3話 調子の狂う、変なやつ
全くもって、調子が狂う。自分らしくない。
時刻は午後十一時を回ろうとしていた。海の魔女は屋敷の東塔にある自室で、一人悶々としていた。
海の魔女―アースラは今までにも、給仕を雇ったことが何度もあった。何故ならば、この屋敷は、魔女が一人で住むには広すぎるからだ。しかし、その全員が直ぐに辞めていった。理由は単に、彼女の性格の悪さにあった。
「…はぁ」
元々人付き合いが苦手なのは、彼女自身も重々承知だ。仕事仲間を除けば、知己の友人は数える程しかいない。『無闇矢鱈と露悪的に振る舞わないの』―それは、血の繋がらない母親から何度も言われていることだったが、直そうとは微塵も思わなかった。
実際に、アースラの魔術の師は、数億という永い人生においても、友と呼べる者を両手で数えられるほどしか持っていない。『魔術の探求には、友人は必ずしも欠かせないものではない』。それが、師匠譲りの持論だった。
但し、それはあくまでも理屈の話であり、本心は違う。
素直になれない。何故か意地の悪い方向に、勝手に動いてしまう。何を話せばいいのかもわからない。どんな態度を取ればいいのかも分からない。
自分は馬鹿だ、と思う。
そうでなければ、頭の病気なんじゃなかろうか。
さっきだって、そうだ。
アースラは自嘲する。
「…最悪だな、アタシは」
何故、どうして食器の反対側の席に座った。頭がおかしいんじゃないか。面白いと思ったのか。ああすれば、あの人間が喜ぶとでも。
アースラは、無意識に悪意の篭った行為ばかり行う自分が、何よりも嫌いだった。露悪的に振る舞いたくて振舞っているわけではない。ついつい、体が、口が、そのような態度をとってしまうのだ。
どうして、あのとき怒りに任せて彼女の右目に爆弾を仕込んだ。百年間の奉仕なんて訳の分からないことを言い出した。
彼女が折角用意してくれた食事を、無下に扱った。
確かに、魔女は脂ものは苦手であった。しかし、苦手なものは苦手だと、最初に伝えなかった自身が悪いことは、彼女自身が一番分かっていた。
「…はあ。なんか、疲れたな…」
考えれば考えるほど、どつぼに嵌っていく気がした。
「…そうだ」
気分転換に、ゲームでもしようか。この前、表で仕入れてきたじゃないか。
意識の中の暗雲を無理やり払うように、彼女はテレビとハードの電源を入れた。
ドラサガⅡ。言わずと知れた名ソフトである。つい最近、彼女は現世の中古ゲームストアで、このソフトを購入していた。出来としてはⅠが最高傑作で、Iの主人公が敵役になってしまうIIIが最も駄作。アースラは、IIIこそが最高傑作だと評した海咲とは逆に、そう考えていた。
彼女の屋敷に一番近い、第二第三複合都市国家の法律では、許可なき現世への渡航は禁止されている。しかし、彼女は明確には彼処の住民ではない。後日いつもの様に使者が非難の手紙を持ってきたが、アースラにはその抗議を聞き入れる義務はなかった。
彼処は歴史が深過ぎて、甚だしく閉鎖的だ。もう少し、視野を広げて物を見るべきだ、というのが、魔女の言い訳がましい意見である。
ため息をついた魔女。そして彼女は、唐突に背筋を伸ばした。前触れもなく―こつこつ、とドアがノックされたからである。
「…ご主人様、夜分遅くにすみません」
急な来客に、魔女は心臓が止まる思いだった。取り敢えず、深呼吸する。
要件はなんだろうか。辞職か。それはないだろう。いや、そうかもしれない。
「…ええと、お休みになられていたでしょうか」
「ああ、いや、そんなことはない」
彼女は反射的にドアを開けた。
瞬間、強い後悔の念が魔女を襲う。
何故開けた。黙っていれば、話す必要はなかったのに。それに、もうこんな時間だ。この時間に訪ねてくるなんて、失礼ではないか。
「…何だ、こんな時間に」
突き放すように呟く。間違えた。どうしてこう愛想がないんだ、アタシは。
「すみません、先程は私の勝手な行動で、ご主人様に厭わしい思いをさせてしまいました。お詫びと言ってはなんですが、もし宜しかったらこれをお召し上がりください」
そう言って、彼女は手にしていた籠から、パイを取り出した。
「アップルパイを焼いてみたのですが…。お口に合いますでしょうか」
白雪姫の母親か何かのような手つきだな。魔女はそう悪態をついた。
