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水縹に咲く二ロトパラ  作者: 山野悠太
第1部 2章 『夢の終わり』
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6話 Erection Heart

  時は十分前に遡る。


  イシュバランケから報告を受けた泥田善子は、開いた口が塞がらなかった。目的は達成、あとはサブクエストを消費して帰るだけ―それを、更に十五分も耐え抜くなどと。工業製品の設計に『安全率』が設けられているように、作戦の立案にもある程度余裕は設けている―とは言え、失敗する可能性は出来る限り排除するべきであり、態々危険を犯す必要は皆無である。


  皆無であるはずなのだが。


「あの…人たち、何考えて…るんです?信用して…損しました」


  善子は脂汗を浮かべながら、眉を顰めた。彼女は苦しそうに呻くと、額の汗を拭った。何十分も妖術を展開し続け、彼女は消耗していたのだ。本当なら、今すぐにでも引き返したいのだが、仲間を置いていくことはできない。


「クソ…」


  船体が大きく揺れる。泥田善子は、時計を睨みつけた。報告を受けてから、五分経過した。我妻天使は、まだ帰って来ないのか。


  岩山に砲撃が当たり、上部が崩れて半壊した。すかさず、彼女は破損部分を修復する。


  妖力は残り少ない。正直、限界だ。これ以上は、作戦の成功が危うくなる。


「海咲…さん」


「ほい」


  通信回線を開くと、善子は次の指示を出す。


「お願いしても、いいですか」


「もち」


  天使には悪いが、ここまでだ。善子は、ガーイェグを移動させる。万が一にも、巻き添えを食わないようにするためだ。


  あの戦艦は―撃ち落とさせてもらう。




  『ヘイロー』の照射を警戒して、トライアドは低空を張り付くように駆けていた。二分程度の間隔で、頭上遥か彼方から光の束が降り注ぐ。それは幽閉機関の戦艦を掠めつつ、的確に岩山を穿っていた。戦艦はと言えば、クレマトリオムをターボレーザーの雨によって焼き崩していた。どうやら公爵は、悪辣な実験の証拠を一つたりとも残したくないようだ。


「まずは―」


  戦艦との距離を測ると、海咲はトライアドのブレーキを強く握った。逆噴射と共に、機体に急制動が掛けられる。慣性力の暴力により、肺が圧迫される。明滅しかける意識の中で、少女は左グリップのボタンを押し込んだ。


  主砲の下部から射出されたダーツが、不用意にトライアドの前に躍り出た敵機を貫通して爆ぜる。螺旋を描くようにして堕ちていく円盤を、彼女は視界の端に捉えた。


「ひとつ!」


  海咲は続いて、真後ろにぴったりと着けてきた敵戦闘機に狙いをつける。兵装架のアハト・アハトは、魔術によって編まれたものである。つまり、兵装架など見た目だけのものであり、実際には―兵装の固定などされていない。


  八門の砲塔全てが、兵装架より射出される。夜空を翔


 ける鳥のように、長い砲身がトライアドの周囲を旋回する。それらは前触れもなく真後ろを振り向くと、一斉に火を噴いた。


「ふたつ!」


  予想外の攻撃に、戦闘機は機体に幾つもの風穴を空けて墜落していく。最後の一機、隊長機らしきブレードアンテナ付きの円盤は、旗色の悪さを感じ取り、逃げるように旋回した。収容してもらう腹積もりなのか、戦艦に向け舵を切った敵機。その背後を、今度はトライアドがぴったりとついて行く。パイロットは生きた心地がしなかっただろう。何せ、ナイフを背中に突きつけられているような状況である。


  しかし、操縦者の予想に反し『ナイフ』は眼前から投げつけられた。幽閉機関月面支部所属ステム級対地攻撃艦三番艦『ブラックローズ』、その艦長を務めるムーン・ビーストは『教授』と呼ばれていた。彼は向かってくるトライアドに対し、即座に撃墜命令を出した。『射線上に味方機がおります』などと気の利いた提言をするような勇気ある兵士は、生憎と艦橋にはいなかった。味方の対地砲火に貫かれ、隊長機は文字通り火の玉となった。


「みっつ!」


  ハンドル前のタコメーター、その中心にあるゲージ。その三つ目が点灯する。彼女がカウントしていたのは、撃墜数ではない。トライアド―その主砲のチャージは、最大で三段階。ライダー<海咲>から吸い上げた魔力が、大容量のエーテル・コンデンサ内で暴れ狂っている。


