1話<中編> カブキタウン・デストラクション
「シャンパン!コール!行ってみましょー!」
『月の光』。夜の街カブキタウンにおける、新進気鋭のホスト・クラブ。魔物から妖怪、王道を行く美形妖精まで、幅広い種族のキャストを有する、女性たちのオアシス。お値段は少々高め、返せない売り掛けは―体で。
「超絶可愛い姫から!チャチャチャ」
この店のナンバーワン、人狼のハルトに入ったシャンパンタワー。その高さ、何と三メートル。それは重力を忘れてしまったかのように、ふわりと浮かんでいた。虚空に揺れるガラスの城の美しさは、まさに空中庭園。背の丈五十センチの妖精は、頂上のグラスの上でボトルを傾けた。金色のシャンパンが注がれていき、煌びやかにグラスを満たしていく。美しいタワーを囲むようにして、店中のキャストが、高らかにコールを歌い上げた。
「プレゼント!」
そんな彼らに向けて撃ち込まれ<プレゼントされ>たのは、情け容赦のないロケット・ランチャー。態とらしく尾を引いた弾頭は、ナンバーワン―ハルトの端正な顔にめり込んで―冗談のように爆発した。爆風に巻き込まれ、吹き飛ぶシャンパンタワー。木っ端微塵になるハルト。
ハルトの横にいた女性は、怪我ひとつなく座っていた。青白く揺れる結界が、彼女を爆風から守った為である。ただし、最推しが目の前で爆散した事実に耐えきれず、女性は茫然自失の様子であった。
そんな彼女を現実に引き戻したのは、大きな金属音。がしゃん、とエーテル塊で形作られた発射筒が投げ捨てられる。全員の視線の先、扉の向こうに立っていたのは、地雷系な少女。
「ストライク。弁償は何点?」
ボウリングのように倒れたシャンパンの瓶を指し示し、彼女は呑気な声色で尋ねた。
「ひゃ、百万…?」
そう答えた女性に、少女はちろりと舌を出して目を逸らした。百万という大金。邪推するに、彼女は『あの手この手』で資金を掻き集めたに違いない。それはそれは、悪い事をした。せめて、お金は返してあげなければ。
「…慰謝料の請求は、『入国管理局』宛で」
勿論、私は一銭も出すつもりはないけれど。居合わせた方が悪いもんに。
印籠の如く手帳を掲げつつ、もう片方の手はひらひらと振りながら、少女は微笑んだ。手帳に記された所属は、『イリス入国管理局』。肩書きは、『執行官』。記載された名前は、『花崎海咲』。彼女の仕事は、捜索の強制執行。入国管理局執行部とは―法に反する『不法入国』を、暴力を以て取り締まる、国の機関である。
働いた悪事に覚えがあるのだろう。揶揄うような笑みを浮かべる少女―海咲に向けて、キャストたちが一斉に銃を―あるいは剣を抜く。ある者は狼に姿を変え、ある者は巨大な岩の怪物に姿を変える。
ここは、幻夢境。現世の虚像、世界の裏側にして、幻想の安息地。
「まあ取り敢えず、男本くださいな。ムカつく顔から殺すので」
今なお陰謀と悪意渦巻く、神々の国である。
「ついに嗅ぎつけて気やがったか!」
複数人のキャストが拳銃を斉射する。しかし、撃ち込まれた九ミリは、壁に穴を空けるに留まった。
少女―海咲は懐から取り出したハートのペンダントにキスをする。恥じらうように溶解する、ハートのカタチ。溶出した流体金属が、少女の背中を包み込む。
態とらしい駆動音と共に広げられたのは、機械仕掛けの翼―銘を『震電』。それは赤く熱された霊子―中性子を構成する素粒子の一つであり、純粋なエーテル―を排出しつつ、天使の翼のように翻る。撃ち込まれた弾丸は、『飛んで火に入る夏の虫』。彼女の纏う翼に溶かされ、見るも無惨に叩き落とされていく。
拳銃の斉射が止んだ瞬間、海咲は震電を本来のカタチへと変形させる。それは、長柄の棒―否、『箒』であった。剥き出しの金属に跨ると、ブースターの破裂音と共に、彼女は間合いを詰めた。ソファーを焼きながら、真っ直ぐに飛翔する。
「はやっ…」
その機動力は、まさに戦闘機のよう。動揺するホストの鳩尾に、箒の機首によるラム・アタックが入る。海咲は箒から飛び降りると、そのまま厚底ブーツの長い踵をフルに活かした回し蹴りを繰り出した。魔術的に強化された靴の底は、的確に男性の顎先を掠め―意識を刈り取った。彼女は箒を再び翼に変えて身に纏うと、隣の男に狙いを定める。
「テメェ…っ」
