とある王妃が見た真実の愛
長年続いた紛争がようやく終った。
勝敗がついた訳ではなく、合併という結末で。
軍門に下った国の王は革新的な考えの持ち主で、自らが王位を得たタイミングで終戦へ向けて動き出した。
疲弊しきった民も兵もこの国も、これ以上は持ちこたえられない……。
若き王の【民を生かす為に退く】という苦渋の決断だった。
この国には不思議な迷宮があった。
貴重な資源を豊富に産出してくれるが、迷宮がその扉を開くのは期間限定だった。
王家、それも直系の者が十九歳になった時に扉に血を垂らすと、迷宮は一年間だけ開放される。
当然ながら相手国はそれを熟知していたし、欲していた。
若き王の条件は、たった一人の我が子である王女と相手国の王との婚姻。
その間に出来るであろう子に王位を継がせること、であった。
相手国の王には既に妃がいたが、紛争がどう転がるかわからぬ状態が続いていたのと
身分の関係で、側妃として王城に上がったのだと言う。
これ以上争わぬなら、正妃として迎えよう。
相手国の返事は是であった。
若き王は実弟である北の辺境伯の娘を王女の侍女として、付き添わせた。
これは王女が子を為せなかった場合のスペア的な意味合いがあった。
度重なる会談の結果、相手国の国王は自国の貴族の力関係を配慮して王女は正妃。
自国の有力貴族の令嬢を第一側妃。
現在の側妃である妃は第二側妃。
辺境伯令嬢を第三側妃とする。
双方納得の上、条約は締結された。
むろん、令嬢達に選択の余地は無かった。
かくして亡国最後の姫は、齢五歳と言う幼き身で、三十歳目前だった国王に嫁ぐ事に。
姫の侍女であった辺境伯令嬢も十代半ばで王城に上がり、第三側妃の身分が与えられた。
国王と元からの妃であった第二側妃との間に、五歳の正妃より歳上の子供達が居た。
政略による結婚が色濃い世代だったが、国王は思いのほかレティシアにも側妃にも優しかった。
どの妃も平等に扱い、無体な真似はしなかったので妃達の仲も、概ね良好であった。
幼きレティシアの教育係は第一側妃。
貴族令嬢の身でありながら、魔術研究所の所長の座を実力で勝ち取った才媛だった。
レティシアが十四になる頃には側妃全員に子が授かっていて、王子王女合わせて八人という状況だった。
……私が産まなくたって良いじゃないのだろうか?
恋も知らぬレティシアがそう思うのも仕方なかった。
結局運命からは逃れられず、レティシアは王女と王子を産んだわけだが。
歳の離れた我が子を異母姉弟達は随分可愛がってくれた。
側妃達も賢く、出過ぎた真似は一切せず王家はとても順風満帆。
籠の中の鳥ではあるけれど、これが私の運命…レティシアは自らの自由への渇望などおくびにも出さず、公明正大な王妃として生きることを自分に課した。
そんな折り、王族七名とその婚約者一名を巻き込む大事故が起きた。
原因不明の橋の崩落である。
この事故で第二側妃とその王子王女と、第一側妃唯一の子であった王子が死亡して
第三側妃の王子は意識不明、その婚約者は死亡。その他貴族の死亡や大怪我という大惨事だった。
そんな悲劇があっても時は過ぎてゆき、十年ほど経ってどうにか王家も落ち着いてきた時。
レティシアの息子である王太子が、大事件を起こした。
卒業パーティーで婚約破棄をやらかしたのである。
そのやり口はあまりにも稚拙で、庇いようもないお粗末さ。
娘の婚姻問題で息子から目を離していた自分が悪かった…とレティシアは深く後悔し、息子には激怒した。
レティシアがその頃忙しかったのは、二十歳になった娘の婚姻問題だった。
娘は色こそ父親の金髪碧眼を受け継いだが、その容姿はレティシアの母に良く似て、大変な美姫へと成長した。
その美しさから、他大陸の強国から再三縁談の申し込みが来ている。
このままでは断りきれぬ、と娘の幼馴染みであり婚約者である子息の貴族家を陞爵させ、降嫁させようとタイミングを見ていた時期であった。
息子は責任を取らせ、王族から平民へ。
繰り上がりで第二側妃になった従姉の子が再度王太子となった。
レティシアからすれば、祖父は同じである生家の血筋が次代になるのだから無理に自分の子にこだわる必要は無かった。
勿論息子は可愛かったし、大事に育てたつもりだ。
だが、やらかした婚約破棄による余波が大きすぎた。
破棄を突き付けられた令嬢は、この国の最大勢力である公爵家の一人娘。
どこか頼りない息子のために、国王が頼み込み、王命を出してまで婚約者に"なっていただいていた"令嬢なのだ。
それだけではない。
王太子のスペアとして婿に出してなかった第三王子が王太子になった時点で、玉突き事故のように貴族達がまとめ上げた縁談が総崩れ状態になった。
