#31 嚆矢の歴史
東宮総司は三日月市の某所にある"種子情報機関"の中枢で、その時が来るのをただ待っていた。
静寂に包まれた空間で、彼は椅子に座り、パソコンやその周辺機器が置かれた長い机に肘をついて、青く光る円柱の巨大な機械と向き合っていた。
天井は数メートルと高く、中央に坐する円柱の機械――もとい、"種子情報機関"として貯蔵の役割をなす"それ"を含めても、その空間にはかなりの余裕があった。
しかし、その大きな空間に総司以外の人の気配はない。普段は"スイレン"の者が数人ほど駐在しているので、今の光景はかなり奇異なものだった。
ついぞ、その沈黙が途切れる。総司の背後の自動ドアが開き、そこから一人の男がこの中枢へと入ってきた。コツコツとその男の足音が広い空間に響く。
「遅かったじゃないか」
総司はそう言いながらゆっくりと立ち上がり、中枢に入ってきた人物へと振り向いた。手を後ろで組んで、その人物を真っすぐに見つめる。
彼の瞳に移ったのは、黒いコートに不健康な赤い長髪を携え、とても不満げな表情の男――彼こそ、金剛寺結弦本人であった。
金剛寺は総司と顔を合わせると、彼と数メートル幅を開けて立ち止まる。
「……」
金剛寺は黙って総司を見つめ続けた。
ポケットに入れたままの腕。そこから殺意も感じられない気が抜けるほどの恰好だが、総司は規則正しく背筋を伸ばし、気を抜かぬ態度で語りかけた。
「せっかくの出迎えに、何か言ったらどうだい?」
スーツにつけられた"スイレン"の証である、先に小さなバッヂがついたチェーンを揺らしながら、総司は一歩踏み出した。金剛寺は彼の動いた足元をじろりと凝視し、再び総司の顔へと視線を戻す。
そして目を細め、舌打ちと共にようやく金剛寺は口を開いた。
「……してやられた気分だ」
「気分じゃない、実際にしてやられてるのだよ」
「……あぁ、そうらしいな。クソ、警備が緩すぎたわけだ……」
金剛寺はそうやって忌々しく言葉を吐き、今度は明確に総司を睨みつける。総司は黙って冷静な瞳で彼を見返した。
金剛寺の狙いが東宮雪華ではなく、"種子情報機関"であることに総司が気づいたのはずっと前。雪華が襲撃されるよりも前に、総司は"スイレン"へ不審な働きかけをする金剛寺を予めマークしていた。
そんな中、金剛寺一派による雪華襲撃が敢行される。"宿星の五人"による呪いで衰弱していた雪華を狙ったその襲撃は成功をおさめ、どういう手段を使ったかは未だ断定はできいないが、雪華から異能が奪われた。
雪華の異能は妹の雪音と同系統の"凍結"。娘を襲われ珍しく乱心を味わった総司だったが、そこで平常心を保てないようなタマでは"スイレン"の幹部に成り上がれない。憤りがフツフツと沸いてくる中でも、総司の一部は冷静に疑問を感じていた。
わざわざ"スイレン"の庇護下にあった雪華を狙う必要はあったのか。"凍結"の異能は確かに強力であるが、奪うほどに希少なわけではない。"スイレン"の雪華を狙わずとも、他にも"凍結"と同じ系統の異能力者は存在する。
その理由はすぐに推測できた。普通の異能力者と雪華の相違点。それは彼女が"宿星の五人"であるということ。そこに特別な意味があるのかとまずは考えた。
しかしながら、それが雪華を襲う要因としては少し弱い。"宿星の五人"は文字通り、雪華の他にも四人――さらには秘匿の二人――が存在しており、その中から雪華を選ぶ必要がまずない。"スイレン"幹部の身内を狙う意義がないのだ。リスクが増えるだけだろう。
その後も、雪華襲撃事件の後から出現し始めた"異能雑兵"と呼ばれる、後天的な異能を持つ者たち。その者たちが言うには"クスリ"を経て、異能に目覚めたという。
捕らえた者たちを検査した結果、彼らのとある体液から雪華の異能成分、そして彼女の"呪い"とよく似た反応が検出された。
この事から、彼らの狙いは雪華の異能だけでなく、"宿星の五人"にかけられた"呪い"に含まれるモノであったことが分かった。
例のクスリ――"異能覚醒薬"の完成にはその二つが必要だったのだろう。彼らは異能だけでなく、"呪い"の要素も奪取していたらしい。
だが、それでもわざわざ"雪華"を狙った理由としては、やはり弱い。他の"宿星の五人"を狙ったとしても良かったはず、という疑問は解決されない。
そして何より、金剛寺の目的が"異能覚醒薬"の完成であるとは思えなかった。総司が金剛寺について調べた際には、そもそも彼にそんなモノを作る技術はないはず。