  海咲は左グリップのボタンを押下する。緑、緑、青。誤射防止の、三段階認証である。旧式の『代車』に搭載されているのは、試作品。制式採用された複合衝角(バスター・ラム)『紫電』の破壊力は、プロトタイプの比にならない。


「吶喊します!」


  主砲先端から楔型に射出されたエーテルビーム。広げられた励起エーテルの傘を纏い、トライアドが月の空で一筋の光となる。対地砲火の弾幕など一切気にもとめない圧倒的なエーテル密度。赤い鏃が、戦艦の腹部を食い破る。『震電』による加速で極超音速となった矢は、そのまま船の体内を貫通し、ブリッジまでを一直線に融解させた。


  艦内の空気が外に溢れ出し、爆発が連鎖的に発生する。隔壁は降り、即時撃沈は免れたようだが、指示を出す船頭がいなければ、船は海を渡れない。砲火は続いているが、狙いはどれも明後日の方向を向いていた。エンジンは息をしていたが、平衡感覚は狂い始めていた。ゆったりと回転し始めた戦艦の機関部に、アハト・アハトを八発叩き込むことは、赤子の手をひねるほどに簡単な仕事であった。エンジンの一つが爆発し、寿命を迎えた鯨のように、戦艦が地の底へと沈んでいく。


「変態司教、あとは貴方の仕事ですよ」


  脂汗を浮かべながら、善子は一人そう零した。聞こえているはずはないのだが、低空を飛行していたハイペリオンはぐっと頷く。


「お見せしましょう、英雄の力を」


  このまま船が落ちれば、岩山は全て潰されて終わりである。それどころか、未だクレマトリオム内に残る我妻天使も無事では済まない。それ故に、『英雄』が必要であったのだ。崩れ落ちる空を支える、英雄が。


挿入(イレ)クション―オン」


  天空教に伝わる秘術。それは、五体の男根化。彼の全身の血流が、唸りを上げるエンジン(第二の心臓)によって加速する。毛細血管は悲鳴を上げ、彼の浅黒い肌はより黒く染る。青く浮かんだ血管は、まるで戦化粧。


「ぬおおおおおおおおっ!」


  ハイペリオンは、野獣のように咆哮した。脳に流れ込んだ大量の血液は、寧ろ思考を阻害していた。しかし、そんなことは些末な問題である。何故ならば―男は下半身で物事を考えているからだ。


  月の重力は地球の六分の一とは言え、破壊されたエンジンの爆発によって、戦艦は地表に向け完全に舵を切ってしまっていた。クレマトリオムの中央に聳える塔に、艶めかしい蜥蜴のフィギュアヘッドが接触する。しかし、施設を巻き込みながら沈没すると思われた船は―月から百メートルの位置で静止する。


  蜥蜴の女神をあしらった船首像。その胸を、司教は鷲掴みにしていた。黒く勃起した両腕を上げて、彼は墜ちる空を受け止めた。


「信じられん、人の膂力で止まるものか?」


  その様子を船内のモニタで見ていたイシュバランケは、空いた口が塞がらなかった。数千トン―下手をすればそれ以上は下らない、巨大戦艦。おまけに、エンジンで加速している状態である。空どころか隕石を、司教は受け止めて見せたのだ。


「おおおおおおおおっっ!」


  彼は下半身に力を込める。軋みを上げる大腿は、張り裂けんばかりに膨張した。ハイペリオンが腰を持ち上げ、空に向かって伸びた無色の階段を登る度に、戦艦が徐々に後退していく。


「おお、やってみる価値があるもんだ」


  セクハラ発言からは想像もできない神秘である。呆れた顔で、海咲はそう呟いた。


『英雄的苦行』。前述したアトラス神の権能にして彼の有する最大の異能。空、雲、そして巨大な戦艦。頭上を覆う物体の一部分を『天』と定義し、固体としての性質と架空の質量を付加―『天井』とする能力である。当然の事ながら質量のある物体を支えるには相応の膂力が必要であり、『天』として再定義・再計算された戦艦の仮想質量は、彼の全力と丁度釣り合っていた。


「ぬうぅぅぅぅ!」


  理論上は可能、過去には崩れたビルを支えたこともある。しかし、相手は見慣れぬ巨大戦艦。無意識的に、彼は空を覆う『鋼鉄の塊』に対して過大な質量を付加してしまっていた。


