ウリフタツ
全部、全部、あなたの為よ。
キリキリと音を立てて弓が引き絞られていく。
全部、全部、あなたの為なの。
「あれを射殺してしまいなさい」
震えそうになる喉元を押さえつけ、はっきりとそう口に出す。
それを聞いて観念したように嘆息すると、寂しそうにあなたが笑う。
全ての罪は私のもの。
あなたに降りかかる全ての災厄は、私に起因するもの。
――あの日、あの時より、私は鬼になった。
村には不思議な出自の娘が居た。
貧しい老夫婦が川を流れてきた瓜を食べようとしたところ、なんとその中には赤子が入っていたというのだ。
子宝に恵まれなかった夫婦は、瓜子姫と名付けてそれは大切に育てた。
それは無垢な娘であった。
それは愛らしい娘であった。
年頃になるとその娘は日がな一日、貧しい両親のために機を織ってその生活を助けているという。
どうして瓜から生まれた娘がそんなにも可愛がられるのだろう。
どうしてそんなにも素直に親のために働くことができるのだろう。
彼女の話を知ってから、私の中で疑問が膨らんでいく。
遠いところのお殿様に見初められて、嫁ぐことも決まっているのだとか。
村からいなくなってしまうのだと思うと、私はもう居ても立ってもいられなかった。
彼女の住む小屋へと辿り着く。
内からはぎっこんばったんと機を織る音が聞こえてくる。
「瓜子姫。瓜子姫や」
コンコンと戸を叩き、できるだけ優しい声を装って、声をかける。
「あら、どちらさま?」
「村はずれの紗耶女だよ。中に入れておくれ」
瓜子姫が戸の傍に立つ気配が感じられた。
「ごめんなさいね。
おじいさん、おばあさんが居ない時には、どなたも入れないようにと言われているの」
戸を挟んで鈴のような声が聞こえてくる。
そんなに大きな声を出していないにも関わらず、よく聞こえる透き通るような声だ。
それだけで老夫婦が彼女をどれだけ大切にしていたかがわかる。
こんな小屋には似つかない、まるで箱入り娘じゃないかい。
そりゃあ無垢であるはずだ。
彼女は外の世界を知らないのだから。不幸も世知辛さも知らないのだから。
まったく、忌々しい。
嫉妬にも似た何かが、胸の内に広がっていく。
「おじいさんとおばあさんに頼まれてね。お前の様子を見に来たのさ」
気づくと私の口から嘘が並べ立てられていく。
「まあ、そうでしたの。
私でしたら元気にしているとお伝えください」
「なら、その顔を見せておくれ。
少しでいい。お前の顔が見られる程度に扉を開いておくれ。
お前の両親に様子を説明しなきゃならんのだよ」
疑うことを知らないのだろう。
すぐにギィと音を立てて扉がわずかに開く。
「さぁ、顔を見せてごらん」
言うや否や、瓜子姫が顔をのぞかせる。
「これでよろしいかしら」
娘のその笑顔があまりに愛くるしいものだったから、ふとそれまでの彼女に対する一切の感情が消えて
――殺意が湧いた。
「よく見えないねえ。
もう少し、扉を開けておくれ」
ギィと更に扉が開かれる。
彼女の方からも私の姿が見えたことだろう。
私は天邪鬼。天に逆らった鬼の姿を見て、今まで嫌悪を抱かない者はいなかった。
だというのに瓜子姫は笑顔のまま。
(一体どうして……)
ああ、そうか。その疑問もすぐに解決する。
お前は鬼の姿を見ても、なんとも思わないんだね。
恐怖も絶望も知らない。嫌悪も穢れも知らない。
瓜のような白い顔が彼女の心を現しているようで、郷愁と自己嫌悪で胸が痛む。
それも束の間のこと。開かれた戸に手を差し込む。
瓜子姫が驚いている間にスッと中に入り、後ろ手に戸を閉める。
私は彼女を突き飛ばし、誰も入ってこれないよう戸に閂を掛けた。
娘がひっと息を飲む声すら、庇護欲をそそる。
ああ、可哀そうな瓜子姫。
あの娘が羨ましかったの。
ただ生きているだけで誰からも愛されるあの娘が。
あの貌の皮を剥げば醜いものだと、知らしめてやりたくなってしまったの。
服を剥ぎ、縛り上げ、さめざめと泣く少女を眺める。
少女の泣き声が誰かに届くことはない。
きっと今まで、お前の声は誰もが耳を澄ませて聞いてくれたことだろう。
だから声を張り上げる必要がなかったのだね。
けれど叫ぶことを知らない無垢なお前が、今やどんなに泣きわめこうが、その小さな声では誰にも届きはしないのさ。
顔に爪を立てる。
痛い、と愛くるしい声が鳴る。
彼女の顔の皮を剥ぎ、その醜さに安堵する。
あぁ、お前は瓜は瓜でも、西瓜姫だったのね。
真っ赤に染まって、随分と美味しそうじゃないかい。
血を流す彼女の頬に口づける。
「そんな顔ではもうお嫁に行けないね」
耳元で囁く。
イヤイヤと頭を振る彼女が愛しくてならない。
剥いたばかりの彼女の顔の皮を眺める。
白くて綺麗なお面のようだ。
壁にかかった純白の着物を眺める。
瓜子姫の嫁入り衣装。
私が着てもいいのかしら?
私が着てもいいのかしら?
私、幸せになっても、いいのかしら……
手足腹背中、それに膨らみかけの乳房。
少女の皮をペリペリとめくっていく。
そのたびに痛みに喘ぐ声が愛らしいこと。
幸福への衝動と嗜虐的快楽に溺れてしまいそう。
彼女の白い肌を我が身に貼り付け、彼女の白無垢を身にまとう。
あとは……
お前を喰らえば、私はあなたになれるのかしら
誰からも愛されるあなたに、なれるのかしら。
私だってね、祝福を受ける花嫁になりたかったのよ?
全身真っ赤に包まれた少女に向かい、口を大きく開ける。
どちらのものかわからない嬌声が小屋の隅々にまで満ちる。
果実のように甘い肉を噛み締め味わう。
彼女が事切れるまで、暗闇の中、私は彼女を貪り喰らう。
――これでよろしいかしら。
どこかから少女の声が聞こえてくる。可憐な瓜子姫の声だ。
そんなはずはない。彼女はとうに事切れている。
――これでよろしいかしら?
すぅと意識がどこかへ連れていかれる。
多幸感が無惨にも消えていく。
――これでよろしいかしら?
気づくと私は昼空の下。
小屋の戸の向こう、暗闇を挟んで、瓜のように白い顔の少女がこちらを覗いている。
夏だというのに冷ややかな空気が背中を撫でる。
違う。私はそんなこと望んじゃいない。
ただどんな娘なのか見たかっただけだ。
――これでよろしいかしら?
涼やかな声で娘が嗤う。
未だ少女のはずなのに妙に大人びたそのカオに、何か取り返しのつかないことをしてしまったように感じ、私は一目散に逃げだした。
愛らしい娘の肉の味が、今でも口の中にこびりついているの。