#9 白き信頼
廃病院で黒い日輪の頭、エイラを倒した二人は雪音馴染みの喫茶店へ向かっていた。
その道中で会話はひとつもなかった。白夜も何かを話したい気分というわけでもなかったし、雪音も雪音で白夜に踏み込みすぎたと思い、自重しているのだろう。
白夜も自ら"それ"を言葉にしてみると、いやに現実味が湧いてきて嫌だった。逃げられない宿命だ。立ち向かう力も手段も、今の白夜にはなかった
沈黙の中、白夜は歩きながら平塚に『廃病院の件は片付いた』と携帯からメッセージを送った。平塚から依頼を承った立場であるので、このような連絡は必須だ。報告を終えてすぐ携帯はポケットに仕舞う。
数十分ほど歩いて、ようやく町中に戻ってきた。閑散としていた人通りも増えてきて、それからまた数分歩いたところで雪音の足が止まった。
「ここです」
ようやく目的地の喫茶店についたようだ。
白夜は彼女の視線の先にある喫茶店を見る。見た目的にはガラス張りの近代的な建物で、見慣れない名前だった。少なくてもチェーン店ではないようだ。
雪音は慣れた手つきで喫茶店のドアを押すと、そのまま中に入る。白夜もそれに続いた。
店内は空いていた。二人の入店に気づいたウェイターがせわしなく二人へと歩み寄る。
「いらっしゃいませ」
笑顔で出てきたウェイターの視線が雪音を捉えた。
刹那、雪音を見たウェイターの気配が一気に鋭くなる。しかしすぐにその気配は消えた。朗らかな笑顔で「お好きな席をどうぞ」と一礼すると、そそくさと厨房の方へ消えていく。
どうやらこの喫茶店は、雪音によって何らかの手回しがされているようだ。白夜はその用意周到さにちょっと関心してしまった。このような目配せは映画の世界だけだと思っていたので、実際目の前にしてみると楽しいものがある。
けれども、これからこの場所で話し合う内容というのは楽しいようなものではない。そう考えると、白夜は再びナーバスな気分に陥りそうになった。自分でも感情の上げ下げが激しいと感じる。錯綜する事情と情報を前にして情緒不安定になりつつあるのだろう。
だがそう打ちひしがれているわけにはいかない。
気を取り直して、白夜は先にテーブル席へと歩き出していた雪音の後を追った。二人は壁の凹みの中に作られた席へ向かい、そのテーブルに腰を下ろした。
席へついた雪音は息をつくと、背中に下げていた木刀袋を隣に立てかけながら、白夜へと言う。
「このお店は私が席を置いてる組織が経営しているお店ですから、秘密話にもってこいなんですよ」
「へぇ、組織ねぇ……」
テーブルを越しに向かい合う中、白夜は目を細めて雪音を見た。世界には複数の異能力者による組織が存在していて、その大義はそれぞれ違う。自警団だったり犯罪組織だったり、それは様々だ。
雪音の組織が犯罪系列のものであるとは考えていないが、組織と聞くと身構えてしまう。字と共にいた時期にも色々な組織に関わる機会があったが、その大半はあまり良い思い出ではなかった。
「組織の事についても、ちゃんとお話ししますよ」
「助かる」
さっき厨房に消えていったばかりのウェイターが何も言わずにホットコーヒーが入ったカップを持ってきて、それぞれの前に置く。そして一言「ごゆっくり」とだけ残すと、すぐにテーブルから離れていった。
秘匿情報を"秘匿"であり続けるために、客がついたテーブルには一定の時間いないに離れる、といったルールがあるのかもしれない。そして伝票すらおいていかないところを見るに、権力を感じる。
ウェイターが遠くに行ったところを確認すると、雪音は口を開いた。
「さて、貴方に依頼するのは"呪術師"を探し出し、私の姉にかけられた呪術式を解除させることです。一応、これは私が所属している組織――白き信頼から貴方に依頼するというかたちになりますね」
「白き信頼……スイレン? 花の名前ってのは知ってるが、それ以外にも聞いたことがある名前だな」
