スノウウルフ
場を移して宿屋の一室。
ソウマ達一行は地図を広げてこの町に起こった事をビーンから聞いていた。
端的に言えば坑道に魔物が出て、退治できないから変わりに退治して欲しい、というものだった。
「しかし、儂たちも無力じゃない。モンスターや野生動物を倒すことくらいできる」
魔物が出たからといっていちいち冒険者やギルドに頼っていては作業も進まず、金がいくらあっても足りない。
元からある屈強な肉体に炭鉱夫という肉体力も持ち合わせているドワーフたちだ。並みのモンスターを倒すことなど造作もない。それでも倒せないモンスターが坑道の中に現れたというのだろうか。
「この町から坑道までは難しいものじゃない。トロッコの線路もあるし、休憩地点もある」
ビーンは地図を指でなぞりながら説明をする。
「もしモンスターや野生動物が出るとしたらこの水飲み場だろう。ここは俺たちも使うが、水源はどんな生き物にとっても大切な場所だ」
ちょうど町と炭鉱の間にある水場は、開けた場所にあり見通しもよさそうだ。
森の茂みから奇襲を仕掛けられることもある。
炭鉱夫たちが離れて安全を確保できていない今、魔物たちのエリアになっている可能性は極めて高い。
「ここは休憩地点でもあるが、同時に敵に出くわす可能性も最も高いところでもある」
ビーンはさらに地図の先に指を向ける。
指の先は炭鉱入口と書かれていた。
「この炭鉱内の見取り図はあるか?」
内部の構造がわかる地図があるかどうかはかなり重要になる。もしなければマッピングをしながら進まなければならないからだ。
「あるにはあるが、初期の古いものしかない。さすがに儂たちも内部構造は頭に入っているからな」
最新のマップは彼らの脳内にあるようだ。
「なるほど。問題ない。アーニャにはマッパーも任せることになっているから、ちょうどいい訓練だ」
そういってソウマは羊皮紙とペンをアーニャに渡した。
アーニャはそれを緊張した面持ちで受け取る。彼女の表情を見る限りマッパーを任された緊張だけではないような気がする。
エグゼはその緊張の謎が気になっていた。
「ちょっと待て、そのお嬢ちゃんも連れていくのか?」
ビーンが驚いたように眉を吊り上げた。確かにモンスターが出るとわかっている場所にアーニャのような少女を連れて行くのは危険以外の何物でもない。
しかしソウマの返事はそうではなかった。
「当たり前だ。頼りになる仲間で重要な役割を担う大切な仲間だ」
それを聞くと、アーニャの表情は少し明るくなった。
なるほど、自分が足手まといになっているのではないか、自分は行かない方がいいのではないか。そういった葛藤がアーニャの中にあったのだ。
ソウマに必要だと言われたことで、そんな悩みは吹き飛んだようだ。
エグゼは思う。このナチュラルなソウマの優しさ。それこそがこの男のカリスマなのかもしれない。
「まぁ、そういうならいいが……」
気を取り直してビーンが説明に戻る。
「坑道内はどうなってるかはっきり言ってどうなっているかわからん。モンスターが住み着いているのは間違いないが、それに呼ばれて他のモンスターも来ているかも知れん。知能のある魔物なら、自分たちで横穴を掘るくらいやってのけるからな」
坑道内には未だに石炭を発掘するための道具が残っている。ゴブリンやオークなどのモンスターなら奇襲用の穴を新たに作っていてもおかしくない。
その可能性を考慮するとビーンが知っている坑道内の情報を鵜呑みにするのも危険がある。
「中のマッピングは大丈夫だ。こちらでやる」
ソウマが告げると、アーニャもうなずく。
そこで今まで試案気味に俯いていたエグゼが口を開いた。
「この規模の山と坑道なら、山を守る精霊がいてもおかしくはないと思うのですが、『精霊の寝所』はないんですか?」
『精霊の寝所』とは、魔法力がなくなったこの大陸で、唯一精霊がこの現世に居続けることができる霊的スポットである。
魔法力を消費して現世に召喚された精霊は、供給される魔法力がないと強制的に精霊界に帰ってしまうのだ。
(ちっ)
ビーンは誰にも気づかれないように心の中で舌打ちをする。
さすがは魔法騎士団長。数ある魔法の中でも最も魔法力を必要とする精霊召喚魔法に長けた人物である。
「確かにこの坑道内には『精霊の寝所』があり、ノームがいる」
