その頃の姫野達
「はあぁぁぁ!?考えらんない、信じらんない!意味が分かんないんですけどぉ~!」
「凛花さん、落ち着いて」
「ほら、神崎さんもこう言ってる。凛花、いいかげんに落ち着け」
「落ーちー着ーけーまーせーんー!大悟、姫野ちゃん!これはそんな簡単に片づけていい問題じゃない!由々しき事態なんだよ!」
その日、石巻南高校では凛花が朝から大騒ぎをしていた。理由は、朝のHRで担任教師から告げられた一言が原因だった。
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「あー、突然の報告ですまないが、今日から二週間ほど、ウチのクラスの天原は学校を休みになる」
朝っぱらから、それを告げられたクラスメイト達の反応は、最初こそ、また山から滑落したのか、成績が悪すぎて不登校になったのか、などと根も葉もない噂でざわついていた。
しかし、別に後ろめたいことで無いのであれば、事情を知っている人間に聞けばいいと、一人のクラスメイトが教師に質問したのだ。
「先生、どうして翔が休みになるんですか?」
「あー、理由の方なんだが、実は今年ウチの高校含めて数校が、海外体験短期留学の候補に指定されていたらしくてな。
けど、人数が全く集まらないまま、期日が近づいてきてしまったらしくって、仕方なく校長が、行ってくれたら内申点を上げることを条件に天原に頼んだらしいんだ」
「えっ!?じゃあ翔って、今海外にいるの!?」
「いや、詳しくは聞いてないが、早くてもまだ飛行機の中なんじゃないか?
そういうわけで、向こうの学校で文化交流とかをしてくるらしい」
「らしいって......行先はどこなんですか?」
「フランスのようだな」
「あいつ英語の成績も致命的なのに?」
「そこは校長も頼んだ手前、なんとかしてくれるだろ。
皆は、天原が帰って来た時、少しでも早く勉強に追いつけるようにしてあげてくれ」
「いくら内申点を上げて留年を免れようとしたって、これ以上成績が下がったら本末転倒じゃない?」
「そこは天原もやる気だけはあるんだから、何とかしてくれるだろ。HRの連絡は以上だ。それじゃあ今日も頑張って勉学に励むように」
それだけ言うと、教師はさっさと出て行ってしまった。急いでいる様子からして、大方、他のクラスで一限の授業があるのだろう。
「おいおい、そんな面白そうな話、あいつから聞いてねぇぞ。こりゃ、学校終わりに電話で問い詰めて......おい、凛花?」
突然の報告だったが、言ってしまえば、翔は自分の成績の尻拭いに海外に行っただけだ。
それなら帰ってきたときにこってりと絞ってやればいいとサバサバとした性格の大悟は考えていた。しかし、そんな彼の横で、プルプルと小刻みに震えている物体に気付く。
「許さん......」
「おい?おい、凛花?」
その物体は、最近翔に隠し事をされることが多くなっていることに、静かに憤りを感じていた。
そして彼女の震えの正体、それは翔への不満が爆発した怒りの表れだった。
「許さーん!!!あの時も、あの時も、私達に秘密で面白そうな事態を引き起こして、しまいに今度は海外旅行!?
絶対に、絶対に許さーん!!!」
こうして、大悟と姫野は、朝からテンションが悪い意味でマックスになった生物をなだめるのに、時間を使わされるはめになったのだ。
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「んきゅう......」
「ったく、少しは反省したか」
「しました......しましたので、私の扱いをレディーのレベルまで戻してつかーさい......」
あの後、一向に落ち着く様子が無かった凛花は、大悟によってアイアンクローを掛けられ、反省させられることになった。
そのような事態をクラスメイト達が目にしても、セクハラだの、朝からイチャイチャするなだの茶々を入れられないのは、ある意味凛花が築き上げてきた信頼ゆえだろう。
「次に騒いだら、今度は首だぞ?」
「りょーかーい。よっぽど人生が暇になるまで、デュラハンになる予定は無いからね」
「凛花さん、大丈夫?」
いくら凛花が悪いと言っても、修業時代もほとんど目にすることの無かった、あまりに容赦ない一撃に姫野が心配して声をかける。
「あぁ、大丈夫、大丈夫。これくらい私達の間だと挨拶みたいなものだから」
「それにしては、くっきりと指の痕が顔に付いているような気がするのだけれど......」
「神崎さん、動物ってのは痛い目を見ないとやってはいけないことだと気付かないんだ。時には厳しくいく姿勢が大事なんだよ」
「ちょっとー!扱いをレディーまで戻せって言ったでしょー!その扱いじゃレディーじゃなくてメスだよ、メス!執刀医だよ!」
「これが、普通なのかしら?」
姫野はその性格故の生真面目さから、翔から任じられた凛花と仲良くなることと、普通の生活を学ぶという二つについて、忠実に実行しようとしていた。
しかし、凛花との関係性はともかく、彼女と大悟の掛け合いは、少なくとも姫野が今まで普通と考えていた関係性に比べて大きく逸脱しているように見える。
(もしかして、天原君は普通という言葉が、言葉以上に深くて広いことを私に伝えたかったのかもしれない......)