「そうでしょうね。"表"では主に医療の分野において多大な業績を残していますから。この町の病院の建て替えにもかなり援助しましたし」
病院と聞いて、白夜はすぐに近場の大きな病院のことを思い浮かべる。
その病院は三日月病院。そういえば、病院の名前を冠する看板には白い睡蓮のマークが文字の後ろについている。今まで深く考えなかったが、雪音の言葉からして、その理由は三日月病院が"スイレン"と呼ばれる企業の援助を持ってして建てられたことに起因しているようだ。
そんな"スイレン"という組織が雪音の後ろ盾になっているらしい。
しかし白夜が個人的に気になったのはその言い方だ。白夜はテーブルに肘をついて、手の甲を口元に寄せる。
「今"表では"って言ったよな? じゃあ"裏"ではどうなんだ?」
「……"スイレン"は、異能力者による治安悪化を防ぐために、古くから活動を続けている組織の一つです。毒を以って毒を制す――治安や平和を乱す異能力者を取り締まるために異能力者が集まってできた自警団のひとつ、それが今日"スイレン"と名乗っているわけです」
雪音はそう告げた。
表では大手企業、裏では古くから異能力者の世界で秩序を正す組織。なんともできすぎた存在ともいえるが、それが実在しているであろうことに疑いはなかった。白夜は息を呑む。
雪音はそのまま続けた。
「そして今、"スイレン"はある研究を進めています」
「……研究?」
「そうです。貴方にも大きく関係する研究です」
雪音の言葉が終わると同時に、喫茶店の来客を知らせるベルが鳴り渡った。それを境に一旦会話は途切れ、その沈黙が白夜を思考させる。
雪音は白夜にも関係すると言った。白夜が関係する研究ということは、異能力者関係であることは間違いないだろう。しかしどこか引っかかる。
考える白夜は近づいてくる足音に気づかない。
ずっと前から疑問だった。雪音は見る限り、白夜よりも幼い。そんな低年齢の少女が"スイレン"のような組織に加入できるとは思えなかったのだ。けれども、今までの言動が"スイレン"との関わりを証明している。
とするならば、今考えられる答えはひとつだ。――雪音の近い身内が"スイレン"の中枢に所属しているということ。
そして彼女の姉が宿星の五人であることも考えると、その"研究"というものの真髄が見えてくる。
つまり、恐らく"スイレン"は――
「――宿星の五人にかけられた呪いを解くための研究をしているのだよ」
「……!」
その声を聞き、初めて白夜は自分たちのテーブルの前にスーツを着た男が立っていることに気づいた。
さっきの入店のベルはこの男のものだったのだろう。そしてここに来たということは――。
だがそれ以上に驚くべきことを彼は言った。白夜は目を見開いて彼を見る。
呪いを解く研究だと、この男は口にしたのだ。白夜が受け入れていた不条理を解く鍵、それを彼は有しているのかもしれない。その事実は白夜にとって、とてもじゃないがすんなりと受け入れられるものではなかった。
混乱する白夜に、眼鏡をかけて薄いヒゲを生やしたその男は唇を緩ませる。それから自慢げ告げた。
「こんにちは、白夜君。私は"白き信頼"の最高幹部、東宮 総司。さて、依頼の話をしようか」
黒いスーツを着たその男――東宮総司。雪音と同じ苗字を持ち、"スイレン"の最高幹部と名乗ったということは、白夜の推測は間違いではなかったようだ。
だがしかし、白夜が聞きたい言葉は他にある。彼の口から、しっかりと。
総司はそのまま続けた。
「依頼内容は"呪術師"金剛寺結弦を探し出すこと。異能力者の異能の法則に従うなら、金剛寺の異能による呪術は倒すか、彼の任意で解かせることができるはずだ。そのどちらかを君にやってもらいたい。見返りはさっき言った通りだ。最近になって、"研究"が大いに進んでね。だから私たちが君に提供できる報酬は、あの二年前の事件で君が失ったモノ――"未来"そのものだ」