ここで総司は思いついた。実は"異能覚醒薬"が完成することなど、金剛寺からしてみればそこまで重要ではない、と。"雪華を狙うこと"に自体が意味を成すのなら、話は変わってくる。
その考えに至り、総司は改めて金剛寺結弦という男を調べ直した。そしてとある推測に至ることになる。
――総司は目の前の金剛寺へ、淡々と告げた。
「金剛寺結弦、君が真に欲しかったのは"情報種子機関"に保存されている情報だ。どんな情報かは不明瞭だが、私が推測するに異能力者の起源と、"白き信頼"の成り立ちが記された"嚆矢の歴史"ではないのかね」
金剛寺は幼少期にある男と出会っていた。名は中川淳也。金剛寺との血縁はなく、ただの他人のはずだった。しかしながら、金剛寺は彼と出会うことにより、自らの異能を自覚し、それからの人生を大きく変えた。
そしてその中川淳也という人物。彼は数年前に"情報種子機関"へ侵入を画策し、"スイレン"に捕縛された前科を作った男だった。
その目的は"嚆矢の歴史"だった。彼と金剛寺にどんなやり取りがあったかは分からないが、彼らの仲は良好だったという。
そこまで知った総司は金剛寺に狙いが中川淳也と同じ"情報種子機関"にあると定めた。当然、これが間違いという可能性も考慮に入れていたが。
その結果、金剛寺の狙いが"嚆矢の歴史"であるという、明確な根拠までは至らなかったものの、目的が"情報種子機関"の中にある"何か"であることは予測できた。
雪華を襲撃する前に金剛寺が調べていたのは、"スイレン"の内部構造にあったようだ。その中でこの場所を探り当てたのだろう。つくづく不気味に優秀な男だが、そんな彼でも通常時のこの場所の警備は崩せなかった。
「君はここの警備を減らすために、雪華を襲撃し"異能覚醒薬"をバラまいた。"異能雑兵"が跋扈すれば、それは一大事だ。異能力者という陰の存在が脅かされる。結果、"スイレン"は重い腰を上げざる得なくなるわけだね。当然、そこにリソースを割くとなれば、ここの警備が少しでも手薄になる可能性はある」
総司は両腕を広げ、そのまま続けた。
「その淡い可能性に賭けたわけだ。君に都合がよくて、すぐ能動的に起こせる騒動の中では、恐らくこれが最大限のものだったのだろう」
そこで初めて、総司は笑みを浮かべる。自分を睨みつけてくる金剛寺に向けて、半笑いを含んだ口調で告げた。
「そしてここにたどり着けたわけだ。おめでとう、君の狙い通りさ。警備も少なかっただろう?」
全ては推測に過ぎなかった。しかしながら、それは的中していた。現に金剛寺は目の前に現れた。彼は総司の思惑通り、警備を手薄にしておいた"種子情報機関"に、乗り込んできたのだ。
金剛寺は笑いかけてくる総司に対し、苛立ちを隠せなかった。握りこぶしをガチガチに震わせ、吐き捨てるように口を小さく開く。
「クソが……っ! つまり、お前が俺をここに呼び寄せたってことだろうが……! なら、ここに"嚆矢の歴史"は無ぇんだろ……!」
「――当たり前だろう? ここを守っていた"スイレン"の同志たちは何も有給を取って遊んでいるわけじゃない。今彼らは、"情報種子機関"の中の物理的断片をこの場所から持ち出し、運搬しているのだ。――君も知っているはずだろう」
実のところ、すでにここには"種子情報機関"による抜け殻しか残っていなかった。言うなれば、総司の背後にある"それ"はすでに電気を使い光る鉄くずと化している。
金剛寺がこんなに急いでこの場所を襲う計画を立てた理由の一つが、この仕組みにあった。
"種子情報機関"は飛散する。一定期間ごとにその場所を移り、新しい場所で再び根を張るのだ。
つまり、永久的に一つの場所に留まっているわけではなく、不定期で場所を移動する。
今の"種子情報機関"が移動してしまえば、金剛寺が集めた情報も意味をなさなくなる。だから彼は、"種子情報機関"が移動する前に事を成す必要があった。
今回"種子情報機関"についての情報を得られたのは、彼が優秀といえど、奇跡的だったはずだ。これを逃せばチャンスは来ないかもしれないと、金剛寺は分かっていた。
だから強行した。しかしそれは総司がすでに悟っていた。
故に総司は、緊急で"情報種子機関"の中身をこの数日で移動させる手筈を整え、それを実行したのだ。
つまり今、金剛寺は確かに"情報種子機関"に辿り着いたが、全てにおいて遅かった。そして今、総司の前に無様な姿を晒している。