「止まった…?」


  海咲は首を傾げた。当初の予定では、このまま月の重力圏から離脱させる手筈だ。何も、基地の上で工芸品宛らの端正な釣り合いの関係を作りたい訳では無い。


「静的荷重っていうのも、響きがやらしくて嫌だな」


  そう独り言を呟いた少女は、トライアドの後部からアンカーを射出した。低重力環境下における牽引用のそれを、戦艦の適当な位置に引っ掛ける。そしてそのまま、彼女は星空に機首を向けた。


「たかが宇宙戦艦一つ!」


  変態が押し出してみせる。スロットル、全開。トライアドに取り付けられた震電が、青白い光を放つ。


  司教が咆哮を上げた。戦艦の仮想質量に比べれば、トライアドの馬力など、微々たるものである。それでも、釣り合った均衡を破壊するには十分過ぎた。ハイペリオンの腰に力が込められる。スクワットの要領で体を持ち上げた彼は、そのままハイペリオン神の力により地表に霊子を叩き付けながら上昇していく。『ブラックローズ』にヘイローの光が降り注ぎ、外部装甲の大部分が破壊される。それでも、一撃で溶解する訳ではない。堕ちた戦艦を盾として、退却までの時間を稼ぐ。それが、善子の立てた作戦であった。


  海咲に引き摺られるようにして、戦艦『ブラックローズ』は月の重力の手を離れていく。そうなれば、あとはトライアドの推進力でも牽引可能だ。『ブラックローズ』を月外縁軌道に放り投げると、海咲は基地へと戻る。


  クレマトリオムに聳える尖塔の上、鬼の形相となったハイペリオンの体が萎びていく。コンドームのように伸縮性のあるスーツで良かった、と彼は息を吐いた。筋肉の隆起によりスーツが破けるのは、世紀末は兎も角宇宙空間では致命的だ。


  宇宙戦艦が星空に向けて放り投げられていく様子を、天使はシャッターから顔を出して眺めていた。あわや『ヘイロー』に狙い撃たれる愚行であったが、それでも彼は不安のあまり頭を出さずに居られなかった。幸い、三隻の『ガーイェグ』はそこにあった。どうやら、置いていかれた訳では無いらしい。


  半ば反射的に、彼は信号を放った。強烈な光を放つ魔術弾が、長い尾を引いて天に上がっていく。花火のように爆ぜたそれを目掛けて、海咲は旋回した。


「天使くん!?まだ居たの?」


  ぶんぶんと腕を振る我妻天使の姿に、少女は狼狽した。万が一にも戦艦が堕ちていた場合、間違いなく彼の命はなかったのだ。


「能天気なものでね。仲間を信頼してる」


「パワー」


「それは能天使」


  先程までの心配を棚に上げ、彼は笑った。事の次第を海咲に説明し、彼は後ろを振り返った。まだ命のあるレン人たちが、凡そ五十人。一人一人逃がすのは、骨が折れそうだ。


「移動式のコンテナは?あれ使えない?」


「コンテナ?」


  かくかくしかじか―と言いかけた天使たちの前に、件のコンテナが突き出される。ハイペリオンは鋼鉄の塊をシャッターの前に放り投げると、バイザーの裏で目配せをした。


「ゆりかごが必要と思いまして」


「ゆりかごって卑猥な単語だっけ?」


「これは手厳しい」


「手厳しいは卑猥な単語だよね」


  言語感覚が麻痺し始めた天使を無視して、海咲とハイペリオンは捕虜の誘導を始めた。簡易的な結界術で気密性を確保すると、コンテナの入口とシャッターに開けた人間大の穴を繋げる。


「そういえばさっき、空間転移が不発だった」


「今はもう大丈夫。船は元の場所にあるよ」


  それは良かった、と天使は頷いた。彼は冗談目化した表情で、海咲を小突いた。


「それで引っ張って飛べないの?海咲」


「うーん、中でシェイクになるけど、大丈夫そ?」


「ふむ、コンテナの中、密室…何も起きないはずはなく」


  司教の言葉にネットミームを感じ、くすりと笑った海咲の背後。緩まった空気を引き裂くように、光が炸裂する。降り注いだのは、無機質で―それでいて粘つくような殺気を孕んだ青白い光。月を睥睨する『ヘイロー』によって、岩山の一つが吹き飛ばされた。味方の艦艇を不用意に蒸発させないために弱められていた出力は、今や完全にその輝きを取り戻していた。


