8話 時空を超える魔法の扉
「ごーごー、やっしゃがいけー。魂抜いてけ、夜叉ヶ池ーサ・イ・ケ」
軽く食事をとり、足取り軽やかに少年マンガ『怪奇!夜叉ヶ池浪漫サイケ』の主題歌を口ずさみながら、ガレージへと戻る。
海の魔女の作業場にある、魔術という概念からかけ離れた大扉。開け放たれたままのサイエンス・フィクションを、私はぼんやりと一瞥した。
カードを通す機械の横。何やら重厚な水晶造りのダイアルが見て取れた。
一見すると金庫の鍵のようにも見えるそれには、無数の傷と、数字が刻まれている。
この無造作に付けられた傷は恐らく目盛りなのだろう。ダイアルの上にある下向きの黒い三角形に気づき、私はそう思い至った。
この壮大な機械仕掛けの大扉を金庫の扉に見立てると、その横に付随する鍵のダイアルは水晶製であり、その表面には幾何学的紋様ともとれる傷がある種の法則によって刻まれている。
如何にも、オカルトチックでいい。
ダイアルに触れて、軽く回してみる。かしゃりという浪漫に溢れる音が鳴ることはなく、空虚な摩擦音だけが私の鼓膜を震わせたのみだった。
そう都合よく動いてはくれないか。無駄な時間もない、仕事に戻ることにしよう。
私はダイアルから手を離し、扉の向こうに足を踏み入れる。
目の前に広がったのは、一面の緑。そして、茂った植物の奥からこちらを睨む、ラプトル。
「…どりーみ?」
夢でも見ているのか。私は呆気にとられて、後ずさった。臆した私の様子に勝機を見出し、ラプトルが走り出す。
大扉の先は、図書館のはずだ。
子供の頃に、小学校の図書館で開いた図鑑で見たことのある風景。シダ、ソテツ。これは、想像上の白亜紀の風景そのものではないか。
空いた口を塞ぐ余裕もなく、動転したまま数歩後ろに下がり、思い切り力を込めて扉を閉じる。ラプトルが壁に当たる音が聞こえ、私の額を冷や汗が伝った。
扉はその大きさにも関わらず、意外にも私の貧弱な腕力で容易に閉めることができた。
扉について、考えられるのは二つ。これは別の惑星に転移できる魔法の扉。もう一つは、ダイアルは年表で、目の前のものは時空間を移動できる魔法の扉。
「いよいよ、らしくなってきたンゴねぇ」
待ち望んでいた形而下の怪異に高揚しながら、私はダイアルを少しだけ先に進めてみる。
閉ざされた重い扉の取っ手に手をかけ、そっと開けてみる。小指の太さほどの隙間から見えたのは、白銀の雪原。
氷の惑星に繋がったのか、それとも氷河期まで進んだのか。
面白くなってきたので、扉を閉めて、もう少しだけ、ダイアルを回す。
今度は、思い切って扉を大きく開いてみる。
大勢の着物姿のアジア人と目が合う。ある人は、三つ葉の紋様をあしらった青い着物を羽織り、友人と茶を飲み交わしていた丁髷の似合う侍。またある人は、お茶屋の看板娘と思しき花柄の着物を着た可愛らしい女性。
どうやらここは、古き良き我が国の都市の何処からしい。時代劇で見たような通りを、時代劇で見たような人たちが、日光江戸村さながらに歩いている。
恐らく、後者だ。この扉は、時間旅行をするための扉らしい。
私は取り敢えず愛想笑いを浮かべ、自身の遠い先祖かもしれない方々に頭を下げると、状況に置いてけぼりになっている彼らを尻目に、踵を返した。
扉を閉じて、ダイアルを大きく進めてみる。
ところで、私には、長らく、気になっていたことがある。化石燃料の枯渇が問題視されて早数年。日本に関して言えば、隣国が兵器開発と挑発を繰り返し、遠く離れたマハラジャの国では民族衝突が、そしてヨーロッパには、白人至上主義の暗雲が立ち込めている。
