戦う意思を心に込めて
「いよいよか......」
日魔連事務所の前に立った翔は、感慨深げにぽつりと言葉を漏らした。
今日はマルティナが定めた決闘の日。あの夜、翔がマルティナに手も足も出ず完敗した日からちょうど一週間なのだ。
ダンタリアに背中を押される形にはなったが、マルティナへのリベンジを誓った翔は、この一週間死に物狂いで修練に励んできた。
その努力の結果が、今日明らかになるのだ。
決闘に勝って手に入れるのは、翔は勝利だけではない。ずっと世話になっていたダンタリアへ、彼女が求めた物語を提供するという形で恩返しが出来る。しかし、負けてしまえば、ダンタリアの命は目の前で失われる事になる。敗北は許されなかった。
翔は一度深呼吸をすると、日魔連事務所の扉を開く。
「来たか。待ってたぜ」
扉を開くと事務所の中には大熊と麗子の姿が。加えて、どこかに電話をかけているラウラの姿があった。一瞥だけで電話に集中するあたり、ラウラの方は翔にも決闘にも興味は無いらしい。
翔にとっても動乱の一週間だったが、大熊にとってもこの一週間は過労の連続だったようだ。今日こそ少しばかりの生気を感じるが、目の下にはどす黒い隈が残っている。
何の益にもならない悪魔殺し同士の決闘だ。調整にも隠蔽にも、大熊には多くの負担がかかった事だろう。
そして、随分と久しぶりの再会となった麗子。当初、彼女の顔を見た翔は驚きに目を見開き、同時に口から何かしらの言葉が漏れそうになった。しかし、彼の反応を予期していたのか、麗子が目線で我慢するよう訴えていたためどうにか言葉を飲み込んだ。
「翔、今回は本当に済まなかった。本来なら俺達サポート役が悪魔殺し達それぞれの感情や目的を汲んだ上で、調整する必要があったんだ。なのに、お前にだいぶ負担をかける羽目になっちまった」
大熊が頭を下げて翔に謝罪する。
「そんな! 大熊さん、頭を上げてください。そもそも俺がうまく立ち回っていれば、ここまで話は大きくならなかったんです。悪いのは俺もですよ」
大の大人の謝罪に慣れていなかった翔は、彼に負けないくらいこれでもかと頭を下げる。
「いや、俺に責任が......!」
「いえ、俺の方に......!」
どちらも自分にこそ責任があると譲らず、どんどん前かがみに身体を縮こまらせていく。その様子を見て麗子は呆れたように溜息を吐き、女性とは思えない腕力で二人の頭を強引に戻す。
「どっかで見たような光景ね。血が繋がっていなくても、家族ってのは似てくるものなのかしら? 源、あなたの抱え込み癖が姫野に伝染しちゃってるのよ。いい加減頭を下げるのは止めて、激励の一つでもかけてあげなさい!」
「い、いや、でもよ」
「いつまでもぐちぐち言わない! 激励は!?」
そう言って麗子は、ヒールで大熊を思い切り踏みつけた。
「うがっ!? ぐ、ぐぐっ......! 翔、すまなかった。後は任せたぞ」
「は、はい! 頑張らせていただきます!」
「私からも言わせてもらうわ。頑張ってね、翔君。それと、あなたに見えているものの説明は、この騒動が落ち着いた時に必ずするわ。だから質問は少しだけ、心の中にしまっておいてくれないかしら?」
「......ん? おい、それってまさがっ!?」
大熊が麗子の言葉の真意に近付こうとした瞬間、無慈悲なヒールの一撃がもう一度振り下ろされた。
「翔君をいつまでも呼び止めないの! ほら、もう行って行って!」
「あっ、はい......その、頑張ってきます......」
無慈悲な追撃を目にした翔は、大熊の無事を祈りながら図書館へのハッチを降りて行く。最後まで話す事が無かったラウラは、そんな騒動の中でも気にせず電話相手との会話を継続していた。
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「少年、いささか意気消沈しているようだが、どうかしたかい? 今更決闘が怖くなったなどと言い出す性根は、持ち合わせていないだろう?」
「そっちは問題ねぇよ。ただちょっと、大熊と麗子さんが過激なコミュニケーションを始めてな。巻き込まれねぇうちに、逃げてきたんだ」
そう言いながら翔はふと、姫野の治療風景を目撃してしまった時の事を思い出した。あの時も手加減されたとはいえ、飛んできたのは頬へのビンタ。見た目はビジネスウーマンそのものな麗子だが、案外手が出るのが早いのかもしれない。
「あぁ、あの二人か。全く、さっさと契りを交わせばいいものを。出会った当初から一切の変化が無い事を安定と取るべきか、それともマンネリと取るべきか」
「契りって......ん? えっ、ってことはあの二人って、もしかして結婚の約束を?」
男女関係の話が大好きな凛花と違って、翔は他人の恋愛話を聞く事も自分の恋愛経験も全く無かった。そのため、最初から二人の事は良きビジネスパートナーなんだなとしか思っていなかったのだ。
