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水縹に咲く二ロトパラ  作者: 山野悠太
第1部 1章『夢を渡る少女』
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12話 月世界のマーケット

「はひ、はひ…。ここまで来れば…一段落かな」


  ぱたぱたと可愛らしく顔を仰ぎながら、少年は歩を弛めた。そんな彼の肩に手を添えて、海咲はひょこりと顔を出す。


「そうだね」


  少年は舌打ちしながら、眼鏡を外した。そしてレンズの曇りを拭き取ると、もう一度掛け直した。


「誰のせいだと思ってんだよ。沈める(ころす)ぞ」


「鎮めたまへ〜」


  なむなむ、と拝んだ海咲を無視して、少年は明るい方へと歩いていく。


  煌びやかな―しかし、どこか家庭的な灯り。それは、人々の笑顔の光であった。ここは、レン民族の居住区。貧しいながらも懸命に生きる、彼らの第三の故郷である。その夜は丁度、質素な作りの繁華街にてマーケットが開かれていた。


  ターバンを巻いたレン民族の男性たちや、ペルシャ風のドレスを纏った女性たちが、様々な露店を開いていた。ある者はコールタールのようなコーヒーを、ある者はダンゴムシのような生物を串焼きにして。皆非日常のマーケットを楽しんでいるようであった。そんな彼らの間を縫うように、明らかに目立つ白い肌をした男女二人が歩いていく。


「へー、露店なんてやってるんだ」


「三日後かな、お祭りなんだ。この一週間の為に、皆必死に日銭を稼いでいるのさ。地球におわす彼らの神と、月におわす大きなクジラを祭る、大切な宗教行事だよ」


  幸い、今は監視の目がない。呑気な会話を楽しみつつ、二人は人混みに紛れて一息つくことにした。


「ちっ、『お荷物』がいなきゃ、チャングでも打ちに行くんだけどな」


「チャングム?誓い?」


「博打。そんなことも知らないの?月にわか?」


  天使はテントの下でカードに興じるレン人の男たちを指さした。彼らは八枚の大判のカードを伏せ、それぞれのカードの上に碁石に似たチップを差し出していた。


「それにしても…」


  少女は周囲を見渡した。文化レベルは、インドや東南アジアのマーケットと変わらない。科学技術のレベルに於いても同じである。誰も彼もが、薄い板状の端末を操っていた。


「月ってもっと技術力高くなかったっけ?皆一昔前のアイポン持ってんだ」


「そりゃ、サイクラノーシュの積層顕学(エーテルノート)とかユゴスの有機粘菌端末(エゼキエ)とかも出回ってるさ。とても、ここに住んでる人達には手が出ない代物だけど」


  海咲は生返事すると、すれ違う人の画面を目で追った。見慣れないUIユーザーインターフェースが目に入ったが、何を見ているのかは理解出来た。どうやら月のレン人たちも、SNSにお熱のようだ。


「まあ、SNS見るのに大層な端末はいらないよね」


「それはそう」


  自撮り棒を振り回すレン人のグループを躱しつつ、少女たちは人混みを掻き分け歩いていく。


「…あれ?」


  店を物色していた海咲は、見慣れたペンダントが売られていることに気がついた。それはテープで雁字搦めにされ、逃げられないように吊るされていた。


  日独メーカー合同の試作品、魔女箒『震電』。ドイツ製のフレームを日本製の流体金属素材で成型した、普通の魔女(トラディショナル)からは噴飯もののイレギュラーである。海咲と震電の出会いは、数カ月前。魔女である師によってぞんざいに扱われて(鎖で雁字搦めにされて)いたところを救い出したことが、最初の出会いだった。


  まさか、再びここで似たような出会い方をするとは。数奇な関係もあったものである。


  万引きはしたくないので、商品に勝手に着いてきて貰うことにしよう。海咲は魔術で物音を立てると、店員の気を引いた。そしてテープの上から、海咲はペンダントを押下した。途端に溶け出すハートのカタチ。それはやがて、一本の箒へと姿を変える。


「おかえり、震電」


  主に会えたことを喜ぶように、震電は海咲の体に寄り添った。サイバーな造形の箒の柄を、少女はあやす様に撫でてやった。


「おじさん、コーヒー一つ。ミルクも」


  少年は、近くの屋台に立ち寄ると、店主にコーヒーをオーダーする。マーケットにしては高価で、金額は現世の有名チェーンと大差ない。コーヒーとは名ばかりで、挽いているのはコーヒー豆ではなく、別の香辛料のようだ。心地よい音と共に、どろどろとした濃い飲料がドリップされていた。海咲はその様子を、物欲しそうに見つめていた。