土の精霊として有名なノームは鉱山や砂漠、大きな山でとてつもない力を発揮する。大自然の中で最も接地面積の多い大地そのものを自身の分身のように扱える高位の精霊だ。
「そのノームは坑道内でどうなっているのかわからん」
ビーンは表情を悟られないように俯く。
「なるほど。あと、怪我人も少なく死者は0。これについてはどう思いますか?」
もちろんも怪我人も死者もいない方がいいに決まってる。が。モンスターも退治しつつ石炭を発掘しているドワーフですら逃げ出すような化け物じみたモンスターである。ここまで被害が少ないのも妙な話ではあった。
「……。儂等も敵わないと知って必死で逃げたからな。坑道内部の地図なら頭にすべて入ってる儂等ならモンスターを巻いて外に逃げることは造作もない」
確かにその通りだろう。ビーンの答えは至極当然なものだろうが、ソウマとアーニャではわからない、魔法騎士としてのエグゼには何かが引っかかっていた。
「そのモンスターは坑道内から外に出て、この町を襲うようなことは?」
「今のところない」
答えたくないのか答えられないのかビーンは苦しそうに言葉を吐く。
「わかりました。ありがとうございます」
しかしエグゼはあっさりと引き下がる。その様子ににビーンも毒気を抜かれたようだ。
「まぁ、明日も早いだろう。儂はこのあたりで引き上げるからゆっくりと休むといい」
そう言ってビーンはその場を辞して外に出ていく。ソウマ達はあてがわれた一室に集まり、彼らだけのミーティングを始めた。
卓上に広げた地図とにらめっこをしているソウマとアーニャ。二人からしてみれば特に変わったものではない。
トロッコを動かすための線路沿いに彼ら炭鉱夫の作業動線がわかるくらいだ。
「エグゼはなにか気になったのか?」
生粋の武闘家であるソウマにはわからないなにかを、エグゼは先ほどの会話から得ていた。
「大筋はビーンさんが言った通りなんだけど、ノームの所在がどうにも気になってね」
たとえ強力な魔物でも、山、坑道という最大の味方を付けたノームを倒すことは到底不可能に近い。それをやり遂げるような魔物といえば……。
──造魔。
ミハエルが作り出した強力なモンスター軍団。彼のモンスターたちは個々の能力も十分化け物じみているが、集団の戦闘になればまさに最強と呼んでも過言ではないほどの魔の軍勢となる。
「造魔、か」
この大陸。いや、世界全体を見渡しても存在するはずのない魔物。
数々の分野で天才と称されたミハエルが作り出した最強の生物。
「それがこの山を占拠してるの?」
アーニャは少し怯えた表情でエグゼとソウマを見ている。
「僕も最初そう思っていたんだけど……」
エグゼが一番気にかかっていたこと。
それは。
「もしそうだとして、どうして町に進行して来ないのか」
ミハエルがこの町の良質の石炭を求めているのなら、力で町を支配して奴隷のようにドワーフたちを扱って大量の石炭を手に入れることも可能なのだ。
「そこに、今回のこの事件の真相が隠されている、と?」
真剣な、魂をも射貫くようなソウマの視線。
エグゼは自分の剣。──先ほど買った剣ではなく、ずっと持ち歩いている『大いなる精霊王の剣』に向けられていた。
「確実なことは言えないけど、僕が思った通りならこの事件、簡単なモンスター退治では済まないと思う」
この大陸で誰よりも精霊とともに生きてきたエグゼの言葉は何よりもソウマとアーニャの心に影を落とした。
どうあがいても明日には坑道へ向かわなくてはいけない。
一抹の不安を抱えながらも、夜は深けていく。
朝まだ霧のかかる山道を、エグゼたちはトロッコの線路沿いに歩いていた。ビーンのいう通り坑道までの道のりは難しいものではなさそうだ。
それ以上に警戒すべきはモンスターと野生動物だろう。
この二つの違いは端的に言えば「魔法力を持つまたは一定以上の知能を持つ者」をモンスターや魔物といい「魔力も持たず知能も動物並み」という区分があるのだが。
現在魔法力が使えなくなったこの大陸で「元は魔法力を持っていたが、今は魔法力が使えなくなり、知能が動物程度」のモンスターをどう扱うのかが難しいところになっていた。
「隊列は俺、アーニャ、エグゼの順で行こう」
先頭はソウマ。前方の偵察や安全確保。敵が現れた場合には真っ先に飛び出し危険を排除するのが役割だ。
真ん中のアーニャ。回復薬や水分、簡易的な食べ物を主に持って戦闘をサポートしマッピングも行う多目的な役割がある。
