手の内の穏やかな落着
「そうか......マルティナは行っちまったのか......」
「そのようだね。選択を討伐したことによって得た魔力を、全て治療に注ぎ込んだばかりだというのに、随分と軽いフットワークだ」
病院からマルティナが姿を消した。
翔がその事実を知らされたのは、あの戦いから一夜明けた昼頃。お見舞いと称して、魔力切れの翔のもとへと訪れたダンタリアの口からだった。
「日魔連が経営している病院に、魔王のお前が顔を出してんのも大概軽いフットワークだと思うけどな。それで、治療は上手くいったのか?」
「そうでなければ、今頃は身じろぎ一つできない眠り姫さ。麗子から聞いた話だと、身体に埋め込んでいた聖遺物の影響で、元の臓器の時間も止まっていたらしい。取り出された元の臓器も新鮮そのものだったようだよ。そのおかげで、少ない魔力でもなんとかなったといった所かな」
「そっか。なぁ、ダンタリア。今回のことって、やっぱりマルティナは色々と言われるんだよな?」
ひとまず彼女が無事に回復したことを聞いて安心した翔だったが、そもそもの事の発端である、マルティナの出奔とダンタリアの命を狙った決闘騒動について、彼女は責任を負わなければならないはずだということを翔は思い出した。
いくら計画が失敗に終わったからといって、教会の反対を振り切って独断専行を行った責任と、人魔大戦における貴重な情報源であるダンタリアの命を狙った責任は、どう考えても軽く注意を貰ってすぐに終わりとはいかない。
教会に舞い戻ったとしても彼女の居場所が残されているのか、その疑問が翔の心にずっと残っていたのだ。
「ふふっ、心配することはないさ。動機は確かに私の命を狙ったものではあるけれど、結果的には、悪魔殺しとの模擬戦に私を立ち会わせただけ。そんなことでわざわざ虎の子の悪魔祓いを処分するような狭量な組織ではないよ。しっかりと言質もいただいたしね」
翔の心配をよそに、ダンタリアはクスクスと笑いながら、一枚の紙きれをひらひらと手で弄んで見せた。そこには、赤黒いインクで「私の負け。契約は守る」と書かれてあった。
「それって......」
「悪魔祓いの血で書かれた血判状だね。自分の血液で書いたおかげで、彼女は契約に縛られる。これで私が中立の間はどうあっても手出しが出来なくなったわけさ」
ダンタリアが何の気なしに見せてくれた血判状だが、初めて出会った頃のマルティナの性格を考えると、驚くような代物だ。
以前の彼女であれば、決闘はうやむやになったとして、もう一度翔との決闘を挑んでくることは容易に想像できた。
そして、先の戦いで多くの手の内を見せた今の翔とマルティナでは、力関係がひっくり返っているといっても過言ではない。彼女からしてもダンタリアを討伐する大きなチャンスのはずだ。
しかし、マルティナはそのチャンスを自分からふいにした。それはダンタリアの討伐を後回しにしても構わないと言っているのと同義である。あの決闘によって、マルティナは翔の言葉が信じるにたる言葉だと思ってくれたのだ。
ウィローとの戦いで翔が感じたマルティナの変化、それが間違いではなかったのだ。それが翔にはたまらなくうれしかった。
「じゃあ、マルティナはこのまま無事に教会か、世話になってるっていうジェームズとかいう大戦勝者の人の所に戻れるんだな?」
「まず間違いないだろうね。それにしても、大熊が騒がなければここまでことは大きくならなかったというのに、彼の過保護には困ったものだよ......」
ダンタリアがやれやれと手を持ち上げ首を振る。翔がマルティナとの決闘を大熊に告げたあの日、大熊は大熊で、方々に手を回し、事態が悪化しないように最善を尽くしてくれていたらしい。
「いや、大熊さんは俺とマルティナの決闘がスムーズに行われるようにしてくれたんだぞ。自分の命を賭け金にして、決闘をセッティングした奴が言っていいセリフじゃねぇだろ」