「…じー…」


  そう、彼が居心地悪くなるような、至近距離で。


「…彼女にも」


  根負けした少年がそう言うと、海咲はにこりと笑った。


  二人は、円形テーブルに腰掛けた。店主の子だろうか、痩せぎすの小さな男の子が、コーヒーを運んできてくれる。レン民族は、地球から来た亜人種族であると聞く。なるほど、この露店の風景も、中央アジア諸国のマーケットのようであった。


  そして、皆痩せていた。元々太りにくい人種なのかもしれないが―ヒライたちを含め、レン人は不健康に痩せこけていた。物乞いの姿も多く、やはり経済事情は芳しくないようである。


  海咲は彼らを哀れに思ったが、今は手持ちがない。それに、そもそも彼ら全員に行き渡る食料もないのだろう。やるせない気持ちになり、彼女は視線を伏せた。


  いけないいけない。このままだと、気分まで暗くなってしまいそうだ。


  海咲はコーヒーに映る自分の姿を見て、目をぎゅっと瞑った。何か、明るい話題はないだろうか。


  そうだ、まだ彼の名前を聞けてない。


「ねえねえ。ねえってば。そろそろ、名前教えてよ。連帯保証人にはしないから、サ」


  男の子にチップを手渡すと、少年は心底嫌そうに溜息をついた。


「嫌ですー」


  それはそれは本当に、嫌そうな様子だった。私、そんな酷いことしたかな。それとも私が美少女すぎて、緊張してしまってるのかな。かっこよく振る舞いたいお年頃なのかもしれない。


「お願い、ダメ?」


  慣れない上目遣いを使ってみる。あざらしのように媚びたようなあざとさは嫌いだが、ここは仕方ない。特大サービスだ。


  彼は更に顔を顰める。そして、観念したように―重々しくもったいぶっ(格好つけ)た口調で呟いた。


「…我妻天使」

「コーヒーありがと、天使くん」


  いや、本当の天使は私の方かもしれない。自分のカワイイ・アピールが見られないのが残念だ。


「奢るとは言ってない。金返せ」


  照れ隠しでしょう、可愛いヤツめ。


「いけず」


  月で飲むコーヒーは、とても苦かった。どろどろの粘液のようなそれは、香り高くコクがあり、どこか落ち着く風味があった。


「ところで…」


  コーヒーを楽しみつつ、海咲は天使に質問を投げかけようとした。そんな彼女に対して、不自然にぶつかる男が一人。


「いたっ」


  突然のことに驚いた海咲。月も地球もミサイル男はいるものだ、と思ったが、ある事に気がついた。ぶつかった拍子に、男は海咲に紙を手渡していた。怪訝な顔をする天使を他所に、彼女は内容に目を通す。『七番テントで待つ』。メモには英語でそう記載されていた。


  彼らの母国語は英語ではない。ならば、このメモは何らかの『指向性』を持っていると考えるのが普通だろう。


  周囲には、幾つかテントが設置されていた。しかし、数字の書かれたテントはない。否、よく見れば、テントの頭の部分、何本か線が入っている。楔形文字の、数字の数え方に類似のものがあったはずだ―海咲はそう思い、本数を数えていく。二本、五本、そして、七本。確認できる範囲では、その三種類だ。


  海咲はメモの内容を、天使に共有した。


「ふーん。罠じゃない?大丈夫そ?」


  そう言うと、天使はメモに火をつけた。そして、周囲に探知魔術を展開しつつ、二人は呑気に談笑を続けることにした。仮に罠であったとしたら、すぐに動くのは得策とは言えないからだ。


「で。君はどう弁償してくれるワケ?うちの店のあれこれ」


「体で」


「脱ぐな」


「え、私持ち?トカゲ王センパーンが払うんじゃないの?」


「レプハーンだよ」


「きっとセッパーンが半分払ってくれるよ」


「レプハーン」


「仕方ない、花でも売って返すか…」


「それはヘプバーン(マイフェアレディ)。あと脱ぐな」


  他愛のない話をすること、十分程度。そろそろ、テントの中の何某も気が緩む頃合だろう。懐疑的な天使を伴って、海咲は恐る恐る七番テントの中を覗く。

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