深紅の貴人
のどかなブドウ畑が広がる田舎の村。
観光資源といえば村で取れたブドウを使ったワインと、いつの時代に建てられたのかすら定かではない、ブドウ畑の斜面と村をつなぐ位置に存在する城だったのか砦だったのかすらの判別もつかない史跡程度のありふれた村。
そんな村に、今まさに避けようのない破滅が迫り寄っていた。
「ん?誰だありゃ?」
一番初めに異変に気付いたのは、ブドウの世話をしていた農家の青年だった。
村でも働き者で通っていた彼は、他の村人よりも早くから仕事を始めたおかげで、太陽が中天に差し掛かる前に休憩に入ることが出来ていた。
そのおかげで気付いたのだ。史跡に見慣れぬ男が立っていることに。
「おい、あんた、観光客......だよな?」
有名所と比べることすらおこがましいが、青年の村も一応は観光地だ。そのため、青年も村のために金を落としてくれるかもしれない客に対して、愛想よく話しかける。
しかし、男の方は、青年の言葉など聞こえなかったとでも言うように、わけのわからないこと独り言をぶつぶつと呟いていた。
「あぁ、嘆かわしい。隆盛を誇り、数多の悪魔殺しと戦い抜いた我が居城が、ざっと千年留守にしていただけでこの有様とは。
やはり、自然増殖に任せず定期的に吾輩も顕現しておくべきだったか......
三公に借りを作ることこそ出来たが、人類を牽引していくはずだった我が血族は淘汰され、残された血族も小粒ばかり......
全く、嘆かわしい」
「おい、おい!聞こえてるのか?その遺跡に興味あるんなら、村長の家に資料があるはずだ。案内してやろうか?」
すでに青年は話しかけたことを後悔し始めていたが、ここで全てを無かったことにして村に帰ったりすれば、村の評判を地に落とすことになる。そのため、彼はあきらめずに男に向かって話しかけていたのだ。
近付いて話しかけたからこそ分かるが、今更ながら男の格好は異様だった。
服は赤を基調とした中世貴族風の衣装に身を包み、目からは特殊メイクか手品なのか、赤い液体が流れ出ている。
おまけに肌は白人であることを差し引いても、白すぎて病気か何かを疑ってしまう色だ。とても普通の観光客には見えなかった。
「まずは拠点を作り出すところから始めるしかあるまい。吾輩が管理していたニンゲンの街すら、今となっては原住民の穴倉とでも言うべき小集落と化してしまっている。
広げ、飲み込み、進む。そうすることで、我が血族を呼び込むとしよう」
二度の青年の掛け声を無視し、またわけのわからぬことをぶつぶつと呟き始める男。もはや自分一人では埒が明かぬと、青年は応援を呼びに行こうと思っていた。しかし、男の言葉の中に、青年が看過できない言葉が含まれていた。
「おい、てめぇ、今俺の村のことをなんつった!?」
そう、男は自分の愛すべき故郷をたった今、原住民の穴倉と呼んだのだ。
いくら観光客といえども許すことは出来ない。青年は勢いのままに一向にこちらを向きもしない男の胸倉を掴み上げ、無理やりこちらへと顔を向けさせる。
「む?あぁ、ずいぶんと騒がしい羽虫が集っていると思っていたが、原住民が穴倉から這い出てきていたのか」
「言いやがったな、てめぇ!そこまで言っておいて何もされねぇと思ったら_」
頭に血が上っていた青年はそこで気付く。胸倉を掴んでいる相手の身体が、全くといっていいほど浮かんでいないことに。
青年は若いながらも農家だ。力仕事も人一倍こなしている。
その自分が、目の前の細身の男をこれっぽっちも持ち上げることが出来ないのだ。
そんな青年の動揺を感じ取ったのか、男は胸倉を掴まれたまま笑い出す。
「ふっ、穴倉からウサギが飛び出して来てくれたことだけが幸運であったな。吾輩のブーツを泥で汚さずに済む。これを元手に、まずは居城周辺の掃除と行こうか」
男と青年の間に、突然プカリと真っ赤な球体が現れた。その球体は次の瞬間には、ペタリと平べったい平面の円に変化し、外側は波状の鋭い刃がぐるりと並ぶ凶悪な形へと変貌を遂げた。
そして円はグルグルと高速で回転を始める。まるでエンジンを回したチップソーのように。
男がパチンと指を鳴らす。
緑で構成されたのどかな原風景を、どす黒い赤色が塗りつぶした。
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日魔連事務所の一角、その場所で軍服に身を包んだ少女がスマートフォンを片手に会話をしていた。
「そう、えぇ、分かったわ。ありがとうニナ。一応ディーに確認は取るけど、相手は間違いなく血の魔王よ。こっちからも応援を送るから、それまでは動いちゃだめよ。それじゃあね」
