銀の相棒
翔がラウラを追いかけて飛行機から降り、人ごみをかき分けながら軍服の少女を探していると、ターミナルの出口付近で何者かと話し込んでいる彼女の姿が目に入った。
「おかえりなさいお師匠様。わざわざ御足労をおかけしてすみませんでした」
「いいのよニナ。家族が困っていたら助けるのは当然でしょう?
むしろあちらが動き出す前に、こちらの準備が間に合って安心したくらいよ」
「準備というと......もしかして先ほどからこちらを見つめている彼ですか?」
「えぇ。何かにつけて保険だの、最大限の安全の考慮だの言って戦力を出し渋る大熊から、応援をもぎ取ってきたのよ。
ほら、さっさとこっちに来なさい」
「あっ、はい!」
ラウラが翔に手招きをし、こちらに来るよう促す。
「紹介するわ。名前は天原翔。すでに二回の悪魔との戦闘を経験していて、一応撃退一、討伐補助一の成績を納めている悪魔殺しよ」
「......すごい。未だに訓練漬けの毎日のボクとは大違いですね」
彼女の下に辿り着いた事で、人ごみのせいでよく見えなかった話し相手の姿を観察することができた。
ラウラの話し相手は翔と同年代ほどに見えるボーイッシュな少女だった。髪は銀髪のショートカット、服装は動きやすさに重きを置いたのか、短めのジャケットに細いジーンズ。
そして柔らかい表情と、初対面の翔に握手のためだろうすぐさま手を差し出す様子は、老若男女問わずに好かれるだろう人当たりの良さを感じさせた。
先ほどラウラを師匠と呼んでいたことが信じられないほどの、彼女とは隔絶したコミュニケーション能力の高さである。
「初めまして。ボクはニナ、ニナ・デュモンって言うんだ。よろしくね」
「あ、あぁ。さっきラウラさんも言ってたけど、天原翔だ。よろしく......」
差し出された手を無視するわけにもいかず握手に応じようとするが、日本人の翔にとってその心理的距離の詰め方の速さは、困惑するしかないほどの驚異的なスピードだった。
確かに大悟や凛花もコミュニケーション能力は高いが、彼らの距離の詰め方は、どちらかというと相手の懐に無理やり入り込んでいって、その勢いで仲良くなるという強引さがある。
しかし、ニナと名乗った少女の距離の詰め方は二人と比べると非常に華麗。作り出した心の壁など、まるで隙間を見つけた猫のようにするりとすり抜けて、懐に入り込んでしまう洗練された距離の詰め方だった。
「あれ?あっ、そうか。日本人って握手の文化が無いんだっけ。
それじゃあ、いきなり手を握られたりしたら困っちゃうよね。ごめんね、そこまで気が回らなかったよ」
「いや、俺も握手に慣れてなくて悪かったよ。驚いたけど気を使ってくれたおかげで助かった。ニナ、あらためてよろしく」
「うん、こちらこそ、よろしく翔」
(ん?)
ニナの握手に応じた時、翔は一つの違和感を感じた。
彼女の手が、やけに強張っていたのだ。先ほど卓越したコミュニケーション能力を見せていた相手とは思えない違和感。無意識のうちに、翔は疑問を口にしようとしていた。
「挨拶はそれくらいでいいかしら?ニナ、車は?」
「あっ、はい。モルガンが近くで待ってくれています」
しかし、その言葉は声になる前にラウラによって遮られ、タイミングを失ってしまう。
「それじゃあ、積もる話は移動中にしましょう。血の魔王の現状も気になっていたところだしね」
「分かりました、こちらです。翔、ボクに付いてきて」
「あっ、あぁ、分かった」
するりと離れていく彼女の手が、心なしかその瞬間から強張りを無くしたように見えた。
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「これが今日の朝方撮られた写真です」
空港を出て、モルガンと呼ばれた老人が運転する車に三人は乗り込み、数分経ったかといったところでニナが話しを切り出した。
「おおむね麗子の想定通りね」
「やっぱり前のサイズのまま、止まってくれてたりはしないか」
ニナに見せられた写真には、数日前麗子から見せられた写真のように周囲の樹木をはるかに上回る巨大な真紅の半円が写っていた。
それだけでなく、撮影者が気を利かせてくれたのだろう、同じ角度、高さから撮影されているおかげで、真紅の半円が前回の写真よりも明らかに巨大化していることもよく分かった。
「人的被害は?」
「そちらは無事に避難が完了したおかげで増加はしてません」
「......増加はしてない?ってことは、もう人が被害に遭ってるのか!?」
「うん.....最初に血脈が顕現した場所、そこに村が一つあったんだ。
避難点呼の時にも、その村出身の人間は誰一人としていなかった。だからもう......」
「くそっ!間に合わなかったのか!」
「落ち着きなさい。
どれだけ精密な魔力探知魔道具を使っても、世界中くまなく悪魔の反応を探知することは不可能よ。
あなた達悪魔殺しに出来ることは、これ以上の悲劇を増やさないこと。悪魔を討伐して被害を最小限に食い止めることよ」
「はい......」
翔とラウラ、この場で正しいことを言っているのは間違いなくラウラだ。そのため翔も、それ以上の反論をすることなく素直に頷いた。
