2話 『飽きた』
隣の駅で線路に人が立ち入ったようで、電車は十分遅れで到着した。バイトにはまだ全然間に合うが、如何せん胃に悪い。十分前にはバイト先に着いていないと、店長の堪忍袋の緒が温まってきてしまう。そう、まるでエンジンみたいなものである(?)。『更年期を迎えた神経質な女性の鋭敏な心の健康』の為にも、こういったイレギュラーには、出来る限り出会いたくない。
「ど田舎ど真ん中じゃないんだから、ちゃんと来てよね…っと」
人気のなかった筈のホームは、この十分間のうちに、私と同じ制服姿の高校生で満たされていた。
結局空回りすることになった、先の四百メートル走に対して内心舌打ちしつつ、私は無言のまま電車に乗車した。
吊り革を掴むなり、メールが届いた。
差出人は、母親。
私の母は娼婦―そこまでは酷くないだろうが水商売に従事しており、私を産んで直ぐに若い男と不倫、そして父と離婚した。私は暫く父と暮らしていたが、父も蒸発。めでたく私は孤児になった―らしい。物心着く前のことで、父のことはよく覚えていない。育ててくれた祖母の協力もあり、こうして今日まで生存してきたが、昨年とうとう祖母が他界。現在は、顔も知らない後見人を頼って、祖母が住んでいた横須賀市郊外の小さなアパートに一人で暮らしている。生活費は国からの零細な援助金と、時々振込まれる出処不明の埋蔵金、そして自分で稼いだバイト代、学費は何と全額免除―だけ。それでも、どうにか糊口を凌げていた。
そんな私を尻目に、母は年甲斐もなく男をつくって、毎日淫靡で退廃的な暮らしをしているに違いない。可愛く産んでくれたことには感謝しているが、私はそんな母が大嫌いだった。
大家さんと話す時だけ母親顔して、何食わぬ顔で私の家に土足で踏み込んで。祖母の財産も、結局全て持っていかれてしまった。
おまけに、今は何やら新興宗教にのめり込んでいるようで、私の家にもひっきりなしに勧誘のチラシが投函されていた。
そんな母親が、わざわざメールを寄越してくる理由なんて、大体わかっている。
大家さんにも口を酸っぱくして言っておいたから、大丈夫だと思う。
私はせめてもの抵抗として、メールを無視してやることにした。
「あー、もう、憂鬱」
何もこのタイミングでなくてもいいのに、と私は悪態をついた。普段没交渉もいい所の、自称母親という肩書きのあの女性は、どうしてこう緊急の時に限って追い討ちをかけてくるのか。私に構わず性交渉でもしてればいいのに、永遠に。エターナル・セックスだ。ウロボロスの亜種。
因みに私が非常事態宣言を発令することになったのは、単に節制を怠ったせいだ。血迷ってコスメを買いすぎてしまったせい、かもしれない。いや、本当にそうだろうか。これは菜月のせいだろう。きっとそうだ。
責任転嫁は蜜の味。そんなことをぼうと考えていると、隣で二人組の女子高生が、大声で喋り始めた。
「ねぇ、知ってる?噂なんだけどさ」
「へえ、なに?」
「異世界に行く方法があるんだって」
他の人も乗ってるんだから、少し静かにしたらどうか。そう言いたいところだったが、どうにも車内のひりつくような雰囲気に気圧されて―そう、気圧が高すぎて言い出し辛い。大の大人の人が注意をすればいいのに、何でかしら、態度で語ろうとするのが、日本人の悪い癖である。
背中で語る男性には憧れるが、スポーツ新聞越しの表情で語るのは、違うと思う。
止める人間がいないのをいいことに、件の二人はそのボリュームの摘みを益々捻っていく。
三人寄れば文殊の知恵とはよく言うが、我々女子高生なんてものは、二人よればビックバン。周りが見えなくなるのはいつものことであり、運悪く周囲の人間がたまたま迷惑を被ることも常である。
ここは彼女達の為にも、そして日頃似たようなことをしている自分の為にも。一つ、勇気を出して言ってやろう。
私はそう決意したが、心霊現象や都市伝説などの下らないテレビ番組は嫌いではないし、どちらかと言えば月九のメロドラマより好きだ。
そういった理由もあり、私は、その異世界に行く方法を聞かせて貰ってから、彼女たちに注意を呼びかけることにした。
「なんかね、五センチ×五センチに切った白い紙に、六芒星?を描いて、その真ん中に赤い文字で『飽きた』って書くんだって」
「それから?」
「その紙を枕の下に置いて寝るんだって」
「それで?」
「おわり」
「は?」
オカ板で見たことがある、有名な方法だ。六芒星は、確か安定や安全などという意味だったか。私はUMAや妖怪や失われた古代文明、この辺のオカルト専門なので、その辺の事情にはあまり詳しくない。
何はともあれ、安定を示す記号の中に、退屈だから飽きたなどという不躾な言葉を書き込もうものなら、話が拗れるのは当然だ。
人生なんてものは、平凡で退屈なのが一番良いのだ。普通でない生活が、平々凡々ではない人生が、どれ程辛いものかということを、私は嫌というほど知っている。それ故に、安定な生活を『飽きた』などと言ってのける神経が、私には理解できそうにない。
刺激が欲しいなら、米軍の基地にナイフ一本で侵入すればいい。その方が、きりきりと張られた硝子の糸の上で踊るような、鮮烈なスリルを味わえるだろう。更に言うなら、オハイオのライト・パターソン空軍基地なら最高だ。運が良ければ、エイリアンと殺し合いができる。
個人的には面白いとは思ったが、周囲の方々からすれば、迷惑なだけだったようである。その証拠に、ドアの前に陣取っている化粧の濃い妙齢の女性は、肌が焼け付くような冷ややかな視線を、彼女たちに向けていた。
私は、重苦しい車内の空気に耐えきれなくなり、彼女たちに注意を促すことにした。
「は?ああ、すみません」
「すいませーん」
二人のご同業からの反応は芳しくなかったが、心なしか雰囲気は好転した、ような気がした。どの道次で降りるので、全くもって私には関係なかっただろう。結局のところ私には何一つとして利益がなかったが、いいことをしたと自分に言い聞かせることにした。
ご同業は私を恨めしそうに見つめ、『メンヘラ』だの『ホス狂』だの陰口を叩いているようだが、それもまたご愛敬というものだろう。目を引くほど可愛い私は、いつだって僻み妬みの対象なのだ。




