2話 ASSAULT WAVES
『モスクワの海海戦』の少し前。解放同盟の戦士、宇宙の嫌われ者、そして天使を名乗る悪魔にジャガーに変態。その奇妙な乗合を維持しながら、輸送列車は月の大地を駆けていく。ウボスの湖はもう目と鼻の先である。
「弱いな、天使」
「くっ…」
レヴォールの女王ボ=グは、小馬鹿にするような口調で天使を揶揄した。対する少年は、癇癪を起こした。
「くそぁ!ズルしてるだろ!おかしいもん、勝てないの!」
彼はカードを投げ捨てると、乱暴に席を立った。彼らが興じていたのは、チャングである。基本ルールは簡単、伏せられた一から八までの数字が描かれたカードを捲っていき、高い数字を出した者が勝者である。また、特徴的なルールとして、先攻が初手で八を引いた場合はそのターンを勝利する。後攻が最後に八を引いた場合には、残りターンを問わず問答無用で後攻の勝ちである。後者は滅多にないが、前者は度々起こる。したがって、月のレン人の間では、このような言い回しが存在する。『チャングより易い賭けだ』、と。
「お、愚弄するか?我らレヴォールを。高くつくぞクソガキ」
「何だと〜インチキ女王が〜!」
今現在彼らが置かれている状況は、チャングで最後に八を引くより遥かに難しい。列車はクレマトリオムの崩落に巻き込まれず、レヴォールと友好関係を築き、そして。
「速報だ!やりやがった…『ヘイロー』が堕ちた!本当にやりやがった…あいつら…っ!」
不可能に思われていた、『ヘイロー』の撃墜。涙ぐみながら、情報部所属の男は報告した。
「やりますね、海咲さん」
「当然だ」
「いや、良くやったよ。本当に」
天使たちは、口々に海咲とウォンの事を称えた。そこには、確かな一体感―絆があった。月面では有り得ないはずの『追い風』を、彼らは背中に感じていた。
「『ウボスの湖』まではどれくらい?まだ重力は効いてないかな?」
天使が車内電話でそう尋ねると、機関士を担当していた男性から連絡が帰ってきた。
「あと十分ほど。現在コンマ5Gほどですが、重力装置を切りますか?」
お願い、と天使は返した。崩壊したクレマトリオムでも重力装置は作動していたとはいえ、レヴォールたちは元々低重力下の区画で活動していた。彼らには、先に1Gの世界に慣れてもらう必要があった。
がたん、と電車が揺れた瞬間に、彼らの体が浮き上がる。ボ=グとイシュバランケは椅子にしがみついた天使の両腕にそれぞれ掴まり、事なきを得た。天使はと言えば、二人に掴まられたせいで両手が塞がり、外れた受話器の直撃を受けた。顔を✕印のようにした少年を、ボ=グは揶揄うように笑った。
「ふん、軟弱…」
「お前のせいだろ〜!?」
わあん、と泣いた天使に追い討ちをかけるようにして、車内に耳を劈くようなアラートが響き渡った。興奮した一部のレヴォールが耳障りな叫び声を上げる中、一時的に車掌を務めていたレン人の男の声が響く。
「前方で交戦あり!ガレオン船同士が争っています!」
天使は自身の鼻先を強打した受話器を取ると、司令部に向けて電話をかける。
「識別信号は?」
「ウボスを背にしているのは第二艦隊、『祭壇』側および北東から迫っているものが第一艦隊と幽閉機関です」
「…仲間割れか、あるいは」
「ヒライ司令でしょう。正に、彼らは『獅子身中の虫』を引き入れてしまったに違いない」
ハイペリオンの考察に、天使は大きく頷いた。
当のヒライは、焦燥に駆られていた。自身の『サイサリス』はガレオン船六隻と『ゼフィランサス』を抑えるので精一杯だ。ダナンのガレオン船も、第一艦隊の残存兵力と交戦している。恐らくは、更なる増援も寄越されているに違いない。戦況は、芳しいとは言えなかった。