それに、まだ食べていないのにお口に合いますかとは、随分だ。しかし、アップルパイか。
彼女が何故自身の好物を知っているのか分からないが、丁度小腹が空いていたので、魔女は従者の手から、焼きたてのパイを受け取ることにした。
美味い。とてもこの短時間で作ったとは思えない出来だ。昔、母親や師匠の友人たちが、競い合うようにして、自分に馳走してくれたものと遜色ない。
暫く、思い出に浸りつつ、無言でパイを咀嚼する。
「…ええと、どうでしょうか」
恐る恐る、彼女が感想を尋ねてくる。どうしてこう、出来の如何を聞きたがるのか理解に苦しむが、ここは正直に答えるべきだろう。
「美味い」
花崎海咲の顔が、ぱあと明るくなる。どうやら、嬉しかったようだ。
「ありがとうございます!」
海咲はぺこりと軽快に一礼すると、魔女の目を真っ直ぐに見据えた。
「これからも精進して参りますので、えーと、その、どうか宜しくお願いします!」
少々、困惑した。海の魔女にとって、海咲のような給仕は、初めてであった。丹精込めて作った食事をぞんざいに扱われて尚、めげずに主の好物を部屋まで持ってくるような酔狂には、出会ったことがなかったのである。
この給仕は、使い潰されるのが好きな、マゾヒストなのだろうか。それはそれで気味が悪いし、心底軽蔑に値するが、今はただ、彼女の厚意が心地よい。
「ええと、そうだ。二つほど伺っても宜しいでしょうか」
彼女の言葉に、反射的に首肯する。
「では、失礼します。まず一つ、明日の朝食は、何時頃ご用意すれば良いでしょうか。もう一つ、屋敷の何処かに時計のある場所は御座いますか」
そこまで言ってから、彼女ははっとしたように。
「あれ、この世界には、時間の概念はありますか」
そう呟いた。
どうやら、この日本人は、ネット小説の読みすぎのようだ。舐められたようで気に食わなかったが、あまり声を荒げないように注意する。
「…あ?馬鹿にしてんのか。
あー、そっちと全く同じだ。但し、トーキョーとは十二時間ずれてるがな。
そうだな、大時計が玄関口に掛かってる。あと、ベットの横の棚に懐中時計があったはずだ。時間はそれで確認しろ。
あと、アタシはいつも九時半に起きるから、それに間に合うようにしとけ」
魔女は、質問は三つで終わりか、という皮肉は飲み込んだ。
「畏まりました。ええと、あと、紫色の髪の綺麗な女性の方が、宜しくと仰ってました。
それでは、失礼致します。お休みなさいませ」
そう言って、花崎海咲は深々と礼をして、その場を後にした。
彼女の背中を見送るように暫く眺めてから、魔女はドアを閉めた。
それと同時に。
「…あっ、質問三つしてた!」
彼女は廊下の向こうで、大きな独り言を漏らした。
「うるさい奴だな」
不思議と、不愉快ではない。
あいつとなら、上手く行きそうな気がする。そう自分に都合の良いことを考えた。
紫色の髪の女。自身のよく知る人物を思い浮かべ、魔女は嘆息した。
彼女が肩入れするとは珍しい。それよりも、いつの間に屋敷に入り込まれた。ふむ、アタシの術式も、彼女からすればまだ未熟というわけか。それに、あのメイドをわざわざ屋敷の上に転移させたのも、彼女の差し金に違いない。
「ネット小説でも読んで、寝るか。✝︎漆黒✝︎が更新してたっけ」
ドラサガのスタート画面を表示させたまま、魔女はテレビの電源だけを落とし、部屋の明かりを消した。
シーツの中で、スマホを開く。ぼんやりと、淡い光が彼女の細い輪郭を照らした。
何やら、面白そうなことが始まる予感がする。魔女は、ほんの少しばかり、明日が楽しみだった。
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やってやった。やってやったぞ。私は内心舞い上がっていた。
あの白い毛むくじゃらの海獣をして『性格の捻じ曲がった』と言わしめたあの海の魔女に、この花崎海咲が『美味い』と言わせしめたのだ。
一時はどうなることかと思ったが、結果よければ、である。あの美しいお姉様に五体投地で感謝しなければならない。彼女の助けがなければ、今頃私は二人前の食事を平らげる羽目になっていただろう。
よし、この調子で、明日も頑張ろう。そう思い、私はかび臭いシーツの上に横になった。




