侵略の一手 その二
現世で最大の信徒数を誇る十字教、その内部組織の一つである悪魔祓いは直接戦闘にはかかわらない後方支援も含めて、基本的に十数人一組のチームで行動する。
この理由は第一にどれだけ魔法の才能があろうと、悪魔殺しでもない人間の魔法使い数人程度では悪魔に対してなんの痛手も与えることも出来ずに死亡するケースが多かったためだ。
そして第二に第一の理由を裏返してみれば、才能のある魔法使いが十人もいれば最悪の場合でもその者達が犠牲になることで、相手の情報を後方支援の人間が持ち帰れるケースが多かったためである。
そういった理由も含め、悪魔祓いという職業は常に死と隣り合わせだ。
しかし、そんな中でも老若男女問わず、多くの魔法使いが悪魔祓いに配属されることを志願する。それは教会という組織が悪魔の力に頼らずに悪魔と戦う力を持っていること、そしてそれだけ悪魔に対して因縁を持つものが多いということだろう。
悪魔の悪事によって幸せだった一族の歴史に泥を塗られた者は何もマルティナだけでは無い、裏の歴史の中ではよくあることなのだから。
そして今、悪魔祓いのチームの一つが悪魔と遭遇していた。北アメリカのとある村で起こった異変の調査に向かったことで起こった事態だった。
「ハァ、ハァ...くっ!」
その悪魔祓いのチームで後方支援を担当していた男が一人、息を切らしながら急な坂を駆け下りていく。
男が、息を整えることもなく必死に走り続けているのは、とある脅威から少しでも離れ、情報を教会本部へと持ち帰るためだった。とある脅威とはもちろん悪魔、男の部隊をたった一体で壊滅状態に追いやった恐ろしい悪魔のことだ。
不意に、走る続ける男の前に一艘のゴンドラが出現し、男の道を遮った。
「前衛が全滅したら、まるで地鳴りを感知したネズミのように四方八方に逃げ出すとは。おかげで回収に手間取りましたが、あなたで最後です」
周囲は地面だというのに、まるで水上を移動するが如く優雅に漂うゴンドラ、その船上には部隊を壊滅に追いやった悪魔と、倒れ伏した何人もの人間の姿が見て取れた。倒れた人間、それは間違いなく苦楽を共にした男と同じ後方支援の悪魔祓い達だった。
「ちくしょうが!」
倒れ伏した、恐らく死体である仲間達の姿に気付き、男が怒りの声を上げる。
「畜生?はて?ニンゲンと同じ姿を取る私を畜生と呼ぶ...?あぁ!ニンゲンが悪魔にとって家畜に過ぎないということと、この場が屠殺場と変わらないということの洒落というわけですか!確かにその通りです!辞世の言葉にしては悪くない。そしてそんな言葉を残せる貴方をその他、多数として葬るのはいささか偲びない。お名前を窺っても?」
男の罵声をどう勘違いしたのか、悪魔は男の名前を聞き出そうとしていた。だが、男の方は仲間を殺された恨み、もう逃げ出すことすら叶わない諦観、平気で人間を家畜呼ばわりする悪魔への怒りから、悪魔の話の後半部などこれっぽっちも頭に入っていなかった。
「死ねぇぇぇ!!!」
そうしてどうしようもなくなった男は、せめて一太刀をと、プラスの魔力が込められたナイフを手に、ゴンドラ上の悪魔へと突撃した。
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異変の発端は、この村出身で近隣の町に出稼ぎに出ていた住人が、村の住民の誰一人とも連絡が取れなくなったと警察に相談したところから始まった。
警察も住人の言葉を、最初は電波の不調か何かが理由だと考えていたが、様子を見に向かった警察官が戻って来ず、その警察官を探しに向かった者達も帰ってこなかったことで、警察も騒ぎ出し、教会にも異変が伝わったのだ。
現在、地元警察は、災害やグリズリー等の凶暴な獣による事故、大規模ギャングによる村の乗っ取り等の事件の両方の視点から捜査を進めており、応援が到着するまで村までの道は封鎖し、待機の姿勢を取っている。
そのため悪魔祓い達は封鎖を突破し、警察に先んじることで悪魔の仕業か否か、それを確認しようとしていた。
そんな経緯によって村に到着した悪魔祓い達は目にした。
平時は村の観光スポットとして小さく名をはせていた湖が、投げ込まれた村人達の死体によってどす黒い色に染まっていたことに、そしてそれを満足そうな様子で眺める人ならざる人の姿を。
