第一話 再発
「彩、指令入った」
見据える先には丸まった毛布の群れ。
そこにいるはずの彩にいつもの様に呼びかける。起きないだろうが。
自分の後ろで揺れる明るい茶の髪は腰に届くほど長い。
むき出しの右肩の【O-0124】という黒字の刺青をてのひらで撫でる。
「……今すぐ?」
四畳半程度のコンクリート造りの部屋の中央で布の固まりがもぞもぞと動いた。
言外に、動きたくないと言われた気がする。
呆れ顔で俺は、この部屋の主人――彩に断りもなくずかずか布の前まで行くと、もう一度、彩と身体のわりに低音な声で呼んだ。
「んー、もうちょい……きゃっ」
「甘ったれんな」
剥ぎ取った毛布の下から覗く顔は15歳ほどと幼く、金色の目が鋭くこっちを睨み据えた。
「響、返せ」
「やだよ」
頬を膨らます彩の額を小突き、思わずふっと笑った。
こいつは面白い女だ、と思う。そして一番信頼できる奴だ、とも思っている。
部屋の灯りを点け、寝着から仕事用の動きやすい服へ着替える彩の腕には【O-1130】と、自分と同じように刻まれている。
これは幼い頃から特殊な訓練を受けた、政府お抱えの[A.C]である自分達への刻印。例えるならばペットのネームプレートなのだろう。
彩がその視線に気づいたのか目で出てけ、といった。
「準備出来た。行こ」
長身で、肩につかないざんばらな黒の髪。
黒を基調とした服装は、身体にピッタリ付くタンクトップに七分のズボン。
カーキのナップザックを肩からだらしなく下げる、という出で立ちをしている。
そしてそこだけ妙に際立つ、曇りのない金の瞳。
その目で不審げに見られている事に気づいて、慌てて目をそらした。
「今日はこいつ」
そう言ってクリップボードに留められている用紙を渡す。
そこには穏やかな笑みを浮かべる男の写真と、だいたいの家の内部地図が描かれている。
「ん?この場所ってあたし達じゃなくない?」
「あー……ま、上からの命令だし」
上からの命令には絶対服従、だ。
逆らったらどうなるのか想像もつかないがとにかく逆らったらいけない。
そだね、と軽く相槌を打つ彩と共に宿舎の出口を目指す。自分達A.Cは8人しかいない。
それは秘密主義からくるものらしいのだが、まあそれは置いておこう。
とにかく赤子の頃に身体能力や頭脳が高かった8人は強制的にここへ連れてこられた。
本当に小さかったから親の顔は覚えていない。
世界中から連れて来られているから人種も様々だ。
俺の名前は和森 響。ようやく今年16歳の東洋人。
彩はかなり色々な人種が混ざっている。本名は七瀬 彩で、A.Cの紅一点であり今年15歳。
常に二人一組が組織の基本方針で、俺と彩も6年前に組んだばかりだ。
出口であるゲートにいるしかめつらしい顔をした髭親父に用件を伝える。
するといつも通りあっけない位すぐに外出許可がでた。
ここの周りは厳重に鉄柵や高い塀で囲まれている。
なのにこうも容易く外出ができることを前から不振に思っていたが、考えても仕方がないことなのだからやめた。
「ねえ、響」
ゲートを出てすぐの広い道で彩が口を開いた。
「逃げない?」
逃……げる?
「それは…だめだろ」
「やってみなきゃわかんないじゃん」
再発した。
こいつは俺と組んだ当初もそんなことを言っていた。
それまで逃げるなんて考えたこともなかった自分にとって、これほど驚く言葉はなかった。
だって自分は政府に飼われているんだから。
「ね、いいでしょ?」
月明かりを反射させる金の瞳が自分を覗き込む。
一回、猫みたいだ、と言ったら見事に眉間し皴が寄った。
どうやら猫にトラウマがあるらしい。
「だめって言われても、もう白に話しちゃったし」
「はぁ?」
「響は、さ。人を殺すの好きなの?」
好き、とかそういうのじゃない。
それが自分の仕事だからこなすだけだ。
幼い頃から上の命令には従え、と教え込まれてきた。
それに目の前で人の腹部から出るどす黒いものを見ても、ナイフを閃かせた後の血潮も、自分にとっては無機質な映像にしか見えなかった。
「とにかく、あたしは逃げる」
そうはっきりと言う彩は、踵を返して闇へと溶けていった。
「逃げれないよ、絶対……」
呟いた言葉は空しく宙を舞って空へと消えた。