地球は、問題が山積みだ。終末時計の長針は、十一を通り過ぎて久しい。近い将来、私たちはどうなっているのだろうか。地球温暖化の果てに、氷河期が来るのか。または、人類は滅び、新人類が地表を跋扈しているのか。やはり人類は、高次の知的生命体が現れるまでの、繋ぎに過ぎないのか。それとも、既に人々は、大いなる宇宙へと旅立っているかもしれない。
私は、人の行く末が不安で仕方がなかった。あるいは、一縷の望みを掛けているのかもしれないが。
いい機会かもしれない。今から、数千年後の地球を、この目で見てみよう。
私は好奇心と恐怖心の入り交じった想いで、祈るようにダイアルを回す。
そして、恐る恐る、扉を開いてみる。
眼下に広がるは、核戦争後の荒廃した世界ではなく、勿論、生を謳歌する人々の営みでもない。
空虚な、闇。夜の闇のように、ある種の指向性をもった空間とは程遠い、完全なる、無。
部屋の気圧が急激に下がり、床の埃は引き寄せられるようにして、扉の奥へと消えていく。どうやら、眼前の漆黒の中では、何者もその存在を許されないらしい。
「ふーん、そう」
感想は、それだけ。
思ったより、驚かなかった。何となく、こうなる予想はしていたのだ。人の営みは、永遠ではない。やはり、私が、未来永劫に引き継げるものなど、一つたりとも存在してはいなかったのだ。人間一人の人生は、宇宙からしてみれば瞬き一つに過ぎない、というのは、大昔から多用されているレトリックだ。しかし、本当に、これは正しいのであろうか。瞬き一つに過ぎないものは、人類の興亡そのもの。個人の生きた証など、宇宙からすれば、須臾にも満たない、塵芥に等しい。
絶望は、一切ない。諦観も、悔恨も、懊悩も、自己矛盾でさえも。
「じゃあ、好き放題生きて大丈夫だね」
寧ろ、吹っ切れた、とも言えよう。
どうせ全てが無に帰すのであれば、私は何も後世に遺す必要はない。自身の存在意義を、種の存続義務を、人類史のあるべき姿でさえも、否定できる―真っ向から。
私には、好き放題生きて良い権利があるのだ。好きな服を着ようが、メイドとして働こうが、お金のために男性と性交渉を行おうが行うまいが、どの道人類は死滅する。
私たちの遺伝子に刻み込まれた人生の道標を、本能とでも定義しようか。人々の、種の保存欲。無意識下の欲求。世界のどこかで出会って、恋をして、夜闇に乱れて、子供を産んで、その子供が世界のどこかで恋をして、愛を育んで。そのサイクルを乱さないように、私達は本能に突き動かされる。これまでの『様式』を崩さないように、人類は画一化されていく。
だから、『個性を大切に!』と声高に叫んだその口で、個性を否定してしまうのだ。本能的なサイクルを乱しそうな気に食わない女を、クラスルームから排斥してしまうのだ。
もう、懲り懲りだ。十分だ。そんなものに付き合うのは、疲れた。
よかった。何かもう、吹っ切れた。義務とか、世間体とか、少子高齢化とか―私の好きなものが、気に食わないとか。正直、気持ち悪いもんに。
今日限りでさようなら、つまらない全体主義者のみなさま。私は、この屋敷で好き勝手に生きて、あの可愛らしい魔女の最期を見届けることにします。首を吊るのは、その後でも遅くない。
そうと決まれば、仕事を始めよう。遊んでいたことがバレたら、私の素敵な非人間性ライフの存続が、危うくなるかもしれない。
「それでそれで。これはどうやって図書館に戻るのかしら」
周囲を見渡してみる。これはあくまでも私の仮説であるが、彼女が先程のリーダーに通したカードは、恐らく場所と時間を記憶したプリセットなのではないだろうか。
「ないない。岡村と矢部、バニシング・バニシングだわ」
仮にそうならば、いや、そうでなくとも、不味いことになった。どちらにせよ、私にはこの扉を図書館に繋ぐ方法論が、思いつかない。私は急いで周囲を見渡し、カードの捜索を開始した。