最後尾はエグゼ。後ろからのバックアタックに備え戦闘を行ったり、二人が見逃したかもしれないものを注意深く観察し、状況によっては最前列のソウマと連携を取り戦うこともある。
「ふん、まぁ野生動物的なのはそこそこいるな」
ソウマは線路を囲むように沿って生える森に気配を配り、呟く。基本的に野生動物は警戒心が強く、こちらから縄張りに入り込むか、よほど空腹でない限り人を襲うことはない。
「人を取って食おうというほどの動物はこの辺りにはいないか」
ソウマがしばらく先まで見通す。ソウマの気配察知能力はホークアイと呼んでも過言ではない所か、それを上回るかもしれないほどの能力だ。
「ん、でもあと1キロくらい登るとビーンさんが言ってた水場につくわ。そこはやっぱり注意が必要なのかしら」
「ちょっといいか?」
地図というのは道の縮図であるのは当たり前だが、目的地までどれくらい距離があるのかを把握するにはある程度訓練が必要である。
右下や左下に線が引いてあり、その線が1cmで100mなど決まりがある。それを把握しているといないのとでは、長距離歩いた時に大きな差になってしまう。
「その1キロくらいってのいうのはどうやってだした?」
「え?えぇと……。私たちの位置が大体この辺で、この線は1㎝で100mだから……」
結構アバウトにやっていた。今回みたいに一本道ならそう問題はないのだがもし離れた町から町へ移動するような場合だと、それだけで数時間到着がずれてしまうこともある。昼と夜の寒暖差が激しい地域や予定通りつけなくて食事にありつけない、なんてことにもなりかねない。
「これ使うかい?」
エグゼがアーニャに渡したのは地図距離系だった。先端にローラーが付いていてそのローラーと真ん中にある測定器を見て距離が割り出せるものだ。
「方位磁石も付いてるし役に立つと思うよ」
そういってアーニャに手渡す。
「あ、ありあがとう!」
エグゼもマッピングや地図の重要性は重々承知していた。
が。ソウマはあまりいい顔をしなかった。
「自分の歩幅を使って機器がなくてもできるようにしようと思ったんだけどな。まぁいいか」
他にも、自分の歩幅が何メートルなのかを把握して地図と照らし合わせる方法があるが、こちらは少し訓練が必要になる。
「と」
ソウマが二人を手で制して静かにするように促す。
話しているうちに、休憩地点の水飲み場に着いた訳だがビーンの予想通りモンスターの縄張りになっていた。
動物とも近しいモンスターは、空腹でない限り縄張りに野生動物が入り込んでも襲うことはない。なぜなら、自分たちにの方が強いとわかっているからだ。
野生動物の方もモンスターに敵うわけはないので、当然襲い掛かったりはしない。
「スノウウルフか」
エグゼが呟く。
本来ならもっと北方の寒い地域に住んでいるモンスターなのだが、北の方ではミハエル率いる強力な魔物の軍団がいるため、この辺りにまで逃げてきたのだろう。
狼と名が付く通り、5~10頭からなる群れで獲物を追い、巧みな連携で確実に敵をしとめる生粋のハンターだ。
その大きさも脅威的なことに体高で2m、体長は8m。体重に至っては600キロを超える個体も存在するという。
そして。
「でかいな」
ソウマの目は群れのリーダーを見つけていた。
リーダーも相当だがほかの個体もかなり大きい。この辺りは天敵になるようなモンスターもいないため、エサも豊富なのだろう。
8頭のスノウウルフは優雅に横たわっていた。
「ここが奴らの嗅覚にぎりぎり感知されない距離だ」
風下なのも相まって、まだ敵には気づかれていないらしい。
「どうするんだ? あんな強力なモンスターがこんな短期間にここまで来るなんて……。一度戻って、ドワーフたちに助けを求めるか?」
エグゼは小声でソウマに相談をする。アーニャもそうした方がいいと言わんばかりにうなずく。
しかし。
「別にそんな必要もないだろう、この程度」
そう言ってソウマは臨戦態勢にはいる。
「エグゼはアーニャを守ってくれ」
それだけ言い残すと、一陣の風のようにソウマはモンスターの方に走り出した。
耳も鼻も人間の比ではないスノウウルフたちは即座に敵の存在に気が付き、起き上がる。
「ばかな! 自殺行為だぞ!?」
この規模の群れなら、熟練の戦士たち4人でも後れを取りかねない程のモンスターだ。それをたった一人で倒しに行くとは!
