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水縹に咲く二ロトパラ  作者: 山野悠太
第1部 4章『水縹色の空の下』
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閑話 フォーリン・エンジェル

 月の裏側、大型ドーム『ン=グィ』。これまでこの街を支配していたムーン・ビーストは、行方不明のままだ。そのため、月に残ったレン人達による自治が始まった―かと言われれば、そうではない。畢竟、この街は何も変わってなどいない。ただ、指導者たるムーン・ビーストの派閥が、すげ代わっただけである。大部分のレン人は相変わらず狭苦しく雑然とした自治区に留まること選択した。ただ明日を浪費したい彼らにとって、ムーンビーストからの解放は、全く価値のないものであった。


  明日の自由を掴み取った者、取り逃した者。そして、何一つとして得ようとしなかった傍観者。どれかと言えば、自分は四つ目『大赤字で破産した者』だな―などと少年は自嘲した。


  少年―我妻天使は、月に留まることにした。彼がこの戦争で得た報酬は、数人の知己程度である。それに対して、失ったものは多い。店を失い、悠々自適の生活も失い、ゲーム機に関してはセーブデータごと失った。邪神の復活を阻止し、同盟の勝利に貢献したものの、トータルではマイナスである。


 「何かいいことないのかね〜!?僕頑張ったんだけど〜!?」


  だぁん、と勢いよくテーブルにジョッキが叩きつけられる。ウボスに住む甲殻類の卵巣を発酵させて作る酒は、月の民の『取り敢えず生』に相当する。緑がかった乳白色のそれが並々注がれていたジョッキは、既に底を着いていた。


 「わあ、酒癖わるわる♡器ちっちゃ♡」


 「怒るぞ」


  善子に煽られ、天使は唇を尖らせた。


 「まあまあ。地球に帰った時に、優先的に卸してやるからさ。ゲームとか」


 「ウォン、約束だぞ。違えるな」


  天使に睨まれて、ウォンは苦笑した。


 「必死か。怖いわ」


  ン=グィのレン人居住区。目に見えて人の減ったその街で、唯一営業していた居酒屋に、彼らは陣取っていた。テーブルには、レン人は一人だけ。残る四人は、それぞれ天使を名乗る悪魔、ネコ科の猛獣、半神半妖時々吸血姫、そして胡散臭い黒人男性である。四人は、まだ月に残っていた。各々、目的を果たすためである。


 「ルビーは何キロ頂けるんでしたっけ?」


 「三十キロだな。同盟の資金源だったが―もう必要ないものだし」


  ウォンの言葉に、善子はふんふんと頷いた。原石から加工しても、相当な量の宝石が手に入る。愛する養父の為に何を作ろうか、全てルビー製の杭すら作れてしまいそうだ―と彼女は思案した。


 「ところで、私の重力装置の件は…」


  ハイペリオンは、ウォンにそう尋ねた。


 「ああ。旧フレドリッヒ基地のもので良ければ、現品を持って行っていいそうだ」


 「それは僥倖。地獄から蘇った甲斐があります」


 「それにしても…」


  天使はため息を着いて、イシュバランケの方を見た。


 「蘇生能力とか…そんな有能スキル持ってるなら、何で先に言わないし」


  ガレオン船を押し返した後。ハイペリオンは死亡した。死因は失血。彼は確実に―命を落としていたはずだったのであるが。幻夢境に近い、『月の裏側』という環境、そしてイシュバランケによる早急な蘇生措置により、彼は復活した。失った体組織はトウモロコシで賄われ、男は至って健康な体を取り戻していた。


 「何度も言おうとしたが?聞く耳を持たなかったのはどちらだ」


  天使の心無い一言に、イシュバランケは不愉快そうに唸った。確かに、彼は何度も自身の能力について説明を試み―そして遂に彼の能力が明かされることはなかった。


 「なんてね。僕は知ってたもん。偉大なるトウモロコシ神の息子フンアフプーとイシュバランケ。神話に語られているのは、蘇生能力だ。兄と自分を交互に生き返らせたんだってね?」


 「それはすごい、夢のチカラだ」


 「死ななければ不必要ですね〜♡」


  ウォンたちの言葉に、彼は目を伏せた。


 「制限はある。木端微塵になれば復元できないし、もし食べられたりしてしまったのなら、蘇りは不可能だ。それに、能力は規定回数しか使えない」


  そう言えば、と彼は言葉を続けた。


 「俺がこの依頼を受けた本当の理由を、話したか?」


  いいや、と天使は答えた。


 「兄―フンアフプーが死んだ。食われたのだ、無貌の神、その落胤に。そして仇は―月にいる」




  その後レヴォールの話題が出て、一行は店から叩き出された。夜も更けており、一同と解散した天使は、雑貨屋に戻った。店は家を兼ねていたし、財布その他も置き去りになってしまった。


