正義対するは、また正義 その六
「おらあぁぁぁ!」
先手は翔だった。自分の降下地点となった、砂煙上がる乾いた地面。そこに渾身の力で木刀を叩きつける。
乾いた音を立てながら宙を舞う大量の砂と塵が、ウィローの目をくらませる。
「チッ、威勢のいい言葉の割に目くらましか!」
苛立たし気な声を上げながらも、ウィローが取った行動は後退。翔の近接戦闘能力に関しては、隠れ潜んで続けていた観察によって把握している。不意打ちを好む卑怯者に、相手の土俵で戦う選択肢などありはしない。
(よし! この状況で無闇に突っ込んでこないって事は、あっちには土煙の向こう側から攻撃する始祖魔法も、こっちの距離で戦える変化魔法も、マルティナに追撃を加えるような契約魔法は無いって事だ!)
ウィローの動きによって、翔は相手が用いる魔法の予測を立てる。
マルティナに叱咤された事で初めて知った、魔法対決の基本。そこに戦いへの才能が組み合わさる事によって、翔はきっかけを掴み始めていた。
同時に、翔は急いでマルティナへと近付く。彼女に応急処置を施す事。それが土煙による目眩ましを選択した理由だった。
「ごめんな、マルティナ。痛いと思うけど我慢してくれよ......!」
そう言いながら翔は、マルティナに突き刺さる長針のような凶器を両手で握りこむ。そして、出来るだけ彼女の傷口に近い位置で、思い切り力を籠めた。
「ふぐぐぐぐ......! らぁっ!」
そもそもがそこまで硬い素材ではなかったのだろう。長針はバキンと音を立てながらねじ切れた。
「もういっちょ!」
背中側に伸びた長針もねじ切ろうとした時、土煙の向こうから魔力を帯びた何かが接近してくるのが見えた。それはマルティナを貫いた長針。ウィロー側としても、土煙が晴れるまで手をこまねくつもりは無いのだろう。
「がぐっ!? ぎぎぎぎ......!」
それは明確な殺意の籠った一撃。されども何千、いや、何万もの槍の津波を掻い潜った翔にとって、今更たった一本の槍など何の脅威にも感じなかった。マルティナへの応急処置を続けながら、己の歯を使って白刃取りを行ったのだ。
「べっ、クッソ、やっぱり歯なんかで受け止めるもんじゃねーな。せっかく口の出血が止まったのに、今度は歯茎から血が出始めた......けど、これで戦える」
相手の攻撃とマルティナに対する処置を同時にこなした翔は、おもむろに片腕を後ろに回してマルティナを背負う。あの卑怯者の事だ。マルティナを放っておけば、どんな悪辣な手段を講じるか分かったものでは無い。
何十キロもの重しを背負って戦う。今までの翔であれば、例えどんなに守ろうとしても共倒れとなっていただろう。けれど今の翔には今までには無かった武器がある。マルティナとの決闘で必要不可欠だった魔法がある。
「ゲホッ、チッ。行くぞ、ウィロー!」
翔は血の入り混じる咳を一度だけ吐くと、今日二度目となる擬翼の生成を見事に成功させた。
そもそもの設計が効率性をかなぐり捨てた代物だ。日に二度の使用など論外。さらにダンタリアから授けられた奥義すらも使用しているとあっては、魔力量が自慢の翔とはいえ魔力切れの兆候が表れ始めていた。
明らかなバッドコンディション。だが、その程度で翔があきらめるはずもない。
ある時はライバルに追いつくため。そして、またある時はお互いの信念をぶつけ合うため。生成された擬翼は迫る理不尽に抗うために、再び澄んだ青の光を噴出口から吐き出した。
「らあぁぁぁ!」
急激な出力の上昇によってはじき出されるように飛び出した翔は、自らが撒いた粉塵を吹き散らし、ウィローへと肉薄する。
「なに!? あのバカげた魔法をまだ振るえるだと!」
一撃目こそ肥大化した腕によって防がれてしまったが、二度目、三度目と翔の乱打は止まらない。そして五度目でついにウィローの防御を崩し、天秤の支柱への突きが大きな凹みを作る。
「ごばっ! おのれぇ!」
(無理攻めしてこない時点で、予想は付けてた。こいつ、今の俺のスピードに対応出来ていない! これなら......いや、ちょっと待て......いくら何でもおかしい!)
