一人の悪魔が見た景色
「えっ!麗子さんが悪魔って、えっ、えぇっ!?」
突然麗子から告げられた事実、その言葉の破壊力はあまりにも高く、翔が目に見えて狼狽し、右往左往してしまうのもある意味無理もなかった。
「混乱するのも当然よね。けれど事実よ」
「ちょ、ちょっと待ってください!今頭を整理しますんで!」
そう言う翔だが、もちろん頭がまとまるはずもない。そんな翔の様子を見て、麗子も苦笑いした。
「どう、落ち着きそう?」
「......無理みたいです。
今更麗子さんが自分のことを、邪悪な悪魔だって宣言したって信じません。仮に悪魔だったとしても、ダンタリアみたいな人類に敵対しない良い悪魔だと思っています」
「ありがとう」
「だから聞かせてください。いつこっちに顕現してたんですか?」
翔の一番初めに抱いた疑問は、大熊や猿飛、姫野と良好な関係を気付いているように見えた麗子が、どの段階で現世に顕現していたのかということだ。
あれほど息の合った掛け合いは、数カ月そこらの付き合いで出来るものではない。とすれば、麗子はかなり早い段階から顕現していた悪魔のはずだ。
けれど人魔大戦が開幕したのは、詳細まではわからずともごく最近のはず、どうやっても時間が合わない。
「ふふふ、そうよね。人魔大戦で顕現していたんじゃ、他の人達との関係はいつ築いたんだって話になってしまうものね」
麗子も当然の疑問だと言わんばかりに、翔の質問の裏にある真意を把握していた。
「翔君、私は今回の人魔大戦で顕現した悪魔ではないの」
「えっ......じゃあ、ずっと現世で暮らしていた悪魔の一族とかなんですか?」
「いいえ、翔君が認識している通り、今の現世で神魔の時代から生き残っている悪魔の一族なんかはいないわ。
いずれの一族も限界を感じて、どこかのタイミングで魔界に移住したか、人々に討伐されてしまっているもの」
「えぇっ!?じゃあ、麗子さんって一体......」
「翔君、思い出して。あなたはどうやって魔法を使う力を得たの?そしてあなたに力を与えた相手の目的は何?」
「それは、そんなのもちろん......まさか!?」
翔が魔法の力を得たのは、もちろん悪魔殺しの契約のおかげだ。そして、悪魔が彼に力を与えた理由は、強大な悪魔を討伐した時に手に入る魔力を吸収し、悪魔殺しと共に自身も成長するためだ。
この場で麗子がその質問をする理由なんて一つしかない。
「麗子さん......あなたは大熊さんと悪魔殺しの契約を結んだ悪魔だったんですね」
そもそも今考えれば、日魔連内の閑職部署であるはずの人魔大戦対策課の課長が、知識の魔王ダンタリアや大戦勝者ラウラを相手に、軽口を叩けることが不自然なのだ。
それが出来る理由はただ一つ。大熊の実際の地位は、彼女らと同等であるということに他ならない。
「正解よ。そして分かってると思うけど、源もラウラと同じように前回の人魔大戦を勝ち抜いた悪魔殺しの一人、大戦勝者よ」
「そうか。だから大熊さんは、あんなにも俺や神崎さんの世話を焼いてくれていたのか」
普通、一度の大戦で百人しか生まれない英雄という存在がいたとすれば、無理やり監禁され、あるいは祭り上げられ、あるいは別種の生き物としてコミュニティから除外されても不思議ではない。
けれど大熊は、悪魔殺しになった翔をごく普通に扱ってくれた。極力今まで通りの生活を送れるようにしてくれたのだ。
きっと大熊は、その部分において非常に苦労してきたのだろう。だからこそ翔や姫野が自分の二の舞にならぬよう最大限の配慮をしてくれた。その優しさに胸が熱くなった。
「ふふっ、あの人は昔から他人のことばっかり。いつぞや翔君と姫野がお互いの心配ばかりしているのを私が叱ったことがあったでしょう?
