魔眼と生死
「そのために、鍛冶で有名なシスカの街にいい職人がいないか探しに来たのさ」
いい職人。その言葉を聞いて、エグゼが一振りの剣を手に取る。
それはゴロツキから奪ったような粗悪な剣ではなく、華美ではないが確かに、最高レベルだと素人でもわかる意匠の剣だった。
「綺麗……」
アーニャの緑色の複眼が、赤みを帯びている。
「ん、アーニャの瞳が反応するほどの剣か。俺も長いこと戦場にいたが、確かにここまでの剣はお目にかかったことがないな」
ソウマも剣を覗き込む。
よく剣を観察してみるが、それは金属でできた剣ではなかった。
「精霊、石?」
アーニャが虚ろな瞳で剣を見つめる。
「大精霊とエグゼをつなげる、平和のための剣」
「!!」
エグゼが驚いた顔で、アーニャを見やる。
「このアーニャは魔眼持ちなんだ」
魔法力が失われたこの大陸だが、魔法を使う術がいくつかある。
1つ目は、アーニャのような生まれ持った「特異体質」これは魔法力を使って発現させるものではないため、黒のカーテン下でも使える。
2つ目。鉱物などが含有している魔法力。「魔水晶」や「スクロール」と呼ばれる物が一般的だ。それ自体が魔法力を持つ。たとえば光を放つ魔法に変換すれば明かりになる。火の魔法にすれば料理ができる。そして、黒のカーテンがなければ魔法力は何回も補充できるのだ。
残念ながら、黒のカーテン発動後は使い捨てになってしまっている。
3つ目は、暗示などで無意識下に働きかける「意識魔法」と呼ばれるもの。これは特殊な模様や音を聞かせて生き物の脳に直接作用させる催眠術のようなものだ。
「これがアーニャの魔眼『真実を写す瞳』だ」
クーデター組織にあって戦闘力もないアラクネの少女がこうして組織TOPのソウマと行動しているのは、この魔眼あってのことだ。
「俺と一緒に行動することに慣れ、敵地でも俺の指示通りに動き自分の安全を確保しながら魔眼を使う練習だ」
『真実を写す瞳』
「それは、あらゆるものの『本質を見抜く力』だ」
森羅万象。この世の全ての事象にはなぜこの世に必要なのか、と言う存在理由がある。
その存在の最も根源的なものを見抜くことができるのが、彼女の魔眼だった。
「ここからだとさすがに無理だが、王都に近づけば黒のカーテンが一体どういう理屈でこの大陸に展開されたのか、分かると思うんだ」
だからこそ、メリクリウスは彼女を大切に保護しながらも戦場に出してもいいように訓練させているのだった。
アーニャの瞳が元の緑色に戻った。
「自分じゃまだコントロールできないから、それも訓練しないとね」
アーニャはそう言っておどけたように舌を出した。
「で、この剣に何が見えたんだ?」
ソウマはエグゼに了解を得て剣を手に取っていた。
「これは金属でできた剣じゃないわね。精霊石? っていうの? それでできてる」
エグゼが驚いた理由はここにあった。
精霊石は一般人はその存在を知らない。知っているのは、シスカの街の限られたごく1部の者のみだ。
この精霊石は普段は大精霊に守られていて、大精霊に認められた者しか手に入れることはできない。
「この剣は、剣というより触媒。精霊とエグゼをつなぐためのもの」
精霊召喚魔法を使えるエグゼは、この世界を構成する7柱の大精霊と契約していた。
その7柱の精霊の力をよりスムーズに使うために、精霊の力を通すことのできる精霊石でできた剣を、誰かが作り上げたのだ。
「そして、精霊王……。精霊王の巨大な力にすら耐えられるほどの純度の高い精霊石。精霊王と契約してその力を行使できるほどの魔法力を持ったエグゼ」
エグゼと精霊をつなぐ触媒。それがこの剣の本質。
普段の武器としての斬れ味はそれほどでもないが、精霊と共に使った際にはどんな名刀にも勝る剣となる。
「これがアーニャの力か……」
エグゼは舌を巻く。アーニャが見抜いたのは、まさにこの剣の本質だった。
「この力なら、黒のカーテンの正体も分かる気がしないか?」
「うん、分かるかも知れないね」
エグゼの心に希望の灯りが着く。黒のカーテンを取り除き、再び魔法が使えるようになればミハエルを打倒するのも夢ではない。
「でも、私の瞳の力は相当近づかないと発揮できないの。それに……」
黒のカーテンがどのように作動してるかは分からないが、本質を看破できても消し去ることはできない。
「どちらにしても俺たちはミハエルのいる、グランベルト城に乗り込むしかないしな」
ソウマが肩を竦める。
「僕もミハエルに一矢報いるにはアイツのところまで乗り込むしかない」
エグゼはきつく歯を食いしばるとその瞳に復讐の炎を灯らせた。
「その腕で、か?」
ソウマの一言。