予想以上に綺麗な初撃を加えた事で、逆に翔の脳裏にはとある違和感が生まれた。それは、いくら何でも手応えが無さすぎる事。
潜伏を続けていた事で、相手は万全に近い筈。そして、自分は限界が近い筈。なのに勝負が成立してしまっている。あまつさえ有利な盤面を築き上げつつある。
一度マルティナに討伐されかかった際に、致命傷を負ったのかもしれない。だが、それにしたってだ。悪魔やその眷属達と対面した時には必ず生まれていたプレッシャー。その感覚が生まれない事こそ、間違いなく違和感だった。
目の前には大きく体勢を崩したウィローがいる。言うまでもなく好機だ。しかし、翔は己の中に生まれた直感に従い、追撃の足を止めた。
そして、この選択こそが正解だった。
「終わりだ! 再選択!」
先ほどまで、やられるがままだったウィロー。しかし、一番の隙と思えたタイミングで、急激に存在感が膨れ上がる。そして翔の目の前からかき消えたかと思うと、彼の真後ろに転移を果たしたのだ。
「死ねぇい!」
「っ!? ぐぅ......!」
翔の頭部を千切り飛ばさんばかりの、肥大化した腕を使った大振りの一撃。それを翔は何とか受け流す。追撃を取り止めていたおかげだった。そうで無ければ、この一手で勝負が付いていた可能性があった。
そう、全てはこの魔法による決着を狙うため。ウィローの初動の不甲斐なさは、全て演技であったのだ。そして、流れを汲んだ翔が連撃を行ったように、ウィローの攻撃も一度では終わらない。
「再選択!」
先ほども聞いた文言。それが合図となったのか、今度は翔の目の前に移動し、肥大化した腕でアッパーカットを放つ。
「こんの!」
迫る大型鈍器の一撃。それを擬翼の噴出によるバックステップによって、どうにか足で受け流す事に成功する。しかし、大質量を防いだ代償か。翔の身体は空中に浮きあがるばかりか、くるりと一回転してしまう。
「再選択!」
その隙を悪魔は見逃さない。三度ウィローが文言を叫ぶと、悪魔の身体は翔のさらに上へと転移する。そして羽虫を叩き潰してやらんと、両腕を思い切り振り下ろした。
地面に足が付いていなかった事、回転で平衡感覚を失っていた事で、翔はとっさの回避が行えなかった。彼は受け流す場所が存在しない真上からの攻撃を、素直に受け止めるしかなかったのだ。
「があぁぁぁ!」
擬翼からの魔力噴出によって、勢いそのものは相殺することが出来た。しかし、防御に用いた片腕にダメージが殺到し、ビキビキと腱や筋肉が悲鳴を上げる音が響く。
翔は痛みを堪えながらも、そのまま腕をかち上げるように空中へと飛び上がった。同時に高空への追撃は出来ないのか、ウィローの攻撃が一時的に止む。その小さな時間を使って、翔は先ほどの事態の考察を開始した。
(やっぱり隠し玉を持ってやがった! リセット。あいつがそう叫ぶと、転移が発動する! あんな短い言葉で自在に転移が出来るとしたら、太刀打ち出来ねぇ......!)
一拍置いたタイミングで、地上から長針が飛んでくる。だが、先ほどの連続転移と比べれば可愛いものだ。翔は長針を木刀で弾き飛ばしながら、考察を続けた。
(しかもあいつの凹ましてやった胴体、元に戻ってやがった。リセットって言うくらいだから、傷も元通り治りますってか! そんなの、どうやって倒せばいいんだよ!一撃であいつを倒しきれとでも言うのか!?)
翔は連続攻撃に曝されながらも、ウィローの一挙手一投足の観察を怠っていなかった。
しかし、その結果判明したのが、奴の魔法には転移能力だけでなく回復能力も備わっているという事実。欠片も嬉しくは無かった。
得意の近距離戦を行っても、回復されてしまうという焦り。数は少ないながらも、途切れない長針による追撃。刻一刻と迫る、マルティナの命の期限と自分の魔力切れの瞬間。
様々なマイナス要素が、翔にプレッシャーとなって押し寄せる。
(ちょっと待て......)
だが、そのプレッシャーが、今回ばかりはいい意味で働いた。
「そもそもなんで俺は、こんな呑気に考え事が出来ているんだ?」
転移が使えるのであれば、次の瞬間にもウィローの剛腕が降り注いでもおかしくは無い筈なのだ。なのにウィローは攻め込んでこない。せっかく手にした有利を、みすみす捨ててしまっている。
(空中には転移してこない? 落下のダメージが怖いから? いや、連続で転移が使えたんだ。それはない。なら、こっちの魔力切れを狙って? それにしたって、圧倒的有利を手放すか? 考えろ、考えろ......!)
