駄作へのピリオド
翔とマルティナが転移魔法によって助け出された頃、戦闘区域から少し離れた廃墟の屋上に現れた者がいた。
「ハァ......ハァ......保険として、後方の選択肢を残しておいて正解だった。おのれ......一度ならず、二度までも、このような屈辱を味わう羽目になるとは......!」
歪んだ天秤を無理やり人型に押し固めたような醜い体躯、討伐されたはずのウィローであった。
翔の一撃を喰らいながらも、なぜウィローが生き残っているのか。
それは翔の奥義、擬翼一擲 鳳仙花によって討伐されようとしていた時だ。
本来、使用するつもりがまるで無かった選択肢。二人の決闘を窺いながらも、自分の介入が不可能であると判断した場合の選択肢。それが今の自分の魔力でも、ギリギリ選択可能であることが分かったのだ。
元来の生き汚さが幸いし、ウィローは奥義の直撃を回避する事に成功していた。
さらに限界まで消耗した魔力は、日魔連の魔力探知をかいくぐれるほどにまで減少していた。そうして息を潜めていたおかげで、彼は死の大鎌から二度も自分の首を守る事に成功したのである。
けれども失った魔力と信用は大きい。今回の一件によって、魔界におけるウィローの立場は恐ろしく後退にしたに違いない。
今の状態で帰還しようものなら、弱った魔力袋としてあらゆる意思持つ者達に喰い荒らされてしまうのが関の山だ。
しかし、ウィローの心は折れていなかった。窮地に立たされながらも、自分はまたも生き残った。ならば挽回のチャンスもまた残されているはずだと。
「今回も生き残る事が出来た。そして、生きていれば逆転のチャンスはまた巡ってくる! もう一度だ......もう一度......!」
「もう一度あのニンゲン達の不意を突き、今度こそ勝利してみせるといった所かい?」
突然自問自答に答える別の声が現れた事で、ウィローは驚いて後ろを振り向いた。だが、その場に立っていた者の正体に気付き安堵する。なぜならその人影の正体は、知識の魔王 継承のダンタリアだったのだから。
「これはこれは継承様! お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ございません」
「構わないさ。進退をかけた戦いを終えたばかりで、衣服の乱れを指摘する奴がいるかい? それと同じさ。真に見苦しいのは、戦いもせずに功績ばかりを求める愚か者さ」
翔達に向けていた尊大な態度が嘘であるかのように、ウィローはどこまでも下からの態度でダンタリアに接する。
しかしそれも当然だ。何せ国外代表のウィローと比べて、目の前にいるのは魔界に72しか存在しない国家のトップ。それも神魔の時代から今までを生き抜いてきた、化け物中の化け物なのだから。
いくらダンタリアが中立を語っていたとしても、ウィロー如きでは機嫌を損ねただけで粛清されかねない。そして何よりもウィローは、彼女に対して大きな借りがあったのだ。
「せっかく情報をいただいていながらの敗北、真に申し訳ございません」
そう言いながらウィローは一冊の本を恭しく取り出し、彼女へと捧げた。
「気にしていないさ。おかげで目にする事が出来た物語は、心の保養になったしね」
そう。ウィローはダンタリアによって、マルティナについての情報を横流しされていたのだ。
そのおかげで大した探知能力のないウィローでも、絶好のタイミングで二人の決闘に介入出来た。ウィローの乱入は、ダンタリアによって仕組まれた確定事項だったのだ。
「そ、それでは......! も、もう一度奴らの情報を提供していただけるということで!?」
初めは叱責に来たのかと身構えていたウィローだったが、ダンタリアの様子はご機嫌そのもの。おまけに、もう一度戦いを目にしたいとも口にしている。
ならば、再戦の時まで知識の魔王の庇護を受けられるのではないか。そして、知識の魔王と懇意であるというレッテルを手に入れる事で、魔界における立場を上昇させられるのではないかと考えたのだ。
「あぁ、いや。君に情報提供する事は、もう無いだろう」
しかし、ウィローの期待に反して、ダンタリアの反応は薄かった。
「そ、そこをなんとか! 今度こそ奴らの息の根を止めてみせます! 心を絶望一色に染め上げてみせます! ですから、もう一度! もう一度だけチャンスを!」
しかし、ここで有力者からの庇護を失ったら、待っているのは破滅。ウィローとしては己の考えを実現させるために必死だ。
そう。あまりに必死すぎて、情報提供はもう無いという言葉の真意にすら気付かず、愚かにも懇願を続けている。
「......時に選択。君は物語における人物の退場をどう思うかな?」
「はっ......? 退場、ですか?」
空気が変わった。