悪びれもせず、大熊に責任を転嫁したダンタリアに、翔はため息を吐きながらジト目を向けた。そもそもの問題は、目の前の魔王の、英雄譚が見たいという願望だ。これが絡まなければ、もっと穏便な解決手段がいくつも存在していたに違いなかった。
「悪魔というのは己のアイデンティティを、内に秘めた欲望を実現させるためには手段を選ばない。むしろそうでなければ悪魔を名乗る資格はないし、そんな奴には根源魔法は根付かない。少年、君はこれからもたくさんの悪魔と、そして悪魔達が内に秘める欲望と向き合っていくことになるんだ。覚悟はしておいて損はないよ」
翔の文句もやはり魔王の心を動かすには足りないらしい。むしろ自分を正当化して、悪魔の性質を翔に説いてくる始末だった。
「お前みたいなぶっ飛んだ思考の奴らに、これからも巻き込まれるっていうのかよ!?自分の命を平気で捨てる奴らが少数派じゃなかったことが、今日一番のショックだ......」
「ふふっ、残念なことにね。それとね、少年、君は私の命を救うことを最優先に、悪魔祓いと決闘に臨んでくれたね」
「ん?なんだよ、いきなり改まって。そりゃ、世話になった相手が、不戦敗でボロボロにされちまうのは嫌だったからな」
「そう、君は一度世話になっただけの相手のために、命の危険を顧みず、決闘に挑んでくれた。その義理堅さと誠実さは君の美徳だよ。そんな誠実さに免じて、今回は私も誠実であろうと思ってね。入っておいで」
ダンタリアの声に合わせて病室の扉がガラガラと開く。そうして入ってきた者の姿を見たとき、翔は自分の目を思わず疑った。
入ってきた人影、それは紫を基調とした魔女服に身を包んだ少女、今目の前で会話をしている知識の魔王、継承のダンタリアと瓜二つの容姿の少女だったからだ。
「は......?ダンタリアが......二人!?」
夢でも見ているのかと、自分の目をこすってもう一度見開く翔だったが、やはり目の前には二人のダンタリア。どんな魔法の効力であろうと、この瞬間に彼女が二人存在していることを認めざるを得なかった。
「ふふふっ、予想通りの反応を見れるというのは、中々の充足感だ。欺きの悪魔達の気持ちも理解できる」
「ちょっ、おまっ、なに一人で納得してんだ!こっ、これはどういうことなんだよ!?」
満足げなダンタリアと、予想外の事態に理解が追いつかない翔、そんな彼の反応を見て、しばし笑っていたダンタリアだったが、答え合わせの時間だとばかりに、おもむろに口を開いた。
「少年、君は私が悪魔祓いと、決闘についての契約を交わした時のことを覚えているかい?」
「はぁ!?おっ、覚えてるも何も、お前が勝手に自分の命を賭けて、マルティナが決闘を挑むように誘導したことだろ?それが今の状況と何が関係してるんだよ!」
ダンタリアに問われて、翔もあの時のことを思い出す。手も足も出ず、マルティナに蹂躙された自分、そんな自分を守るかのように表れたダンタリアは、翔とは打って変わって、マルティナの攻撃をいともたやすく防いで見せた。
そして圧倒的な有利を背負いながらの、突然の自分の命を賭けた翔とマルティナの決闘の提案、ダンタリアの目的を聞き出した今でも、理解不能な行動だった。
「あの時、私が何と名乗って、契約を行ったか覚えているかい?」
「はっ?自分の名前を名乗って、契約してただろ?」
「ふふっ、本当にそうかい?」
「流石に忘れねぇよ!継承のダンタリア、そう名乗って契約したのはしっかり覚えてる!」
いくら学力に難のある翔といっても、騒動の発端の出来事を忘れるほど、おめでたい頭のつくりはしていない。ダンタリアが自分の名を名乗り、マルティナと契約したことは間違いなく、記憶していた。
「そう、私は継承のダンタリアと名乗って契約した。この子の名前を使ってね」
