8話 鳥でもなく、飛行機でもなく
二つ目の岩山は、クレマトリオムと同時に吹き飛んだ。恐るべき、ヘイローの威力である。一瞬で半分が溶け落ちた基地を目撃し、ウォンは固唾を飲んだ。元々は味方ごと敵将を葬るための非人道的な兵器であったようだが、人一人に『アレ』を使おうとしたというのは肝が冷える話である。嘗ての革命軍には、人外の将兵がいたと伝え聞くが―比喩表現ではなく余程の化け物であったに違いない。正しく、怪獣か何かだったのだろう。
「二つ目、消失した!」
ウォンの声は、殆ど悲鳴に近かった。彼の絶叫が響き渡った貨物室にも、緊張が走る。
しかし。泥田善子は、冷静であった。彼女は少し気力を取り戻すと、岩造りの艦内をするりと移動し、管制室にいるウォンの元へと向かった。
「善子、何でここに?」
「あ?聞こえないんですよ、貴方の声が。次ぼそぼそ話てみなさい、ぶち殺しますからね」
「そんなに小さいかな、声」
「はい?」
荒い呼吸を混ぜ込みながら、彼女は聞き返した。ウォンを睨めつけると、彼女は手近な椅子にもたれかかった。零れる血が、椅子のマットに染みを作っていく。
余力は、残りわずか。自分の能力を過信した訳では無いが、調子に乗って上等すぎるデコイを作ってしまったことは悔やまれる。
刺すような頭痛に苛まれながら、彼女は空を映すモニタを睨んだ。死に瀕するほどの消耗で、泥田善子の瞳は再び生気を取り戻した。まるで画面の向こうの射手を挑発するように―獰猛に口元を歪め、少女は吐き捨てた。
「狙えるものなら、狙ってみなさいな」
土煙を立ち昇らせながら月面を走る岩山。ヘイローの照準が、最後の一つを捉えた。
「エネルギー増大、来るぞ!総員、衝撃に備えろ!」
天使の輪が、光を放つ。周囲に展開された子機による霊子場制御。それによりもたらされる力場は、ターボ・レーザーを過剰なまでに収束させた。艦砲射撃に換算すると十五発分のターボ・レーザー粒子は、善子の操る巨大な岩の塊を容易く蒸発させた。後には、月の地表に穿たれたクレーターだけが残った。巻き上げられた土煙ごと、岩山は影すら溶けて消えていった。
仕事を終えたヘイローは、エネルギーを解放する。旋回していた子機は動きを止め、無機質な青い光がゆっくりと消えていく。
その様子をモニタ越しに確認し、少女は中指を立てた。
「ばーーーーーーーーか♡」
攻撃は、完全に止まった。つまり、彼らは作戦行動を終了させたのだ。『ガーイェグ』を、撃破することなく。
光の輪の狙撃によって、全ての岩山は完全に破壊された。そう、破壊されたのは、本当にただの岩山である。
彼らの旗艦は、地中にあった。
「頭よわよわのカスを騙すのは、気分が良いですね〜♡」
その言葉を最後に、泥田善子は昏倒した。
「何を言っている…?」
作戦を聞いたヒライは、首を傾げた。泥田善子の言葉が、理解できなかったからだ。
「あら、パパほどではないですが、ナイスミドルなおじさま。でもお耳が遠いのは残念ですね〜?もう一度言って差しあげましょうか〜?」
善子のメスガキ仕草を無視して、ヒライは我妻天使の表情を伺った。翻訳魔術の不具合を疑った彼は、我妻天使に通訳を求めたのだ。彼の期待に反して、天使は肩を竦めた。
「…すまないが、確認させてくれ。君はこう言ったのかな?月の大地にガーイェグを潜航させる、と」
泥田善子はにへらと笑い、頷いた。挑発的な言葉を述べようとした彼女を制して、海咲はヒライに説明をすることにした。
「善子さんはシリコン系の鉱物中に潜れるんです。ところで、善子さんは今、裸じゃないですよね?」
泥田善子は、丁度海咲たちがクレマトリオムで着せられていたような、ウェディングドレスに近い純白の衣装を身にまとっていた。腰から下は見えないが、彼女は大きめのスカートを履いており、ソックスの上から靴まで履いていた。しかし、その全ては地面に沈みこんでいた。
「ええと…。つまりこう言いたいのか―『彼女は体に触れているものなら、何でも地面に引きずり込める』」
彼がそう言うと、ヒライの前にあったテーブルが、地面にずるりと沈み込む。突然のことに驚いた彼らを嘲笑うかのように、褐色の少女がひょこりと顔を出す。泥田善子は、テーブルの上に顎を載せると、片方の眉を釣り上げた。
「その通りです〜。よちよち、よく理解出来ましたね」
その様子に、トウモロコシで懐柔されていた幹部たちは、腹立たしげに唸った。慌てて善子を窘めようとした海咲は、ヒライによって制された。
「すまない、失礼した。君たちの種族には明るくなくてな。作戦についての説明を続けてくれないか」