あの時も実は、その場にいない源のことを思い浮かべて話していたのよ」
「あー......あの時は色んな意味でご迷惑をおかけしました......」
言葉の悪魔との戦闘の末に起こった、姫野との意見の食い違い。最終的に丸く収めることが出来たのも麗子がいてくれたおかげだ。今となっては、その後のビンタによる制裁もいい思い出だ。
「被害者の当人が気にしてないんだから、これ以上私がとやかく言うつもりは無いわ。
その代わり姫野のこと、今後も気にかけてやって頂戴ね」
「分かってます」
「頼んだわ。それとこっちも察しているでしょうけど、継承様との顔合わせも前回の人魔大戦よ」
「確かに、それなら納得出来ます」
翔としても、大熊がどうやってダンタリアと面識を持ったのかということが、頭にずっと引っかかっていた。
けれど、悪魔殺しとして前回の大戦を経験していたのなら、知り合う機会はいくらでもあるはずである。それなら、ダンタリアの話題が出るたびに嫌な顔をしていた大熊のことも理解できる。
「私も意識が無かった頃だから詳しくは知らないけど、源のやつ、相当コテンパンにされたらしいわよ」
コロコロと笑う麗子の顔には、不思議と悪意のようなものは感じられず、聞き分けの悪い気かん坊の話をする母親のような雰囲気があった。
「大熊さんも自分で言ってました」
「あら、尖っていた頃の黒歴史でしょうに。それだけ大人になったということかしらね」
「今の大熊さんからは、想像できないです」
「ふふっ、今だって姫野や翔君のいない場所では......っとこれくらいにしておきましょうか。
そろそろ今までこのことを黙っていた理由を言っておかないと、翔君の準備の時間が無くなっちゃうわね」
そう言って麗子は、襟を正した。
「本当はね。翔君がもう少し、心身ともに成長するまで黙っておきたかったの」
「えっ......だったら、こんな世界の危機が迫っている状態で話してくれなくてもよかったですよ。本当は、今回の件のこともすっかり忘れてましたし」
ダンタリアの協力によって見えるようになった魔力は、魔術の効果が切れたことによって見れず、感じれずになって久しい。
だからこそ翔も、麗子に抱いた違和感を今の今まで忘れ去っていたのだ。
「今だからこそよ。源はこれを話すと、翔君の心に大きな傷を与えてしまうんじゃないかって思ってたようだけど私は逆。
むしろ、話すことによって、より翔君が前向きに人魔大戦に臨んでくれるんじゃないかって思ったの」
_もちろん今までが適当だったって言ってるわけじゃないわ。そう付け加えた麗子から感じるのは期待。翔という存在がどこまで突き進めるのかという、羨望に似た感情だった。
「聞かせてください」
もちろんそんな麗子の顔を見て否と言えるはずもなく、ましてや否と言うつもりもなかった翔は、はっきりと自分の要望を口にした。
翔の言葉に頷いた麗子によって、物語は紡がれる。
「時は世界を巻き込んだ二つ目の大戦が始まった頃、そこで源やラウラが悪魔殺しになった人魔大戦が開幕したの」
「えっ、そんな昔に!?
そっ、それじゃあ、大熊さんやラウラさんの年齢は......えっ、まさか悪魔殺しになったら成長が止まる!?」
翔の頭にその戦争の詳細な年代の記憶などもちろん無い。けれど、それが大昔に起こったことだということははっきりと理解していた。
中学生ぐらいに見えるラウラはもちろん、五十代程に見える大熊も年齢を逆算すると、肉体が成長を止めているとしか思えないのだ。
「大丈夫よ。源もラウラも、特別な魔法で肉体の時間を止めているだけ。
悪魔殺しの契約に、そんな不老効果は無いから安心しなさい」
「あっ、そうだったんですね。すみません取り乱して」
「気にしてないわよ。むしろ話の腰を折られる程度で済んで安心したわ。それじゃあ、続けるわね」
「お願いします」
「当時は、言ってしまえば悪魔の天国だったわ。戦争に次ぐ戦争、それによって生まれた綻びに悪魔は侵入し放題。悪魔が介入して死者の桁が変わった戦闘も珍しくなかった。
そんな状態じゃ悪魔殺しという特級戦力は、もちろん国に飼い殺しにされるし、悪魔殺しが生まれなかった地域には救いがない。むしろ悪魔を国の中枢に迎えて、傀儡国家になった所もあったわ」
翔は麗子の言う光景を想像して、思わず顔をしかめた。
悪魔との戦いではなく戦争の道具として使われる悪魔殺し、悪魔の被害に耐えきれず心を売ってしまった国々、表の歴史だけでも凄惨な話が尽きない大戦争だったのだ。裏の歴史はさぞや混沌に満ち溢れていたであろう。
