1話<後編> カブキタウン・デストラクション
幸いにも、『道場破り』のことはまだ伝わってないらしい。如何にも『好事家』といった仮面姿の観客たちは、拳を振り上げながら檻を取り囲んでいる。熱狂の中心には、二人の女性。片方は、背の丈三メートルを超える巨大な人型の蜥蜴。そして、彼女に丸呑みにされる、猫耳の少女。闘技場と呼ぶことも憚られるこの場所は、言わば見世物小屋。売り掛けを返せない『姫』に価値はない。彼女たちに文字通り『体』で返済してもらうべく、好事家向けのショーに出演してもらっていた訳である。
キャット・ファイトと呼ぶには余りにも体格差がありすぎる。猫耳の少女は、下半身から飲み込まれていった。
「入国管理局です!その場から動かないでくださーい!」
大声で叫んでみたが、誰もこちらを見もしない。くそ、デカダン趣味の老人共め。皆殺しにしてやろうかな。こんなに可愛い私を無視するとか、有り得ないと思う。美少女なんだぞ、こちとら。
「はい、カワイイ無視罪。現行犯で死刑判決Death」
彼女はスマートフォンでチャットを送る。宛先は店を包囲している公安警察。勿論、(自撮り)写真付きである。これで、武装した警官が突入してくる手筈となっていた。
猫耳の少女はどうでもいいが。今回の目的である月から来た『爬虫類』は、上司の推測通り侵略的な外来生物の可能性が高い。知性があるなら密入国者であり、どちらにせよ入管の管轄である。
運営は入管の暴力的なカチコミに気がついたようで、既にてんやわんやと慌てているようであった。所詮は、月の奴隷市場で幅を利かせている―海賊風情が母体の集まりである。餅は餅屋、海賊一味の捕縛は公安警察に任せるとして。
「ぴえん、こんなことになるなんて、聞いてないょぅ。助けてはるぴ…」
ホス狂のご同業を装って、海咲は態とらしくしずしずと檻の中に向かう。実況やら解説は既に逃げ去ったようで、扉はその辺の紳士に閉めていただいた。
「いひひひ、今度は可愛い子が来ましたよォ」
「あれ、でもこの子どこかで…」
口々に海咲を批評する好事家たち。可愛いと言われ、海咲は照れたように笑った。
「いいですねぇ、スタイルが良い」
「服に着られてる感じがない」
褒め殺しにされ、海咲は思わず振り返った。デカダン趣味の老人共だなんて、見る目がないのは自身の方だった、と海咲は反省した。
「おじ様たち、見る目あるじゃないですかあ」
赤面しながら喜んだ彼女を、怪物が力任せに殴り飛ばした。金網に叩きつけられ、数百ボルトの電圧が海咲の細い体に掛けられる。たかがコンセントと同じだが、されどコンセントと同じである。痛いことには変わりない。
「いった〜。クソ、田舎者め。私がまだ『カワイイ』してる途中でしょうが」
防御魔術で固めていたとは言え、肋が何本か折れてしまった。そんな彼女に向けて、蜥蜴女は拳を振り上げる。
「え、ちょっと待って…待、話をしよ!言葉通じる!?不法入国の幇助は間違いなく犯罪なんだけど、無理矢理入国させられた側には恩赦があって!」
早口で捲し立てる海咲に、拳が振り下ろされた。彼女は魔術で盾を創ると、暴力の嵐を何とか耐え忍んだ。
「聞いてって!もし貴女が強引に連れてこられたのなら、私は貴女を助けることが出来て!」
もう一発、逆の拳が振り下ろされた。
「お願い、落ち着いて!私は貴女を殺しに来た訳ではなくて!月に返してあげるから!やめて!」
さらに、もう一発。
「聞けや殺すぞ!公務執行妨害だぞ!」
そして、複数発。まるで太鼓を叩くように、嵐が吹くように。海咲は脳天から押し潰された。魔術の盾など関係ない、圧倒的な暴力。何度も打ち付けられれば、海咲の華奢なカタチなど、忽ち肉塊に変わってしまうだろう。しかし、この程度で死んでいては、入国管理局の仕事は務まらない。
