閑話 夢の終わり
同時刻。『ウボスの暗き森』。森とは名ばかりのこの場所には、細く捻くれた黒い菌糸類が、高く幹を伸ばしていた。足元には、コールタールのような粘性の大地が広がっており、大小様々な甲殻類が蠢いていた。
拳大の節足動物たちは、踏み降ろされた足を避けるようにして散っていった。ヘドロのように柔らかい地面に、足跡が刻まれる。粘液の滴る菌糸の枝の間を、白装束の一団が歩いていく。先頭に立つのは、スリットの入った網目状の白タイツに身を包んだ、ムーン・ビースト。彼は儀礼用に装飾を施された七色に輝く櫂を掲げながら、ひょこひょこと器用に歩いていた。
その背後に続くようにして、同様に白布の卑猥なタイツを着せられた、夢沢渡里の姿があった。彼女は首輪の代わりに重い開口器を取り付けられており、舌に繋がれた鎖を引かれていた。尾骨から伸びる金属製の長い尾が、粘性の地面に線を引いていく。そして、彼女の左手があったはずの場所には、代わりに金属製の義手が取り付けられていた。
万物の頂点たる『神』が。斯様に不自由であるものか。囚人のように引き回され始めてから、既に一時間が経過していた。目的の場所は、告げられていない。
否―辿り着くことが目的では無いのだろう。朦朧とした頭で、渡里は思った。これは、儀式なのだ―『私』という『個』を希釈して、彼らの望む無垢な『器』に作り替える為の。
足を滑らせ、彼女は倒れた。白いドレスに、憎悪のような黒い粘液がまとわりつく。それを見て、鞭を構えた神官が、彼女の元へと走り寄る。知覚種族の精神を侵すその拷問具は、可能な限り出力を抑えられているとはいえ、幼い渡里には一度打ち据えられれば最低でも失禁は免れないほどの凶器である。小さく悲鳴を上げた渡里。しかし、鞭が振るわれることはなかった。
彼女の体は、何者かに蹴飛ばされた。それが、鶏冠を有する爬虫類の女―プトーリアの仕業と気がついた頃には、彼女は腹を抑えて蹲っていた。
「お立ち下さい、主よ」
少女は産まれたての子鹿のように、懸命に体を起こそうとする。
彼女は、私を『主』と呼んだのか。ならば何故、私を助けてはくれないのだろう。誰も、手を貸してくれないのだろう。やはり私は神そのものではない。ただの都合良い『器』であり、『道具』なのだ。
翼を持つ女に右手を掴まれ、彼女は無理やり立ち上がらされた。彼女に小突かれるまま、渡里はふらふらと歩き出した。それを確認して、ハゲタカの様に『折檻』のタイミングを見極めていた神官は、渡里から離れていく。
ぬかるんだ足元は、渡里の体に疲労を蓄積させていく。徐々に覚束無くなるその足取りを眺めていた『公爵』の傍に、品のない黄金を身にまとった蛇人間が馳せた。何が面白いのか―彼はくつくつと笑うと、口を開いた。
「公爵。監視衛星『ガルガリ』から入電です。クレマトリオムは陥落。監督から当該施設に対するヘイロー発砲許可が求められております。更に、くく…いや失礼。ゼーベックめが死にました」
嫌らしいほどに恭しく、そう報告を口にしたレプハーンに、公爵は口元の触手を向けた。同僚の死を喜ぶように報告した彼に辟易すると、彼は通信機を作動させた。
「『監督』。公爵の名の元、発砲を許可します―『夢から覚める時が来ました』」
『理想』を追い求めた日々。彼らの『同化』に託す真摯な想いが、クレマトリオムには込められていた。公爵は名残惜しそうに通信を切ると、彼らの神に祈りを捧げた。最後の一射は、彼らの『クレマトリオム』に。彼方に望む星空の下、公爵は光の柱を見届けていた。