 「おえ、これはダメだ。とても営業できる状態にない」


  ロケットランチャーの斉射により破壊し尽くされた店内には、無事なものは一つもなかった。廃墟となった店を前にして、彼は頭を抱えた。幸い、財布と八角形のスマートデバイスは見つかった。端末から口座を確認すると、元上司の同僚こと佐藤を名乗る不審な男から、報酬として多額のクレジットが振り込まれていた。振る袖には困らないが、その程度では振り落とせないほど問題は山積みだった。また古物商をやるなら品物を掻き集める作業から行わなければならないし、店舗も丁度良い移転先に恵まれるとは限らない。そもそも、ブラックリストに放り込まれていた場合、営業の許可すら貰えない。


 「…だから、またの機会にご利用いただけます?」


  そう言った少年の背後に立つのは、一組の男女。彼らは黒いローブに身を包み、フードを深く被っている。


 「…久しいな、我妻天使」


 「うん、久し振り〜。どうしたの、こんな場所まで。お茶でも淹れよう、少し待っていて」


  そう笑顔を見せながら、少年は自然な素振りで振り向いた。旧交を温めよう、などという日和った用事で、彼が姿を見せるはずがない。どうしたものか、逃げてしまおうか―と考えながら店の奥へと向かおうとした彼を、男は呼び止めた。


 「すぐに済む。ここで構わない」


  おいそれと逃がしてくれないか、と天使は苦笑した。彼はカウンターの後ろに立つと、頬杖を着いた。


 「それで、僕に用?」


  少年は男に目配せし、要件を述べるように促した。


 「突然ですまないが、私たちと共に来てもらいたい」


  男は丁寧で―それでいて冷徹な声色で、そう告げた。彼の手には、一振の大剣が握られている。それは日本神話における草薙の剣に酷似した形をしており、妖しく輝く黒い光を湛えていた。


 「いやだ。営業終わり、閉店がらがら〜」


  おどけた天使のその目の前で。少女のカタチをした『何か』が、そのシルエットを膨れ上がらせる。何本もの腕、何本もの触手。『大食らい』の悪趣味な虫のようになったそれは、にたりと笑った。


 「…そちらの『お兄さん』は?」


  天使にそう声をかけられると、彼女はくすくすと笑い声を立てた。


 「失礼だね、『お嬢さん』。レディに向かって、さ」


  逆光の中。浮かび上がった少女の姿は、黒一色。全てを呑み込むような闇を、その少女は湛えていた。


 「気にするな、今の仕事仲間だ。それで、返答は?」


 「…断ったら?」


  気取られぬように。彼はカウンターの陰に隠れた袖の先に、天逆鉾を滑り込ませた。天使は、訪問者とは既知の間柄であった。それ故である。彼の額に、汗が滲んでいるのは。


 「申し訳ないが、ここで消えてもらう」


  殺気を感じとり、天使は大きく息を吐いた。会話をしながらも、彼は戦闘用の魔術式プロシージャを複数走らせた。


 「悪いけど、君のことは風の噂で聞いている。前にも言ったけど―連中は『家族の仇』なんだ。おいそれと迎合はできないな」


  最悪だ。このような顛末を迎えることになるのなら、イリスに帰って海咲の家にでも居候すれば良かった。


  少年は煙草を咥え、魔術で火をつけた。一抹の後悔と共に、紫煙は薄暗い天井へと伸びていく。


  旧い友人の一服を見届けてから。男は、決意に満ちた声色で呟いた。


 「残念だ」


  天使は、天逆鉾を抜き放った。先端にモーメントをかけ、大きく横凪にする。


  対して。ローブの男は、大剣を一振する。夜の闇のように漆黒の光が、音もなく月の空を奔っていった。


  その日以降。大型ショッピングモール『メンデレーエフ』は、 営業停止に追い込まれた。地上六階から上が、全て崩壊したためである。フロアを構成する岩材の隙間、ずるりと落ちた断面は、凡そ刃物で斬られたとは思えないほど、ささくれの一つも見当たらなかった。


  そして撤去作業が進められた瓦礫の中。二又に捻れた鉾が、墓標のように突き立っていた。

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