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水縹に咲く二ロトパラ  作者: 山野悠太
第2部 2章 『海の魔女』
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5話 ごきげんな朝ごはん

 目覚まし時計に追い立てられるようにして、魔女は目を覚ました。


  「…さて、あいつは言いつけ通りに朝食を作っているだろうか」


  彼女は寝巻き姿のまま部屋を出ると、ふらふらと食堂に向かった。


  半分寝惚けた状態で、食堂のドアを開ける。


 「あ、おはようございます、ご主人様」


 「…ん」


  花崎海咲がスカートの端を摘んで、ちょこんと礼をしてみせた。


  それはお姫様がやる挨拶だ。そのような下らないことを逐一言うのも面倒くさくなり、彼女は適当に生返事した。


 誘蛾灯に引き寄せられるかのように、ゆらゆらと席に着くなり、ふわりと、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐった。


  まず目に入ったのは、大皿に綺麗に盛り付けられた、瑞々しい野菜。色彩豊かに、クレソンとルッコラ、水菜の上に、パプリカやミニトマト。加えて、凍った苺とブルーベリーが、華やかさを添えている。


  その横には、ミートパイ。こんがりときつね色に焼かれたパイ生地の割れ目から、此れ見よがしに溢れんばかりの挽肉が詰め込まれているのが伺えた。


  そして、スープはミネストローネ。食欲をそそる真っ赤なトマトの色。その具はとうもころしやグリンピース、透明な根菜は、大根である。彼女は、このようや手の込んだ朝食を、正直期待していなかった。仕込みはいつの間にしたのか、ただただ疑問符を浮かべるばかりである。


  フォークとナイフを手に取り、ミートパイを切ってみる。じゅわりと肉汁が弾け、滴り落ちる。慌てて口に運ぶと、中身の味付けは意外にも、醤油ベースの和風ダレ。みりんの甘みと醤油の塩気が絶妙なバランスで混在し、挽肉の旨みを引き立てる。


 「む」


  あまりの美味しさに、声が漏れた。視線に気づき、給仕の方を見る。何やら彼女はご満悦だった。


 「…美味い」


  彼女の含みのある表情は知らないが、これは、素直に美味しいと思う。メニューそのものはチグハグな和洋折衷、つまり家庭料理の域を出ないとはいえ、そのレベルは中々に高い。


  こいつ、向こうでは店でも出していたのではなかろうか。この若さで、よくここまでのものを作るものだ。魔女は素直に感心した。


  もしかすると、アタシはとんでもなくいい拾い物をしたのではないだろうか。


  そう思うことにしよう。恐らく、今日中にでも、砲台の納入に関する催促状が来るはずだ。もしそうなった場合は、不本意ではあるが、頭を下げに出向かなければならない。


  いや、今はこのことは忘れよう。折角彼女がこんなにも素晴らしい朝食を用意してくれたのだ。嫌なことは頭の片隅にでも置いておいて、食事に専念するとしよう。


────


  ご主人様は、黙々と食事を続けていた。いや、黙々とではない。時折、「あっ」やら「…美味しい」など、見た目相応の可愛らしい感想を漏らしている。


  あの白い毛むくじゃらの海獣をして『気難しい』と評された海の魔女が、よもやこのような感想を述べているなど、世界中の誰もが夢にも思うまい。遂にこの私、花崎海咲の時代が来たと言っても過言ではないだろう。世はまさに大花崎海咲時代だ。男たちは、私を求めて海へと漕ぎ出すのだ。うむ、いいな、それ。私は『ひとめをひく大美少女』なわけだし。


 「やっくん、岡江さん…私、勝ったよ…」


  なんてことはない。私の自炊歴は、もうすぐ八周年だ。こちとら、キッズの頃からキッチンに立ってるんだ。そして大昔にテレビで見た事のある、時短テクニックその他を記憶からネクロマンスして、総動員鳳凰堂。そして辛くも勝利をもぎ取ったのだ。どうにか誤魔化せてよかった。


  正直な話、私は、日本の底辺代表こと違いの分からない女、花崎海咲がこの料理を作ったということに、一抹の不安を抱かずにはいられなかった。お恥ずかしながら、私は馬鹿舌、『映す価値なし』なのだ。しかし彼女の反応を確認して、現在はその不安も払拭され、私は手放しで喜ぶことが出来ている。


 「…ご馳走様」


  そう言って、彼女はナプキンでその小さな口を拭き、席を立とうとした。よく食うな―と思ったが、生憎まだ献立は残っている。


 「ええと、まだデザートがございますが」


  私は彼女を、慌てて引き止める。


  デザートと聞いた瞬間に、彼女の目が光り輝いたのを、私は見逃さなかった。


  私の勝ちだ。やはり、最後に拵えておいて正解だった。


  私は少し待っているように彼女に伝えると、冷蔵庫からヨーグルトを取り出した。ただのヨーグルトではない。彼女の好物でだろうフルーツを豪華に使った特製ヨーグルトである。


