34.望みを叶えるという事
フィールランド家で開かれたパン教室の次の日には、慌しくも大量の小麦粉を孤児院に運び込んでいた。
ウチから納入した分は信用貸しの後払い扱いだが他の農家から仕入れる分はそうもいかず、全財産を使って支払った為もう失敗は許されない所まで彼等も踏み込んでしまっていた。
男手が必要とトルビスとセリオスもこの日ばかりは畑仕事返上で借り出され、馬車で2往復した後には孤児院の暖炉を利用したお手製の酵母保存箱作製に取り掛かっていた。
その後ルビスとセリスと私の3人で作り貯めていた酵母と食パン用の金型を運び込み、フィールランド家の家族総出での孤児院最終スパルタ教育と明日のパンの仕込みを済ませ
「これでできることは全部やったかな?」
「そうだね、後はぶっつけ本番になっちまうね」
「ミユキのパンのお陰でウチも儲けさせてもらったからね、明日はあんた達2人もこっちを手伝っておやり」
と女3人で話し合っているとコツコツと杖の音をさせながら院長先生が近づいてきて
「この度は何から何まで手伝っていただきありがとうございます。
これが上手くいけばこの孤児院も持ち直して・・・・いや、今まで以上に良くなっていける事でしょう」
「いえ、こちらこそパン作りを引き継いでいただき助かってますから。
もっとちゃんと準備期間があれば良かったんですが・・・」
「なぁに、この爺さんならこれくらいで丁度いいくらいさ・・・ねぇ?」
「むぅ・・・・」
横から挟まれたセリスの言葉にルビスと私がキョトンとすると、昔は死んだウチの爺様と鍛冶屋のキトンとこの院長先生とで集まっては酒を飲み、怪しげな発明品を作ってはトルビスを使って実験して笑い転げていたもんさ!とセリスはニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべつつ説明してくれた。
意外な所で意外な人達が結びつき、さっきからソワソワと院長先生から距離をとってるトルビスに哀愁を感じつつ、では私たちはこれで帰りますね、皆さんも明日に備えてゆっくりと休んでくださいと告げると、遠くのほうで手を上げながらピョンピョンと飛び跳ねつつルイさんが近づいてきた
「あぁ~!待って下さい、ひとつミユキさんにお願いしたい事があるんです~」
「え、なんですか?」
「えっと、皆で相談した結果ミユキさんに私達のパン屋の名前を付けてもらおうと言う事になったんです。
よかったら考えてもらえませんか?」
「わわわたしがですか?」
コクンと頷かれ周りを見渡せば皆も頷きルビスやセリスにも促され、うぅ~んと悩み始めるとポンっとひとつの案が浮かび
「じゃ、じゃぁ、サンタクロースのパン屋さんで・・・」
「サンタクロース・・・とは、どういう意味なんですか?」
「え・・・そうですね、幸せを届ける人って感じかなぁ」
「幸せを届ける・・・・良いじゃないですか!それでいきましょう」
皆も笑顔で納得してくれたようでどうにか大役を務めホッと胸を撫で下ろす。その場の流れとはいえ遂にサンタクロースという言葉をこの世界で発した私は少しづつでもこの言葉が広がってくれるといいなぁと軽く考えていたのだった。
そして翌日、天候は残念ながらどんよりとした曇り空。
なぜかその空を見上げながら無性に不安な気持ちが膨れ上がっていた、どこか私の知らない所で何か取り返しの付かない物が動き始めたような、このまま進むともう引き返せないような漠然とした不安。
そんな胸が締め付けられるような不安を感じながらも、きっと今日のパン屋の事が気になっているんだと言い聞かせルビスと共に孤児院に赴くとそんな気持ちは一気に吹き飛んでしまった。
そこはすでに戦場だった。
飛び交う怒号、吹き上がる白煙、忙しなく走り回る人々。
「違う違う、そうじゃない! そこ小麦粉撒き散らすな! 手が空いたやつはこっちを手伝ってくれ!」
挨拶を交わす間も無く駆り出され数時間の格闘の末どうにか本日予定数の焼成まで漕ぎ着け、今度は休む間も無く広場のほうへと応援に向かった。
約束の期日通り本日から本格的なパンの販売が始まったと噂が広がったらしく、広場は人で溢れ返りかつて無いほどの賑わいを見せていた。
「おぅ!嬢ちゃん、すげぇもんだなぁ。
長い事ここに住んでいるがこんなに此処が賑わったのは祭りの時以外じゃはじめてだぜ」
「キ、キトンさん!すいませんお騒がせしちゃって」
「なぁに、こっちも便乗して稼がせてもらってるから気にすんない」
キトンさんに捕まり話していると、ミユキあんたはそこにいな売り場にあんたがいるとまた何か起こしそうだから!とルビスが失礼な事を言って走っていったが、前科持ちとしては否定も仕切れないので大人しく従っているとキトンさんに盛大に笑われてしまった。
「クックック、嬢ちゃんは大したもんだなぁ。
見なあいつ等の顔を、あいつ等があんな顔して働くなんて今までなかったことだぜ」
その言葉に改めてパンを売っている孤児院メンバーを見ると、全員が汗に塗れているがその顔には笑顔が溢れていた。そしてその笑顔には希望と自信も感じられて・・・・。
杖の音と共に近づいてくる気配に慌てて振り向くと優しい笑顔を伴い院長先生にポンっと肩を叩かれ
「今回の事では貴方には言葉に出来ないほどの感謝を感じています。見てください彼らの顔を、初めてなんですよ彼等が街の人々の前であんなにも自信に溢れた笑顔をするのは・・・・。
貴方は私たちに孤児院の再建だけでは無く希望と自信も与えてくださったのですね、貴方こそ間違いなくサンタクロースですよ」
その言葉にトクン・・・と胸の奥で何かが動き出した
「サンタクロース・・・なんだそりゃ?」
「幸せを届ける人という意味らしいですよ」
「ほぉ、いい言葉じゃねぇか。
なるほどそりゃぁ嬢ちゃんにぴったりの言葉だ」
トクントクンと脈打つ何かはゆっくりと花開いていく
グッと胸を押さえながら嬉しそうな笑顔を浮かべて働く彼らを見やる。
今の今まで私は孤児院の再建とこれからの生活向上が彼らの幸せだと考えていた。しかしそれよりも本当に彼等が望んでいた物は、街の人々と同じ高さに立って共に笑い合える場所。
自分達で作り上げ自分達で売る、それを人々が笑顔で買っていく。たったそれだけの事、それだけの関係が彼等には遠くそして心の奥底で望んでいた事。
『平等』『公平』『同じ立ち位置』、『哀れみ』『蔑み』『見下される場所』彼らの願いは私の考えの遥か上を行っていた。結果だけ見れば私は彼等の望みを叶えたかもしれないが・・・・ホント、サンタクロースって難しいなぁ。
ポロポロとこぼれる私の涙は彼等の幸せに流された物か、それとも変わっていく自分に流された物か
胸を押さえ倒れゆく私を慌ててキトンさんと院長先生が支える中、涙の理由の答えを見つける間も無く私の意識は光に飲まれていった。
そしてその光景を建物の影から目を細め見つめているチャオの視線には、最後まで気が付く事はなかった。
何が正しく何が間違っているのか。
誰が正義で誰が悪なのか。
立ち位置が変わればそれらも変わる物です。
登場人物が多くなるという事は物事の価値観が増えていくという事。
ここからが正念場です、ミユキにとっても作者にとっても。