「急げ、このままでは持たんぞ…っ!」
陸上戦艦が祭壇に辿り着くまでには、凡そ十分を要する。潜航が可能な代わりに機動力が欠けていることが、作戦遂行の上で大きな妨げとなってしまっていた。
「ウボスより敵増援です!」
予想より早い。報告を受けたヒライとダナンは歯噛みした。当初の予定であれば、歩兵含む陸上兵力を中心に編成された第三艦隊は、クーデターにより掌握された軍部の解放に手間取ってくれる手筈であった。しかし、彼らの思惑とは裏腹に、第三艦隊は『クーデターを無視』して追ってきた。恐らくは公爵の指示だろう。
ウボスから現れたのは、歩兵を運搬する陸上強襲艦四隻、そして陸上戦艦を攻撃する対潜装備に秀でた陸上駆逐艦二隻であった。
それらはエサム級を遥かに凌ぐ速度で粘菌の湖を渡り、鈍重な『亀』に肉薄していた。
「計算出ました!五分後に我が方陸上戦艦と接触します!」
マズい。ヒライは唸った。第三艦隊を蹴散らすのは簡単だが、フライ率いる幽閉機関がそれを許してはくれないだろう。今から回頭したところで、攻撃を行う前に背後から致命傷を受けかねない。
「敵増援!識別信号…クレマトリオム…輸送列車!」
「あれか…!」
モニタに映し出されたのは、彼らとも因縁の深いクレマトリオムの輸送列車。ハリネズミのように武装を逆立てたそれが、戦場に向かって走ってくる。ヒライは内心で舌打ちをした。こちらが攻勢を仕掛け過ぎたせいか、輸送列車は陸上戦艦とも渡り合える重武装だ。今この場に現れたことは、最悪としか言い表せない。
「…通信です!クレマトリオム所属輸送列車からです!」
「繋げ」
人質をチラつかせて、降伏を迫るつもりか。それならば、すぐに通信を切ってしまおう。今は一刻を争う状況だ。そんな交渉に時間は割けない。
「…お。堂に入ってるね、ヒライ艦長」
彼の予想を裏切って。画面に現れたのは、中性的な少年の顔だった。
「ワガツマ殿!」
「助けに来たよ。ウボスからの連中は此方で対処しよう。歩兵の勝負ならこっちの方が強い」
そう言った天使の背後には、レヴォールが這っていた。それを見たヒライは、焦ったように叫んだ。
「背後にレヴォールが…」
「画面の下にもいるよ?」
くすりと笑って、彼は通信端末のカメラを下げた。そこには、天使の乗騎となったレヴォールが映っていた。
「事後報告で申し訳ないけど、僕たちは彼女ら『ル=リューリュ族』と同盟を結んだ。海咲はレヴォールと仲が良くてね。類友ってやつ」
半ば呆然としていたヒライは、直ぐに深々と頭を下げた。
「忝ない…!恩に切る!」
「女王陛下曰く『何。次いでだ』…とのこと。健闘を祈るよ、ヒライ艦長。『後顧の憂い』は、任せておいて」
「頼む…!」
通信を切ると、天使はレヴォールにしがみついた。手触りは海老の甲殻に近い。特段変な匂いもないければ、動く時に上下に揺れない。人によっては馬より快適かもしれないな、と天使は思った。
「女王陛下、一番槍は譲ります」
「いい心掛けだ。男は三歩下がって女を立てろ」
天使の横。大槍を構えたボ=グは、口吻を突き出して笑った。彼女は高揚していた。久しぶりに―『獲物』にありつける。
「ル=リューリュ=カ!ヴァサ=リィー!」
頭痛がするような特大のテレパスと共に。敵増援による挟撃に割って入るような形で、列車は湖に突貫して行く。全砲門を開き、一斉射撃。敵が怯んだその隙に、速度をそのままに全コンテナを開放する。獣声と共に、レヴォールと彼らに騎乗する同盟の戦士たちが駆け出していく。