しかし、犠牲になった人間を想い、諸悪の根源に怒りを込めるのは別の話である。血の魔王の特性上、ほぼ間違いなく無事では無いだろう村人達。その村人達が味わった痛みや苦しみの代償は必ず払わせると翔は誓った。
「他には何か情報はある?」
「はい。こちらはドームを上から撮った写真です」
次にニナから手渡された写真、上から撮影したものと彼女が語ったように、そこには地上の土色を堂々と赤く染め上げる円が鎮座していた。
しかし、その円の形は翔が予想していたものと若干異なっていた。
「何だ?円が歪んでる?もしかして魔法の制御が上手くいってないのか?」
そう、結界の形状は綺麗な真円ではなく、一部分が突出してはみ出し、歪んだ楕円形となっていたのだ。
魔法の知識にまだまだ疎い翔は、希望的観測も込めてその形状を血の魔王の制御ミスが原因ではないかと考えた。しかし、この考えはラウラによって即座に否定された。
「いいえ、四体で一国を治める特殊な国とはいえ、一国の頂点に立つ魔王がそんな間抜けなミスを犯すはずが無いわ。
ニナ、この円を歪ませている少しだけはみ出た部分、その先には何があるかしら?」
「地図を出した方がいいですね。地図上の赤い点が写真の結界、そして黒い矢印の方向が結界の歪んでいる部分になります」
「まさか......これって!」
ニナによって手渡された地図。その中に記された赤い点と、歪んでいる方向を示す矢印が向かう先、その先には村とは比べ物にならないほどの人間が暮らすであろう大きな町の姿が記されていたのだ。
「やっぱり。血の魔王の目的は、人間の暮らす大都市を結界に飲み込むことよ。しかも、まずいわね......あの結界、想像以上に自由度の高い魔法みたい。
一つだけ幸いなのは、ディーから聞いてはいたけど、他の三公に負けず劣らず傲慢だと分かったことかしら?」
「えっ?どういう_」
「結界のサイズは?」
何かに気が付いたような態度を取るラウラに、翔は詳しい話を聞こうとした。しかし、続く彼女のニナへの質問で翔の言葉は遮られてしまった。
「もちろん結界全体も徐々に巨大化はしています。けれど、この突出した一部分、この部分の成長速度は他とは比べ物になりません」
「い、いや、けど仮に街を狙っていたとしても、教会に同じように避難指示を出してもらえばいいんじゃないんですか?」
「はぁー......そんな簡単な話しなら苦労しないわよ。
いくら社会的権威のある教会の人間の言葉だといっても、巨大な血のドームがあなた達を飲み込もうと迫っています。逃げてくださいって言って信じると思う?」
「それは......けど、実際に近くの小さな村の人間は避難に成功してるんですよね?」
「田舎だからこそよ。魔法や神秘なんて言葉に懐疑的な連中は、こぞって大きな街に出稼ぎに出てしまう。残るのは神を妄信的に信じることができる老人だけ。だから上手くいったのよ。
それに実際に血のドームが迫ってるから避難しろなんて言うわけないでしょ。大方、火山ガスの流出か何かで避難させているはずよ。
そうでもしないと、パニックと興味本位の馬鹿共のせいでとんでもないことになるわ」
「そっか......すみません」
「つまり、街の人間全員を、教会の力だけで言うことを利かせるのはほぼ不可能ってこと。
何かしらの出まかせを警察なんかに発表させることも出来るけど、良くて避難が五割、自分の家に閉じこもったり、単純に言うことを利かない連中が五割ってとこでしょうね。
それに......ニナ、分かってるわよね?」
「自由度が高い......傲慢......理解出来ました」
「そう、なら説明を任せたわ」
「分かりました。
翔、少し考えてみて。血脈の結界は多少形が歪んでも、機能を維持できることが分かったよね?
つまり、あの結界には要となる中心点が無い可能性が高いんだ」
「中心が無い?そんな結界が存在すんのかよ?」
翔のイメージでは、結界とはテントだ。
一枚の幕によって、外と中の世界を一変させてくれる便利な道具。しかし、支えの中心である骨組みが崩れてしまえば、世界もいともたやすく壊れてしまう、そういった存在。
肝心の要が元から存在しないような結界など、どうして成り立っていられるのか、彼には思いもよらなかった。
「翔、魔法は多くを縛られる。けど、それでも魔法は無限を実現させるんだ。
相手が魔法を使える時点で、これが普通、これが常識って考えは捨てなくちゃいけない」
「......悪ぃ。ごもっともだ」
しかし、そんな翔の思考停止を諫めるかのように、ニナの冷静な意見が翔に響く。それにより、彼は思い出した。
拡声器片手に言葉遊びを実現させるオカメ面、大量の武器をその身に宿し破壊の嵐を振りまく騎士、選択を選び直す力を得た天秤、そして、ありとあらゆる魔法に精通する、小さな小さな紫の魔女。
彼ら、彼女らの振るう魔法は、いつだって翔の想像の壁を簡単に飛び越えてきていたのだ。
「うん、分かってくれてよかった。
ここからはあくまでボクとお師匠様の意見にすぎないよ。けど中心点が無いってことは、裏を返せばどんな形、場所だろうと結界としての機能を維持できるってこと。
つまり......あの結界は自力で移動する力があるかもしれない」
「はぁっ?おい、おいおい、つまりあれか?