そう言って彼女は、病室に入ってから一言も発しない、傍らのもう一人の自分を指さした。
「......?いや、お前も、継承のダンタリアだろうが......」
トンチめいたダンタリアの答えに、翔の頭はハテナマークでいっぱいだった。
「ふふふっ、あの悪魔祓いは悪魔のことをかなり毛嫌いしていたからね。だから名前のルールも把握していないだろうと、鎌をかけてみたけれどうまくいったってことさ。少年、覚えておくといい。悪魔の名前は、国家所属であれば、それも含めて個体の名前だ。私の名前は、知識の魔王、継承のダンタリア。継承のダンタリアだけでは、私の名前にはならないんだよ」
そう言うと、ダンタリアはパチンと指を鳴らした。するともう一人のダンタリアの姿がみるみると変わっていき、身長までもがぐんぐんと伸びていく。
そうして姿を現したのは、ダンタリアの魔法講義の一つ、召喚魔法の講義で召喚されてから、何かと細かい部分で翔もお世話になっていたダンタリアの真っ白な眷属だった。
そうやって、懇切丁寧に説明されたことで、翔もようやく、そう、ようやく、この魔王がどうして、自分の命を平気で決闘の賭け金として、計上したのかという事実を知ることになった。
「お、おい、ダンタリア。つまり、あれか?俺が、もし、マルティナとの決闘に負けていても、犠牲になっていたのはその眷属の方だったってことで?」
「あの悪魔祓いも、もし、勝利した後にこのカラクリに気付いたら、怒り狂っていただろうね」
「そもそも、お前の命が奪われる可能性がゼロだったってことで?」
「彼女に指摘されていたら、そもそも契約自体を取り下げざるを得なかっただろうね。いくら魔王でも命は惜しい」
「俺が一番心配していた、マルティナが教会や他の魔法組織の報復に遭う可能性が元から存在しなかったってことか?」
「そりゃそうさ。悪魔と契約した、私から見ても貴重な存在の悪魔祓い。そんな存在が碌に戦うこともせず、暗闘の露に消えるのは物語の大きな損失だよ。そんなこと私がするわけないだろう?」
「ふっ、ふふっ、そうだな。たった一つの決闘を観戦するために、ここまで大掛かりなことを仕組んだ奴が、そんなもったいねぇことをするはずがなかったよなぁ。ははっ、はははっ......」
翔はにこやかな表情で笑い声を漏らす。しかし、彼の笑い声は間違いなく乾いており、握りこぶしはプルプルと震え、顔には青筋が浮かんでいた。その光景を目にすれば、百人中百人が爆発寸前、もしくは激昂一歩手前と答えるはずだろう。
しかし、そこまでの怒気を充てられている張本人は、それでも微笑みを絶やさない。暖簾に腕押し、糠に釘、この魔王を反省させるには、翔には何もかもが足りていなかった。
「ふふっ、私のせいで爆発寸前だろうから、少年、最後に一つだけ、言っておこう。悪魔は噓をつかないが、煙に巻く。こっちも覚えておくことだね」
そう言って、ダンタリアは翔の右手を、眷属が左手を取り、キスを落とした。
「はぁっ!?」
「騎士様への報酬だよ。どうかこれで、いたいけな幼女の悪戯に目をつぶっておくれ」
ウィンクしながらそう言い残すと、ダンタリアは見慣れた黒穴を自分と眷属の足元に生み出し、そのまま逃げ出してしまった。もちろん、翔では追いかけようがない。
こぶしを振り上げたはいいが、振り下ろす場所がすっかりなくなってしまっていた。
「ふざけんなあぁぁぁ!!!待ちやがれダンタリアアァァァ!!!」
顔を真っ赤に染めた、少年の叫び声が昼下がりの病院に響き渡るのだった。
これにて、第二章 永劫中立の継承者 は完結となります。ここまで読んでいただいた皆様、ありがとうございました。続けて、第三章もどうぞお楽しみください。
次回更新日の12/15からは、また閑話を挟ませていただこうと思います。