14話 不死鳥
「それじゃあ、生贄は足りてるってことか?」
輸送船『TU-Na』のコクピット。席に着いているのはウォン、そして―海咲。『ハンジール』の助けを得たウォンは、フレドリッヒ基地にて自身の愛機を取り戻した。そして、ン=グィ近郊に墜落、単身ボヤ騒ぎを起こした上、件の動画を見たレン人たちに保護されていた海咲と再会した。開口一番、海咲はウォンに頼んだ。『ウボスに向かって欲しい』、と。
「生贄は足りてる。私たちは…いいえ、公爵も、見落としている。『マザー』を信じるなら―必要なのは『闘争』そのもの。そして祭壇の周りは既に、血と争いに満たされている」
儀式には、生贄が必要だ。しかし、『マザー』の言葉を借りるなら、必要なのは『生命』そのものではなく、『血』と『争い』。そしてそれは、十分に供給されているだろう。何隻もの戦艦が轟沈するような大規模な戦争は、邪神が此方を見つけるための巨大な篝火となるはずだ。
「ウォンさん、ここでいいよ」
祭壇の上空、二キロメートル。邪神のテラフォーミング範囲を超えた、ほぼ真空の宙域で、海咲はそう言った。彼らは戦火を避けるため、その高度を飛行していたのだ。
「降りるのか?ここから?」
こくり、と海咲は頷いた。
地上から、吐き気を催すような悪意が漏れている。外宇宙の悪意に対する『抗原』である花崎海咲は、その澱んだ暗闇を過敏に感じ取っていた。
「ウォンさんを巻き込みたくないの」
彼女は、くすりと笑った。その表情に、ウォンは寒気がした。まるで、海咲が海咲でなくなってしまったような―悪意が滲んでいたからだ。
「私の中にもいる、邪神の悪意に」
海咲は、格納庫を抜けて、ハッチを開いた。そして、地上に向けて飛び立った。彼女の眼下に、閃光が奔る。
「…え?」
呆けた声の主は、泥田善子。致命的なまでの、油断。背後から撃ち抜かれるまで―善子は、その少女を『敵』だと認識していなかった。
「何…で…」
困惑。苦痛や怒りに先んじて、彼女の心を支配した感情である。左肩を胸まで吹き飛ばされて、善子はぐったりと倒れ込む。洪水のような出血が、月の大地に吸い込まれる。彼女は神霊かつ妖怪であり、基本的には不死である。しかし、それはあくまで普通の死に方をした場合に限った話だ。例えば少女―夢沢渡里がレプハーンのように、食べたものを取り込む力を有していたとしたら―。
嘗て夢沢渡里であった『何か』。合金製の篭手と尾を持ち、半身が鱗に覆われた人型。耳まで裂けた口を開き、彼女は泥田善子を飲み込もうとした。
「どうしたの。揉め事?」
その背中に向けて投げられたのは、揶揄うような声色。ふわりと降り立ったその少女は、所々が裂けた黒いレースの服を身にまとっていた。
余裕を感じさせる素振りに、渡里は虫唾が走った。しかし、彼女はあくまで『神』として冷静に―荘厳に、闖入者の『寸劇』に付き合うことにした。
「ええ、でももう終わったの。もう少し早ければ見れたのに」
彼女は緩慢な動作で振り返ると、海咲に向けて微笑んだ。その笑顔は、十五歳の少女が見せるものでは無い。醜悪で、淫蕩で、そして何より、悪意が篭っていた。未来への希望に輝いていた瞳は黄色く澱んで、言の葉の一つ一つが湿気て腐った枯れ木のようにおぞましかった。少女―夢沢渡里の中には、悪意が巣食っていた。血と争いに引き寄せられた、この星の悪意が。
「…私、心配しちゃったよ」
海咲は、くすりと笑った。渡里とその中に巣食う邪神が、自身の『寸劇』に参加したことに驚きながら、彼女はへらへらと言葉を続けた。
「またぴーぴー泣いてるんじゃないかって」