「まずい、撃ってきた!」


  瞬時に蒸発した岩山を見て、天使は叫んだ。岩山―ガーイェグのデコイのひとつは、修繕される気配がない。つまり、それを操る泥田善子の限界が近いということだ。


  海咲はトライアドのアンカーをコンテナに接続し、天使とハイペリオンも鉄の塊に取り付いた。幸い、『ヘイロー』に地表を狙い撃つ精度はない。岩山が良い的になっている間に、彼らは撤退することにした。


  我妻天使は空間転移を行使する。魔術式プロシージャが読み込まれ、対象を捉え―彼らは広い空間に着地した。


「戻ってきた!」


  額に汗を浮かべたウォンが怒声を張り上げる。熱気を感じ、海咲は魔術を行使した。化粧が崩れないようにするためである。


「暑―結構まずい感じ?これ」


  コンテナを開き、投降兵たちを格納庫内に誘導していた少女は、虚空に向けて話しかけた。それに応えるように、床石から泥田坊が顔を出す。彼女は疲労困憊といった様子で、爛々と光に満ちていた筈の瞳にも覇気がない。


「遅いですよ、くどくど。今更のこのこ、叫化鶏になりに来ました〜?」


  海咲は善子が過去に振舞ってくれた、中国料理を思い出す。叫化鶏―鶏の泥包み焼きである。『ヘイロー』から齎されたエネルギーは、そのカタチの殆どを熱エネルギーへと転ずる。地形を変えるほどの莫大なエネルギーが放射されているのだ―焼かれる程度で済めば良い方だ、と海咲は思った。


「それは嫌だな。レースを開始して、善子さん」


「はいはい、賭け忘れはありませんね?…よろしい、では『亀さんよちよち杯』、全亀一斉スタートです」


  そう言って笑うと、彼女は最後の仕事に取り掛かった。


  土煙を上げて、全ての『(ガーイェグ)』が一斉に動き出す。まず、『ヘイロー』の直撃を受け、天使たちが入り込んだ場所とは反対側にあった岩山が、形も残さず蒸発した。試運転を経て、ヘイローの火力は臨界へと達していた。


「デコイが一つ落ちた!」


  管制室から外をモニタしていたウォンは叫んだ。小心者の彼には、この状況は耐え難いようだ。残る岩山は二つ。半壊したものと、まだ無傷だが最後尾のものである。


「…っ!」


  目眩を覚えて、善子はふらりと揺れた。同時に、船全体も大きく揺れる。横に立っていた海咲は、片膝を着いて彼女を支えた。


「大丈夫そ?」


「はい?大丈夫に見えます?」


  まとまらない呼吸。荒いんですよ、泥田坊使いが―と悪態をついた善子。その様子を見て、海咲は微笑んだ。優秀な彼女のことである。こうなることを、彼女が見越していなかったはずがない。泥田善子は最初から、決死の覚悟でこの作戦に臨んでいたのだ。


「再び高エネルギー反応あり!すぐに撃ってくるぞ!」


  ウォンの悲鳴と、血の雫が善子の浅黒い肌を伝ったのは同時だった。善子は鼻血を出していた。ハンカチを差し出した海咲の手を、彼女は払い除けた。


「放っておいてくださいな。気が散るので」


「ごめん」


  施しは無用ということだ。なんとも泥田善子らしい。海咲はハンカチを仕舞うと、代わりに善子の手をぎゅっと握った。


「天使くん、何か魔術で負担を軽くしてあげられない?」


  そう言って、海咲は周囲を見渡した。コンテナの近辺には、怪我人を介抱する司教の姿。しかし、見慣れ始めた青ジャージの姿はない。


「天使くん…?」


  魔術反応を探る。微弱なものはレン人やハイペリオンのもので、高反応だが物理的に他と比べて低い位置にあるのはジャガー―イシュバランケのものだろう。我妻天使の魔力は、探知されなかった。


  海咲は瞬きのうちに宇宙服に着替えると、トライアドから『震電』を取り出した。流体金属から成る機体はらそのカタチを典型的な『箒』へと変える。剥き出しの金属に跨った海咲に呼応して、震電はその機首を三又に裂けさせた。


「…善子さん。もう一仕事、頼める?」


「…はあ?」


  呪詛と殺意を込めて、泥田坊の赤い視線が地雷系の少女を射抜いた。海咲はそれを受け止めると、申し訳なさそうに笑った。


「頼むよ、私の可愛さに免じて」


  怪訝な顔をした善子を背に、海咲はふわりと浮き上がった。


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