エグゼも同じく飛び出そうとしたが、傍らにいるアーニャの姿が目に入る。もしエグゼまでもがこの場を離れた時、アーニャを守る者がいなくなってしまう。
戦闘に関しては素人で特殊能力がある以外は普通の少女であるアーニャには身を守るすべはほぼない。この場を離れることができないエグゼは戦況を見守ることしかできなかった。
ソウマに気が付いた一匹のスノウウルフが飛び掛かってくる。ほかのスノウウルフは構えてはいるものの、飛び掛かってくる気配はない。
それは余裕。たった一人にの人間に全力を出すまでもないという驕り。敵の力量を見誤ったスノウウルフたちは慌てることになる。
──一撃。
ソウマの拳が閃光のように放たれると、襲い掛かってきたスノウウルフの頭を吹き飛ばす。
さらにそこから振るわれた鋭い蹴りは、真空破を巻き起こしその後ろにいた2匹のスノウウルフを切り裂く。
息を吐く間もなく仲間が3匹もやられたスノウウルフたちは狼狽したが、そこは指揮系統のリーダーがすかさずに指示を飛ばす。
左右に2匹ずつ。正面にはリーダーが立ちはだかる。リーダーはソウマの後ろにエグゼとアーニャがいるのを察して、ソウマの後ろには仲間を配置しなかった。
左右と前からジリジリと迫るスノウウルフに、ソウマは全く慌てた様子を見せない。
刹那の瞬間。魔物たちはソウマに飛び掛かる。コンマ数秒の時間差を用いてソウマに飛び掛かったスノウウルフたちは、ソウマの足の健や手首、首筋を目掛けて飛び掛かる。
そのスピードは最初にソウマが飛び出した時と同じくらいの、いや、それ以上の素早さだった。
そして。
リーダーのスノウウルフはソウマに飛び掛かると見せかけて、大きく跳躍してソウマを跳び越すと、エグゼとアーニャにその狙いを定めていた。
「っ!」
ソウマはちらりとエグゼを見ると、左右から迫りくるスノウウルフの迎撃に向かった。
その目くばせの意味を理解したエグゼは抜いていた剣を構えてアーニャの前に立ちはだかる。
エグゼは緊張しながらもソウマからのアドバイスを思い出す。
上段に構え、力を抜き。敵に当たる瞬間に力を入れて刃元から切っ先まで、剣の全体を使い引きように切り裂く。
どこまで基本に忠実な剣筋は熱したナイフでバターを切るように、スノウウルフを両断した。
真っ二つに切り裂かれたスノウウルフはどう、と倒れ息絶えた。血脂をぬぐいながらソウマの方へ眼を向けると、4匹のスノウウルフは既に倒されていた。
「ソウマ、わざと見逃しただろ?」
エグゼは剣を収めながらソウマに話しかける。ソウマの目くばせの意味。それはわざと見逃したから倒してみせろという一種の挑発だった。
「あれくらいやってもらわないとな。それに修行の成果を体感できた方がやる気もでるだろ?」
「わざとって! もしエグゼが勝てなかったらどうしてたのよ!?」
アーニャの言い分もわかるが、ソウマとて考えなしではない。今のエグゼの腕前ならスノウウルフの1匹くらいなら倒せると踏んで任せたのだ。無論エグゼが勝てなかった時は自分が助けに行くつもりだった。
スノウウルフ程の強力なモンスターを相手にしてもそれくらいの余裕がソウマにはあったのだ。
「エグゼの今の腕前もわかっておかなきゃこれから先、坑道内での戦いになった時に後ろを任せられないだろ」
狭い坑道内で後方から襲われたら。もしもを想定する想像力のないものから真っ先に命を落とす。それは戦争の中でソウマが学んだことでもあった。
「あり得ない、なんてことはあり得ないんだ」
だからこそ常に最悪を想定して動く。今回もその練習だという。
「ま、少し休憩して飯にしようぜ」
たった今まで戦闘を行ったとは思えないほどの明るい声でソウマは泉の水を飲む。ドワーフたちも飲用にしていた水だ。危険なものはないだろう。
ソウマはスノウウルフの死骸の皮を丁寧に剥がすと毛皮をなめしながら干し肉で作ったスープを飲んでいた。
スノウウルフの毛皮はとても美しく、白銀に輝く毛並みは貴族たちに大変好まれていた。
「綺麗……」
アーニャが思わずつぶやく。
確かにため息が出るほどの美しさだ。
「だけど、そのせいでドンドンと数が減っているんだ」
エグゼが呟く。
人間のエゴの乱獲による個体数の減少。それはどの大陸でも同じなのかも知れない。
当然ソウマとアーニャがいた大陸でも同じようなことが起こっていた。
「肉はあまり美味くないな……」
肉はここに生息する野生動物にくれてやることにした。肉は動物の餌になり命をつなげ糞として体外に排泄され、肥料となり草花木々の栄養となり循環していく。これが世界の理だ。
エグゼたちは毛皮をまとめると動物たちに手が出せないように隠した。毛皮もここに置いておき帰りに回収する方が得策だろう。
軽く腹をこなすと三人は再び坑道に向けて歩き出した。