瓦礫の中から、海咲の色白な腕が伸びる。海咲お気に入りのセットアップは、ぼろぼろになってしまったようであった。尤も、経費で落ちるので彼女の財布は痛くも痒くもないのであるが。
「外来種は、駆除対象!滅殺!」
光が収束し、白熱した光線が放たれる。それは爬虫類には本来存在しない、たわわに実った乳の辺りを吹き飛ばした。
星の外から来た、悪意ある外来生物は駆除しなければならない。地球の衛星からだろうが何だろうが、許可なく空から来たものは須らく駆除。
無論、会話の可能な知覚種族は除いて、である。しかし意思の疎通を図れないなら知性がないと見なす、海咲の乱暴な倫理観は、彼女に容易く引き金を引かせた。
そのタイミングで、公安が突入してくる。白い装甲に身を包んだ彼らは、海咲に負けず劣らずの低俗な倫理観の元、銃火器を乱射した。実弾とターボ・レーザーが入り乱れる光景は、まるで品性の欠けらも無い乱交パーティ。殆どが蘇生するとはいえ、血みどろな一斉検挙である。また一人、自身を『可愛い』と褒め称えてくれる人がいなくなってしまうのは、心苦しい。何とか地獄から出所して欲しいものだ―と海咲は思った。
ぐらりと怪物が倒れる。何らかの識別番号だろうか、アラビア語に似た文字の刻まれた蜥蜴女の首からは、肉の焼ける臭いと共に煙が上がっていた。ぽっかりと空いた食道から、猫耳の少女が這い出てくる。
外傷はそこまで酷くない。丸呑みされたのが功を奏したのだろう。彼女を介抱し、見送った後。腰を下ろした海咲のポケットの中で、電話が鳴った。寝転がったまま、彼女は通話ボタンを押下する。
「はい毎度料亭花崎でございますが」
「もしもし、出前頼める?スマホに住所を送るよ」
電話の主は、幼い少年。声変わり前の高い声色だが、不気味なまでに落ち着いている。
彼は海咲の下らない冗談に対応すると、話を続ける。普段ならもうしばらく便乗してふざけ合ってくれるのであるが、どうやら今回は少し切羽詰まっているようだ。珍しく早口な少年の様子に、海咲はそう思った。
「そいつが、次のターゲット。捕まえて連れてくるか、いっその事始末してくれ」
入国管理局謹製の簡素なユーザーインターフェースを操作すると、少女の顔写真が表示される。少年が『表の世界』の政府と取引して手に入れた、次の標的の詳細である。
「始末?けろちゃんにしては随分物騒じゃん」
ターゲットの名前は、『夢沢渡里』。横浜市の高校に通う、女子高生。彼女が身につけている制服には、海咲も馴染みがあった。
「不安要素はなるべく潰しておきたい。月の市場に送られるくらいなら、船ごと落としてくれ。街が受ける損害のことは、気にしなくていい」
「私は気にするけど。私の評判に関わるし」
不安要素、か。海咲は思案した。彼の言葉には大体含みがあるが、今回も良からぬ陰謀に巻き込まれているに違いない。それに、最近はどうも『月』がきな臭い。あの見慣れない蜥蜴人間も、月から持ち込まれたものと聞いている。それに、幻夢境から望める月の裏側は―表側より遥かに禍々しい。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか。ご一緒にポテトは如何ですか?」
海咲の戯言は無視して、少年は電話を切る。最後に、一つだけ言い残して。
「それじゃ頼んだよ、入国管理局の『マンハンター』」
「…店主が話に乗ってくれません。評価星一」
彼女は立ち上がると、大きく伸びをした。
明日は忙しくなる。まだ何も知らない、『夢沢渡里』さんには悪いけれど。貴女は必ず、『ここ』に来る。そして、不法入国者には―始末をつけないといけない。
海咲は、『任務承諾』ボタンを押下した。