元英雄
人目を避けるために森を進むこと三日。一人の騎士が木にもたれ掛かり小さく息を吐いた。
「もう二年か」
大臣のクーデターにより滅んだ聖エルモワール王国。
今は亡き国の騎士団長は2年の歳月をかけてエルミナ大陸を横断していた。
新しく国王に就いたミハエル・ド・カザドは彼の首に100万ローズの賞金をかけ、指名手配をした。
そのために大きな街に寄ることはできず、エグゼ・トライアドは、このように道なき道を方位磁石を頼りに移動していた。
軍神と呼ばれるほどの魔法力を失った彼は経験を積んだゴロツキにも劣る剣技しか持ち合わせていなかった。
自身の不甲斐なさに歯噛みしながら軽く目を閉じる。
怒り。焦燥。憎悪。後悔。
夜の闇に紛れて、様々な感情が心に沸き立つ。
この2年間夜に安らかな気持ちになれたことは1度としてない。
聞こえるの鳥や木の葉のざわめき。少し肌寒い風を受けてマントで体を包み込む。
エグゼが少しうとり、と意識を飛ばしかけた時、静かだった森がざわめく。たいまつの明かり。足音。男たちの声。
(追っ手か!?)
エグゼは傍らにある剣を掴み立ち上がる。焚き火の明かりが見えたからだろう。数人からなる男たちはまっすぐこちらに向かってくる。
木の陰に隠れ様子を見る。少し開けたその場所に、5人の賞金稼ぎたちがやってくる。
「おいっ! 誰もいねぇのか!!」
一人の男が荒っぽく声を上げる。装備はさほどでも無いが、少なくともエグゼよりは強いであろう賞金稼ぎ。それが5人もいる。
(切り抜けられるか?)
「もう一つの組もまだ見つけてないみたいだな」
男たちは神経を尖らせながら話し合う。
その会話の内容からして、他にも賞金稼ぎがいるらしい。
「そこにいるのは誰だ!」
エグゼの力量では気配を完全に消すことはでず、エグゼが隠れていることに気づいた一人の賞金稼ぎが近づいてくる。
いつでも剣を抜けるように構えながら木陰から姿を表す。
「なんだあんたは?」
「おい、俺たちの追ってる男じゃねぇぞ」
しかし彼らが探してるのは、別の賞金首だったらしい。安堵のため息を心の中でついて「誰か探してるのか?」と尋ねる。
「あぁ。知らないのか? この森にグランベルトに楯突くレジスタント組織のNO.1が潜んでるらしいぜ」
男が一枚のパピルスを取り出す。
『国家反逆組織のリーダー、ソウマ・ブラッドレイ。100万ローズ』
エグゼも旅の道すがら聞いた組織の名だ。つい最近TOPが入れ替わったはずだ。
「あんた、こいつをみちゃいないか?」
「い、いや……。見ていない」
エグゼの答えに、男たちは警戒を解いて話をかけてくる。
「早くこの森を出たほうがいいぜ」
「賞金首に見つかる前によ!」
どうやらこのあたりの村や町には、まだエグゼの人相書きは行き届いてないらしい。そうでなければ歴戦の賞金首がエグゼの正体に気づかない訳が無い。
(2年も経っているのにまだ情報が流れてないのか?)
謀反の王は悔しいかな、恐ろしいほどに有能な男だ。その現王がここまで情報を遅らせることがあるだろうか?
しかし今のエグゼにとってそれは幸いな出来事だった。
「あぁ、早いところ去ることにするよ」
そういって焚き火からたいまつに火を移し、移動の準備をする。
その時。
「誰かいたか?」
また別のグループが獣道をかき分けて姿を現す。
「ただの旅人だよ。奴じゃない」
合流したのは6人。その中の一人は、誰がどう見ても名家の出であろう若き貴族の姿があった。
(あれは……!)
2年前のクーデターの時にエルモワール王を裏切り、ミハエルの尖兵として一軍を率いた貴族の剣士だ。
貴族の名に恥じぬ教育と実戦での技術力を身につけた男。
そして、軍を担う将の一人だ。当時騎士団長だったエグゼとも面識がある。
「貴様は……っ!!」
騎士の顔が変わる。
「気を付けろ! こいつも賞金首だ!」
騎士の声に賞金稼ぎたちの顔色が変わる。
「エグゼ・トライアド。こんなところにいたか」
彼の抜き放った剣の切っ先がエグゼを指し示す。
(まずい。この人数、僕一人じゃ……)
剣を鞘から抜き放ち、応戦の構えを取るが多勢に無勢。10人の腕の立つ賞金稼ぎに、指揮を執る有能な若き騎士。エグゼは命の危機を感じつつも、どうにかして生き残る術を考えていた。
(こんなところで死ぬわけにはいかない!)
あの男に一矢報いるまでは。
裏切り者の顔が脳裏をよぎる度に、心を焼き尽くすような地獄の業火が精神を燃え滾らせる。
「大丈夫か?」
不意に肩を叩かれる。
エグゼは声も出せないまま、体を硬直させる。
警戒はしていたはずなのに。それでも肩を叩かれるまで一切の気配を感じなかった。
エグゼのが無能だったわけではない。その証拠に、前方で構えている男たちも狼狽していた。
「すまんな。俺のせいで迷惑かけてるみたいだ」
彫刻のように引き締まった肉体。意志の強さが宿る漆黒の瞳。軽装で武器のようなものを持ってない所を見ると格闘家のようだ。
この男の顔は先ほど賞金稼ぎたちが見せてきた手配書の男。
(名前は確か……)
ソウマといったか。
「アーニャ、この男と一緒に物陰に隠れていてくれ」
森の奥から現れたのは、アラクネの少女だった。
「貴方、こっち来て」
六つの緑の複眼に、腰から下は蜘蛛の姿をしているアラクネの少女。
もともと森の深くに住んでいる種族なため、森に溶け込むのは得意なようだ。
「し、しかしあの人が……」
エグゼはアラクネの少女を目の当たりにして、衝撃を受けた。
「ミスティ、様……?」
それは誰にも聞こえない小さな呟きだった。
複眼で下半身は蜘蛛のそれだが、エグゼは確かにミスティの面影をみた。それほどアラクネの少女は敬愛する王女に似ていた。
「大丈夫よ、アイツ強いから」
少女は即答したが、いくらなんでもたった一人で11人の戦士を相手にして無事であるはずが無い。
「な、なんだお前ぇ!!」
彼らも馬鹿ではない。いくら新たな敵が出てきたとはいえ、エグゼのような賞金首を目の前で易々と逃がすわけがない。
それでもエグゼが隠れることができたのは、この男のせいだ。
ソウマ・ブラッドレイ。
この男は飄々とした雰囲気にもかかわらずに、まったく隙がない。
エグゼを追いかけるような愚行を犯せば、即座にやられていただろう。
その場が時を止めたように凍りつく。
ソウマはため息を吐きながら言葉を放つ。
「引くなら見逃してやる。だが……」
空気が変わった。
まるで酒場で安酒でも飲むように、むしろフレンドリーな空気をまとったソウマから一遍。殺気が溢れる。
「来るなら覚悟しろ」