評を述べていました。

「この作品は正に震災後の小説だ」

文脈は忘れましたが、ともかくこういう表現をしたのですね。ところがこの講評に対して、この作品を書いた若い受賞者はこんな返事をしたのです。

「いえ、この小説は震災前に書いたものですよ」

受賞者はまだ二十代前半で大変若かったものですから、権威に媚びない風の強がりを言ってみたのかもしれませんし、あるいは単に選考委員の先生の言った意味を理解していなかっただけかもしれません。しかしこれで終わりではありません。作家先生は取り繕うように言いました。

「いや、私は震災後も通用する小説と言ったまでで、震災後に書かれたとは一言も…」

私はこの瞬間にやりきれない思いに苛まれ、暗澹たる気持ちになったのを今でも忘れる事が出来ません。そして底なしの怒りが湧いてきたのを覚えています。今でも思い出す度にむらむらと怒りが湧いて、手に汗を握る程です。私は彼らのうちどちらか一方にではなく、両方に怒りを感じたのです。このやり取りの中で、両方がお互いに文学を貶めあっているからです。この二人は何か訳知り顔をして、良識のある会話を交わしているような素振りで、実は文学というもの言わぬ子供を虐待しているのです。私はもうどうして良いのか分からず、ただそのやり場のない怒りだけを胸にその文芸誌を閉じました。

 彼らの対談は、その他のどこを見ても殆ど目もあてられないくらいに文学の価値を否定する発言ばかりで、中には

「実は僕、文学なんて嫌いなんです。文学作品なんて殆ど読んだ事もないのに受賞しちゃって、正直驚いています」などというのもあり、目を疑いました。もう呆れて物も言えませんでしたね。おまけに当の受賞作ときたら、とても二千篇の中から一篇というとてつもない倍率で選ばれたものとは思えないほど稚拙で、この作品に負けて受賞できなかった応募者はさぞ悔しいだろうと思うと、他人事ながら胸が痛みました。まあ、文学が嫌いな人が書いたので当然と言えば当然ですが。そして更に恐ろしい事に、国内有数のメジャーな文芸誌が、こんな醜悪な作品と対談をセットにして丸々掲載しているのです。これにはほとほと嫌気がさしました。

 しかしこれほどの無理解かつ無神経な環境に置かれていようと、私は文学自体を嫌いになる事がどうしても出来ないのです。むしろ殆ど理解されていないからこそ増々愛したくなるとさえ言えると思います。なぜなら文学は私を救ってくれたからです。私には金も地位も何もありませんが、文学さえあればそれで充分に幸福だと断言できるのです。勿論文学というのはあまり健康的な生活には向いていません。酒や煙草と同じように、中毒に陥ってしまうと大変な事になります。生活は見る影も無くぼろぼろになるでしょう。私だって身を以てそういう経験をしてきましたからね。ただそれでも、その時でさえ、私から文学を取ったら何もなくなってしまうのではないかと思っていたくらい、私の存在と文学は切っても切り離せない関係にあるのです。尤も文学の方は昔っから今まで片時だって私の事を好いちゃくれず、片思いばかりの切ない関係ですがね。でもそれでいいんです。だっていずれは何にも無くなってしまうんですものね。こんな小さな人間がここに生きている事を、私は残したい。必死になってここに足を踏みしめ、腹を括り、書いていきたい。けれども時間が経てばそんなものは時代の紙くず、老廃物。どうしようもありません。私は文学に救われたと思っていても、それは大いなる勘違いで、実は私は取り返しのつかないくらいに滅ぼされていたのかもしれません。


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