いくら悪魔祓いといえど、魔法を使っておらず、魔力がほとんど漏れていない人型の悪魔を、人間と完璧に見分けることは難しい。
だが、目の前の悪魔のことはすぐに悪魔と判別することが出来た。それは何も湖に大量の死体が沈んでいる光景を眺めて平然としていることが理由でも、この悪魔が何らかの魔法を発動しているために微かにマイナスの魔力を周囲に放出していることが理由でもない。
この悪魔は湖ではなく、なんと地面にゴンドラを浮かべ、その上に乗っていたのだ。
しかも、ゴンドラが浮かんでいる付近の地面は水面のように波打っており、移動することが容易であると物語っている。こんな大規模な変化を微かに漏れる魔力のみで発動できる人間の魔法使いなどいるわけがない。
まさしく魔法の天才たる悪魔にしか出来ないインチキじみた所業と言えた。
それに気付いた悪魔祓い達は瞬時に警戒レベルを最大限まで引き上げ、同時に悪魔の方も悪魔祓い達に気付いた。
白色の法衣を身にまとい、それぞれ得意とする武器を構える悪魔祓い達。
それに対し、緑を基調としたスラッとしたダブレットに同色のズボン、膝近くまで長さのあるブーツを履き、顔には白一色のコロンビーナのハーフマスクを着け、右手に櫂を握る悪魔。
まるで古い肖像画に描かれる貴族が絵から飛び出し、船の渡し守をしているかのような奇妙な光景だった。
悪魔祓いと悪魔、絶対に相容れぬ存在たる両者。もちろんどちらかが引き下がるということは無い。かたや人類の平穏を求めて、かたや邪悪なる計画を実現するために、両者は激突した。
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「シネェー?随分特徴的な名前ですね。それなら100年ほどは忘れずに覚えておけそうです」
悪魔は突撃してくる男に一切の脅威を感じていないかのようなふざけた態度を崩さない。
いくら上位の悪魔といってもプラスの魔力を、直接喰らえば痛手となるはずだというのに。
「仲間達の敵だぁぁ!!!」
そう言って男は飛び上がり、船上の悪魔の胸へと向かってナイフを振り下ろす。
防御の姿勢すら取らない悪魔に間違いなく突き刺さるはずのナイフ、しかしそのナイフは、とぷん、というまるで水の中にナイフを取り落としたかのような音を立てると、そのまま悪魔を貫通してしまった。そして突き刺さるものと思っていた男も、勢いのまま悪魔に突っ込みそのまま通り抜けてしまう。
「それではさようなら。シネェーさん」
悪魔は右手に持った櫂を男の頭部めがけて振り下ろす。
「くっ!」
いくら後ろ向きでバランスを崩そうとも、男も悪魔祓いとして厳しい訓練を受けてきた戦闘員だ。すぐさまナイフを頭上に構え、櫂を受け止めようとした。
しかし、とぷん、と櫂はナイフをそのまま通り抜け、男の頭部も通り抜け、グシャリと、突如実体化した櫂は男の臓器のみを滅茶苦茶に破壊すると、そのまま何事も無かったかのように、身体を通り抜けていった。
「ちく...しょう...」
最後にそう言葉を漏らした男は、痛みすら感じることなく、ただただ死んでいった。
「おおっ!死する時すら洒落の精神を忘れないとは。もし貴方が悪魔として魔界に落ちてくるのなら歓迎しますよ」
そんな悪魔のふざけた言葉を聞かずに済んだことだけは、この男にとって幸運だったと言えることだろう。
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「底は何処に辿り着く?水面は如何を映し出す?繋がれ繋がれ、彼方の大地へ。呼び出せ呼び出せ、渡界の下へ」
ゴポリと、浮かび上がってこようとしていた死体の一つを、悪魔は櫂を使って水底に押し返す。一瞬どす黒い水面から浮き出した服の先は、元々は真っ白な法衣だったものだろうか。
「儀式の舞台と定めた場所に、魔力袋が少なかったのは誤算でしたが、まさか上質な袋の方からこちらにやってきてくれるとは嬉しい誤算でした」
そう言いながら、悪魔は櫂を使って湖面をゆっくりとかき回す。
普通であれば櫂をゆっくりと回した程度では、湖面に小さな波紋が出来る程度が精々だろうが、悪魔が櫂を回すごとに湖全体に大きな渦が出来上がり、渦の中心から湖は、わずかに残っていた血液の赤すらも染め上げる、深淵とでも言うべき色へと変化していった。