飛ばされる長針への対応は無意識に任せ、脳のリソース全てを違和感の処理へと回す。そのおかげで、翔はもう一つの違和感に気が付いた。
(そうだ。そもそもどうしてあいつは、奇襲のタイミングでマルティナを狙ったんだ?)
マルティナを憎んでいた事は本当だろう。だが、言動からしてウィローの狙いは、翔とマルティナの両方であったはず。だというのに、ウィローは魔力切れのマルティナに致命傷を与え、消耗した翔と戦闘を始めている。
あの悪魔の性格を考えれば、逆の筈だ。
翔に不意打ちを行い、マルティナを仕留める方が、よっぽど楽でよっぽどウィローらしい筈なのだ。
(......マルティナだけには、確実に致命傷を与えておく必要があった。......マルティナの魔法、もしくは戦法に、望ましくない何かがあったから?)
翔は自分の予測が、穴だらけで妄想の類である事は十分に理解していた。しかし、今の状況を考えれば、すがるべき希望になり得るとも考えていた。
(ここまで待っても転移が来ないんだ。たぶんあいつは空中に転移する事が出来ない。なら、空を飛ばれること自体、相当嫌な筈。けど、これだけじゃマルティナを狙う理由にはならない。俺が飛べる事は見ていた筈)
空を飛ぶ事がマルティナ襲撃の理由で無いのなら、ウィローが忌避したのは戦法の違いに絞られる。そして翔と彼女の戦法的差異は、客観的に見比べれば一つしかない。
(......範囲攻撃だ。あいつは一度に大量の攻撃が飛んでくる事を、嫌っていたんだ!)
連続で使用出来る。直近の傷を回復させる。おまけに大して魔力を消費した気配もない。
これだけ聞くとあまりにも極悪な魔法に感じるが、今思うとウィローの転移はどれも目が届く範囲だったのだ。
短距離の転移を何度連続した所で、周囲一帯に降り注ぐ攻撃からは逃げられない。加えてある程度の連続使用が可能となれば、みみっちい回復程度では必ず破綻する。翔の心が発見への興奮で高鳴り、身体が異常な熱を持ち始める。
この推理が当たっていたとしたら、今の絶望的な戦況を切り返す希望の一手になりうる。
(けど、肝心の範囲攻撃を俺は持ってねぇ......)
だが、相手の弱点を看破しようとも、弱点を突く方法を持っていなければ意味が無い。この場は机上などではなく、相手は手心を加えてくれるダンタリアでも無い。
正解不正解を問わず、対策出来なければ死が訪れる実戦。多種多様な魔法を唱えられるダンタリアだからこそ、相手の魔法を看破する事に大きな意味がある。
(どうする......! 俺が持ってる最大の範囲攻撃は、鳳仙花しかない。けど、あれをもう一度放ったら、間違いなく今度こそ魔力切れを起こす......マルティナの命がいつまで保つかもわからない......なら賭けに出るしか!)
待てば待つほど状況は悪くなる。それならば、相手にこちらの看破が伝わっていない今こそが最大の勝機だと、翔は判断した。
そして、マルティナを打倒した奥義を再度放たんと、翔はさらに上へと飛び上がろうとした。
だが、そんな翔の肩を引っ張り、静止をかける者がいた。
「待ち......なさい......」
翔を止めた者。それは長針に胸を貫かれ、致命傷を負っていたはずのマルティナだった。
「マルティナ!? 痛っだぁ!?」
意識を取り戻した驚きと喜びによって、翔が声をかけようとする。だが、その声はマルティナが翔の首筋に爪を立てる事で、強引に止められた。
「バカッ......あの悪魔に知られたら......どうするつもり......!」
声にこそ覇気が伴ってはいるが、マルティナの顔は幽霊のように真っ白だ。血液そのものが足りていない重症の身である事は火を見るよりも明らかだった。
「多くは言わないわ......私とあなたで......あの悪魔を倒すわよ......!」
けれど、マルティナは些細な事だと言わんばかりに、吐血によって真っ赤に染まった口角を吊り上げる。そして、自らの戦線復帰を高らかに宣言するのだった。
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