「そうだ。死亡、別離、脱落、消滅。あらゆる退場の形があるが、総じて言えるのは今後の物語において、不要となる事だ。もちろん、価値そのものが無くなるわけじゃない。退場が登場人物の心を動かすシーンは、星の数ほど存在するからね」
「一体どういう......」
ダンタリアの紡ぐ言葉の意味が、この時点でもウィローには分かりかねていた。この瞬間が初対面のウィローでは、ダンタリアの人となりが掴み切れていなかった。
「あぁ、失礼。シンプルな質問だよ。下劣な行いの途中で敗走させられ、逆恨みを募らせた上で挑んだ復讐にて、また敗走した」
その結果、彼は機会を逸する事となった。
「そんな無様の極みを晒したキャラクターは、物語にはもう不要と言えないかい?」
弁明、もしくは逃走の機会を。
「......あっ、あぁっ......!?」
この時、ウィローはようやく気付く。こちらに向けられたダンタリアの笑顔が、嗜虐心の入り混じる非常に悪魔らしいと笑みに変わっている事に。
「あ、貴方様がいくらそう考えようと、永劫中立を誓っている以上、私に手を下すのは不可能の筈!」
先ほどの戦いなんて比べ物にならないほどの窮地に、自分は立たされている。
格上に目を付けられた際、格下の悪魔が自力で出来る事は少ない。あまりにも有名な契約を心の拠り所とし、彼女と自分自身に言い聞かせるのが精いっぱいだった。
「そうだね。私は契約によって、こちらに敵意を向けた悪魔以外を殺す事は出来ない」
「そ、そうです!」
「けれど、相手の本質が悪魔以外であるのなら、私も契約には縛られないんだよ」
「はっ?」
「君の姿から察するに、以前は相当高位の法治を司る存在だったのだろうね。けれど、その独善たる正しさを求める姿勢の果てが今の姿だ。どれほど自分の行いが歪んでしまっているかの良い指標じゃないか」
「へっ? はぁ? なっ、なにを......?」
ダンタリアが何を言っているのか全く分からない。けれどなぜか、心の奥底から目の前の強大な化け物への殺意が、ぐつぐつと湧きたってくるのを感じた。
「真の立場を考えれば当然だ。悪魔祓いが許せなかったのだろう? 奇跡を授けられておきながら、平然と悪魔とも契約を交わしたその行動が許せなかったのだろう? その結果、施していた封印が解けだし、記憶を取り戻しつつあるんだろう? これでも白を切るかい?」
「なっ......私は......私はああぁぁぁぁ!?」
全く身に覚えの無い言葉。なのに頭が真っ白になるほどの憤怒に包まれ、こらえきれなくなった怒りは叫びとして放出される。
「10位の言葉を借りよう。彼女の同類なら良き悪きに関らず、己に向けられる感情を糧として吸収出来るそうだ。けれど、君達は別だ。私利私欲のために己の全てを反転させ、こちらに墜ちてきたのだから。どうせあちらの解放次第で、また上へと昇っていくだろうとね」
10位の国。そしてその国を治める魔王の言葉を間接的に聞かされた瞬間。ウィローの中の何かが切れた。
「ダンタリアァァァァァアアア!」
「おやおや、暗黙の了解も忘れてしまうとは。悪魔が自分より高位の悪魔を呼ぶ時は、真名を呼ぶのが基本だ。間違っても諱を呼ぶ事は無いんだよ」
そう言ってダンタリアは杖を取り出すと、一振りする。それだけでウィローの周りに鎖が飛び出し、彼を縛り上げた。
「この程度ぉぉぉ! 再選択オオォォォ!」
ウィローにとって、物理的な拘束などあって無きが如し。
一度大きく距離を取り、不意を打ってやろうと考えたウィロー。けれど、常時ならすぐにでも得られる再選択の結果が、この場ではいつまでたっても発動の兆しが見られなかった。
「な、なぜだ! なぜ選択肢を選べない!? なぜだあぁぁぁ!」
「よーく、周りを見てみるといい。世界とはこれほどに歪んで、角ばっているものかな?」
「なに? こ、これは!?」
ダンタリアに挑発され、縛り上げられた身体で必死に首を振るウィロー。そうして気付く。自分とダンタリアを囲むように、水晶の壁がドーム状に形成されていることに。
「水晶監獄。能力はシンプルだ。自分と相手のみを包み込む、水晶製の半球結界を作り上げる魔法だよ」
「結界!? だっ、だが......!」
「君の魔法は自らの選択肢を選び直す。この場からすぐさま離れた選択肢に移り変われれば、逃げ切れるとでも思ったかな?」
「なっ、なぜ!?」
誰にも話したことのなかった自らの根源魔法の全容をあっさりと言い当てられたウィローはこれ以上ないほど狼狽する。
「簡単なことさ。単純な転移であれば、空中の少年達に追撃を加えない理由は無い。時間を巻き戻すタイプであれば、目にしていない行動を取れない。そして何よりも切り札の露見。君の真名と転移能力、再生能力を考えれば、推理はそう難しくはないさ」
「ぐっ、ぐぅぅ......!」