あの結界は、ゲームとかのスライムみてぇにずるずる移動しやがるってことか!?」
「言いえて妙だね。確かに今のシュチュエーション、相手の魔法の特性を考えると、全てがスライムそのものだ」
スライム。日本でこそ弱いモンスターの代名詞として語られることが多いが、そのカタログスペックだけを見れば、高い物理耐性や単細胞ゆえの痛覚への耐性など優秀な部分が非常に多い。
そして、彼らの食性はというと、有機物を高い粘性と溶解性をもった体液で取り込み消化するといった場合がほとんど。さらにスライムと揶揄したこの結界の目標は、はっきりとしている。
「こんなのが街にたどり着いちまったら......ましてや、街の人間が犠牲になったりしたら大変なことになるぞ!?」
移動能力を備えた結界。しかも生物の血液を吸収すればするほど巨大化する結界。
翔の脳裏には、真っ赤なスライムが押し出されたゼリーのように街に流れ込み、住民全てを飲みこんでさらに巨大化するという悪夢の光景が浮かんできた。
「そうだね......お師匠様の言葉のおかげで、ボクも事の重大さを理解できたよ」
「なら!早く結界の所まで行って悪魔をぶっ倒さねぇと!」
このままではいつ次の犠牲者が出るか、分かったものではない。逸る気持ちでそう提案する翔だったが、二人は翔と違い、いたって冷静だった。
「違うよ、翔。むしろ血脈の行動のおかげで、ボク達にはまだ時間があると分かったんだ。そうですよねお師匠様?」
「そうよ。このまま予定通り、一日をニナとあなたの連携の時間に当てて、翌日を決戦の日として決定したわ」
「えっ!?どっ、どういう!?」
「考えてもみなさい。あなたがあの結界の持ち主だったとして、自分の結界に移動能力があることを簡単にばらすと思う?」
「そっ、そりゃあ、ぎりぎりまで秘密にしておくとは思いますけど」
ニナが先ほど言っていた通り、魔法とは万能に見えて、実際は多くの制約に縛られる。
魔法というのは出来ることと、出来るかもしれないと思わせることの二つが存在している状態が、最も効力を発揮するのだ。
魔法の制約がばれるということは、前述の出来るかもしれないという部分が完全に消滅することに繋がる。
そうなってしまえば魔法の力は、文字通り半減してしまうのだ。ラウラの意見は間違いなく正論だった。
「そう、この場面、このタイミングで、結界の移動能力をばらす意味は無い。そして使い手の血脈は永くを生きた魔王。成りたての悪魔のように、無意味に魔法をひけらかすこともしない。
だからこれは挑発よ」
「挑発?」
「翔、お師匠様が血脈のことを、傲慢だと言っていたのは覚えてる?」
「あぁ、覚えてる」
すっかり会話に流されてしまったが、元々自分でも真意を問いただそうとしていた言葉だ。さすがの翔でも忘れることは無かった。
「そのまま巨大化させていればよかったのにわざと歪ませた結界、街の方向への進撃の兆し、この二つは血脈からボク達悪魔殺しに向けられたメッセージなんだ」
「このまま何もしなければ、数日後には街を飲みこむぞって形のね」
「嘘だろ?そんなことのために、自分の魔法の秘密を公開したってのか!?そんなの_」
「傲慢が過ぎるでしょう?全く同意見ね。
けれど、それだけ自分の力に自信があって、勝算もあるってことなのでしょう。おまけに戦いの舞台は相手のホームである結界内。文字通り、嫌になるほど血を見ることになるでしょうね」
「でも、今更止めるなんて言えないし、言うつもりもありません」
自分には状況を打開できるだけの力があって、そうしなければ多くの人々の命が危険に曝される。ならば自分は立ち向かう、剣を取る。それこそが天原翔という人間の信条だった。
「そう。ならせいぜいニナとの連携を確かめさせてもらうわ。時間はあれど、無限ではないのだから」
ラウラがそう言い終わると同時に、車が停止した。
周囲を見渡してみると、さっきまであったはずの喧騒はすっかりどこかへと消えていた。道路の左右に鎮座するのも建造物ではなく、年老いた樹木達。
会話に熱中してほとんど外の景色など見ていなかった翔だが、そういえば途中から舗装された道を走る感触ではなく、でこぼことした土の上を走っていたような気がしていた。
「ここが、目的地か?」
「うん、長旅お疲れ様。そしてようこそ、数々の悪魔殺しを輩出してきたデュモン家の屋敷へ」
年代を感じさせながらも、どこか貴賓さを感じさせる佇まい。ワインレッドで彩られた蠱惑的ともいえる壁面。木々の隙間から覗く木漏れ日によって、その洋館は鮮やかに輝いていた。
諸事情により、本日は一時間早い投稿になります。
次回更新は3/29の予定です。