向けられた銃口に吠えたライカンスロープは、最後まで言葉を紡げなかった。彼の体には、少女の放つ無数の弾丸により水玉模様が刻まれた。変化前の自身の写真に釘付けにされ、彼はそのまま意識を刈り取られる。慌てて振り返ったもう一人のキャストは、心臓付近をショットガン・ビームで蜂の巣にされた。
「執行官で、頭の緩そうな服装―こいつまさか」
この国は正に、『ソドム』のようだ。イリスには、ありとあらゆるジャンルの犯罪組織が野放しになっている。彼らは陽の光の当たらぬ場所で、堂々と悪事を働いているのだ。しかし、そんな傲岸不遜な彼らにも、恐れるものはある。一つは『公安』。もう一つは『孔雀』。後者は『見た目は良いが頭は悪そうな鳥』という悔し紛れの蔑称である。
『孔雀』こと花崎海咲執行官は、情け容赦どころか、血も涙もない危険人物。それは、裏社会ではある種の常識だった。何せ、彼女は有名人であるからだ。ガサ入れ次いでに壊滅させた組織は数知れず。只管『人探し』に奔走する、『人殺し』。『どうせ死なないでしょ、ここ幻夢境だし』を合言葉に、良心の呵責を歌舞伎町に忘れてきた怪物。端正な顔立ちと整ったスタイルと引き換えに、倫理観と死生観の歪んだ私刑執行人。それが、裏社会目線の『孔雀』評である。
「面が良い地雷系の執行官、こいつが『孔雀』!?」
そう叫んだホストの体は、味方の弾丸によって射抜かれた。ふわりと回り込んだ少女が、彼を盾にしたためだ。
音の響きが可愛くないが、海咲はこの渾名を気に入っていた。少なくとも、『メスの孔雀は地味』などという血も涙もない残酷な蔑称でないならば、自身の見た目は好意的に受け入れられているということだ。この『毎晩警察に声を掛けられ、イマイチ垢抜けないご同業からは後ろ指を向けられる』自身の姿形が、である。こんなに嬉しいことがあるだろうか。
それ故に。彼女は、自分をそう呼んだ相手には『御礼』をすることにしていた。味方に撃たれ、息も絶え絶えな男の前で、彼女はスカートの端をちょこんと摘み―くすりと笑って挨拶した。
「お褒めいただきありがとう、お兄さん。そしてさようなら」
そのスカートの中から―がらがらと音を立てて、小型の地雷が落下する。その数、二十個。
たんたん、と海咲は足を鳴らした。一斉に目を覚ましたした爆弾たちが、タイマーの音を響かせる。お姫様のような格好の少女に上品な挨拶をされて、喜ばぬ男はいなかった。何せ、彼女は美少女であるからだ。
「…イケてるよ、あんた」
「でしょう?皆そう言うの」
爆音と共に、魔術で編まれた地雷が炸裂する。孔雀が羽を広げるように―内側から爆発した火薬は、外へ外へと広がりながら連鎖的に内装とホストを吹き飛ばす。
そろそろ、お客の『姫』たちは逃げた頃だろう。でなければ、爆発に巻き込まれて死んだはずだ。
「…ん?」
待てよ、美少女執行官。殺してよかったのか、客は。
「やりすぎたようだな、私」
誰も見ていないことを確認し―てへ、と態とらしいポーズをとるなどしてみる。このまま行くと、またお説教だ。そろそろクビになるかもしれない。最近怒られてばかりだ。お前はいつだってそうだ。お前はいつも失敗ばかり。誰もお前を愛さない―なんてことは絶対にないだろう。特に上司は私のことがお気に入りだ。そう、お説教もお小言も、愛のムチなのだ。
愛されているならオールオッケー。ポジティブに行こう。私は顔がかわいいから、多少のことは許される。裁判では顔の良さが流れを決める。私は叙情酌量の余地大あり、カワイイ・減刑が適用される筈だ。よし、妄想はほどほどにして。ぼちぼち、囚われの『姫』たちを救いに行こうか。
海咲は、左手の中で『エーテル塊』を拳銃の姿に象らせる。彼女のイメージは、ワルサー製P38。ドイツ製の、洒落た骨董品である。四分の一はドイツ人である彼女にとって、それはある種のノスタルジーだった。それに、オタク心を擽られるドイツ語の響きも大好物である。
彼女の細く白い指に握られた拳銃から、青白い熱線が次々と撃ち出される。シャンパンを破壊しつつ、見目麗しいホストたちのハートを射抜きつつ、奥へ奥へ。合間合間に、男本を開いては、仰々しく『バツ』印を付けていく。くるりと回転した彼女は、同時に三人のホストを射殺した。
「素敵な『アフター』会場は―この先かな?」
海咲の目の前には、一つのエレベーター。行先は、下だけである。今回、彼女が『カチコミ』に訪れた理由。地下行きのエレベーター降りた、さらに先。最奥の扉を開けた向こうには、地下闘技場。そこに、入国管理局の『標的』がいる。