 「どうぞ」


  先程私も毒味という名の朝食で頂いたが、これは格別に美味しい。恐らくであるが、ヨーグルトの質が違う。日本で広く市販されているものに比べ、水気が少なく多少固めではあるが、なんといっても濃厚で、冷やすとアイスクリームような食感がする。これをマンゴーや種々のベリー、葡萄などでふんだんに彩るだけで、超高級風デザートに早変わりである。


 「如何でしょうか」


 「凄い美味い」


  即答される。無愛想な彼女も、やはり女の子ということか。この手のスイーツは、いとも容易く私たちを狂わせる。それが魔女だろうがなんであろうが関係ない。


  彼女はぺろりとヨーグルトを平らげると、顔を綻ばせた。


 「…なあ、花崎」


  突然、話しかけられる。


 「はい」


  少し、驚いた。今まで無視され続けてきたのに。ここへ来て、向こうから話しかけてくるとは。


 「料理」


 「はい?」


  彼女は、少し目を逸らして。


 「料理、上手だな」


  か細い声で、そう言った。


 「…サンキューだz…お褒め頂き、光栄です」


  言葉自体は、すっと出てきた。でも、心は、ちょっとばかり、追いついていなかった。


  褒められた、という事実。そして、照れを隠すような、彼女の可愛らしい仕草。原因は、その両方か、あるいは後者か。胸の辺りが、どきりとした。決して彼女の言に驚いたという訳ではない。ならば、この鼓動の高まりは。この熱く脈打つ感情は。一体、何処から出てきたものなのだろう。記憶の奥底、前世の記憶―それは流石に、中二病が過ぎるだろうか。しかし、何故だろう、今の微笑みに、すごく既視感を抱いてしまったことは、本当である。


  一言だけ、料理の感想を囁くと、海の魔女は足早に食堂から出ていってしまう。


  私には、呆然と、その後ろ姿を眺めることしか出来なかった。


 「…しまった、この後にすること、聞き忘れた」


  思い出したように、口にする。これはある種の暗示のように作用し、私の心をあるべき場所へ引き摺り下ろした。


  取り敢えずこれを片付けたら、少し休んで、玄関口の掃除を再開しよう。それがいい。


  今は、少しでも早くこの環境に慣れてしまおう。ここへ来て、我ながら、抜群の適応力を発揮させていると思う。しかし、こういうとき、決まって私はすぐにがたがくる。脳内麻薬で誤魔化せるうちはいいけれど、自分では気づかないうちに、体力は消耗している。


  疲れを取るには、湯船に浸かることが一番だろう。昨晩のように、石鹸と濡れたタオルで体を拭くだけでは、汚れは落とせても疲れは取れない。一層の事、お風呂があるかどうか、彼女に尋ねてみようか。もしあれば、お風呂掃除の仕事も仰せつかることになるのだろうか。


  「ううむ、百年間の奉仕って言われてもなあ」


  漠然と、自身の業務内容に思いを馳せる。私に言わせれば、彼女の指示は、杜撰に過ぎる。何をすればいいのか曖昧なことが多く、難しい。又は、今まで、というよりは、現世の仕事が細かく決められ過ぎていたのだろうか。


  中学のときは、生徒会会長を務めていたこともある。だから、大前提として、自分の仕事を自分で考えるということがいかに難しいかということは、百も承知のつもりだ。


 「それにしても、メイド、メイドかあ」


  メイド。お帰りなさいませ、ご主人様。一息に難しいと言っても、これに関しては、何をすればいいのか、見当がつかないという点で、他の仕事とは一線を画している。そういう理由で、今はがむしゃらに、掃除と食事の用意に精を出すことを考えているが、果たしてこれであっているのだろうか。他にも、した方がよいことがあるのではないか。


  誰か、私に教えて欲しい。あの可愛らしい魔女っ子は、私に何も言ってはくれない。


  いや、分かった。メイドがする主の世話と言えば、あれだ。


  夜伽か。


  そこまで思い至って、考えることを止めた。


  私が自発的に下の話を始める時は、大抵精神が参っているときだ。少し、落ち着いて休もう。


  お昼ご飯のことも考えなければならないし、やることは山積みだ。一先ず、メイドの業務に対する考察は止めよう。目先の仕事を一つ一つ片付けるべし。それが、私の哲学だ。


  気合を入れ直し、私は私の思うメイドの仕事を始めることにした。

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