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2 ミーア 前編

 大好きだった祖母が亡くなった。

 祖母はとても茶目っ気のある人で、私のことをずいぶんかわいがってくれた。

 寝る前には妖精の出てくる昔話や、不思議なおまじない、遠い海の向こうの国の話などをよく聞かせてくれて、いつも最後まで聞きたいのに、聞き終える前に眠ってしまう。

 そんなわくわくした夜も、もう来ない。

 お父さんやお母さん、叔父さん、叔母さんたちから「ミーアはおばあちゃん子だったから、寂しいでしょうけど、いつまでも泣かないのよ」「元気を出して」「いつまでも泣いてると、おばあちゃんは天国に行けないよ」、そう言われるのがつらかった。

 元気なんて出ない。おばあさまに戻って来てほしい。私のせいで天国に行けなかったらどうしよう…。誰も来ない場所に逃げて、祖母を思い出して一人で泣いていた。


 祖母が亡くなる前に、「メープルシュガー」という、甘いお砂糖をくれた。

 祖母が海の向こうのお友達から送ってもらったもので、木の樹液から作ったお砂糖だと言っていた。

 独特の香りがして、一度口にすると忘れられない。

「これは、秘薬。秘密のお薬よ。特別な味や香りを同じ人と何度も何度も口にすると、その味を口にするだけで、その人のことを思い出すようになるのよ」

 そう言って笑いながら、メープルシュガーの入ったお菓子をよく作ってくれた。

 もうベッドから起き上がれなくなって、お菓子も作れなくなった祖母が、最後に手渡してくれたものだった。

 時々母に頼んで、メープルシュガーの入ったクッキーを作ってもらい、祖母を思い出した。


 祖母が亡くなって三ヶ月後、友達のグレンのお母さんが亡くなった。

 グレンはとても落ち込んでいて、うちの馬小屋に隠れて泣いていた。ここなら、お父さんに見つからないから、と言っていた。

 グレンがお母さんのことを忘れないように、メープルシュガーのクッキーをあげた。

 そして、泣かなくなるのを、ずっと待っていた。私がそうして欲しかったように。


 母におばあちゃんから聞いた「秘薬」の話をすると、「一緒に食べた人のことを思い出すのよ。グレンのお母さんはもう死んでしまってるから、薬は効かないわねえ」と、笑われてしまった。

「それなら、きっとグレンは、この味を口にするたびにあなたのことを思い出すようになるわね」

 母はそう言ったけれど、そうなるかどうかはわからない。


 祖母からもらったメープルシュガーも残りわずかになり、最後にクッキーを焼いてもらったその日に、グレンが引っ越すことになったと聞いた。

 寂しかったけど、新しいお母さんができ、大きな街に行くと聞いたので、きっとグレンは幸せになれるだろう。そう思って、笑ってさよならを言うことにした。

 持っていた最後のメープルクッキーを全てあげた。

 一口かじったのを見て、

「そのクッキーには秘薬が入ってるんだよ。だから、もう私のことを、忘れられないよ」

 そう言ったのは、私のことを忘れて欲しくなかったからだ。

 グレンはぽかんとした顔をして、

「『びやく』って何?」

と聞いてきた。

「…忘れられなくなるお薬だって」

 でも、きっと忘れてしまう。大きな街には、きっと楽しいことがいっぱいだ。

 ほっぺたにお別れのキスをして、後は逃げるように家に帰り、家でわんわん泣いた。

 思い出すためのメープルシュガーは、もう残っていない。

 思い出してもらうための、秘薬はもう…。



 グレンがいなくなって四年後、父と母が急死した。

 馬車での事故だった。

 知らない親戚の人がやってきて、葬儀の後も居座り、私と弟の面倒を見るのだと言っては、家の中をどんどんぐじゃぐじゃにしていった。

 日に日に商売は傾いていき、家の中にあった物は、骨董や絵画と言った贅沢品から順になくなっていった。

 やがて、着る服や食べるものも充分ではなくなって、以前は奉仕に行っていた教会で弟と二人、夕食を食べさせてもらうこともあった。

 その分、養護院の子供達の世話をしたり、繕い物をしたりして、せめてものお返しをした。

 学校には何とか行かせてもらえたけれど、文房具などは全然足りなかった。

 それでも勉強ができなければ、将来できることも少なくなるのは判っていたから、必死になって勉強をした。

 やがて、家は破産し、自称親戚達はあっという間にいなくなった。


 家も売られ、立ち退かなければいけなくなった時、叔父夫婦が私と弟を引き取ってくれ、生まれ育った町を離れることになった。

 叔父夫婦は父母の死後、遺産を少しは受け取っていたけれど、決して裕福ではなかった。

 弟には何とか学校に行ってもらいたかったので、弟の学費を稼ぐため、私は年を偽って働いた。叔父の住むシティは大きな街で、働き口はいっぱいあった。父も母もそんなに大きくなかったのに、どういうわけか私はやたらと背が伸びた。そのせいで、年齢を偽っても、何とかごまかしがきいた。