「さぁさ、扉の用意は出来ました。足元にはご注意を、船は水面を揺蕩うだけですゆえ」
そう言って、悪魔は握った櫂を水中深くにまで突き刺した。
どぷんと、まるで水ではなくもっと粘度の高い、油の中にでも突き刺したかのような音がする。そうしてしばらくすると不意に櫂に手ごたえがあり、それを感じた悪魔は櫂を引き上げる。
大きな飛沫を上げて引き戻された櫂を握って、一体の人間の完全な白骨が、悪魔の下へと出現した。
水から引きずり出された白骨はそのまま悪魔に何かを告げるわけでも無く、飛沫を払うと、突然豪華な服と王冠を出現させて身にまとい、背後にこれまた黄金と数々の宝石を散りばめた間違いなく高価だと思われる椅子を出現させ、そこに深く腰掛ける。
身にまとう衣服と椅子の輝きに思わず目がくらみそうになるが、身にまとう本人の白骨自体が古臭く、黄ばみやヒビ、片方の眼窩には蜘蛛の巣が張っているというみすぼらしさゆえに、その格好はとてもアンバランスに見えた。
白骨が椅子に腰かけると悪魔は片膝をつき、敬礼姿勢をとった。
「お待ちしておりました。その名誉ゆえに、一位より大宮の一つを任されし、17位、富の悪魔。その頂点に君臨する魔王、特権のマモン様!」
悪魔の掛け声と共に、湖からドッパーン!と水柱が上がり、そこから一羽のカラスが飛び出した。
カラスはそのまま滑空しながら白骨に近付き、頭の王冠をくちばしで器用に奪い取ると、それを白骨の股に落とし、自らは白骨の頭の上へと着地した。
一見すると普通のカラスのように見えるこのカラス、よくよく見てみれば瞳はダイヤモンド、カギ爪はアイボリー、羽の一枚一枚全てが、カーッカニルと呼ばれる特殊な黒色のサファイアで出来たカラスだった。
「クアーッ、カッカッカ!渡界よ、出迎えご苦労!」
宝石カラスが貴族衣装の渡し守を渡界と呼び、労いの言葉をかける。
「いえいえ、志を同じくする、貴き御方を御呼び立てする任を預かれること、この渡界のパツィリエーレ、望外の喜びにございます」
そう言って、パツィリエーレは下げた頭をさらに低く下げる。
「クアックアッ、我と同じ、始まりを知る悪魔の一体だというのにその低い姿勢はいつまでたっても治らぬな」
「国持ちと国外代表では、そもそもの格が違いますゆえ」
「お主の力があれば、適当な賑やかしと共に国など簡単に手に入れられるだろうに。いい加減魔王にはならんのか?争いが面倒だと言うのならば、我の口から盟主に一言添えることも出来るぞ?」
「いえいえ、盟主と特権様のお手を煩わさせるわけにはまいりません。それに、私は今の自由な身を気に入ってますゆえ」
マモンの提案にパツィリエーレが断りを入れると、マモンはカラスの身体で器用に溜息を吐いた。
「はぁー......まぁよい。今後の動きは分かっておるな?」
「もちろんにございます。そのためには、ニンゲン共に割れたこの場からは、離れる必要があるかと」
「我を呼び出すほどの魔力を集めたのであればそれも道理か。よし、それならば国を一つ跨ぎ、入国を目指す候補者共の選別を行うとしよう」
「かしこまりました」
「それが済んだのなら、久しぶりに本気でニンゲン共を滅ぼしにかかってみるとしようか」
「特権様自らが、表舞台に立たれるので?」
「普段であればお主同様そんな面倒なことはしないのだが、今のお気に入りを負かしてやったのも数世紀前の話でな。いい加減新たな挑戦者を絶望の淵に落とし、その骨を晒してやろうという欲望がな」
カラスはそう言って、白骨の頭蓋骨をくちばしでコンコンと叩いた。
「それはそれは。一体いくつの国が反動で滅びることになるのやら。私、今から興奮で胸が張り裂けそうにございます」
「クアァ。つまらぬ世辞など良いわ、さっさと移動を始めろ」
「それは大変失礼いたしました。行先はどちらへ?」
「富と欲望の溢れる国、アメリカへ」
「かしこまりましてございます」
パツィリエーレが了承すると船は沈みだした。そうして乗り手共々湖に沈み込むと、そのまま上がってくることは無かった。
国外代表にも実力者は存在するという回でした。
次回更新は12/19の予定です。