2話 帽子の中の四次元ポケット
しばらく馬車に揺られていると、深かった霧が突然晴れ、青々とした草原が姿を現した。
「うわっ、なにこれ!?」
頓狂な声をあげた私に、アースラが苦笑いする。
「おいおい、ちゃんと復習してんだろな。教えたろ、これ」
嘘だ。このような大魔術は教えて貰っていない。私がアースラから習った魔術は、自分の周りに煙幕を張る術、物を隠す術、あとは初歩的な結界と、そして。
「まさか、火遁の術以外の全部…?」
「人の魔術を、黒ずくめの一発芸みたいに言うんじゃねえ。まあでも、当たりだ。ちょっと顔出して後ろ見てみろ」
座席から身を乗り出して周囲を見渡してみる。馬車の背後も、前方も、三百六十度一面の大草原。晴れ渡る青い空、白い雲。
「おかしいな、アースラの屋敷と言えば、霧が立ち込めていて、湿っぽくて陰気臭くて、私が来るまで庭にコケとカビしか生えてなかったような…」
「うるせえ、ほっとけ。で、だ。この魔術はだな、屋敷の周囲に結界を張って、その中で霧を起こして、結界ごと隠したっていうシロモノさ。お前に教えたやつの応用と合成…って、聞いてんのかこら」
得意気に話すアースラが可愛かったので、撫でて褒めていたら理不尽に怒られた。
「いきなり何しやがる、気持ち悪いな」
「なんか可愛かったから。私ほどではないけど」
「理屈が通り魔のそれだな」
情動的に動くなケダモノとかなんだか、専門用語で罵られたが、気にせず撫で続けると、段々落ち着いてきたのかそれとも諦めたのか、大人しくなるお師匠様だった。
媚びないナマモノほど、可愛いものはない。可愛いなあもう。正直、私よりも可愛いかもしれない。
そんなことを数十分くらい繰り返し、乳繰り合っていると、遠くの方に細い棒のようなものが見え始めた。棒というよりかは塔や柱に類するものだろうか、所々に出っ張りが見られる。そして、その塔は空高くどこまでも伸びていた。
そこまで観察して、私はあることに気がついた。
先が見えない。飛行機は地上から見ることが出来るが、この塔はどう考えてもそれ以上の高さだ。ここまでくると、宇宙にまで届いてしまっているのではなかろうか。
「ねえ、アースラ。あのダイナミック避雷針みたいなの、何?先が見えないんだけど…」
「あー、まだあんなに遠くか。やっぱり陸路だとショートカット入れてもこれくらいかかっちまうのか。帰りはいつも通り空路で行くかな」
ごにょごにょと独り言を言うアースラ。帰りは空路の旅らしい。件の竹箒に乗るのだろうか。少し楽しみである。
「あの真下に街があるんだよ。街も馬鹿でかいが、ここじゃあまだ米粒だな」
本当だ。よく目を凝らすと、何やら建造物らしきものが小さく見えた。
それにしても、この平野も広すぎる。尋常ではない。見渡す限り一面の草原がどこまでも広がっており、山や木の類いは一切存在しない。表の世界で私の住んでいた町も、そこそこ過疎が進んでいたが、ここはその比にすらならないだろう。
恐るべし幻夢境。私と師匠の愛の巣の外には、こんなにも広大な世界があったとは。ピクニックに来たら、それは最高に気持ちがいいだろう。私は呑気な妄想に耽り始めた。サンドイッチをたくさん作って、アースラとのんびり…。
「海咲、ちょっとここらで休憩して、ピクニックと洒落こもうぜ」
彼女の方に振り向くと、一体その小さく愛らしい体のどこから取り出したのか、彼女はその可愛らしい顔が隠れるほど大きなランチボックスを膝に載せていた。
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涼やかな風、暖かな日差し。
そしてこの空間のかわいい指数を跳ねあげる要因と化している、愛くるし過ぎるアースラ。
かつてこれ程までに幸せだったことはあるだろうか。いや、ないだろう。
とんがり帽子の美少女がサンドイッチを口いっぱいに頬張る度に、幸せになる。世界中の核保有国の指導者が一堂に会し、この草原で私たちとピクニックをすれば、世界はすぐにでも平和になるとさえ思える。
それにしても、アースラは結構料理が上手い。私が今食べている炒り卵のパイなんて、絶妙だ。パイといえば、普通は安牌なミートパイかアップルパイを作るだろう。後者は彼女の大好物でもある。それらを押さえ、敢えて卵と黒胡椒で勝負をかけてきた彼女のポテンシャルは侮れない。つまりライフ・オブ・パイだ(?)。
伊達に歳をとっていないということだろう。彼女の実年齢は知らないが、師曰く「アタシが現世にいたときに、かの偉大な皇帝に魔術を披露したことがある」らしいので、そういうことだろう。
しかし、私には彼女がまず知りえないだろう二十一世紀ベンチャー系のレパートリーがたくさんある。明日あたりに仕返しとばかりに食べさせることにしよう。材料が手に入ればの話にはなるが。マヨネーズ位なら私の技術でも錬成できるのだが、こう業界各社が長年培ってきた技術の粋であるカレールーなどになると、話は別になってくる。
「海咲、その、美味いか?あんまりこういうの作ったことなくてだな…。図書館にあった古いレシピ本引っ張り出して頑張ってみたんだが…」
「すごい美味しいよ。昨日の夜から何か台所でやってたのはなんとなくわかってたけど、まさかこんなサプライズをしてくれるなんて」
アースラは頬を染めて。
「そ、そうか。喜んでもらえてよかった」
これも食べてくれ。自信作なんだ、と彼女は帽子から新しいランチボックスを取り出した。なるほど、そうなっていたのか。てっきりお腹のポケットに入っていたのかと思っていたが、そうではなかったようだ。幻夢境では、元の世界の知識はまるで役に立たない。