「大国は同盟国との繋がりを活かして悪魔殺しを派遣したり、逆に応援を貰ったりしていたけれど、そんな場当たり的な対応で悪魔の侵攻を抑えきれるはずがない。
刻一刻と悪魔の支配地域は増え続け、アフリカ大陸に至っては、大陸の五分の一をたった一体の悪魔に取られてしまうほどだった」
「酷い......」
翔はたった今放った言葉が、誰に向けて放った言葉なのか自分でもよくわからなかった。
「それでも戦争は終わらず、むしろ悪魔殺しは国の力の象徴として、戦いに参加させることすら禁じられるようになったの。
もはや、このままでは人類そのものが滅びる......そう思った悪魔殺し達は、それぞれの国を抜け出し、悪魔討伐のみを目的としたチームを作り出したの」
「チーム......ですか?」
「そう。悪魔を討伐する、仮に母国が危機に遭っても絶対に助力しない、この二つの柱を掲げたチームをね」
「そんなことが戦争の時代に許されたんですか?」
「許されるはずが無いわ。だからチームの全員が逃亡兵扱い。
源だって、今でこそ日本の魔法組織に所属できているけど、あの時は完全にお尋ね者。捕らえ次第、魔法実験のモルモットにされていたんじゃない?」
「そ、そんな覚悟で......」
翔は今の自分の待遇とは正反対の地位に望んで身を落とした大熊の覚悟に、思わず身震いした。
「それだけ、力があるのに振るうべき相手に振るうことが出来ない境遇に、不満を持っていた人間が多かったってことでしょうね。
そうして結成されたチームだったけど、本格的な悪魔の討伐を始めるには遅すぎたの。
多くの悪魔が計画を成就させ、もう取り返しのつかない段階まで世界の情勢は悪化していた」
「そんな!それじゃあ、大熊さん達は......」
「それでも源達は戦ったわ。強大な悪魔によって、多くの仲間が命を落とすこともあった。
国の王になっていた悪魔を討伐したことで、感謝の言葉どころか、国民全員から武器を向けられたこともあった」
ただ聞いているのも辛かった。自分のことを必要以上に心配して、多くの力を貸してくれた大熊に、そんな壮絶な過去があったなどと思いもよらなかったのだ。
「けれど、チームにも一つだけ、今の時代と比べても大きく優れていた利点があったの」
「利点ですか?それも、今の時代よりも?」
戦争の時代と比べ、現代であれば地球の裏側の悪魔の悪事もメール一本で一瞬で把握することが出来る。国も自国の防衛のために全面的に協力してくれる。
そんな現代よりも優れていた点が、その日暮らしを余儀なくされている愚連隊にあったというのだろうか。
「そうよ。一つだけ大きな利点があった。それは、どの戦いにも多数の悪魔殺しで当たることが出来たという点よ」
「えっ......そんなの、現代だって同じじゃ......」
「いいえ、それは違うわ翔君。現代だと、必ず自国の防衛が最優先される。
他国の、それも遠方への応援となってしまったら、まずは魔道具の供給などの支援で終わってしまうわ。これでも日本の魔法組織のそれなりの地位にいるんですもの、信憑性は高いわよ」
「......母国の救援をしない。そのおかげで、一丸となって一つの戦いに迎えたんですね」
麗子の言う通り、現代においてはまずなによりも自国の防衛が優先されるだろう。
自国が悪魔に攻められていて、他国の戦いに力を貸す馬鹿などいない。翔だって、もし今この瞬間に姫野が悪魔との戦いを始めたのなら、見ず知らずの応援など放り投げて、姫野を助けに行くはずだ。
しかし、当時の大熊達は国を捨てていた。だからこそ、悪魔に対して圧倒的多数で戦うことが出来たのだ。
時代のせいで事態は悪化した。けれど時代のせいでまた、事態は好転したしたというのは皮肉だろう。
「その通りよ。それのおかげで源達は多くの悪魔を討伐し、残る悪魔の数も二桁を切った」
「すごい!......麗子さん?」
大熊達の活躍に翔が感嘆の声を漏らす一方で、麗子の顔は暗く沈み、今しがた口にしたものが朗報ではなく訃報だったのではないかと思わせる顔だった。
「ごめんなさい、変な顔を見せたわね。そう、源達は上手くやっていた。ほとんど人類の詰みと言える盤面から、ここまで巻き返したの。
けれど、悪魔側も最大の戦力が全くと言っていいほど消耗していなかった」
「最大の戦力?」
「そうよ。国家順位一位から十位までを統べる、十君と呼ばれる魔界最上位国家の君主達がね」
「っ......!?」
ぞくり。ただ情報を耳にしただけなのに、翔の身体には言い知れぬ不安感と寒気が飛来した。