そう考える姫野だったが、もちろん翔にそのような意図は無かった。
そしてその勘違いを訂正してくれる上に、ツッコミによって場の軌道修正を行ってくれる彼は、この場にいない。
「姫野ちゃんもね!不満なら不満って言わなければダメだよ!」
そんなことを考えている間に、またしても凛花の愚痴が始まっていた。
「不満?」
「そう!何でこんな重大なことを私に黙っていたんだ~!って怒らないとダメだってこと!
人の考えって、言葉にしないと思っている以上に伝わらないし、伝わらないと、いつまで経っても相手も動いてくれないんだから!」
「言葉にしないと、伝わらない......」
凛花の言葉に姫野ははっとした。確かに自分は、いつも彼や他の誰かに引っ張ってもらい、ずるずると自分の歩くべき道を決めていただけだった。
心配する言葉をかけることはあっても、危険に向かわないで欲しい、心配させないで欲しいという、自らの願望を誰かに伝えたことが無かった。
それは自分の命が、いつも他人のための取引材料だったから。道具が主張をすることなど許されなかったから。
けれど、姫野を生み出した人間達は当の昔にこの世を去り、姫野を求める者達も、彼女の可能性に気付いたことで自分達から譲歩するようになっていた。
姫野は、彼女自身が気付いていなかっただけで、普通の人間として生きることが出来る立場に着実に進んでいたのだ。
普通の人間は自分の思いを、自己の主張を、世界に向けて発信する。ならば普通の人間である神崎姫野も、自己の主張を始めなくてはいけない筈だ。
「一言も、言わないで、行ってしまったのは、いけない事だと、思うわ」
そして、姫野は生まれて初めて、自身の不満を口にした。
それは平等だと語ってくれた彼への小さな反抗、マイナスの言葉。けれど、不思議とその言葉を吐いた後の、姫野の心は軽くなった。
「だよね!だよね!やっぱり姫野ちゃんもそう思ってたよね!全く、愛しの彼女にまで不満を抱かせるなんて、やっぱり翔は悪い奴だよ!」
「愛しい?」
「こら凛花!翔のいないところで下手な言葉を使うな!」
「うひっ!ゴメンなさい!」
これ以上アイアンクローはごめんだとばかりに、凛花は両腕で顔をガードした。
「ったく。けど、俺達三人にまで黙ってやがったんだ。お土産の催促くらいは、したってバチは当たらねぇよなぁ?」
「おぉー、確かに!大賛成!」
「天原君は優しいから、お土産は準備してくれると思うけど」
「違う違う、神崎さん。お土産を買ってこいって言葉の裏に、よくも黙ってやがったなって意味を込めるんだよ。
そうすりゃ、俺達が怒ってるってことで、翔も少しは反省するだろ?」
「そんなことして、いいのかしら?」
姫野だけは、これから翔が悪魔との戦いに向かうことを知っている。翔の心労に繋がりそうなことを行うのは、流石に本意では無かった。
「いいんだよ。相手が間違っていると思ったらはっきりと言う。不満があるなら文句を付ける。そうやって間違いを指摘出来る関係こそが本当の親友って奴だろう?」
「本当の、親友。けど、それで関係性が壊れてしまったら......」
「ははっ!その程度の言葉で壊れる関係なんざ、最初っから長続きしねぇよ。
これでも十年以上親友でいるんだ。あいつのことは信頼してるからよ」
「そう。そうなのね」
姫野の目の前には、過去に彼が姫野に向けて言ってくれた、対等という言葉の体現者がいた。これこそが本当の意味での対等なのかと、姫野は気付かされた。
「ほら、だから神崎さんも、あいつに向けてご意見メールをくれてやろうぜ。やり方は教えるからさ」
「分かったわ。お願い」
方法まで教えてくれるとあっては、姫野の方でも特に不満は無かった。むしろ、彼と本当の意味での対等に近付くための勉強と思い、積極的ですらあった。
「よぉし、それならお高いお土産を催促しなきゃね!
う~ん......あっ、そうだ!せっかくだから、私はピザの斜塔のミニチュアを催促します!
ふっふっふ、翔よ、私達に黙っていたことを後悔するがよい!」
「あの......凛花さん。ピザではなく、ピサの斜塔だと思うわ。
それに、ピサの斜塔は、フランスではなくイタリアよ」
「へっ?」
突如の翔の留学騒動は、和やかな笑い声で落ち着きを見せたのだった。
次回更新は3/25の予定です。