「そして君を逃がさないために張ったのが、どちらか一方が消滅するまで内外からの一切の干渉を遮断する結界。|剛掌《ごうしょう|》の根源魔法を発動させてもらったんだよ」
「剛掌の......根源魔法......?」
その言葉でウィローの思考は完全に停止した。
悪魔にとって、根源魔法とは己のアイデンティティーの結晶。その悪魔そのものとも言える魔法だ。
おいそれと真似出来るものではないし、模倣したとしても、どこか能力の一部を切り取って代用するのが精々だ。
そして、そんな代用を根源魔法の発動と呼ぶ馬鹿は魔界に存在しないし、仮にそんな馬鹿が存在しようものなら次の日の朝日を拝む事はないだろう。
けれど今、悪魔の真名と用いる根源魔法を同時に口にしたのは、頂点の一角である魔王だ。そんな存在が根源魔法と言ったからには、それは完全に再現された根源魔法である事は疑いようもない。
目の前の魔王は、他者の根源魔法を完全に模倣する能力を有している事になる。
「あぁ、驚くのも無理はないね。冥途の土産に教えてあげようか。私の根源魔法の名前は、喪失魔法大全私のみが全容を把握している悪魔達の根源魔法を、引き出して使用出来る魔法さ」
少々癖の強い根源魔法に限定されてしまうけどね。
そう茶目っ気たっぷりに言い放ったダンタリアの言葉は、もはやウィローに聞こえていなかった。目の前の魔王が語った情報。そんな事が可能なら、その実力は下位国家の魔王レベルでは断じてない。
上位国家である11位から17位までの名誉職 七大罪はもちろん、最上位国家である1位から10位までの十君にすら比肩しているかもしれない。
そしてそんな相手から不興を買えば、滅ぼされるのは必然。実際にウィローはたった二つの魔法だけで、手も足も出せなくなってしまっている。
欲望と暴力が溢れる混沌の魔界で中立を名乗れるのには理由があった。彼女自身が歯向かう気持ちすら消え去り、ただ首を垂れて許しを請うしかない圧倒的な実力者なのだという理由が。
(もはや、生き残るのは不可能......ならばせめて今得た情報を、同胞達に残す手段を考え......同胞とは誰だ? 私は国外代......ア......国の......長。我らを彼方に追いやった悪魔を裁くために、全てを投げ捨て堕......知らない!? なっ、なんだこの記憶は!?)
「あっ、ああっ、アアアァァァァ!」
「記憶の混濁による自己矛盾かな? そこまで封印が解けかかっているのなら、せっかくだしもう一つだけ教えてあげるよ。君が殺そうとしていた少年、あれこそが私が追い求めた特異点だ。惜しかったね?」
ダンタリアの放った最後の一言。それはウィローの感情を爆発させるには十分だった。
「貴様アァァァァ! ユースティティアの天秤!」
その言葉が契機となったのか。ウィローとダンタリアの頭上に、巨大な天秤が出現する。そして天秤は均衡を失ったかのように、すごい勢いでダンタリアの方へと傾いていく。このままでは下敷きだ。
「潰れろおぉぉぉ!」
突然繰り出されたウィローの魔法。けれどもそれすらも、知識の魔王を討伐するには何もかもが足りていなかった。
「なあっ......なぜ、潰されない......! お前の罪は、お前が犯した罪は数え切れぬ筈! それなのになぜ!?」
「言っただろう。君の姿は独善の果てだと」
なんとダンタリアは、落ちてきた天秤の片側を片手で平然と支えていたのだ。そこには苦し気な様子や無理をしている様子はない。
「ユースティティアの天秤は、己と相手の指定した罪の重さの差異を威力に変える。威力が低い理由なんて、一つだろう?」
「あっ......ああっ......あああああああああああ!」
その様子を見てダンタリアが満足気に、そして哀れな小動物を眺めるかのような悲し気な表情を作る。
「停滞と現状維持ばかりを求める馬鹿共の事は嫌いだけど、全てを捨ててまで勝利を求めた君自身には、名誉ある死を与えよう」
そう言ってダンタリアは、自分の上半身ほどの大きさもある本をどこからともなく出現させた。
「65ページ、滅魂。我ら地に伏し滅ぶのみ」
ダンタリアが言葉を紡ぐと、本がひとりでにパラパラと捲れだした。そして一つのページにたどり着くと、空中に光り輝く逆十字型の杭が出現する。
「ダンタリアアァァァ!」
出現した杭は高速でウィローに向かって飛翔し、寸分違わず彼を串刺しにした。
「砕けた君の魂が、今度こそ良き存在のために使われる事を世界に祈っているよ」
言葉が終わると同時に内側から爆発するようにウィローは砕け、彼の魔力はただの魔素へと変換された。
役目を終えた結界が自動で解除されると同時に、魔素は空へと吹き上がりどこかへ流れていくのだった。
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