年相応に大人びた、百点満点の回答。ストレスチェックは、合格だろう。善子の様子を見て、海咲はそう判断した。
にやにやと笑うと、善子はテーブルを持ち上げ、手を離した。まるで何事も無かったかのように、テーブルは地面に乗っていた。
「ふふん、お勉強になりましたね〜。それでは、話を続けますが―」
ゆっくり、そして確実に。クレーターの端に生じた破片を演出しながら、『ガーイェグ』は浮上した。地下五十メートル付近に潜行していた輸送艦は、分速二メートルで地表へと顔を出した。攻撃が止まったことは、すぐさまウォンの口から艦内に伝えられた。彼らは、地表を睥睨する厳格な神の使いの視線から、逃げ切ったのだ。
エンジンに火を入れ、最初岩山をけしかけたときのような鈍重さで、ガーイェグはフレドリッヒ基地に向け走り出した。
泥田善子は、五分ほどで目を覚ました。容態は芳しくなく、少なくとも介助は必要であった。同乗していた船医を呼び出すと、ウォンは善子を担ぎ上げた。そうしなければ、下の階はおろか彼女は月の中心目掛けてどこまでも深く沈んでしまうからである。
彼女は鼻血を垂らしながら、辛うじて意識の手網を握っていた。泥田善子は、持てる妖力の殆どを使い切っていた。半神の霊格を持ってしても、旗艦『ガーイェグ』のダミーを展開し続けるのは、骨の折れる作業だったようだ。
船医を連れ立って管制室に現れたのは、イシュバランケであった。諍いはあったが労いの言葉の一つでも、と思っていた彼であったが、善子の様子を見て考えを改めた。
少女には、最早数時間前の覇気はない。最後の空元気も、ガーイェグを無事に地表に返すための工作―ヘイロー着弾と同時に、不自然にならない範囲で『ささくれ』を作り出した際に使い切った。彼女はイシュバランケを含む全員の命を預かり、そして守り抜いた。自らの命の火と、引き換えに。この少女に敬意を表さずして、誰を称えられようか。
「泥田善子。すまない、貴様を誤解していた。どうやら、口先だけではないようだ」
善子は浅い息を繰り返すだけで、答えることはなかった。彼女は虚ろな瞳で一点を眺めており、元々土色であった肌を更に土気色にさせていた。彼女は半妖半神であり、生物学的な『死』を迎える種族ではないのであるが、逆説的に死に相当する苦痛すらも全て飲み込まねばならなかったのだ。
続けて言葉を紡ごうとしたジャガーであったが、彼がその一言をかける前に、善子と目が合った。
「―あ?何か、言ってます?すみません、耳、死んでて…」
鼓膜がちぎれかけた彼女の耳からは、赤黒い血液が零れていた。ミサイルの直撃による、突発性難聴。空間転移の『目印』として、本物のガーイェグの真上に存在していたデコイの岩山。ガーイェグを吊り上げるストッパーとしての役割も果たしていたそれに、彼女は幾度となく修繕のための出張を強いられた。その道中、岩山を狙うミサイルの爆発を、善子は何度も至近距離で受けていた。彼女の回復力は、それほど高くない。鼓膜も、三半規管も、一度土に沈んでしまえば二度と浮上できないほどに、損傷しきっていた。それでも、彼女はやり切った。彼女を支えたのは、気力。そして、山より高いプライドだった。
「泥田善子。レンの民に代わり、礼を言おう」
傲慢にもレンの民の代表を名乗る『神の息子しぐさ』については、目を瞑ろうと善子は思った。務めを果たした善子に対し、礼節に則り頭を下げたイシュバランケだったが、当の彼女は無礼にもふいとそっぽを向いてしまった。
「ふん…にゃーにゃー言ってますけど、何も聞こえてないですよ」
本当は、聞こえているのだが。疲労と気恥しさは、彼女にそう嘘をつかせた。人に悪意を向けられることには慣れているが、好意は素直に受け入れられないのが、泥田善子という少女である。彼女は態とらしく咳をすると、話題を変えようと試みた。
「因みに、『対空地雷』はどこへ?ヘイローに巻き込まれてその辺で死んでる、だったら面白いですけど」
頼まれたので、取り敢えず外に出す手伝いだけはした。彼女の目的は不明だ。というか、彼女が何を言っているのか明確であった試しがない―と善子は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「すぐに確認する」
ウォンは部下に命じて船外を映すカメラを操作させつつ、自身は通信機を手に取った。トライアドに通信をした彼であったが、返事はない。海咲は小回りの効かないトライアドを格納庫に残したままであり、彼の通信は格納庫の中で虚しく響くだけであった。
