12話 月世界のマーケット
「はひ、はひ…。ここまで来れば…一段落かな」
ぱたぱたと可愛らしく顔を仰ぎながら、少年は歩を弛めた。そんな彼の肩に手を添えて、海咲はひょこりと顔を出す。
「そうだね」
少年は舌打ちしながら、眼鏡を外した。そしてレンズの曇りを拭き取ると、もう一度掛け直した。
「誰のせいだと思ってんだよ。沈めるぞ」
「鎮めたまへ〜」
なむなむ、と拝んだ海咲を無視して、少年は明るい方へと歩いていく。
煌びやかな―しかし、どこか家庭的な灯り。それは、人々の笑顔の光であった。ここは、レン民族の居住区。貧しいながらも懸命に生きる、彼らの第三の故郷である。その夜は丁度、質素な作りの繁華街にてマーケットが開かれていた。
ターバンを巻いたレン民族の男性たちや、ペルシャ風のドレスを纏った女性たちが、様々な露店を開いていた。ある者はコールタールのようなコーヒーを、ある者はダンゴムシのような生物を串焼きにして。皆非日常のマーケットを楽しんでいるようであった。そんな彼らの間を縫うように、明らかに目立つ白い肌をした男女二人が歩いていく。
「へー、露店なんてやってるんだ」
「三日後かな、お祭りなんだ。この一週間の為に、皆必死に日銭を稼いでいるのさ。地球におわす彼らの神と、月におわす大きなクジラを祭る、大切な宗教行事だよ」
幸い、今は監視の目がない。呑気な会話を楽しみつつ、二人は人混みに紛れて一息つくことにした。
「ちっ、『お荷物』がいなきゃ、チャングでも打ちに行くんだけどな」
「チャングム?誓い?」
「博打。そんなことも知らないの?月にわか?」
天使はテントの下でカードに興じるレン人の男たちを指さした。彼らは八枚の大判のカードを伏せ、それぞれのカードの上に碁石に似たチップを差し出していた。
「それにしても…」
少女は周囲を見渡した。文化レベルは、インドや東南アジアのマーケットと変わらない。科学技術のレベルに於いても同じである。誰も彼もが、薄い板状の端末を操っていた。
「月ってもっと技術力高くなかったっけ?皆一昔前のアイポン持ってんだ」
「そりゃ、サイクラノーシュの積層顕学とかユゴスの有機粘菌端末とかも出回ってるさ。とても、ここに住んでる人達には手が出ない代物だけど」
海咲は生返事すると、すれ違う人の画面を目で追った。見慣れないUIが目に入ったが、何を見ているのかは理解出来た。どうやら月のレン人たちも、SNSにお熱のようだ。
「まあ、SNS見るのに大層な端末はいらないよね」
「それはそう」
自撮り棒を振り回すレン人のグループを躱しつつ、少女たちは人混みを掻き分け歩いていく。
「…あれ?」
店を物色していた海咲は、見慣れたペンダントが売られていることに気がついた。それはテープで雁字搦めにされ、逃げられないように吊るされていた。
日独メーカー合同の試作品、魔女箒『震電』。ドイツ製のフレームを日本製の流体金属素材で成型した、普通の魔女からは噴飯もののイレギュラーである。海咲と震電の出会いは、数カ月前。魔女である師によってぞんざいに扱われていたところを救い出したことが、最初の出会いだった。
まさか、再びここで似たような出会い方をするとは。数奇な関係もあったものである。
万引きはしたくないので、商品に勝手に着いてきて貰うことにしよう。海咲は魔術で物音を立てると、店員の気を引いた。そしてテープの上から、海咲はペンダントを押下した。途端に溶け出すハートのカタチ。それはやがて、一本の箒へと姿を変える。
「おかえり、震電」
主に会えたことを喜ぶように、震電は海咲の体に寄り添った。サイバーな造形の箒の柄を、少女はあやす様に撫でてやった。
「おじさん、コーヒー一つ。ミルクも」
少年は、近くの屋台に立ち寄ると、店主にコーヒーをオーダーする。マーケットにしては高価で、金額は現世の有名チェーンと大差ない。コーヒーとは名ばかりで、挽いているのはコーヒー豆ではなく、別の香辛料のようだ。心地よい音と共に、どろどろとした濃い飲料がドリップされていた。海咲はその様子を、物欲しそうに見つめていた。