魔法が使えなくなったエグゼは、せいぜい街のチンピラを倒せる程度の剣技しか持ち合わせていない。今持っているロングソードもそうやって手に入れた数打ちの剣だ。刃こぼれもひどく刃物というよりは鈍器に近い。
「それなんだけど」
エグゼが改まってソウマに向き合う。
「さっき賞金稼ぎたちを倒した技、あれはソウマの使える格闘技なのか?」
鋭い斬撃をいともたやすく避けて見せ、腕を振るった風圧だけで手練の戦士を吹き飛ばす。
魔法が使えないこの大陸でそんな人間離れした攻撃ができるなら、それは格闘技を極めた者としか思えなかった。
「……。そうだ。『深淵流』という俺がいた大陸で独自に発展した格闘技だ」
ソウマは一転、エグゼを値踏みするように対峙する。
「その格闘技を僕に教えてくれないか。さっきもソウマが言ったとおり、今の僕の剣技では人間にも太刀打ちできない」
真剣そのもののエグゼの態度。
アーニャは珍しいソウマの真面目な態度に少し戸惑っている。
「『深淵流』を使えるようになったとして、お前はどうするつもりだ?」
答えは決まりきっている。それはアーニャですら分かるものだった。
「ミハエルを倒す」
きっぱりと。迷うことなく。短く断言した。
「死んでもか?」
ソウマは何かを思い出しているようにエグゼにたずねる。もちろんその答えも決まりきっている。
「死んでもだ。刺し違えてでもミハエルを倒す」
エグゼの心象世界がどのようなものか、ソウマにもアーニャにも分からない。
しかしその覚悟だけは痛いほどに伝わってきていた。
ソウマはため息を吐く。ソウマのいた大陸で命を賭けてでも敵を倒す、という戦士は星の数ほどいた。それは一見勇敢な行為にも見えるが、ソウマにはただ死に場所を求めてるようにしか見えない。
だからソウマは、それを良しとはしなかった。
メリクリウスのTOPになって、ソウマが団員に真っ先に伝えたことでもある。
「死ぬ気なら俺はお前に技を教えることはできない」
「なぜっ!?」
一瞬の静寂。
アーニャにはどちらの気持ちもよくわかる。
愛する国と王、王妃、婚約者の王女を守ることができなかった。
そして。
ソウマの気持ちも。
「俺はこの戦争が終わったときには皆に生きていてほしい」ソウマは息を吸うとさらに続ける。「俺の仲間には、死んでも戦え、なんて生易しいことは言わない。どんなに無様でも、どんなに困難でも。新しくできた国を生きて迎えてほしい」
これは戦争だ。犠牲を出さないなんていう夢物語は絶対にない。
それでも心には生きる希望をなくさないでほしい。
死んでも敵を倒すのではない。
新しい国を生きて迎えるために戦ってほしい。
それがソウマの願いだった。
ソウマの目には、エグゼはただ死に場所を求めているようにか見えない。目的達成のために死に殉じる。それが守れなかった国や国民たちへの最大の報恩だと思っている。
エグゼは言葉に詰まる。しかし、この思いだけは他人に否定されたくは無かった。
「お前に何が分かる! 愛する全てのものを守れなかった上におめおめと生きながらえているこの僕の気持ちが、お前にわかるのか!?」
エグゼの怒り。
ソウマの胸倉を掴みながらエグゼが叫ぶ。
今まで心に秘めて表に出さなかった魂の濁りを吐き出すかのように。自分より強い男に自分の最大の傷口をえぐられる。
それは今までにないくらいエグゼのプライドをひどく傷つけた。
「知るか。そんなもの」
ソウマは荒っぽくエグゼの腕を振り払うと、そっけない態度で体勢を整えた。
「お前が死ぬ気だろうがなんだろうが、今のお前に『深淵流』を教えるつもりはない。それに」
エグゼは未だに怒りを露にしているが、深呼吸をして心にしまいこむと、座り込んでソウマの話に耳を傾けた。
「お前は知らないと思うが、王女は生きているぞ」
エグゼは鈍器で頭を叩かれたような衝撃を受ける。
「ミスティ様が……。生きている……?」
エグゼが最後に見た王女の姿。
ミハエルに忠誠を誓い、造魔に蹂躙される姿。
エグゼ瞼にありありと焼きついたそれは、今でも鮮明に思い出すことができる。
「俺たちはなんとしても王女を救い出し、聖エルモワールを再建させる」
それを知ってエグゼがどう反応するか。
彼にしかわからない気持ち。
死んでもミハエルを倒すことをゴールとするのか。
生きて王女と共に国を再建するのか。
「わたしも」
それまで黙っていたアーニャが声を上げる。
「わたしもエグゼに生きていてほしい! この国のためにも、王女様のためにも」
「!」
愛する王女によく似た少女の姿の言葉。
深く、深くエグゼの心に染み入っていく。
「今夜はもう遅い。寝るぞ」
ソウマはその場で横になると、さっさと寝る体勢に入った。
エグゼとアーニャも無言のままそれに倣う。
風のざわめき、虫の声、時折獣の声。
そして、エグゼの心中の鳴り止まぬ慟哭。
こうして夜は更けていった。