天変の魔法使い
屋敷に到着早々、まるで家主であるかのようなラウラに先導され訪れたのは、裏手の森を雑に切り拓いて作った思われる小規模な平地だった。
「飛行機での会話、そして車内での会話で、あなたには多くの物が足りていないと理解したわ。
時間がないわ、さっさと打ち込んできなさい」
平地の中央に陣取ったラウラは、翔に向かってそう宣言した。
「えぇっ!?今からですか!?」
会話から察するに、ラウラは言葉の端々から感じ取れた翔の能力不足に不安を感じ、てっとり早く矯正しようとしているのだろう。
翔としても、前大戦を勝ち残った大戦勝者であるラウラに稽古を付けてもらうことには何の文句もない。むしろ願ったり叶ったりだ。
しかし、今の彼は片手にスーツケースを持ち、猿飛が用意してくれたフライトの言い訳を少しでも本物に見せるために、学校指定の制服姿だった。
もし、このまま戦いだしたりすれば、スーツケースは中身ごとぐちゃぐちゃだ。制服に至っては、休み明けは新品の制服が自宅に届くまで運動服姿の登校を余儀なくされるだろう。
そのような理由で、翔はラウラの当然の申し出に、歯切れの悪い返答しか出来なかったのだ。
普通の人間であれば、翔のこの態度を察して、準備時間を設けてくれたりするだろう。
けれど目の前の人物は、大戦勝者と呼ばれる魔法世界の重鎮であると同時に、全魔法使いの中でもトップクラスに話が通じない唯我独尊が人の形をとったような人物だ。当然、翔の都合など考えてはくれなかった。
「早くしなさい!
それとも、まさかお気に入りの服が汚れるとか、手荷物が戦いに巻き込まれるとか、そんなどうしようもない理由で躊躇してるんじゃないでしょうね?」
「っ!?」
図星だった。そしてそんな翔の態度を見たラウラの目は、一瞬にして据わった。まるで猛吹雪が振り出したかのように周りの気温が急激に低下していくように感じる。
「天原様、荷物をお預かりします」
「翔!上着は預かるからお師匠様との戦いを優先して。
ウチには治療用の魔道具なんて用意してないから、捥げたりしたら大惨事だよ!」
そんなラウラの様子を見て、翔よりもよっぽど付き合いが長いのだろうニナとモルガンと呼ばれた執事が、翔にいち早く助け舟を出す。
「うぇっ!?あっ、あっと、すみませんお願いします。
えっと、ニナも悪ぃけどよろしく......って捥げるってなんだ!?これって血の魔王との戦いを確実なものにするための訓練なんだろ!?」
翔は日魔連の皆に信じられて送り出されたのだ。血の魔王との戦いで重傷を負ってしまうのは仕方ないが、ラウラの癇癪で重傷を負って緊急帰国になったりしたら、立ち直れない自信があった。
「ゴメン!ああなったお師匠様はボクらじゃ止められないんだ!唯一の対処法は、さっさと動き出すこと。
そうしないと、捥げるだけじゃなくて、潰れたり、穴が開くよ!」
「おい!潰れたり、穴が開くってなんだ!?
人体か!人体のことを言ってるのか!?」
「さっさとしなさい!あなたは準備が万端じゃないって情けない理由で、目の前に現れた悪魔に許しを請うつもり?」
「分かった、分かりましたよ!胸をお借りします!」
もはや一刻の猶予も無かった。荷物と上着を二人に預けた翔は、右手に木刀を出現させると、半ばがむしゃらにラウラに飛び込んでいった。
「うらあっ!」
翔の初手は上段からの振り下ろしだ。
急かされたことによって身体の重心がぶれ、研ぎ澄まされた最高の一撃とは呼べないものだったが、それでも当たればタダでは済まない威力は秘めていた。
愛用しているビニール傘を用いて防御するのか。それとも小柄な体躯を活かして回避に回るのか。第三の選択肢として魔法を使ってくるのか。
いずれにしても、この程度の一撃が大戦勝者に対して有効であるはずがない。そう考えた翔は、すぐさま後手の対応を取れるように身構えていた。
「なっ!?ぐっ!」
しかし、翔が想定していたのは前述の三つの選択肢のみ。ラウラが取った四つ目の選択に彼は驚愕した。
「この程度?」
彼女の取った選択、それは何もしないという選択だった。
翔の振り下ろしに対して、何の対抗をするわけでも無く、ただ甘んじて受け入れる。
それによって、彼女の脳天には強かに木刀が打ち込まれたはずだったが、当の本人は一切気にした様子は無く、むしろダメージを負ったのは、翔の方だった。
(かっ、硬ってぇ......。何だ、俺はいったい何に木刀を打ち込んだんだ?)
