連鎖
気づきは芋づる式に起こる
(もっと美しい日本語で表現したい…)
テトリスの連鎖のように
カチッとハマることで次々と理解が進む
自分のためが人のため
これは、自分らしく生きることで貢献に繋がるという解釈なのだが
それは、ある角度からの考え方
別の視点から考え方を変えて見る
全てのエネルギーは互いに影響を与えている
双方にエネルギー交換が行われるということ
例えば、子育ては親育てという
子どもを育てているつもりでいる親が、子育てにより成長している、育てられている
これは真実である(イヤってほど経験済み)
つまり、人のためが自分のため
逆からの貢献も成立しているということ
医者が患者を救うのなら
患者が医者を救っている
アーティストがファンを癒すのなら
ファンがアーティストを癒している
誰かのために働きかけ愛したのなら
自分のために働きかけ愛したことになる
与えた光は、必ず同時に自分を照らす
そこに境界線はない
エネルギーはひとつになるから
自分のためが人のためになり
人のためが自分のためになる
何かしら良い事をしなければ、ためにならないという思い込みがある
そうではない、何でもためになる
ただ、自分らしくあればいい
心の弱い自分、病気の自分
失敗した経験、挫折した経験…
そんなことが貢献になるのだ
誰かの気づきのきっかけや救いになる
だから、自分を表現することが大事
誰かに、世界に伝わるように行動する
この地球という星でエネルギーを伝えるには、行動しなければ伝わらない
今、私が書いていることだって
家で一人で心の中で考えているだけでは誰にもわからない
文字に起こして投稿することで初めて誰かに届く
あなたがこの文章を読んで、何かに気づき学びになったり少しは役に立ったりすることで
私はこの文章を書くことで、癒されたり幸せな気持ちになれるのだ
エネルギーは一方通行ではない
人を傷つけたなら、必ず自分も傷つく
殴られた頬だけではなく殴った拳も痛いものなのだ
本気で心配して心から怒ってくれる相手は、自分も心を痛め削っているのだ
どうでもいい人間ならどうなろうと知ったこっちゃないから放っておく
怒られるうちが花なのは、愛されてるから、信じて期待されているから
まあ、表現力や表現方法にもよるけど
愛の反対は憎しみではなく無関心、というマザーテレサの言葉通り
話の論点が変わってきてしまったけれど
自分の行い、エネルギーは常に自分に跳ね返ってくるもの、ということでまとめにしておこう
全ては繋がっている、ひとつの宇宙