小馬鹿にしたような態度で、少女はそう煽った。渡里の憎悪が、自身に向くように。決して―岩で体を繋ぎ逃げていく善子に注意が向かないよう、海咲は露悪的に振舞った。彼女の努力に気づきつつも、渡里はそれを無視した。彼女は背後を振り返ることもせず、大仰に溜息をついた。
「はあ」
少女は、不愉快そうに眉を顰めた。
「キモいんだよ、お前。私と『AKIRAごっこ』をしに来たの?」
「エグザクトリー。もう始まってるかもしれない」
「は。『アニメの言葉で喋るのは恥ずかしいこと』って、親に言われなかった?」
額に青筋を浮かべながら。心の中で『殺せ』と叫ぶその声を、渡里は押し殺していた。体の内側と外側が、ひっくり返ってしまうような、猛烈な吐き気。しかしそれを出してしまったら、彼女は『夢沢渡里』では居られなくなる。それを本能的に理解して、渡里は生唾を飲み込んだ。焦燥や苦痛を慮ろうともせず、へらへらと喋る海咲に、彼女は腹が立った。しかし花崎海咲は、渡里に追い打ちを掛けるように、尚も剽軽に振舞っていた。
「何をそんなにイライラしてるの?そういう日?」
自身の人生の中で『最悪』な日。それを、『そういう日』と一緒にされたことが、渡里には堪らなく腹立たしかった。地獄の釜が開くように。彼女の最後の理性が、取り払われていく。
「ムカつくからだよ…っ!お前みたいなのが、目の前に現れるから―のうのうと生きてる、お前みたいなのが!」
全部が最悪の形で終わった後に、今更のこのこと現れて。寛恕を請うのかと思えば、始めたのは『昭和アニメの名シーンごっこ』。悪びれないその態度も、私の痛みに寄り添うことを放棄したような素振りも。その全てが、腹立たしい。夢沢渡里を捕らえることも、救うことも、出来なかった癖に。
「決めた、不届きなお前にも裁きを与えてやる。その後で、薄汚い蛞蝓共を根絶やしにして、月の土人共に誰が神なのか分からせてやる」
「傲慢だね、人が人を裁くなどと。神にでもなったつもりかしら、この岩と砂の星で」
「そうよ、私こそ月世界の神。ならどうする?貴女も私を殺すの―海咲」
花崎海咲は、首を縦にも横にも振らなかった。ただ、彼女は渡里を見つめていた。
「私を追い込んだ連中や、私を受け入れない連中のように―」
渡里の背中に、翼が伸びる。皮膜に覆われたそれは、彼女と内なる悪意との同化が進んでいることの証左だ。
「―私の心を殺すのかしら」
伸び切った二対の翼は、禍々しい。品のない、粗暴で原始的な翼は、太古の息吹を感じさせる。
「月の連中を分からせたあと、地球のゴミ共にも裁きを下すの。それが神である私の役目。私という個性を排斥した者たちには、報いを受けてもらわなくっちゃ」
演説を終えて、彼女は自身の左腕を撫でた。左手の代わりに付けられた合金製の義手の中には、強酸性の血液が循環していた。
「その役目は、貴女が望んだもの?」
射抜くような海咲の視線を、渡里は蛇のように淫らで嫌らしい瞳で受け止めた。
「ええ、そうよ。これは私の意思。私の復讐、私の殺意。貴女に邪魔する権利があって?」
「これ以上、その蛮行を続けるつもりなら―私は私の仕事をしないといけない」
そう言った海咲の手の中には、長大なライフルが握られていた。霊子の糸によって編まれた砲身、その銃口は眼前の怪物に向けられる。
「仕事?収容所にでも連れて行ってくれるの?」
今更、と笑いかけた渡里に、海咲は真剣な顔で返事をした。
「貴女を殺す」
「はは」
やってみろ。いつまでも、自分が優位だと思うな。
「海咲…っ!」
心の底から、タールのように湧き出てきた黒いもの。『憎悪』と呼ばれるその感情を、渡里は剥き出しにした。
裂けた口を開き、牙を見せて叫んだ渡里。そんな彼女の姿を見て、海咲は冷笑した。
「タメ口やめてよ。三下トカゲ」
その言葉に、最後に残った理性が弾け飛ぶ。




