9.前世の記憶
その光景はとても壮絶だった———。
その日は約十年前の出来事だった。
いつものように、色んな場所を旅していたルーラは久々に帝国へ帰ってくることにした。
久々に会う“家族”達。笑顔で迎えてくる家族であり、弟子である子達。
ルーラにとって、それら大切な宝物であった。
その日は天気が良く、晴天だ。久々にのんびりする事が出来るルーラは家族と共に過ごしていた。家族と言っても血の繋がりはなしだ。
帝国へ買い物に出かけ、荷物待ちをしてくれるアルスと、もう一人の男性。彼もまた、ルーラの家族であり、弟子の一人だ。
そして賢者に憧れを持つ人物でもある。
みんなで住んでいた家へと帰り、その日は楽しい時間があっという間に過ぎつつも、笑顔に満ち溢れていた。
ルーラはまだ十代であったアルス達に、夕食を振る舞い、濃厚なクリーミーとほうれん草を使ったシチューを皆で召し上がる。
それがルーラにとって至福の時間と同意義であった。
もうすぐ、二十二時だ。ルーラはアルス達に寝させるようにし、そんなルーラは外に涼みに出ていた。昨日までは猛暑が続いていたが、今夜はとても涼しい風が吹いていた。
寝巻きを着ていたルーラにとっては、少し肌寒いほど。
雲から満月が顔を出し、その光景を見るのがルーラの楽しみでもある。
「良い天気……」
そう口に呟き、そろそろ家に戻ろうとし、ドアのドアノブに手をかけた時、地面が揺れていることを察知する。
「……収まった?……嫌な予感」
嫌な予感を感じ取ったルーラは、急いで家の中へと入り、愛用していた白いローブに着替え、魔導書を手に持ち、出ようとした頃。
タイミングが悪く、皆が起きてしまっていた。
「ルーラさん、どうかしたの?」
そう心配そうに聞くアルス達を、宥めるかのように、
「なんでもないよ。私はちょっと出かけてくるね」
優しい声でそう言い、皆を不安にさせないように試みていた。だが、それは逆効果なこと。
「何か、あったの…?」
綺麗な栗色の髪が肩に付くか付かないかの、ぎりぎり辺りの髪型をしている少女に聞かれ、ルーラは咄嗟に顔をしかめる。
「やっぱり、何かあったの?」
「え、ううん!なんでもないよ!みんなは、さっさと寝て、明日また修行をするわよ。明日は私が特別に、講義してあげる!」
自信満々に胸を張って答えたルーラは、子供達に背中を見せ、住んでいた木の家から飛び出した。
急いで帝国の外へ出ると、また地鳴りがなる。立っていられなくなるほど、激しい地鳴りのせいで、地盤が割れてしまった。
地面が裂け、中から炎を纏った魔神。
炎の精霊イフリートが顔を出す。その見た目からは熱く放たれる炎。近づくだけで、火傷してしまいそうなほどの、高温。
なぜイフリートが出てきたのか、想像がつかないルーラだったが、敵意があると感じれば、戦うのみと言うのが彼女の政策である。
(お願いだから、敵意を見せないで!)
そう願うも、虚しく散った。イフリートは雄叫びを挙げ、帝国の方へ炎を放った。
「……!?ダメ!!」
(帝国にはあの子達がいる…。帝国には私の家だってある……。私には———!)
「守りたいものがあるの!!」
イフリート相手にそう叫ぶルーラであった。彼女にとっての宝物。それは家族同然な弟子達。ルーラの中ではそれが何よりの宝物だ。
そう叫んだことにより、イフリートの標的はルーラとなった。
炎を出し、それをルーラに放つ。ルーラも負けないほどの魔法を放つ。
そんな激戦に追いやるくらい、ルーラの思いは消え去らない。
「ぐぅっ!!」
イフリートから思いっきり腹を殴られ、地面に転がる。お腹の部分は焼けていた。だけど、それでも。ルーラは立ち上がる。
「ハァ…ハァ…ッ。『我の元へと来たれし、それは遍く度々の力。我が友を、我が家族を、我が恋人を。それを守る為に、我は存在する———!』
私は諦めない。大切な人たちを守る為に、私はあなたとやり合う!それは———!私の……私自身の宝物を。命と引き換えにだって守ってみせるの!!あの子達を!!立ち塞がるのなら、容赦はしない。私の全身全霊をかけて、あなたを倒す!!
