#56 アジール
白夜の姿が機械の中へ運ばれていった。それを窓越しに娘と見た総司は、部屋の出口へ足を踏み出した。
「席を外すよ。彼が目覚める頃には戻ってくる」
「……あ、はい」
雪音にそう告げると、総司は部屋を出た。その足で上階へ向かう。
B1F。エレベーターでその階に着くと、はっきりした足取りで薄暗い廊下を進んだ。しばらく進んだ後で、ある部屋の前で足を止めた。
――『霊安室』。
数回ノックしてから、総司はその扉を開ける。
「やあ」
薄暗い部屋の中に入りながら軽い挨拶をした。重い扉を閉め、総司はその中にいた人物へと歩き出す。
わずかな死臭が漂う中で、そもそも中にいた人物が振り返る。
両手は手錠で塞がれており、赤と橙のグラデーションカラーな髪が特徴の、真っ直ぐな瞳を持った女性。
「……貴方か」
その女は杵淵星那――雪音に敗れ、"白き信頼"へと護送された"電撃"の異能力者。
総司は杵淵の隣に立つと、さっきまで彼女が見下ろしていた"それ"を総司は視界に入れる。杵淵も黙って振り返り、総司と同じものを見下ろした。
「コイツは少なくとも私が知っている"金剛寺結弦"だ。顔が半分潰れてるが、それくらいは判断できる」
「……そうか」
神妙な顔で総司が相槌を打つ。彼ら二人が見下ろしていたのは金剛寺の死体――あの倒壊したビルの下から、"白き信頼"が回収したものだった。
杵淵星那――彼女は松浦イリアンと共に"白き信頼"によって護送されていた。
が、松浦イリアンが護送中に暴れ出し、自らを乗せたトラックを爆破。さらには雪音からの報告より、自らの異能"喰らう逆虫"によりコピーしていた金剛寺の異能"利口な騙り手"を使い、金剛寺への援護を断行した疑惑もある。
それらの後、イリアンはその場所から逃げ出した。
しかしながら、イリアンと同じく自由の身になっていたはずの杵淵はそこから逃げ出さなかった。
そして駆けつけた兵たちにより、彼女は"白き信頼"に運ばれた。
その先で杵淵は"白き信頼"に全面的に協力する上で、金剛寺の情報を明け渡す代わりに、処遇の軽量化を持ち掛けたのだった。
総司は言う。
「……貴様には言っていなかったが、逃亡した松浦イリアンはこちらで捕獲済みだ。彼にも情報を吐かせ、貴様の情報の正当性を確かめる。貴様の処分はそれからだ」
「随分優しいものね、"白き信頼"ってのは」
「……ふむ。そうか、そう思うのも勝手だが、当分は四国に帰れないと思いたまえ」
「……」
杵淵の目つきがあからさまに変わった。総司は依然同じ黒い瞳でそれを見返す。
「まだ決まったわけではないが、しばらくは"白き信頼"の手足になってもらうつもりだ。なに、悪いようにはしないさ」
「……手を出したら許さない」
「それが我ら"白き信頼"を敵に回すということだ。身を持って体験するといい」
冷徹な瞳で睨みつけてくる杵淵の圧などもろともせず、総司は背を向けた。
部屋の出口まで歩くと、その扉を開く。その先には丁度、この部屋に訪れようとしていたくせ毛が特徴の茶色髪の女性――理恵の姿があった。
理恵は総司を見るなり、一歩下がって頭を下げる。総司はそんな彼女に告げた。
「部屋に連行しろ。……頼むから、無駄な騒ぎは起こさないでくれよ」
「はっ」
きりっと背筋を伸ばし返事をする理恵だったが、それを見つめる総司の瞳は珍しく心配の色が含まれていた。
しかし態度だけでいえば真摯な彼女に、何か嫌味を言うわけにもいかない。総司はそのまま部屋を後にした。
総司の後姿を見送った理恵は、黙って霊安室へと入る。後ろに手を回し、扉を閉じた。
杵淵は部屋に入ってきた彼女を見ると、小さく笑いかけた。
「アンタが新しい監視役? よろしくって言っておくわ」
「……」
理恵は杵淵の言葉を聞いていないのか、反応を示さずに彼女の前まで歩み寄った。そして。
「――っ!」
その拳が、杵淵の腹へ繰り出される。まさかの不意打ちに、杵淵はその場で崩れ落ちて咳き込んだ。
咳き込みながら、杵淵は苦しそうに殴ってきた理恵を見上げ、そして強く睨んだ。
理恵は冷たく見下ろすと、右足を上げた。
「反抗的な目だな、修正するか?」
上げた右足で、理恵を睨む杵淵の顔を踏みつけた。それらの暴力には一切容赦がなく、杵淵は内心若干狼狽えていた。そしてその内心を理恵はしっかり把握していて、さらに足に力を込める。
「良いことを教えてやるよアバズレ、ここに監視カメラはない。取調室も顔真っ赤な独立自治区なわけだ」
「……っ、アンタ、嫌な臭いがするよ。飼い主様の目がないのがそんなに嬉しいのか?」
靴で踏まれつつ、杵淵は負けじと唇を緩め、理恵を煽る。そんな彼女を見た理恵はニヤリと笑い返すと、その顎を蹴り飛ばした。
「ぐぅ……」
地面に倒れる杵淵。理恵はスタスタと彼女のところまで歩くと、無理やりに彼女を立たせた。
「歩けよ、てめぇにお似合いな犬小屋に招待してやる」
「へっ……。どっかのガキと隣人だと助かるな」
杵淵は手が繋がれたままの状態で、理恵に背中を小突かれつつ歩き出した。
理恵は杵淵から見て、相当興奮しているようにみえる。それともこれが通常なのか、それは分からないが、ひとつ情報を聞き出してみようと杵淵は画策してみた。
松浦イリアン――あの子供と杵淵の関係は終わったが、彼の行き先は気になっていた。
あのトラックを爆発させて逃走したのはちゃんとこの目で見たが、"捕まった"というのは総司の口からしか聞けていない。
理恵の口から運よく聞ければ、と杵淵は目論んだのだ。
杵淵の策略通りか、それとも理恵はそれを読んでいたのか分からないが、笑って杵淵の後ろ髪を引っ張った。
「あのガキは"アジール"に送られた。てめぇと会うことはもうねぇだろうな」
「……っ。……アジール」
初めて聞いた言葉だった。それがどういう場所なのかは知らないけれども、しかしこの場所よりも碌な場所ではないことはなんとなく分かった。
杵淵は頭を振るい、髪を引っ張る理恵の手をほどくと、歩き出しながら瞳を閉じる。
「あのバカが……」
◆