依頼
「君、名はあるか?」
「斎藤…克」
私を買ったその男は私を自室に連れてくるまで一言も喋らなかった。
ここまでは車で来た。彼は後部座席で私の隣にいた。てっきり逃げ出さないようにと手錠でもかけられ、連行されている気分を味わえるかと思ったが、そこは寛容だった。
「君の犯罪計画、読ませてもらった。素晴らしいものだ。残念だが、計画書は買うことができなかったが。まあよい」
優しそうな印象を与える風貌の六十代半ばの男といったところか。
「君には新しく犯罪計画を立ててもらう」
わざわざ私の計画づくりの腕を買ってくれたと思うと、悪い気はしない。しかしだからと言ってすぐに気を許すこともできない。
「わかり…ました」
「そう固くならんでくれ。君はあの施設で育っている、普通の教育を受けていないことは承知の上だ。敬語なんて習ったことないのだろう」
私の履歴書でも存在するのだろうか。いったい彼はどこから私の情報を仕入れたのだろう。
何はともあれ敬語は慣れていない。ここは甘えさせてもらう。
「その…じゃああなたは過去にも私みたいな人を買ったことがあるのか…」
「ああ。だが失敗に終わってしまった」
そこまで聞いて私は最後まで聞かずにはいられなかった。
「それで、あなたは彼を…」
資産家は目つきが一瞬鋭くなって、また優しい顔つきに戻った。
「ああ、警察に”売った”よ」
「そうですか…」
私は悟った。これが私たちの運命かと。あの施設に連れてこられたら最後私たちの運命はある程度決まっていたのだろう。あの施設内で余生を過ごすか。それとも社会の表舞台から一歩身を引いた立ち位置で暗躍するか。
「君達が賢いのは知っている。彼もまた抵抗せずに従ってくれた。きっと逃げきれないと観念したのだろう。それかそう教えられたのか」
警察が来たら神妙にして縛につけ。そんなことを教わったことはない。きっと彼も私も自分の犯罪計画しか信じられないのだろう。それが失敗に終われば生きる意味も失う。
「いや、ただ私たちは犯罪計画に人生をかけてきた。それは私たちにとっての生きがいだ。それが失敗に終わればもう、どうなってもいいんだ」
「そうか。生きがいか」
資産家は哀れるような瞳で私を見た。彼にはきっと私が前の犯罪計画者と重なって見えるのだろう。今頃思い出に老けているのだろうか。自分が売ったもののその後がそんなに気になるのか。
「それで、どんなものをご所望で」
資産家は我に帰った。
「ああ、実は私はある企業の会長をしている。一昔前までは我が社の独走状態だったが、ここ数年でライバル社が続々と進出してきた」
なるほど、老舗というわけか。伝統を重んじるあまり、時代の変化に乗り遅れたって感じか。
それで自己進化を遂げたライバル社に次々と追い抜かれて苦境に立たされているってことか。
一言アドバイスすると伝統を最小限に抑え、何か今の時代にあった革新的アイデアを引き出せばいいじゃないかと言いたいが、老舗には伝統技法を貫くという誇りに縛られて、新しいもの取り入れることを拒む。
彼らは頑固なのだ。
「中でも□×社は我が社を今にも追い越しそうなのだ。そこでだ、その会社の業績を下げる、いや止めて欲しいのだ」
「あなた自身でライバル社を引き離す商品を開発したりはしないのか…」
「恥ずかしい話、何回も新商品を発売したが、負け越した。こうなったらもうライバル社の社長を辞任に追い込むか、最悪殺すしかない」
「前の計画者は偽物の医師の診断を作らさせて、末期の癌と思わせようとしたんだ」
「…」
「病は気からというしな、一気に生きる気力を失わせる作戦だったらしいんだが、別の病院でも診察してもらって偽物だってバレてしまってね」
社長は私に頭を下げた。
「頼む。この通りだ。このままでは我が社は倒産してしまう。お主だけが頼りなんだ」
それはライバル社の社長を殺してでも手に入れたいものなのか。
他の人を犠牲にしてでも自分を輝かせたい。それが人間だ。
人間らしい世界とは完璧でない、平等ではない世界。誰かが喜び誰かが悲しむ世界。
まあ、だが欲深い人間がこの世にいるからこそ、私たちが輝けるのかもな…