『水の知恵の輪』!!」
魔導書を開き、ページが勝手に捲られる。ルーラはイフリートが強力な魔法を放たないように、先手を打ったのだ。
“水の知恵の輪”
それが意味するのは、イフリートにとっては致命的な攻撃である。
イフリートは炎の精霊。そのため、水には弱い。そして知恵の輪は色んな形を一つの形から外す遊び。それを魔法で表現するには、そんな複雑な図形に体が引っ掛かれば、いくら魔神であろうと、外すのは不可能。おまけに、弱点の“水”だ。
「ぐぅっ!ぐわぁっ!!」
魔術師などの水の力では、イフリートを倒すことは不可能に近い。いくら弱点とはいえど、威力が小さい。だが、彼女———ルーラは、世界が誇る現代の“魔術の賢者”だ。
上位精霊であろうと、魔神であろうと、彼女はやり遂げる。
全身全霊を使って。命を削って。
イフリートはそのまま、水に浄化された。最後に悲痛な叫びを上げながら、死んでゆく。
「ハァ…ハァ…ハァ……ッ……。お、終わった……の?イフリートのあの“技”が出なくて……本当に……よかった……。かはっ!」
疲労と気力が一気に襲い、体内にある魔力を、そして自分の命を削って、ルーラはイフリートを倒すと引き換えに、命を使った。
その為、吐血してしまう。口から血が出て、そのまま生き倒れるかのように、地面に倒れる。
(………やばい、体が動かない……。あれで……倒せたのかな……?そうだ、あの子達に約束したんだ。出会った時に……。私があなた達の………親に………なるって………。あー、もうダメだ……。起きれる体力がない……。私って………死ぬのかな……?あはは、私、あの子達が賢者になるまで……成長を見届けないといけなのに………なのに………体が………動か………ない)
「———ん!」
(………誰かの声が聞こえる)
「———さん!」
(……この声を私は知っている)
「———ラさん!」
(………あぁ、そうか。幻聴か…)
「———ルーラさん!!どこにいるんですか!?」
(………私の……大切な………弟弟子……)
「………………あ、るす……。あなたが……一番の……年上だから………しっかりと守ってよね……そしてあなたが………あなた達が………賢者になるところを………見守るからね………。おやすみ………また、会おうね………」
最後にアルスの顔を見たかったルーラは、起きあがろうとするが、体が悲鳴を上げている。
そんな時、誰かの声がはっきりと聞こえた。
「ルーラさん!!大丈夫ですか!?しっかりしてください!!」
「………あ、るす?最期に………顔を………見れた………」
アルスの頬に最後の力を振り絞って、手を伸ばす。
「………つか………めた」
「ルーラさん……ッ!なんで………一人でこんな………!」
ルーラの現状を見て、顔がぐしゃぐしゃになりそうなほど、涙ぐんでいるアルスを、ルーラは最期まで宥めた。
「一人でこんな………無茶をしたんですか……!!」
「………ごめんね……アルス……」
弱々しい声で謝り、アルスの頭にまで必死に手を伸ばし、そして優しく撫でる。
「………会ったときから、君の髪の色は……素敵だったね……。黒髪で………緑眼で……。そして何より………ハーパー達に優しいお兄ちゃんで居て………」
「当たり前じゃないですか……ッ!だって、ハーパー達は………俺の………俺の家族なんです……から………!!」
自身の頭を撫でていた手を取り、アルスはギュッと握る。
手放したくない、手放したら、置いていかれる。と。
「今から病院に連れて行きます!ですから、どうかもう少しの辛抱を!!」
「………なら、最期に一つだけお願い聞いてくれる?」
「………もちろんです!ルーラさんのためなら、どんな事だってします!ですから………ですからどうか、死なないでください!!俺たちを………置いていかないでください!!俺たちにとって親は………ルーラさんしか………居ないんですから!」
「なら、最期に………みんなの顔を………見たかった………な」
アルスが必死に握っていたルーラの手は、滑り落ち、ルーラは瞳を閉じていた。応答が無くなったアルスはルーラを呼びかける。
「ルーラさん?ルーラさん!ルーラさん、死なないでください!!お願いです!置いていかないでください!!もう、置いていかれるのは…………嫌なんですよ。ルーラさん!!!」
ルーラの亡骸に必死に応答するも、返事が無かった。ルーラはボロボロになりつつも、アルスと必死に会話をしていた。
アルスは受け入れられなかった。尊敬していた人が、死んでしまった事実に。
ルーラはまだ二十代半ば。そのため、この先の人生は長いまだまだ若い女性だ。
恋を知らず、好きな人ができず、結婚することもなく、そのまま生き絶えてしまったルーラの遺体に泣きつくアルスだった。
草原にだけ、アルスの泣き声が響き渡るだけだった———。