「感じたわね?それが最上位の魔王の圧力よ。
ただ彼らを差す単語を耳にするだけで、軽い契約魔法が飛んでくる。
そんな理不尽な行いを片手間にすることが出来る。十君はそんなバケモノ達なのよ」
「......そんな相手と大熊さん達は戦ったんですか?」
ただの言葉程度で気圧されてしまった自分を恥じ、翔は己をかき抱くようにして無理やりに震えを止めた。
けれど、心に突き刺さった存在の格差によるプレッシャーの杭は、震えの根源を取り除くことは許さないとでもいう様に、継続して彼を苛み続ける。
「えぇ、戦ったわ。そして最終的に勝利した。
......たった四人の悪魔殺しを残してね」
「それって......」
「そう、前回の人魔大戦で悪魔殺しは、百人のうち四人しか生き残れなかったの」
「そんな......」
喜ばしい慶事を口にしているはずなのに、一向に晴れることのなかった麗子の表情、出来るだけ話すのを後回しにしようとしていた大熊の判断、その全てを翔は理解した。
人魔大戦は翔の想像以上にいばらの道だったのだ。
悪魔殺しで生き残れたのが四人、現代で言い換えるなら翔と姫野とマルティナ、そして後日顔を合わせるであろう悪魔殺しを含めればすでに定員オーバーになってしまう数だ。
今後知り合うであろう悪魔殺し達と、生きて再開出来る可能性がゼロに近いということだ。
そして、人類の特級戦力である悪魔殺しでさえそんな惨状なのだ。ただの人間の魔法使い達などは目も当てられない被害であったことは想像に難くないだろう。
「私に死んでいった悪魔殺し達との思い出は無いわ。けどね、ふとした瞬間に源が作る表情、その顔を見るたびに私も胸が苦しくなる。
契約を交わした時から、私が少しでも優秀な悪魔だったらどんなに良かったかと思わなかった日は無いわ」
「麗子さん......」
麗子の顔には哀悼と、そして大熊の心の安寧を心から想う真摯な気持ちがこもっていた。
やはり翔には、例え本人の口から聞いた言葉だとしても、彼女をウィローやカタナシのような邪悪な悪魔と同列に語る気持ちにはなれなかった。
何か声をかけるべきか迷う翔。
しかし、そんな翔の迷いは、パンッ!という突然の柏手の音で、無駄になった。
「......湿っぽくなっちゃったわね。けど、こんな空気はもうお終い。
これが私が翔君に話しておきたかった、過去のお話。そして今から語るのは翔君達、今を戦う悪魔殺し達の話よ」
「えっ?」
思わぬ言葉に翔は困惑する。
彼としてもてっきりこの過去を教訓にして、生き残るのを第一に力を磨けといった形で締められると思っていた。けれど麗子が語った過去の話は、今を生きる翔達への話題に繋がった。
「最初に言ったでしょ。源は話さないつもりだったけど、私は話すつもりだったって」
「あっ、そういえば」
「それなのに、戦いの前に多くの悪魔殺しの犠牲の話で締めたら、いくら翔君でも意気消沈しちゃうでしょ?」
「そっ、そりゃまぁ」
「だから結論よ。困っている魔法使いがいたら迷わず手を貸しなさい。悪魔の被害が確認されたら、どれだけ相手が強大な悪魔だろうと迷わず突っ込みなさい!」
「えっ、えぇ!?」
「そうしてあなたが悪魔殺し達を救ってあげなさい。私は源みたいに優しくないわ。だからはっきりと言ってあげる。
あなたが頑張れば頑張るだけ、未来を生きることが出来る人間が増える。だから死ぬ気で突っ走りなさい!」
「あっ......」
ようやく気付いた。麗子の言いたいことに。
「源やラウラの時代は、もうどうしようもなくどん詰まって、悪魔殺し達が身を寄せ合って、悪魔殺しだけで無理にでも戦うしかなかった。
けれど、今の時代はもっと早く情報が伝わる。もっと安直に悪魔と戦うことが出来る。そして、国も、組織も、そして私達大戦勝者も翔君達を全力で支援してあげられる。
だから、無茶をしなさい。それが男の子よ?」
「ふっ、ふふっ、なんすか男の子って」
茶目っ気たっぷりな麗子の表情に、翔も先ほどの暗い話を一瞬忘れて思わず吹き出してしまった。
「なによ?あの時代のキャッチフレーズだったのよ?せっかく時代に合わせて引っ張り出したってのに、これは流行がもう一周するまでお蔵入りね」
「ふふっ、そうですね。その方がいいと思います。それと麗子さん」
「なぁに?」
「今回も勝ってきます。全部丸く収めてやりますよ!」
「よろしい」
翔の宣言を聞いた麗子は、実に人間らしく、満足そうに頷くのだった。
余談ですが、ラウラの相棒の悪魔も作中で登場しています。
次回更新は2/17の予定です。