「それ以前だよ。麗子はとある負い目のせいで、支える事はしてもそれ以上に踏み込めない。大熊の方も麗子の気持ちは分かっているが、悪魔の魔の手から現世を守るという大役を優先してしまっている。私がこの恋愛小説の読者なら、そろそろ出版社に問い合わせをしていてもおかしくないほどさ」
「マジかよ.....全然気づかなかった」
「仕方ないさ。実際の所、お互いその距離間で納得してしまっているしね。この界隈はきっかけなんぞいくらでもあるのだから、つり橋効果でも期待してどこぞの悪魔にでも挑んでしまえば......おや?」
読者視線で大熊と麗子の関係に愚痴を入れていたダンタリアだったが、何かに気付いたかのように会話を切った。
「どうかしたか?」
「いや、来訪者があったものでね」
「来訪者? 大熊さんか麗子さんか?」
「あぁ、そっちじゃないよ。珍しいじゃないか、こっちに顔を出すなんて。言ってくれれば、私の方から顔を出したのに」
そう言って顔を頭上へと向けるダンタリアに釣られて、翔も頭上を見上げた。
するとビニール傘を開いた軍服の少女が、ふわりふわりと空中で揺れながらゆっくりと降りてきたのだ。いくら翔より小柄といっても、ビニール傘一本程度で体重を支えられる筈もない。まるで児童向け絵本の一ページを切り取ったかのような光景は、まさしく魔法の力と言えた。
「お邪魔だったかしら?」
年齢相応に高く、それでいてダンタリアのように落ち着いた声音でラウラはそう言うと、パチンと傘を閉じた。
「いいや。ちょうど戦いの緊張を和らげるための、雑談をしていた所だったからね」
「そう、なら良かったわ。ディー、少し借りても?」
「ん? 別に構わないがどうかしたかい?」
「あっちの保護者からの伝言よ」
「あぁ、ジェームズからか。こっちの男は義理人情に縛られて、あっちの男は責務に縛られている。面倒の極みだね。やはりニンゲン社会は外野で眺めているに限る」
「同感よ。それじゃあ、少し借りてくわね」
「決闘前には返しておくれよ。何せ、私の命がかかっているのだから」
ダンタリアがなぜかその部分を強調して、無い胸を張りながらラウラに答えた。
「ふっ、そうね。せっかくだからそうしておきましょ」
ラウラは薄く笑ってダンタリアに手を振ると、首の動きだけで道を示すと、図書館の片隅に歩き出した。
「ここらでいいわね」
ダンタリアから少し離れた位置に移動すると、ラウラは足を止めた。
「......あ、あの、一体どうしたんですか?」
翔は少しだけ背筋を張って、緊張した面持ちでラウラの行動について尋ねた。何しろ目の前のラウラとはまともに話す事も初めて。おまけに大熊からは、導火線に火が付いた爆弾と称される相手だ。緊張するなという方が無理な話だった。
「大したことじゃないわ。ただイギリスの大戦勝者様から、言伝を頼まれただけ」
「イギリスの大戦勝者っていうと......マルティナに魔法を教えていた人ですよね?」
「そう。分かっているなら早いわ。その大戦勝者ジェームズから頼まれたの。彼女に敗北を与えてやってってね」
「えっ? それは、どういう......あっ、まさか! 勝手に師匠の下から抜け出した事に対する、制裁って事ですか!?」
翔はやってはいけないと思いながらも、少しだけ渋面を作る。マルティナはダンタリアを見逃す姿勢を取っている教会と師匠に反発し、彼らの元を出奔したはずだ。
今回の決闘がその制裁として扱われる。理解は出来るが納得は出来ないゆえの渋面だった。
「違うわ。これは制裁ではなく、じゃじゃ馬娘の未来のためよ」
「未来?」
「そう。彼女がこれからも大手を振って、日の光の下を歩めるためのもの。あなたはアレの考えをどう思っているのかしら?」
ラウラが唐突に、マルティナの思想についての質問を投げかけた。
「えっ? えっと......俺はダンタリアには世話になったんで、マルティナの考えの全てに頷く事は出来ません。けれど現世に悪魔がいなくなるために全力を尽くしている事自体は、悪い事ではないと......」
「本当にそう思うの?」
今度はラウラの方が渋面を作る。
「えっと、どういう?」
「ディーがいなくなるだけで、相手がどんな魔法を得意とするのか分からなくなる。どこの国と仲が良くて、過去の人魔大戦で何を計画していたか分からなくなる」
「あっ......」
「交渉次第で手に入る筈だったこれらの情報が、ディーの退場によってチャンスすら無くなってしまう。あのバカ娘一人で、この損失を補填出来るの? 有効策を失ったおかげで失うだろう命に、余計に費やされるであろう命に、あのバカ娘は吊り合うの?」
それは明確な怒りだった。まるでその結末を知っているのかのような、あるいは見てきたかのような言いぐさ。いや、彼女の場合は実際に見てきたのだろう。
「うっ......」