「…じー…」
そう、彼が居心地悪くなるような、至近距離で。
「…彼女にも」
根負けした少年がそう言うと、海咲はにこりと笑った。
二人は、円形テーブルに腰掛けた。店主の子だろうか、痩せぎすの小さな男の子が、コーヒーを運んできてくれる。レン民族は、地球から来た亜人種族であると聞く。なるほど、この露店の風景も、中央アジア諸国のマーケットのようであった。
そして、皆痩せていた。元々太りにくい人種なのかもしれないが―ヒライたちを含め、レン人は不健康に痩せこけていた。物乞いの姿も多く、やはり経済事情は芳しくないようである。
海咲は彼らを哀れに思ったが、今は手持ちがない。それに、そもそも彼ら全員に行き渡る食料もないのだろう。やるせない気持ちになり、彼女は視線を伏せた。
いけないいけない。このままだと、気分まで暗くなってしまいそうだ。
海咲はコーヒーに映る自分の姿を見て、目をぎゅっと瞑った。何か、明るい話題はないだろうか。
そうだ、まだ彼の名前を聞けてない。
「ねえねえ。ねえってば。そろそろ、名前教えてよ。連帯保証人にはしないから、サ」
男の子にチップを手渡すと、少年は心底嫌そうに溜息をついた。
「嫌ですー」
それはそれは本当に、嫌そうな様子だった。私、そんな酷いことしたかな。それとも私が美少女すぎて、緊張してしまってるのかな。かっこよく振る舞いたいお年頃なのかもしれない。
「お願い、ダメ?」
慣れない上目遣いを使ってみる。あざらしのように媚びたようなあざとさは嫌いだが、ここは仕方ない。特大サービスだ。
彼は更に顔を顰める。そして、観念したように―重々しくもったいぶった口調で呟いた。
「…我妻天使」
「コーヒーありがと、天使くん」
いや、本当の天使は私の方かもしれない。自分のカワイイ・アピールが見られないのが残念だ。
「奢るとは言ってない。金返せ」
照れ隠しでしょう、可愛いヤツめ。
「いけず」
月で飲むコーヒーは、とても苦かった。どろどろの粘液のようなそれは、香り高くコクがあり、どこか落ち着く風味があった。
「ところで…」
コーヒーを楽しみつつ、海咲は天使に質問を投げかけようとした。そんな彼女に対して、不自然にぶつかる男が一人。
「いたっ」
突然のことに驚いた海咲。月も地球もミサイル男はいるものだ、と思ったが、ある事に気がついた。ぶつかった拍子に、男は海咲に紙を手渡していた。怪訝な顔をする天使を他所に、彼女は内容に目を通す。『七番テントで待つ』。メモには英語でそう記載されていた。
彼らの母国語は英語ではない。ならば、このメモは何らかの『指向性』を持っていると考えるのが普通だろう。
周囲には、幾つかテントが設置されていた。しかし、数字の書かれたテントはない。否、よく見れば、テントの頭の部分、何本か線が入っている。楔形文字の、数字の数え方に類似のものがあったはずだ―海咲はそう思い、本数を数えていく。二本、五本、そして、七本。確認できる範囲では、その三種類だ。
海咲はメモの内容を、天使に共有した。
「ふーん。罠じゃない?大丈夫そ?」
そう言うと、天使はメモに火をつけた。そして、周囲に探知魔術を展開しつつ、二人は呑気に談笑を続けることにした。仮に罠であったとしたら、すぐに動くのは得策とは言えないからだ。
「で。君はどう弁償してくれるワケ?うちの店のあれこれ」
「体で」
「脱ぐな」
「え、私持ち?トカゲ王センパーンが払うんじゃないの?」
「レプハーンだよ」
「きっとセッパーンが半分払ってくれるよ」
「レプハーン」
「仕方ない、花でも売って返すか…」
「それはヘプバーン。あと脱ぐな」
他愛のない話をすること、十分程度。そろそろ、テントの中の何某も気が緩む頃合だろう。懐疑的な天使を伴って、海咲は恐る恐る七番テントの中を覗く。