今、翔の腕は想像だにしなかった攻撃の反動と痺れに襲われていた。
まるでアスファルトの道路や、硬い岩盤に間違ってバットなどの長物を振り下ろしてしまった感覚。それが人間の頭部を殴った反動として返ってきたのだ。普通ならあり得ない事態だった。
(まさか、もう魔法を発動していたのか?そのせいで、ラウラさんの身体がまるで岩みたいに硬質化していたってことか?
けど、ラウラさんの魔法は何らかの液体をトリガーにして、相手を好き放題にワープさせる魔法のはず)
マルティナとの決闘直前、翔はラウラからアドバイスを授けられると同時に、彼女のご機嫌を損ねた報復として頭にたんこぶを作る羽目になった。
その時に翔は、何かの液体をパシャリと彼女にかけられ、次の瞬間には百メートルほど離れたダンタリアの下に強制的に移動させられ、頭から地面に叩きつけられたのだ。
これが彼女の魔法なのだとしたら、今目の前で起こっている身体の硬質化現象は一体なんだというのか。
(駄目だ。答えが浮かんでこない......なら、今は距離を取る方が先決だ!
前回、ラウラさんに魔法を貰った時は、至近距離で液体をかけられたのがトリガーになった。このままじゃ二の舞に......あ、あれ?)
答えの出ない問題をひとまず頭の片隅に放置し、今まさに迫っているであろう脅威に対して対抗しようとした翔だったが、またしても状況は彼の思いとは異なる展開に発展していた。
振り下ろした木刀がラウラの頭から離れないのだ。いや、離れないというのは語弊がある。
彼女と木刀の間はいつ間にか白く着色されており、その部分からまるで接着剤でも使ったかのようにガチガチに接着されてしまっていたのだ。
おまけにそこを起点として白い浸食は木刀の手元へと進んでおり、木刀をあきらめてすぐにでも離れなければ、翔の腕も呑み込まれかねなかった。
「おわあぁぁぁ!?」
咄嗟に距離を取る翔。そうしてラウラを俯瞰的に眺めることができる場所に立ったことで、翔は気付いた。
彼女の髪色が先ほどまでの太陽のような赤色から、透き通るような半透明の白色へと変化していることに。いつの間にか快晴だった空には雲がかかり、あろうことか小粒の雪が降りだしていることに。
そして白い何かの正体が氷であり、自分の木刀は彼女の身体ごと凍結されたことで引き抜けなかったのだということに。
「悪天候 雪模様。
何てことは無いわ。ただの変化魔法よ。むしろ、この程度で驚いて逃げ出すように距離を取るなんて、情けないったらありゃしない。
あなたの役目はニナの盾よ。一目散に逃げだす盾なんていらない。害悪でしかない......!」
「あっ......」
ラウラの言葉が翔に突き刺ささった。周囲との気温差によって、彼女の身体中からは白い冷気が放出され、翔には怒りに沸く鬼のように見えた。
(始まりこそ無理やりで滅茶苦茶だったけど、ラウラさんの言葉はもっともだ。さっき俺は、全ての予想を裏切った動きをされたせいで、思わず逃げるように距離を取っちまった。......血の魔王討伐作戦で求められるのは、ニナの護衛だっていうのに......
ラウラさんが怒るのも当然だ。)
翔とニナはもう幾日もしないうちに、血の魔王討伐のため、たった二人きりで魔王の居城である結界内に飛び込むこととなる。
信じられるのはお互いだけ。こなせなかった仕事の皺寄せは、全て相方への負担となってのしかかることになる。
翔が防衛という役割を放棄し、後ろに下がれば下がるほど、ニナは一度の戦闘で目を向けなければいけない場所が増え、大きな負担となってしまう。
彼女を本当の家族のように大切に思っているラウラのことだ。先ほどの翔の行動は、翔が思う以上にラウラの逆鱗に触れる行為だったに違いない。
彼女はこの訓練を通して、今回予想される戦いにおいて、与えられた役割を遂行することの重要性を翔に伝えようとしていたのだ。
「......ラウラさんの言う通りです。
今のが血の魔王討伐作戦の本番だったら、俺はとんでもない負担をニナにかけてしまっていたかもしれない」
翔は反省すると同時に、今までの悪魔とのタイマン勝負とは勝手が異なる、自分の役割を遂行するという集団戦における基礎に気が付いた。
「それで?分かったからどうだっていうの?」
もちろん言葉程度でラウラの怒りが収まるはずもない。今も一歩、また一歩と冷気を全身から放出させながら、翔へと着実に歩み寄ってくる。
「分かった後は実行に移すだけです!俺は、ラウラさんのその魔法を全力で防ぐだけだ!」
翔は擬翼を展開し、先ほどと同じように木刀を出現させた。しかし、彼の眼には先ほどまでの突然始まってしまった訓練に困惑した眼差しはすでになく、雲の上の存在のラウラを目の前にしても絶対に退かないという不退転の覚悟が宿っていた。
「ふん、なら見せてみなさい」
ラウラは一言そう零し、翔に向かって走り出した。
次回更新は4/2の予定です。