正義対するは、また正義 その三
ダイダロスの翼を使用して空へ飛び立ったマルティナは、苦々し気に表情を歪める。彼女の見つめる先は、今まさに自分が飛び出してきた廃墟。
(どうして、どうして私の考えを否定した癖に、そんなに明るい表情で止めてやるなんて言うの? どうして私はそんな奴の動揺しているの?)
マルティナは思いがけないほどに動揺した自分の心を静めるべく、一時撤退という選択肢をとった。彼女自身もこれほど自身が動揺する理由が分からず、動揺そのものにも動揺してしまうという一種のパニック状態に陥っていた。
以前の彼女であれば、自分の生き方を否定する翔の言葉に揺れ動かされる事は無かった筈だった。
(......きっと、圧倒されてしまったから。感情的で洗練なんてされてなかった魔法。だけど多くの魔力を割いた一撃を、剣の技量だけで無力化される瞬間を見てしまった。何より彼が放った言葉)
(「ダンタリアが本当に邪悪な計画を実行しようとしたって、俺が一人の犠牲も出さずに、デコピン一つであいつを止めてやる!」)
(......それが本当に出来るかもしれないと思ってしまった)
マルティナが必要以上に動揺した理由。それは翔の技術と才能があれば、知識の魔王が本性を現した際に対抗出来るかもと思ってしまったから。その可能性を思い描いてしまったからだった。
その可能性は、悪魔による被害を少しでも減らしたいというマルティナの願いに合致していた。そしてその選択肢が生まれる事は、これまでの彼女の生き方全てを否定しかねない劇薬でもあった。
これまでの自分が消え去ってしまうような、それでいて新たにぬるま湯に浸かった甘ったれた自分に塗り替わってしまうような感覚。不意に生まれた想像に恐怖を覚え、マルティナは翔の前から逃げ去ったのだ。
(認めたら駄目! 認めてしまったら、今までの思いが全て無駄になってしまう!)
信念一つで苦境を耐え抜いてきたマルティナにとって、それが否定される事はこれまで積み上げてきたものが崩れ去ってしまうに等しい。
だからこそ、マルティナは自分を叱咤した。心を落ち着かせる事で、もう一度真っすぐな信念を。言い換えるのであれば、他者へと向けた分厚い拒絶の壁を形成しようとした。
「マルティナアァァ!」
だが、世界は彼女が落ち着くまでの時間を与えてはくれなかった。
背中に無機物的な翼を生やした翔が、その翼からこれでもかと大量の魔力を噴出させる翔が、マルティナへと追いすがってきたからだ。
(嘘、でしょ。翼まで......! 知識の魔王の助力があったにしたって、いくらなんでも早すぎる!)
マルティナがそう思うが早いか、彼女の槍と翔の木刀が交差する。
鈍い音を立てながらぶつかり合う両者。ここは空中。それぞれの推進力に対して、足はブレーキの役割を果たしてはくれない。
踏み留まる大地が無い環境でぶつかった二つの力は、乗せられた力の大きい側が勝る。つまりジェット噴射の如き強力な勢いでぶつかった翔に味方をした。
「うぐっ!」
大きく吹き飛ばされながらも、どうにか体勢を立て直したマルティナ。見据えるのは、科学技術一辺倒にも見える翔の翼だ。
生物的な翼でいう所の前縁は肩甲骨の下部から斜め上へと伸びており、その途中から翼角のように、今度は斜め下へくの字に折れ曲がっている。
そして骨組み部分から等間隔に五対の魔力噴出口が下へと向けられ、今もなお大量の魔力を空を飛ぶだけのために消費している。
魔法的観点から見れば、とんでもなく非効率的な飛び方だとマルティナは思う。同時に、魔力をこれでもかと消費していながら魔力切れの様子を見せず、消費に焦る様子も見せない翔に底知れなさを感じた。
「まさかこの一週間で、翼まで手に入れているとは思わなかったわ。一体どれだけ知識の魔王に貢いだのかしら?」
「確かに嫌ってほど訓練には付き合ってもらったけど、こいつのきっかけは魔法の魔の字も知らない親友の助言だよ。それのおかげで、今こうしてまともに空を飛べてるんだ」
「......何よそれ。私の事は大切に思ってくれる人はいないなんて言っておきながら、自分は親友自慢?」
「ちげーよ、ただの事実だ。それに言っただろ、俺が止めてやるって。その後ならいくらでも友人を作る時間だって作れるだろうし、口うるさい俺の親友も紹介してやるよ」
「そんなこと誰も頼んでない!」
マルティナが急接近し、翔に槍を振るう。
やはり一週間では練習が足りなかったのだろう。勢いで圧倒した初撃とは異なり、翔の身体にはいくつかの切り傷が生み出される。しかし、そのいずれも致命傷には程遠い。
イアソーの腕も使用はしているが、小さな傷で奪えるのは小さな感覚の喪失。今の所は形成を覆すほどの喪失は起こせていない。
そして技量こそ逆転を果たしたが、今度は魔法の出力差でマルティナは大きく逆転されてしまっていた。
マルティナは自分が少しずつ下降していく事が分かった。
翔の得物と自身の槍がぶつかり合う度に、自分は地上へと押し込まれ、翔は彼女の上を取っていく。上段の振りは勢いを増していき、取り回しで劣る槍は連続する攻撃によって、突き以外の選択肢を許さなくなっていく。
「うおぉぉぉ!」
「ううぅぅっ!」
そして、次に来る攻撃が分かっていれば、対応するのは容易い事。
今まさに放とうとした突きの合間を搔い潜られ、鮮血零れる側とは逆の肩口へ木刀による突きが入る。鈍い衝撃。一瞬にして、腕に力が入らなくなる。
けれどマルティナも負傷は織り込み済みだったらしい。咄嗟に片腕を使い、懐の小刀を自身の肩口に突き刺そうとした。
「させねぇよ!これ以上自罰的になるのは止めろ!お前は負けていいんだ!無理に一人で全てを背負わなくていいんだ!自分の幸せを一番に考えていいんだ!」
しかし、一度見せてしまったためだろう。その自傷すらも見透かしていた翔によって、小刀は弾かれ地面へと落ちていく。
「うるさい! うるさい! 私は自分で決めて、自分の足で今まで歩いてきたの! 今更誰かに肩を貸してもらう必要なんか、ない!」
マルティナはそう言って、無事な腕で槍を大きく横振りした。
彼女の動きに連動して、始祖魔法による槍の衝撃が幾重にも展開される。その攻撃を察知した翔は、大きく後ろに下がり距離を取った。
ここまでは今までの攻撃と変わらず、翔も苦し紛れの迎撃だと考えていた。
「途切れない......?」
だが、今回の模倣は終わりを見せなかった。
途切れる度に何度も何度も展開され、模倣された衝撃すら、さらに模倣される事で数を増やしていく。
幾重にも張り巡らされた致死の衝撃。マルティナの拒絶は自身の魔法によって、翔と彼女を分断する物理的な壁を生み出すに至っていた。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークと評価をいただけると嬉しいです。