 一方でこの身長のせいで合う服が少なく、譲ってもらえることもなく、古着屋でもなかなか手に入れることができなかったせいで、数少ない服を着回すしかなかった。今さら自分の服なんかにお金をかけたくなかった。

 髪もずっと伸ばしていた。私の髪は性が良く、大した手入れをしなくても、すんなりとまっすぐに流れる。街のカツラ屋さんからいつでも買うよ、と声をかけられてからは、元手のかからない商品としてしっかりと編み込み、売れる日を楽しみにしていた。


 勤務先のご主人が、わたしが勉強に興味を持っていることを知り、仕事は夕方からでいいと昼間は学校に行かせてくれることになった。

 ご主人は苦労人で、雇われた先で勉強を教えてもらい、それを商売に活かすことができたと言っていた。だから、自分も同じようにやる気のある子を学ばせたい、そう言って私に学ぶ機会を与えてくれたのだ。

 本当にありがたい申し出だった。

 その分迷惑がかからないよう、学校が終わるとすぐに仕事場に行ったので、友達なんて作っている隙はなかった。交代の事務員さんには小さな子供がいて急にお休みすることもあり、私が早く行けば行くほど助かる、と言ってもらえた。


 クラスに、幼なじみのグレンっぽい男の子がいたけれど、あえて話しかけなかった。

 グレンと一緒に遊んでいた時は、小さな町でも私はそれなりの商家の「お嬢さん」で、いつも髪にリボンをつけて、きれいな服を着ていた。

 それが、今や数枚のなけなしの服をローテーションし、髪をきっちり編み込み、めがねまでかけた大女だ。今さら話しかけたところで、落ちぶれた家の話なんてきっと聞きたくもないだろう。向こうも気がついていないのか、声をかけられないのが救いだった。

 一生気付いてくれるな、とさえ思う。

 幸い、秘薬は入手できない。異国の高価な甘味だ。

 時々お菓子屋さんにあの味のお菓子を見かけても、少なくとも今の私の手には届かない。グレンも食べないことを祈る。


 そう思っていたのに、何の皮肉か、勤務先のご主人の奥様が旅行のお土産だとメープルシュガーをみんなに配った。

 優しい奥様は、私にもお土産をくださった。

 ありがたく頂いたけれど…。叔母、つまりは叔父の嫁に見つかれば、没収され、自分の家族にだけ分け与えるだろう。こっそり隠した。


 ある日、叔母がいつになくご機嫌で私に声をかけてきた。

 いつも、弟のために稼いだお金の半分を「生活費」と言って巻き上げてしまう、あの強欲な叔母が。

 嫌な予感はしていた。

「あなたにいい縁談が来たから、受けといたわ。今週で学校はやめて、来週早々に男爵のところに行ってもらうから、準備しといてね」

 来週…。

 容赦のない。

 叔母がご機嫌なのは、男爵から結構な準備金を頂いていたからだ。そしてそれが私の所に回ってくることはない。

 いや、見た目を何とかするために、若干は「必要経費」を支払うだろうか。服を新調するとか。少しばかり見栄えを良くするとか。

 いやいや、来週と言われた時点で、服の準備などできるわけがない。この、男並みに身長のある私だ。叔母に、自分の服はいいから弟の進学のお金は残して欲しい、とお願いしたけれど、男爵に頼めばいい、と一蹴された。

 どうやら男爵は金持ちらしい。せめてもの救いか…。



 学校でも私が学校をやめる話が広まっていた。

 転校、と言うことになっているのが不思議だった。元ネタはどこなんだろう。

 それとも、男爵様は学校には行かせてくれるつもりがあるんだろうか。

 ほとんど何の情報のないまま、不安ばかりが募った。

 そこへ、グレンが話しかけてきた。

「転校する前に、シティのいいところ、教えてやるよ」

 シティに来てからずっと働いていて、いいところなんて何も思い当たらなかった。

 なつかしいグレンからの申し出を、つい受けてしまった。


 仕事はその日が最後で、翌日は特に予定はなかった。

 男爵の家に行く準備をするにしても、心配しなくていいほどに荷物はない。


 奮発して、クッキーを焼いた。

 家で焼けば、ほとんど叔母といとこの物になってしまうのはわかっていた。でも、何とか弟とお土産用は確保し、後は野獣どもに振る舞った。

 私がいなくなることを知っていたのだろうか。弟より少し小さい野獣ないとこたちが、珍しく

「ありがと」

とぼそりと言った。



 待ち合わせは教会の塔の下。結構目立つところを選ぶ。

 女の子慣れしているのは知っていた。私が知っているだけでも、二回は女の子を変えている。

 しゃれた店もよく知っている。昔の私なら、きっと喜んで買っただろう小物の店。行かなくなって、どれくらい経つだろう。お菓子だって買えなくなった。

 きれいな髪留めに目がいったところで、売るつもりの髪だ。…もしや、もう髪を売る必要はないのかも知れない。それでも、自分を飾ることなんて想像できなかった。いつかは切ってしまう物、それくらいにしか愛着を持たなくなった自分の髪が、ちょっと可哀想だった。