侯爵家に婿入り予定だった第六王子は、王家にスペアとして残留が確定し、王家の有責で破談。
年頃の娘を持つ貴族は破棄を突き付けられた公爵令嬢、伯爵令嬢だけだった。
結局公爵は王家に娘はもう差し出さない、と言う姿勢であったし、これ以上無体なことは出来ない。
夫である国王は、息子のやらかした事の煽りで側近だった嫡男を勘当したり、縁談が白紙になった貴族家をまとめ上げるのを優先し、第六王子と伯爵令嬢を婚約させた。
運命とは残酷である。
娘の婚約者は伯爵令嬢の兄だったのだ。
それでなくても混乱したパワーバランスの中で、同じ家から二人も王族と縁付くのは難しい状況だった。
更に先の強国から正妃に、と四度めの打診が入った。
条件の良いその縁談に、国王は使者へ是と返答をした。
レティシアと娘の意向など聞く素振りすらなかった。
いつもそうなのだ。
王族にとって、女は駒でしかないのだ。
自分もそうだった。側妃達もだ。
陛下が望んで妃にしたのは亡くなった妃だけだ。
結局は娘も、レティシアと同じように父親に売られたのだ。
王としての責務、国の利益…それも頭では理解できるのだ。
わかっている、わかっている。
レティシアは娘にも息子にも、自分が知らぬ自由を与えたかった。
それが叶わぬと知ってからは、好いた相手と添い遂げさせてやりたいと、内心願っていた。
陛下がそうであるように、息子は政略結婚から逃れることは出来ない。
だが、側妃や愛妾として好いた相手を傍におくことが出来たのに順番を間違った。
しかし、いまや息子は自由の身。
好いた女と慎ましく生きていけば幸せを掴めるかもしれない。
恐らく無理だとは思うけれど。
だが娘はどうなる?
請われて正妃になるのだから、幸せであろう?と陛下は言ったが。
国王陛下は、今唯一の姫である娘を大変可愛がっていた。
遠方にやるのも悩んだ末での結果なのだろう。
王族だから、王族の女だから駒になるのは当然なのだ。
わかっている、わかっている。
許せるか?
レティシアは理不尽を許せなかった。
五歳で嫁ぎ、外を知らぬ籠の中の鳥。
いつだって王妃である事を求められてきた。
夫のことは尊敬はしているが、愛した事は無い。
そもそも恋すらしたことがないのだ。
恋や愛など、レティシアからしたら物語の中にしか存在していないのだ。
だからこそ、美しい愛というものに憧れた。
自分なりに我が子を愛した。
そして娘は避暑地に行ったっきり、事故に遭い戻ってくることは無かった。
聞き分けが良く、しっかり者の娘が周囲の忠告も聞かず、氾濫した河川敷を通るかしら?
車内に同乗している侍女ではなく、何故騎士と川に落ちたのかしら。
元婚約者と、偶然にも二人で川に転落?
護衛と侍女の話は一貫していた。
姫様が乗っていた馬車の馬が、なにかに驚いて暴走したのだ、と。
窓から様子を見ようと乗り出した姫が川に転落し、助けに入った騎士と共に流され、その直後に横転した馬車の中から気絶した侍女を救出した……。
走る馬車から身を乗り出す?
あの娘が!あり得ないわね。
レティシアは後日、娘の侍女を呼んで話を聞いた。
侍女二人の話は最初と変わることはなかった。
会話が途切れた瞬間、片方の侍女が封筒をこっそりとレティシアに差し出した。
ピンクのリボンで飾られた、一房の金髪。
娘の髪だった。
私の小鳥は飛んでいったようだ。
レティシアは侍女に宝石を幾つか持たせ、下がらせた。
そして、夫にこう進言した。
「姫の護衛団や侍女、御者を責めればその家族である民の不満も増えましょう。ならば、遠方での捜索に参加させ、罰としたら如何か」
王は関係者を不問とする代わりに、遠方での捜索に加わらせる事で事態の沈静化を図ることにしたようだ。
何しろ王にはやるべき事がたくさんあるのだ。
かの強国に、姫がフィアン神の元へ召されたと伝えなければならないのだから。
小鳥は一羽が飛んでいったけれど、もう一羽は地に落ちてしまったみたい。
知恵を絞っても息子を救い出せる方法が見つからず、不憫でならない。
だが、望みがないわけではない。
今は亡き祖国には不思議な迷宮がある。
レティシアも十九歳の時に、娘も去年迷宮を開放している。
最後の直系である息子が迷宮を開放できるのは、来年。
陛下がその二度と来ないチャンスを棒に振るとは思えない。
いつ亡国復活の旗印になるかわからない最後の王女には常に監視がついている。
レティシアは死ぬまで籠の中からは出られない。
だけど、沈黙で意趣返しは出来る。
レティシアは自分があの封筒から察した事を、生涯誰にも言わないと自分に誓った。
"監視"に見つかる前に、あの封筒は暖炉に投げ込まれ、灰になった。
レティシアの流した涙と共に。