「参ったな。ハイペリオン神父、そちらに我妻天使はいるかい?海咲は何を探しに行った?…うぉあ!」
花崎海咲との通信を諦め、格納庫へと連絡をした彼は、扉の開く音で飛び上がった。管制室の扉はアナログ稼働の重い金属製である。それが勢いよく開かれて岩壁に激突したのだから、小心者の彼が飛び上がるのは仕方のないことだ。
「ハイペリオン氏より伝言です…っ、我妻天使氏が、おりません…!」
飛び込んできたレン人の男は、肩で息をしながらそう言った。遅れて、ハイペリオンもその場に現れる。
「すみません、一つ追加の情報を。コンテナの下部、彼がいた付近に血痕が」
男の後を着いてきた彼であったが、先行していた伝令役とは異なり呼吸は落ち着いていた。司教は冷静に、船外カメラを操作していた男に声をかけた。
「クレマトリオムの方向でしょう。地表近く、何か見えませんか」
我妻天使だけでなく、花崎海咲も行方不明。ウォンは酷く狼狽した。彼は魔術には明るくないが、術式発動の際に何らかのトラブルが発生したに違いない。そして彼は座標の変わった船内に戻ることができず、クレマトリオム崩壊に巻き込まれてしまったのだろう。
「嘘、海咲さんも…?」
自分が、船を動かしてしまったから。泥田善子は、自責の念に駆られそうになった。しかし、彼女は空元気の勢いのまま、くすりと笑った。
「…死んでるなら、線香の一つでも…」
「おい、貴様…」
死者を冒涜するつもりか、と言いかけたイシュバランケであったが、彼はすぐに押し黙った。船内にアラートが鳴り響く。
「未確認の飛翔体が接近!」
管制室に緊張が走る。やはり、易々と逃がしてくれないようだ。
「数は!」
即座に対応を始めたウォン。狼狽えた様子の管制官は、悲鳴に近い声で叫んだ。
「一です!映像出ます!」
モニタには、紡錘形の何かが猛スピードで迫っている様子が映し出されていた。地表際を光の尾を引きながら翔けるそれを見て、ウォンはミサイルを想起した。
「迎撃装備…いけるか!?」
「いけます!」
「では…」
発射、と言いかけたウォンは、椅子から転げ落ちた。震える手で半身を持ち上げた善子が、彼を引き摺り落としたのだ。
驚いて手を伸ばした医官を抱き込んで支えにしながら、彼女は消え入りそうな声で呟いた。
「…発射準備そのまま。カメラ近寄せて。魔力反応探知レーダーをかけなさい」
「…ええと」
まだ耳の聞こえない彼女であるが、ブリッジクルーの面々が手を止めていることは理解出来た。はあ、と溜息を付くと、彼女は笑顔を作る。
「頭よわよわなのに加えて、言われた通りにもできないんですか〜?仕事する気あります?辞めますか〜?」
メスガキハラスメントをすると、乗組員たちはもたもたとした手つきで指示通りに動き始めた。
「こら、善子―一体何を…っ!」
そう言いつつ体を起こしたウォンは、モニタを凝視した。映し出されているものは、紡錘形のシルエットに、二つの翼。幽閉機関の新兵器でなければ、あれは。
「あれは…鳥?」
頓狂な声でそう零した彼に、ジャガーは怪訝な顔を向けた。
「…阿呆か。飛行機だろう」
続いて探知レーダーに映し出されたのは、飛行機を思わせる細長い胴体と翼。そして、魔力反応を表す二つの玉が描かれていた。
「棒と二つの玉―あれは正しく」
「海咲さん、現在進行形で頭勃起司教に男性器扱いされてますけど、今どんなお気持ちですか〜?」
艦長席から手動でオープン回線を開くと、善子はそう言った。電波に乗せて周囲に拡散された善子の声に、謎の飛翔体が答える。
「許さない。法廷で会いましょう」
声の主は、花崎海咲。彼女はそう答えると、アクセルを緩めて減速を始めた。
「包茎〜?天使がですか〜?」
「気に病むことではありませんよ」
「うるさいなあ!うわーん、怪我人を虐めるな〜」
哀れむようにそう諭したハイペリオン。彼の言葉に対してぎゃん、と吠えると、我妻天使は再びぐったりと海咲の体にもたれかかった。
「天使くん、失血でノイローゼ気味だから虐めないであげて。格納庫にお医者さん呼べる?」
海咲にそう尋ねられ、ウォンは真横を振り向いた。まだ鼻血が止まらないようで、善子の顔色も依然として優れないままであった。
「いや、善子が…」
そう言いかけた彼を、少女は手で制した。彼女はウォンの懐に入っていたハンカチを勝手に奪うと、顔に当てた。
「呼べます。ね、ウォン」
「俺のハンカチ…」
みるみると赤く染まっていく自身のハンカチを見て、彼は溜息を付いた。




