3話<後編> 海の魔女
深夜。腹部に圧迫感を感じ、私は目を覚ました。
「むっ、シバリオブカネ…?」
右腕を除く他の四肢が、動かない。力は入るものの、ある一定の角度までしか動かすことが出来ない。
寝惚けた焦点の合わぬ瞳で、辺りを見渡す。私の体の上に、何者かが座っている。
「誰…?」
返事はない。
段々と、ピントが合っていく。私の上にいるのは、ここ数ヶ月で仲良くなった、私の新しい友達。
「アースラ?」
私に跨っていたのは、他ならない、アースラだった。
彼女は一糸たりとも衣服の名のつくものを纏っておらず、そのきめ細やかな素肌が、仄かな月光の元、妖しく輝いている。薄く肋骨の浮き出た肉付きの悪い肢体。ほっそりとした鎖骨。いつにも増して紅い双眸は、彼女をより妖艶で煽情的にさせている。
よく見ると、私の体を拘束しているのは、彼女の太腿から先の触手であることに気がついた。その姿は不気味というよりは艶やかで、触腕のひんやりとした質感は、堪らなく心地よく感じた。
「ええと、どういう状況。夜伽?やっぱり業務内容に含まれてる?」
アースラは何も言わずに、私へ覆いかぶさる。
彼女は貪るように、私に抱きついてくる。その姿は、発情した雌猫のようで。
私は、少し困惑した。
彼女から伝わってくるのは、寂しさや、人恋しさだけではない。
『あの夜』の光景がフラッシュバックする。彼女の上気した瞳。好色に歪められた薄い唇。アースラは、確かに、性的に私を求めている。
「…リヤ…」
誰かの、名前だろうか。アースラが寂しそうに、そう口にした。もしかすれば、彼女は誰かと、私を混同しているのかもしれない。
淫猥に、腰をくねらせるアースラ。嫌悪より、疑念が先行する。勿論、彼女は、男性ではない。では、何を間違えて私達は身体を重ね合っているのだろう。
「…どうしよう。どうした方がいいのかな」
右腕でアースラを優しく抱きしめる。
彼女の間違いを正すべきか。それとも、彼女を受け入れるべきだろうか。
私は暫く迷った末、一つの結論を導き出した。
「…うん、そういうことなら、いいよ。アースラの好きに、すればいい」
決して、諦観などではない。ある種の信頼と言ってもいい。
アースラは、あの男たちとは違う。私を蹂躙することは、決してないだろう。
そういうことならば、私には抵抗する理由がない。私は身体から一切の力を抜き、彼女の為すがままに預けた。
「うっ、むっ、ちゅる…っ」
アースラの舌が、私の口腔をまさぐるようにして侵入してくる。互いに舌を絡めて、吸い合う。
アースラの唾液は、ほんのりと甘い味がした。
彼女は器用に下肢を操り、私の衣服を剥がしていく。
彼女の触腕が、私の局部にそっと触れる。
「…いいの。これ以上やったら、私たち。もう、友達じゃあ、いられなくなるよ」
アースラが、一瞬悲痛な目を私に向ける。
「それでいいなら。貴女がそうしたいなら、すればいい。私は、貴女のこと、嫌いになったりは、しないから」
彼女の真紅の瞳が、私の両目を捉えて。大きく、揺れた。
「ミ…キ…?」
「うん?」
哀願するような、儚い、か細い声。
「友達じゃ、なくなっちゃうの?」
彼女の問に、私は首肯する。
「そうだね。そうだと思う」
アースラは、その美しい頬を涙で濡らして。
「やだ、やだ」
私を、抱き締めた。
「…」
私は、そっと彼女の髪に触れて、優しく、撫でてあげた。
彼女の細い肩は、哀しみに震えていた。
「大丈夫。私は、貴女の友達だから」
慈しみを持って。赤子をあやす様に。
「ずっと、ずっと。貴女が死ぬまで、そばに居るから」
アースラを、そっと抱き締める。
「それでも。それでも、貴女が寂しいと感じるのであれば。私は、貴女と一つになってあげる」
彼女は、凍りついたかのように、動かない。
「だから、今はまだ、友達でいよう。ね?」
私の微笑みに、アースラはびくりと身体を痙攣させ、焦点の合わない瞳で、私を見据えた。
「…っ」
いつの間にか、アースラの太腿からは、艶かしい一対の足が延びていた。
「……」
「…アースラ?」
彼女は、ふいと顔を背けると、ベットから降りて、足早に部屋から立ち去ろうとする。そして、裸のまま、ドアの前で立ち止まり、後ろを振り向いた。
「…今夜のことは、忘れてくれ。…頼む」
消え入るような声で懇願されては、拒絶のしようもなければ、冗談をいう隙もない。
「貴女がそうしろと言うなら、そうする」
私はそう言って微笑んだ。
彼女は、ばたりとドアを閉めると、階段を駆け下りて行った。
言葉とは裏腹に、今晩のことは、どうにも忘れられそうにない。数ヶ月前に感じたあの胸のときめきは、どうやら、そういうことだったらしい。いや、違うかな。いや、そうかもしれない、くらいに留めておこう。
「あー、だめ。私まで変な気を起こしてどうする」
汚れた妄想を払拭するように、私はシーツを頭の先まで被った。
「あー、寝よ寝よ。忘れた、わーすーれーた」
そう自分に言い聞かせ、私はぎゅっと目を閉じた。




