2話 無限トウモロコシグリッジ
決意を新たに、海咲は暫く基地内を見て周り、そして会議室を訪れた。会議室には、既に総司令官であるヒライと、幹部が集まっていた。
「私で最後?」
そう言って、彼女は石造りの扉を閉めた。泥田坊の横に座ると、彼女は周囲を見渡した。ハイペリオン司教と我妻天使の姿はある。ウォンも出席しているようだ。しかし、黒猫の姿が見えない。
「あの、顔がでかくて首が太くて、ちょっとばかりずんぐりむっくりしたネコ科の生物は?」
「ド失礼ですね。本人に伝えておきますよ〜」
私のネットミーム生き物解説は、ただの失礼じゃない―ド級の失礼、ド失礼にあたるようだ。しまった、聞かれていた。善子にチクられてしまう前に、当人とコンタクトを取らねば。
「見ていないが」
ヒライは部下を呼び、件のネコ科動物を探しに行かせた。私も、と海咲は席を立つ。その様子を、幹部たちは苛立ちを隠そうともせずに眺めていた。
「子供に猫とはな」
「イリスからの増援と聞いていたが。期待できるのか?」
そんな小言が聞こえてくる。『朗らかメンヘラ』泥田善子がいらいらし始める前に、どうにか信用を勝ち取りたいな―と海咲は考えていた。
「司令官…っ!!」
少女が、扉に手を掛けようとした矢先。誰かが会議室に飛び込んでくる。勢いよく開いたドアに、海咲は突き飛ばされてしまった。鼻先を強打し、彼女は尻もちをついた。
「し、失礼…」
「痛すぎて板になった…」
痛い。私の可愛い鼻先が、板のようにぺしゃんこになってしまった気がする。このまま鼻先とさようならしてしまうと、花崎海咲を名乗れなくなってしまうかもしれない。次クールからは花無海咲を名乗ろう。花は既に散らしているし、その方が適当だ。
「何事だ、騒々しい」
ヒライに叱責され、今しがた飛び込んできた女性は、慌てた様子で姿勢を正した。背が高く、知的な印象を見る者に与えるその女性は、ヒライの秘書であった。彼女は司令官を支える厳格な『鉄の女』として、同盟の戦士たちから恐れられていたのだが、今日に限っては彼女はその怜悧な渾名らしからぬ、何とも間抜けな姿であった。弾薬一発の無駄遣いさえ見逃さぬ、悪魔のペンの代わりに握られていたのは、トウモロコシ。青々と実ったそれを、彼女はおずおずと差し出した。
「何だ、それは。食べ物か?」
「失礼、取り乱しました…はい…トウモロコシという、地球の穀物です…」
わかるよ、と海咲は微笑んだ。誰にだって、童心に帰りたい時はある。まして、『幾らでもトウモロコシを出せる』などと言われた時を想像して見てほしい。シンプルな塩ゆでに醤油焼き、バターソテー、かき揚げにポタージュ。考えるだけで、気分が上がってくる。それを空腹時にやられたのだ。トウモロコシを片手に、走りだしたくもなる。
窓の外が騒々しくなり、天使はちらりと外を見た。誰も彼もが、トウモロコシを頬張っている。大鍋に湯を沸かして、月の岩塩で塩ゆでにしているようだ。
「ねえ、僕らもおやつにしよーよ」
そう言うと、彼は子供たちに囲まれていた仲間に向けて、手を振った。
「すまない、失念していた」
ジャガーは、そう言うと頭を垂れた。
「まあ、許せ。飢えた子供は見過ごせない故な」
不遜な態度を取りつつ、イシュバランケは飛んできたボールを胴体で受けた。彼は器用に直径三十センチほどのボールをすくい上げると、子供たちに向かって投げ返す。トウモロコシを腹いっぱいに食べた子供たちは、ボールを受け取ると元気に走り出して行った。イシュバランケは随分と、子供たちに懐かれたようであった。
「大人気だ。妬まし」
などとは、焼きトウモロコシを両手に抱えた我妻天使の弁である。彼らは結局、会議室の外で会議をすることになった。腹が減っては戦ができぬ、ランチミーティングならぬトウモロコシ・ミーティングである。
「月に一番必要なのは、彼なのかもしれないな。全く、最高の増援を連れてきてくれたものだ」
「でしょう?見た目がいいので、私」
「見る目、ね。自己肯定感の高さ、妬まし〜」
海咲と天使がイシュバランケを即決採用したのは、このためであった。腹が満たされれば争いは起きないし、何より手土産は交渉の第一手だ。無限トウモロコシ生成能力こそ、この資源のない岩と氷の衛星に最も必要なものだと言える。
「ありがとう、イシュバランケくん。いい仕事ぶり」
「ふん。これだけではないぞ、俺の力は。聞いて驚け―」
「あ、ミーティング始まる前に御手洗行くね」
「行くな。聞け、俺の話を」
ジャガーをあしらった海咲は、幹部たちの顔色を伺った。最初こそヒライの独断に不服そうであった彼らも、一切文句を言わなくなってしまった。それどころか、初めて食べる地球の穀物に、ご満悦の様子だ。基地内には、トウモロコシの山ができていた。外に放り出して冷凍しておけば、数ヶ月は保つだろう。
「―それでは、コホン。『施設』奪還作戦のミーティングを始めよう。泥田善子殿、説明を」
「承知しました」
外に出されたホワイトボードの前で、彼女は思いついた作戦についてプレゼンを始めた。この場で使用できるような簡易的な翻訳魔術では彼らの文字で文章を書くことは出来ないため、書記は月で過ごした年月の長い我妻天使が担当した。
善子はメスガキしぐさを織り交ぜながら、その面白おかしい作戦について説明した。何度聞いても笑えるな、と海咲は思った。善子と彼女は出会って数ヶ月の関係性だが、泥田坊は新しい友人<海咲>に対して全幅の信頼を置いているようだ。そうでなければ、このような『花崎海咲頼み』の作戦が思いつくはずはない。
「…それは、実現可能なのか?」
電話の向こう、幽閉機関所属にしてヒライの弟―フライは、怪訝そうに聞き返した。その疑問は尤もだ、と海咲は笑った。
彼らは知らない。こと『単騎での破壊力』に於いて、私の能力は―イリス内でも、随一である。
「任せてください。私、可愛いので。ぶい」
間違えた、最強なので。彼女はそう言うと、小さく笑ってブイサインを送った。




