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先生、私はもう一つ嘘をついていたことを告白しなければなりません。私は人間関係において、苦手ではあっても、それなりに上手くやっているような口ぶりで先生にお伝えしたと思います。それはウソです。真っ赤なウソです。私の人間関係は最悪です。人間関係において私程不器用な人間もいなかろうと思う程です。職場では、私は誰からも蛇蝎のように忌み嫌われているのです。特に直属の上司からはもう、思い出すのも嫌になるくらいの嫌がらせを受けて、「これで何とかこの仕事を辞めてもらえまいか」という上司の心の声を日ごとに聞いているのです。私は間違いなく職場には必要のない人間です。私がいなくなった所で誰も困りはしないでしょう。それをまざまざと感じる日々を過ごしています。私は文学への未練を捨てきれず、与えられた仕事に集中する事も出来ず、さりとてこんな仕事は俺の仕事ではないと割り切って、退職する事も出来ない臆病者なのです。一体どうしたら、道が開けるのでしょうか?いや、私は一体何がしたいのでしょうか?文学は目的なのか、手段なのか、手段だとしたらその先の目的は一体何なのか?それを導き出すのには行動しかありません。しかしその行動が、私には恐ろしく、その結果、無難な、進みたくもない道を今日もまた進まざるを得ないのです。いや、結局の話、人間の人生なんて結局は不幸にしかならないのかもしれません。幸せだったとかいうのは他人の評価であって、自分で自分の事を幸福だと思っている人間なんていやしないのかもしれません。でもやっぱり私は、不幸になるのは嫌です。不幸になるのが恐ろしい、この状態が正に不幸の極みです。
いやいや、先生、私これでも、新しい事を発見しているんですよ。こんなどん底を這いずり回る生活の中でも、人生を生き抜くには何が大事なのか、血眼になって探しているんです。その中で、人間の不幸について、最近気付いた事があります。人間の不幸には様々な形態がありますが、それは概ね二つの種類に大別されます。一つはお金がない事、もう一つは知恵がない事。つまりお金と知恵があれば、大概の不幸はどうにかなるものだということです。私は幸福になんかならなくていいのです。ただ不幸にだけはなりたくない。その為にも、どうしたら儲かるか、どうしたら賢くなれるか、そればかり考えて暮らしています。はは、どうです?ここまで堕ちてしまえば、もう立派な社会人でしょ?僕はこの二つを追い求めている限り、人様から後ろ指さされる事もないんです。ここまで来れば文学も僕を追っかけては来ないだろうという訳です。いや、何も自分の不幸を文学のせいにしているわけではありませんよ。ただ不幸の言い訳に文学を持ち出したくない。これが精一杯の文学に対する、私の誠意という気がするんです。そうとすれば、私は文学も文学性も捨てきってしまわねばなりません。文学の事を口にするときは決まって、一般教養として、嫌味な衒学趣味として文学を語り、そして私のような凡人はそんな高尚な趣味には付き合いきれないと、無神経な微笑と共に顎に手を当てて脚でも組んでいなければならないわけです。
先生、私の醜態、無才を、どうか嗤ってください。私の醜さ、無能さ、暗さ、思い切りの悪さ、粘着質、これらを私自身がまだ認めきれていないという気がするのです。これが自覚できれば、心の底から自覚してしまえば、私はもっと図太く、傷つかない男になれそうな気がするのです。人間図太くなければ生きられません。私には芸術によって真実を表現することよりも、ビジネスによって嘘をつくその図太さの方が必要なのかもしれません。
追伸
そういえば、最近まで私の座右の銘であった「goodはbestの敵である」という言葉、あれはよく調べてみたら「The best is the enemy of the good」つまり「最善は善の敵である」ということだったんですね。最善よりもまずは善を目指せと、欲張らずに一歩ずつ進んでいけと、そういう意味みたいです。私の様な善にも及ばぬ愚者が善をすっとばして最善を目指すという一発逆転的な発想ではなかった様です。しかし善って何ですかね?それは本当に最善に繋がっているのでしょうか?