「もうそろそろ"種子情報機関"は新しく根を張っただろう。ここは本格的に何の価値もなくなったわけだ」
「あぁそうだろうな……! ムカツく野郎だぜ、お前は……!」
総司の口から全てを聞いてしまった金剛寺はそう乱暴に告げると、黒いコートから勢いよく右腕を露出させた。そこには"利口な騙り手"の異能である"口"がいくつも張り付いていた。
それは明確な殺意による威嚇だった。金剛寺が成してきたことが、全て虚無に還されたと知ったのだ。彼が激情に捕らわれるのは仕方のないことである。
総司はそんな彼を見下ろした口調で、静かに告げた。
「ああそうだ、賢い君でも激情からは逃れられない。激情は人を必要以上に饒舌にする。話す必要もないことや隠すべき本音も、耐えきれず吐き出してしまう」
向かい合う二人の感情は対照的だった。
淡々と言葉を紡ぐ総司と、今にも彼に飛び掛かりそうな金剛寺。その温度差が見て取れる。
「お前が冷静なのがさらにイラつくんだよなぁオイ! 分かってんだろ? 俺はいつでもお前を殺せる……! それをやらないのは"理性"が働いている"からだ……!」
金剛寺は一歩踏み出すと、自身の目の前に大きな口を召喚する。鋭い歯をガチガチを震わせ、その切れ味の恐怖を見せつけた。
「その"理性"で最期に教えてやるよ東宮総司……! お前の娘の異能と"呪いの一部"を盗んだのは俺だが、"保存"してるのは俺じゃねぇ! てめぇを殺して、その異能もずっと返さねぇでやるさ! ハッ、てめぇから奪えるもんは全部奪ってやる……っ!」
「……そうか」
よだれがたれ、凶悪な歯を見せつけてくる大きな口の前で、総司は静かに相槌を打った。その態度がさらに金剛寺の激情をヒートアップさせる。
だから金剛寺は気づかなかった。その相槌を打った彼の唇の隅が、小さく吊り上がったことに。そして彼との戦闘はすでに"始まっていた"ことに。
総司は金剛寺を見つめると、ゆっくりと告げた。
「知りたいことは知れた。もういいよ」
「――」
総司が金剛寺を見つめた瞳には、何も含まれていなかった。
無感情。それは金剛寺に対して完全に興味を失った目であり、すでに激高していた金剛寺の手を動かせるには十分すぎた。
「死ね……ッ!」
金剛寺が恨みの籠った言葉を放ち、突如、総司の上半身を飲み込むほどの、大きな"口"を彼の頭上に出現させる。そしてその口は躊躇なく、鋭い歯牙で総司の胸元から首筋にかけてを噛み砕いた。
――はずだった。
「――っ!」
「……」
金剛寺は目を見開いた。その"口"は見事、鋭い歯牙で金剛寺の胸元から首筋にかけてを噛み砕くだこうとした。
「っ……!?」
金剛寺の体に走ったであろう鋭い困惑。しかし彼は機転に富んでいた。歯が肉に食い込む瞬間に、経験則による瞬発力で"口"を消した。ギリギリのところで攻撃を中断し、傷は浅いままに収める。
だが、金剛寺は今まで疲弊もあってか、その場で膝をついた。そして何よりも頭が混乱していた。
総司を噛み砕こうとした"利口な騙り手"の"口"。いや、ほとんど攻撃は完了していたはずなのに、肉を砕く直前に、何故かその口は金剛寺を噛み砕こうとしていた。
わけが分からないといった様子の金剛寺だが、その原因は総司にあるとみていた。彼は総司を見上げ睨みつける。が、総司は金剛寺を見下ろしつつも、どこか興味深そうに自分の胸元辺りを撫でていた。
それはさっきの攻撃が通らなかったことへの興味がたかった行動であると、誰の目から見ても明らかだった。
総司がそんなことをするということは、彼自身の異能によるものではないようだ。金剛寺の思考はさらに混乱する。
と、そんな彼の背後から、女の声がした。
「おいおい、久しぶりなのに元気なさそうだなあ。じゅじゅちゅ……呪術師さんよぉ。ちゃんと扉から入ったのに、気づかないなんて……」
その声に金剛寺は聞き覚えがあった。金剛寺はふらふらと立ち上がり、その声の方へ振り返る。
そして一瞬目を見開くも、すぐに納得した様子で声を低くした。
「……てめぇか、"精霊様"」
「無様だね、人間。激情に踊らされ、そのザマか」
金剛寺の目の前にいたのは、ベージュ色の短髪で黄と赤のオッドアイの少女――もとい、それはいつしか拳を交わし合った経験のある精霊――火孁だった。
彼女は明らかに本調子ではない金剛寺の姿を見て、愉しそうに笑ったのだった。