そう言って軍服の少女、大戦勝者、ラウラ・ベルクヴァインは電話を切った。
「まさか、顕現場所を変えるなんて......」
誰もいない事務所の一角で、ラウラは苛立ちゆえに、年相応に子供っぽく爪を噛んだ。その日頃の行いと実績ゆえに、他者から見くびられるような行動を控えなければならない彼女からしたら珍しい行動だ。
そんな行動を無意識のうちにしてしまうほど、ニナと呼ばれる人物からもたらされた情報がラウラにとって予想外の事態だったといってもいい。
「あの国は四公と呼ばれる強力な四体の悪魔の力によって、それぞれが好き勝手動いた上でも戦争に勝ってしまう、下位国家とは思えないほど強力な国よ。
そして、国を治める四公達はどれもプライドの塊。そんな奴らが、ただの悪魔を国家の代表として送り込んでくるはずがない。ましてや、今まで常に固定されていた顕現場所を、理由もなく変えるはずがない!」
ラウラが苛立ち紛れに爪を噛む理由、それは、とある悪魔の顕現場所が、予想されていた場所とはかけ離れた場所であったためだ。
件の国に属する悪魔達はその特性上、討伐に時間をかければかけるほど、脅威度を増していく。
それでも、これまでの人魔大戦では、そのプライドゆえに顕現場所を絶対に変えない特性を利用し、被害は出しながらもなんとか討伐を行えていた。
しかし、その必勝の戦法が、此度の人魔大戦ではもろくも崩れ去ったのだ。
「しかも、顕現地域一帯に血液で出来たドーム状の結界を生成?
顕現したのが血晶なら赤一色の城が、赤翼なら真っ赤な無数のコウモリが、紅鬼なら燃え滾る血の湿地帯が出来るはず......」
ラウラは一つ、また一つと顕現した悪魔の予想を上げては、自分自身の手でその可能性を潰していく。そもそもこのような悪魔の国家の事情を詳細に知れているのは、知識の魔王と親友関係にあるラウラにしかできないことだ。
仮にこの場に第三者がいたとしても、ラウラの話す内容の一割も理解できないだろう。
「待って、今まで一度しか人魔大戦に参加していなかったから除外してしまっていたけど、四公最後の一体が顕現した可能性は?
今まで他の三公に人魔大戦の席を譲り続けていた四公が一体、血脈のカバタが顕現したという可能性は!?」
そしてついにラウラは、自分自身で納得のいく程度には根拠のある可能性を導き出した。だが、同時に彼女は顔を曇らせる。
「血脈のカバタは太古の昔に人魔大戦に参加したっきり、その後は一度も現世に顕現していない悪魔。他の三公と違って、魔法も、戦略も、性格すらまともな情報として残ってない。
唯一残っているのは、あの悪魔の行いによって、現世に吸血鬼伝説が生まれたということだけ......ニナにとっては苦しい戦いになるなるわね......」
時として、全く情報の無い下位の国家の所属悪魔が、広く情報の知れ渡った上位国家の魔王以上の働きをすることがある。
しかも今回の場合であれば、相手は下位国家の魔王級の悪魔だ。危険度も無名悪魔の比ではない。
「ニナ、あなたは大切な友人よ。あなたを助けるためなら、私はどんな汚い手だってやり尽くしてあげる。だから勝って、血の魔王に勝利して、あなたの運命を切り開きなさい」
ほとんど確信と言ってもいい予測から生まれた事実。そしてその重圧を一心に受け止めなければいけない大切な人物を守るため、ラウラは自分を日本に呼び出した契約の履行させるための電話を、大熊にかけはじめた。
「悪いけど、友人と、友人の顔見知りなら、私は顔見知りがどんな惨たらしい死に方をしても、友人が生き残るのなら何とも思わないし、仮に友人だけが死んでしまうようなら、顔見知りのことは絶対に許さないわ。
でももし、あなたが私の大切な友人を守って、共に生き残ってくれたのなら、友人の友人程度には格上げしてあげるわよ」
思い浮かべるのは、情に厚く、それでいて大熊に散々聞かされていただろうに、ラウラにすら噛みつく無鉄砲さを持ち合わせたとある少年の顔。
あるいは彼ならば、苦しい戦いが予想される此度の戦いも、二週間前ほどに起こった決闘騒動の時のように、丸く収めてくれるのではないか。
現実主義の自分がらしくないなと思いながら、ラウラはニナと呼ばれる友人の無事を祈って、出来ることをやり尽くす覚悟を決めていた。
そして、先ほどから行っていた呼び出しコールが終わり、留守番電話サービスに繋がる。どうやら大熊は電話に出られる状況にはないらしい。
「単刀直入に言うわ。血の魔王が顕現した。あの子の力、貸してもらうわよ」
ラウラは静かに、けれど否定を許さない堂々めいた声で、一つの事実を口にした。
次回更新は1/20の予定です。