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水縹に咲く二ロトパラ  作者: 山野悠太
第1部 4章『水縹色の空の下』
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14話 不死鳥

「それじゃあ、生贄は足りてるってことか?」


  輸送船『TU-Na』のコクピット。席に着いているのはウォン、そして―海咲。『ハンジール』の助けを得たウォンは、フレドリッヒ基地にて自身の愛機を取り戻した。そして、ン=グィ近郊に墜落、単身ボヤ騒ぎを起こした上、件の動画を見たレン人たちに保護されていた海咲と再会した。開口一番、海咲はウォンに頼んだ。『ウボスに向かって欲しい』、と。


「生贄は足りてる。私たちは…いいえ、公爵も、見落としている。『マザー』を信じるなら―必要なのは『闘争』そのもの。そして祭壇の周りは既に、血と争いに満たされている」


  儀式には、生贄が必要だ。しかし、『マザー』の言葉を借りるなら、必要なのは『生命』そのものではなく、『血』と『争い』。そしてそれは、十分に供給されているだろう。何隻もの戦艦が轟沈するような大規模な戦争は、邪神が此方を見つけるための巨大な篝火となるはずだ。


「ウォンさん、ここでいいよ」


  祭壇の上空、二キロメートル。邪神のテラフォーミング範囲を超えた、ほぼ真空の宙域で、海咲はそう言った。彼らは戦火を避けるため、その高度を飛行していたのだ。


「降りるのか?ここから?」


  こくり、と海咲は頷いた。


  地上から、吐き気を催すような悪意が漏れている。外宇宙の悪意に対する『抗原』である花崎海咲は、その澱んだ暗闇を過敏に感じ取っていた。


「ウォンさんを巻き込みたくないの」


  彼女は、くすりと笑った。その表情に、ウォンは寒気がした。まるで、海咲が海咲でなくなってしまったような―悪意が滲んでいたからだ。


()()()()()()()、邪神の悪意に」


  海咲は、格納庫を抜けて、ハッチを開いた。そして、地上に向けて飛び立った。彼女の眼下に、閃光が奔る。


「…え?」


  呆けた声の主は、泥田善子。致命的なまでの、油断。背後から撃ち抜かれるまで―善子は、その少女を『敵』だと認識していなかった。


「何…で…」


  困惑。苦痛や怒りに先んじて、彼女の心を支配した感情である。左肩を胸まで吹き飛ばされて、善子はぐったりと倒れ込む。洪水のような出血が、月の大地に吸い込まれる。彼女は神霊かつ妖怪であり、基本的には不死である。しかし、それはあくまで普通の死に方をした場合に限った話だ。例えば少女―夢沢渡里がレプハーンのように、食べたものを取り込む力を有していたとしたら―。


  嘗て夢沢渡里であった『何か』。合金製の篭手と尾を持ち、半身が鱗に覆われた人型。耳まで裂けた口を開き、彼女は泥田善子を飲み込もうとした。


「どうしたの。揉め事?」


  その背中に向けて投げられたのは、揶揄うような声色。ふわりと降り立ったその少女は、所々が裂けた黒いレースの服を身にまとっていた。


  余裕を感じさせる素振りに、渡里は虫唾が走った。しかし、彼女はあくまで『神』として冷静に―荘厳に、闖入者の『寸劇』に付き合うことにした。


「ええ、でももう終わったの。もう少し早ければ見れたのに」


  彼女は緩慢な動作で振り返ると、海咲に向けて微笑んだ。その笑顔は、十五歳の少女が見せるものでは無い。醜悪で、淫蕩で、そして何より、悪意が篭っていた。未来(明日)への希望に輝いていた瞳は黄色く澱んで、言の葉の一つ一つが湿気て腐った枯れ木のようにおぞましかった。少女―夢沢渡里の中には、悪意が巣食っていた。血と争いに引き寄せられた、この星の悪意()が。


「…私、心配しちゃったよ」


  海咲は、くすりと笑った。渡里とその中に巣食う邪神が、自身の『寸劇』に参加したことに驚きながら、彼女はへらへらと言葉を続けた。


「またぴーぴー泣いてるんじゃないかって」


  小馬鹿にしたような態度で、少女はそう煽った。渡里の憎悪が、自身に向くように。決して―岩で体を繋ぎ逃げていく善子に注意が向かないよう、海咲は露悪的に振舞った。彼女の努力に気づきつつも、渡里はそれを無視した。彼女は背後を振り返ることもせず、大仰に溜息をついた。