 店が並んでいた通りを抜けて、散歩のように歩きながら懐かしい町の話を少しした。あの頃ほどグレンのことはわかっていないけれど、もしかしたらそんなに変わってはいないのかもしれない。そんな気がした。お母さんを亡くして、泣いていたあの頃の、寂しがり屋なグレンと。


 公園に行くと、池の畔に白いカラーが咲いていた。

 懐かしい花。

 遊び場にしていた広場に行く途中の小さな池に、同じ花が咲いていたのを思い出した。

 これを知っていて、ここに連れてきてくれたんだろうか。

 女の子をエスコートする力を身につけた、優男のパワーに感心した。


 遊歩道をぐるりと回り、やがて、帰路へとつながる道に出る。

 もう帰らなければいけない。あの頃と同じように、さようならと言って手を振れば、グレンはこれからも学校に通う日常がある。私には、もうそんな日常はない。

「この学校にいた記念に、…これ」

 グレンが、小さな包みを差し出した。

 何かは判らないけれど、何かを持たせてくれようとしてる。包みからして、そんなに安い物ではないように見えた。

「こんな…。もらえない」

「いいから」

 手の中に強く握らされ、自分より少し大きいのにつややかで、柔らかい手に、自分が恥ずかしくなった。

「ありがとう」

 一応礼を言って、でもつい顔を背けてしまった。

 本当なら、その場で開けて、感想の一つも言うべきだったのかも知れない。でも、とてもそんな気になれず、持っていたバッグにそっとしまい込んだ。

 そして、そのお礼と言うにも足りないほどの、ささやかなお別れの挨拶を取り出した。

 懐かしい、秘薬の入ったクッキー。でももう、私を忘れないで、なんて言えない。

 ただ、懐かしいだけでいい。

「これ…。グレン、好きだったよね」

 すぐに判ってくれた。それだけで充分だった。

 リボンをほどいて、一枚食べた。

 同じ味になってるだろうか。自分の味見用さえ確保できなかった。

 はっとした表情を見せたグレンが、突然、私の腕を引っ張って、何をとち狂ったのか、唇を重ねてきた。

 とっさにげんこつで殴りかかるところを、ギリギリ平手打ちに切り替えた。

「グレンのばかっ。女がみんなそんな軽いもんだなんて思わないでよねっ」

 もう、なりふり構わずそこから走り去るしかなかった。


 ばかばかばかばか!

 何だと思ってるのよ! ばか!

 口きいたのだって、何年ぶりかわからないのに。

 こっちは明日には知らない四十過ぎのおっさんのところに嫁に行くというのに。

 苦労知らずのお坊ちゃんは、同世代の女の子に軽い気持ちで物を送り、軽い気持ちでキスをする。

 くたばれ、女の敵め!

 男なんて、最低だ!

 男爵だって、会ったこともないのに当てにしてちゃ駄目だ。何の保証がある?

 自分のできることはやっておかなければ。人任せになんてしちゃいけない。

 いらつく気持ちをパワーに変えて、私はカツラ屋に飛び込んだ。

「髪、売ります! 決意が変わらないうちに、バッサリいってください!」

 カツラ屋は、爽やかな笑顔を見せて、即座に私の髪を切った。

 襟にも届かないくらいの短い髪になり、結構なお金を手に入れた。


 家に帰った私を、弟が待っていた。

「お姉ちゃん、俺、シティの警備隊の見習いになることにした」

 弟は私と同じ日に家を出ることになったことを告げた。

「安心して。午前中は学校も行かせてもらえるって。学費も食費も出るから」

 もう学費はいらない…。

 私は知っていた。弟は、勉強があまり好きじゃないことを。

 それでも、生きていく足しになるくらいには学び続けて欲しい。そう思う私の気持ちは汲んでくれたみたいだ。

 本当は学生のうちは勉強に集中して欲しかったのだけど。それでも悪くない選択だ。自分で選んだのなら、それでいい。

 弟に、叔母に絶対バレないように念押しをして、髪を売ったお金を渡した。弟のために急いで用意したお金だ。私が援助できる最後のお金になるかもしれない。

「もう、学費じゃなくていいから。必ず、自分のために使いなさい。いいわね?」

 弟は、一瞬躊躇したものの、こくりと頷いて、そのお金を受け取った。


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