7話 コールドゲーム
そんな彼女の独白など露知らず。ハイペリオンは飛び上がると、少し離れていた場所でサイズ差数倍の相手と果敢に戦う、ジャガーの横に立った。
「イシュバランケ。助太刀はいりますか?」
「スケベダチ?もう一回言え、聞こえなかった」
「これは手厳しい」
ハイペリオンの呟きは、再びレックスの咆哮に掻き消された。
「うるさいヤツ。耳障りな声で鳴く」
そう言うと、イシュバランケはゴムボールを胴体で打つと、レックスの鼻先に激突させた。ボウリング玉と同サイズの直撃を受けたその部分には、忽ち二重丸のアイコンが刻まれる。
「そら―点差が開くぞ」
その『ゴール』を目掛けて、流星が落ちる。イシュバランケの能力は、『球戯』。互いの体を『ゴール』に見立て、ゴムボールを用いた球戯を行う。失点にはペナルティがあり、命中された位置を目掛けて上空から隕石が落下する。重力が弱い月面では、隕石の威力は激減するが、幸い『ウボスの湖』に働く重力は、地球並である。
「イシュ、バランケェェーッ!」
レックスは憤怒の色に瞳を染め上げると、背中を隆起させる。盛り上がった肉から生み出されたのは、翼のように広げられた放熱盤。踝から伸びた爪は、地面に突き刺さりアンカーとなる。彼は自らの牙を抜き放つと、長く伸ばされた舌をコイル状に巻いていく。そして青白く光るスパークと共に、自らの牙を打ち出した。
電磁誘導によって発射された『牙』は、音速を遥かに凌駕する。それは二人を目掛け、空気を引き裂きながら飛翔した。
咄嗟のことに、ハイペリオンは動けなかった。変形から射出まで、約五秒。呼び動作から攻撃を見抜けなかった彼に、弾丸を避ける術は無い。
しかし。白銀に輝く牙は、彼らを捉えることはなかった。刹那の瞬間、イシュバランケはどこからか呼び出したゴムボールを、的確に弾丸へと打ち付けた。恐ろしく速い一撃だが、来る場所が分かっているなら対処は簡単である。事前にボールを置いておけばよいだけだ。
高摩擦素材で作られた中実のボールは、相手が例え音速の弾丸であっても心強い障壁となる。弾に当たったボールは破裂、空中を踊るように吹き飛ぶ。当然その不規則運動に巻き込まれた弾丸も、明後日の方向へ飛んでいってしまうからだ。
「これで四個目だ。また『仕切り直し』とはな」
イシュバランケは何食わぬ顔で、新品のゴムボールを頭に載せていた。
「あの恐竜、お知り合いですか?」
「知らんな。蛇なら兎も角、トカゲに知り合いはいない」
それより、と彼は言葉を続けた。
「ハイペリオン、頼まれてくれるか?」
「ええ、何でしょう」
「あのトカゲ、馬鹿そうな見た目に反して厄介だ。何よりも耐久力が高すぎる。それに加えて機敏で、馬鹿力で、一度距離をとれば―」
そう言って、彼は再びボールを投げ飛ばした。
「これだ」
そのボールを、青白い光と共に放たれた牙が穿つ。
「方法は問わん。十秒動きを鈍らせられるか?」
「承知しました。肩が凝ってきたところです、少し『担いで』貰いましょう」
サングラスの奥で微笑むと彼は『天』を掴んだ。そしてゆっくりと腰を下ろしていく。それを見届けて、イシュバランケはレックスの方へと走った。
「イシュバランケ、我ガ一族ノ…仇!オレガ!討ツ!」
片言のマヤ祖語―イシュバランケの母語でそう叫んだレックスに、ジャガーは首を傾げた。大きなトカゲに知り合いはいない。しかし、大きな人間―巨人の知り合いなら居たはずだ。
「何だ、貴様。冥府シバルバーの生き残りか?それとも、ヴクブ・カキシュの子か?」
嘗て英雄イシュバランケが兄と共に倒した巨人―その名を、ヴクブ・カキシュ。彼の名前が出た瞬間、レックスは激昂した。どうやら、当たりのようだ。
「その磨かれた鋼鉄製の牙。どうやら後者のようだな」
神に成り代わろうとした、傲慢なる巨人。エメラルドの牙を持ち、力に拠って人間を支配しようとした怪物。イシュバランケら英雄の兄弟も、一度敗北を喫していた。
「許サヌ、許サヌ…ッ!」
咆哮と共に、レックスはイシュバランケに踊りかかる。ジャガーはそれを、靱やかな身のこなしで避けた。
すれ違いざまに、彼はボールを命中させる。
「『一点』」
ゴールが刻まれ、流星が墜ちる。レックスはそれを持ち前の膂力で着弾前に撃ち落とすと、牙を剥いた。イシュバランケは噛み付きを回避し、恐竜の脚の間に入り込む。
「『二点』『三点』」
続けざまに二回、ボールを右足に当てると、彼は身を翻した。
「赦せとは言わん。だが貴様らは人を殺しすぎた。だから裁かれた」
唸り声を上げ、レックスは棍棒のような尻尾を振り回した。その動きは、どこか精細を欠いていた。押し潰されるような重圧が、彼の体にのしかかっていたからだ。
しかしこの場において最も驚いていたのは、ハイペリオン司教だった。余りにも、『天』が軽すぎる。自身を除けば、嘗てこれほどまでに『天』を担いでみせた者はいなかった。