「はあ」


  少女は、不愉快そうに眉を顰めた。


「キモいんだよ、お前。私と『AKIRAごっこ』をしに来たの?」


「エグザクトリー。もう始まってるかもしれない」


「は。『アニメの言葉で喋るのは恥ずかしいこと』って、親に言われなかった?」


  額に青筋を浮かべながら。心の中で『殺せ』と叫ぶその声を、渡里は押し殺していた。体の内側と外側が、ひっくり返ってしまうような、猛烈な吐き気。しかしそれを出してしまったら、彼女は『夢沢渡里』では居られなくなる。それを本能的に理解して、渡里は生唾を飲み込んだ。焦燥や苦痛を慮ろうともせず、へらへらと喋る海咲に、彼女は腹が立った。しかし花崎海咲は、渡里に追い打ちを掛けるように、尚も剽軽に振舞っていた。


「何をそんなにイライラしてるの?そういう日?」


  自身の人生の中で『最悪』な日。それを、『そういう日』と一緒にされたことが、渡里には堪らなく腹立たしかった。地獄の釜が開くように。彼女の最後の理性()が、取り払われていく。


「ムカつくからだよ…っ!お前みたいなのが、目の前に現れるから―のうのうと生きてる、お前みたいなのが!」


  全部が最悪の形で終わった後に、今更のこのこと現れて。寛恕を請うのかと思えば、始めたのは『昭和アニメの名シーンごっこ』。悪びれないその態度も、私の痛みに寄り添うことを放棄したような素振りも。その全てが、腹立たしい。夢沢渡里(わたし)を捕らえることも、救うことも、出来なかった癖に。


「決めた、不届きなお前にも裁きを与えてやる。その後で、薄汚い蛞蝓共を根絶やしにして、月の土人共に誰が神なのか分からせてやる」


「傲慢だね、人が人を裁くなどと。神にでもなったつもりかしら、この岩と砂の星で」


「そうよ、私こそ月世界の神。ならどうする?貴女も私を殺すの―海咲」


  花崎海咲は、首を縦にも横にも振らなかった。ただ、彼女は渡里を見つめていた。


私を追い込んだ連中(両親や先生)や、私を受け入れない連中(クラスメイトの奴ら)のように―」


  渡里の背中に、翼が伸びる。皮膜に覆われたそれは、彼女と内なる悪意との同化が進んでいることの証左だ。


「―私の心を殺すのかしら」


  伸び切った二対の翼は、禍々しい。品のない、粗暴で原始的な翼は、太古の息吹を感じさせる。


「月の連中を分からせたあと、地球のゴミ共にも裁きを下すの。それが神である私の役目。私という個性を排斥した者たちには、報いを受けてもらわなくっちゃ」


  演説を終えて、彼女は自身の左腕を撫でた。左手の代わりに付けられた合金製の義手の中には、強酸性の血液が循環していた。


「その役目は、貴女が望んだもの?」


  射抜くような海咲の視線を、渡里は蛇のように淫らで嫌らしい瞳で受け止めた。


「ええ、そうよ。これは私の意思。私の復讐、私の殺意。貴女に邪魔する権利があって?」


「これ以上、その蛮行を続けるつもりなら―私は私の仕事をしないといけない」


  そう言った海咲の手の中には、長大なライフルが握られていた。霊子の糸によって編まれた砲身、その銃口は眼前の怪物に向けられる。


「仕事?収容所にでも連れて行ってくれるの?」


  今更、と笑いかけた渡里に、海咲は真剣な顔で返事をした。


「貴女を殺す」


「はは」


  やってみろ。いつまでも、自分が優位だと思うな。


「海咲…っ!」


  心の底から、タールのように湧き出てきた黒いもの。『憎悪』と呼ばれるその感情を、渡里は剥き出しにした。


  裂けた口を開き、牙を見せて叫んだ渡里。そんな彼女の姿を見て、海咲は冷笑した。


「タメ口やめてよ。三下トカゲ」


  その言葉に、最後に残った理性が弾け飛ぶ。


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