彼は知りようもないが、レックスもまた―神話体系が異なるとはいえ、名のある巨人が核となっている。巨人『シパクナー』。ヴクブ・カキシュの長男にして、四百人もの若者を虐殺した、大罪人である。
「神、生贄、沢山!同ジ事!」
足元を駆け回る黒猫を押し潰そうと、彼は片足を上げた。その瞬間、レックスはバランスを崩し転倒する。ハイペリオンは、『天』を一気に降ろした。それは、彼が持ち上げられる最大値。不敵に笑った彼に気がつく頃には、レックスの体は地に伏せていた。
「望まぬ『犠牲』など、犬死にも劣る」
その一瞬の隙を、彼は見逃さない。
「『四点』『五点』『六点』『七点』『八点』」
五回ボールを当てると、ジャガーは後退した。強引にスパークを散らしたレックスから、逃れるためだ。一旦距離を取らせ、再びイシュバランケを間合いに誘い込もうとしたレックスの体を、流星が狙う。まるで恨みを晴らすかのように執拗な流星の狙撃に、レックスは苛立った。力任せに立ち上がった彼は、再び押し潰される。力を使い切ったハイペリオンは、『ここまで』とばかりに『天』を解放した。
「十分だ、友よ」
友人が作り出した最後の『隙』。イシュバランケは、勝負を決めるため、跳躍した。流線型の身体にボールを滑らせ、的目掛けて渾身の力で打ち据える。
「『九点』『十点』『十一点』『十二点』」
呼吸も忘れるほど、騎虎の勢いで。何発も何発も、レックスの体にボールを当てていく。自らの意思ではなく、無理やり『生贄』に捧げられた若者たちの無念を載せて、彼は巨人にボールをぶつけた。
「『十三点』『十四点』『十五点』『十六点』『十七点』」
ボールを当て続けること、十七回。述べ十七回の流星を受けても尚、レックスは立ち上がった。賞賛に値するタフネスに、イシュバランケは吠えた。
「―『十八点』!」
十八発目は、レックスの額に当たった。お返しとばかりに―咆哮と共に、レックスは尻尾を一薙ぎした。巨人の膂力で振るわれたそれは、呼吸の乱れたイシュバランケを―遂に捉えた。十メートルほど吹き飛ばされ、イシュバランケは膝を着いた。
一撃で、骨を何本も持っていかれた。割に合わないとはこの事だ。
「イシュバランケ!」
ハイペリオンは、血だらけの脚に鞭を打ちながら、イシュバランケに駆け寄った。そんな彼らに向け、レックスは勝利を確信したように吼えた。地獄の門のように開いた口腔に電気が満ちていき、鋼鉄製の大牙が装填されていく。
―まずい。ハイペリオンは能力を発動すると、空気の塊により盾を作り出した。雀の涙だが、今はこれしかない。そんな彼の横で―イシュバランケは、鼻を鳴らした。
「『死星球戯』。やる気のところ悪いが、ここでコールドだ」
牙が発射される直前。最後の流星が、レックスの鼻先を強打した。不愉快そうに空を睨んだ彼の瞳に映し出されたのは、眩いばかりの光であった。十八発目の流星が呼び水となり、レックスの五体を押し潰したのは、流星群。祝福の如く鮮やかに降り注いだその数、四百。嘗て巨人『シパクナー』に殺され、英雄イシュバランケとその兄、フンアフプーと共に天に昇ったとされる、青年たちの魂。その怒りが形を為した流星群は、レックス―巨人シパクナーの一切合切を粉砕した。
「冥府で親に会うといい」
マヤ文明の球戯『ポク・タ・ポク』。その敗者には『死』が与えられる。四百発の流星群は、正しく巨人を冥府に引きずり込む死者の腕。圧倒的なタフネスを誇る恐竜でさえも、隕石の雨の前には死あるのみ。
「体はどうですか?」
自らも体を庇いながら、ハイペリオンはイシュバランケのことを気にかけていた。イシュバランケの体は人体とは構造が異なるため、少しの傷でも致命傷になる可能性を危惧していたのだ。
「む。少し休めば動けるだろう。天使がいれば解決なのだが―」
そう言って、イシュバランケは空を見上げた。レックスより遥かに巨大な水竜が、月の夜空を海に見立てて泳いでいる。鮮やかな火線と爆撃を身にまといながら、レヴィアタンはガレオン船に食らいついた。
ツテがあったのか、或いは戒めのためジャガーの姿をとっている自身のように―あの水竜こそが『彼そのもの』なのか。後者であった場合は―とても、回復魔術に期待できる状況ではない。
「あのご立派なイチモツが、どうかしましたか?」
「何でもないさ」
イシュバランケ自身、我妻天使が自信満々で『ガレオン船団は任せて』と言った時は場を和ませるための冗談かと思っていたのだが。実際にどうにかしてしまいそうなのだから、彼は大物である。
「ボ=グ殿の方は片付きそうです。我々は祭壇とやらをファックしに行きましょうか」
「口が悪いぞ、司教」
「これは手厳しい」
ハイペリオンはイシュバランケを抱えると、力を使って飛翔した。目指すは祭壇。月の命運を分ける、最後の戦いが近づいていた。