「こんなふざけた思想を、本当に悪い事では無いと言い切るつもり?」
「そ、それは......」
「本当に人魔大戦に全力を尽くすと言うのなら、過去の出来事を全て水に流すべきよ。ディーの靴を舐めてでも、悪魔の情報を手に入れる事こそが全力と言えるんじゃないかしら?」
「その例えは極端な気がしますけど......そうかもしれません」
「今のアレは不幸な自分に酔ってるの。自分の正しい意見が理不尽に虐げられ、そんな不幸の中でも世界に平和を取り戻す自分という立場に酔っぱらってるの」
「立場に酔っている......」
「だからディーを討伐するなんて大それた事を実行に移せる。来たる迫害を受け入れ、開き直ってしまっている。教会の内輪と全世界からの迫害を混同するなんて、普通は酔っぱらってたって絶対にしないわ」
「......」
翔は絶句していた。マルティナの目指す先が、そこまで大それた結果に繋がるとは思ってもいなかったのだ。
「今はまだどこの魔法組織も、子供の悪戯程度と思っているから自由に行動出来ている。けどもし、本当に討伐したりしたら。死ぬよりも恐ろしい地獄に落とされるわよ?」
「そんな!」
「だからジェームズは頼んでいるのよ。狂った英雄願望と破滅主義から目を覚まさせてやって欲しいって」
「......そうだったのか」
「一応聞くけど、理解したわよね?」
「......一つだけ約束してください。強い信念を持っている奴は、折れた時に自暴自棄になったり抜け殻のようになってしまう事が多くあります。そんな状態になっても、彼女を見捨てないでいてくれませんか?」
そう、勝てるかどうかの問題は別として、マルティナの信念は彼女の抱える闇と深くつながっている。
その闇がダンタリアに手出しが出来ないという矛盾に陥った場合どうなるかわからない。
最悪の場合、彼女は手出しできない状態でありながらもダンタリアの命を狙うようになるかもしれない。逆に思い通りにならない事に絶望して、全てを投げ出してしまうかもしれない。
そんな状態になってしまったら、それは翔がマルティナを殺したのと何ら変わらない。だから翔は彼女の心のケアを、ラウラに願ったのだ。
「私と約束しても意味が無いでしょ? まぁ、保護者のジェームズはそれなりに優しいわ。わざわざ頼んだのだから、負けて心が折れたが最後、放逐するなんて事は無いでしょ」
ラウラの眼差しは鋭く翔を貫いており、嘘偽りなどは微塵も含まれていないように見えた。
「......安心しました。それなら俺はその頼み事、受けようと思います」
「難しく考えなくていいわ。あなたはただ彼女に勝つ事だけを、考えてくれればそれだけでいい。これで話は終わり」
そう言ってラウラは、しっしっと身振りでダンタリアの下に向かうように合図を出した。
「ええ、勝ってきます」
翔もこれ以上難しい会話を続けず、ダンタリアの下に向かおうとしていた。
だが、そんな翔の足元にビシャッと液体がかかる音が響き、思わずラウラの方を振り向いた。そして燃え上がる太陽のようだった彼女の髪色が鮮やかな水色に変化し、取り囲むように空色のオーラが噴出していることに気付いた。
「そういえば、あなたは話も聞かずに私の言葉を否定していたわね。誰かを想っての行動だったからこれで許してあげるけど、格上相手の礼儀作法は学んでおくべきね」
ラウラのそんな言葉聞こえたかと思うと翔の視界は一瞬ぶれ、目の前に逆さまのダンタリアが現れた。
「へっ? ダンタリあがっ!?」
ごすっと翔の頭部に鈍い衝撃が加わる。
ダンタリアが逆さまになったのではない。翔がダンタリアの目の前に逆さまで転移させられていたのだ。そして重力に逆らう事も咄嗟の受け身も取れなかった翔は、悲しく地面に頭を打ち付けることになった。
「話は終わったようだね。まぁその程度で済んだのなら安いものだよ」
頭を押さえてうめき声を上げる翔を、ダンタリアは苦笑いしながら見下ろしていた。
「痛っつつ、一体何がどうなって......」
「ラウラの魔法だよ。初対面の相手は大体痛い目に遭っているから、君だけが特別なわけじゃない。安心するといい」
「魔法だって事はわかる。けど最初から最後まで、何がどうだか一切理解出来なかった」
「それが私達相手に、人魔大戦を生き残った悪魔殺しの実力だよ。覚えておくといい」
そう言うとダンタリアは、翔の頭部を取り出した杖でトントンと叩いた。その行動だけで、翔の頭から痛みは引いていた。
「悪ぃな。助かった」
「気にする事は無いよ。私だって出来るだけ万全な状態で、彼女とぶつかってもらいたいのだからね。準備は出来たかい?」
真横に立つダンタリアが翔に問いかけた。
「当たり前だろ」
翔も立ち上がり、気合を入れるようにピシャリと己の頬を叩いた。
「それじゃあ、決戦の舞台に足を運ぼうか」
ダンタリアがいつぞやのように翔と自分の足元に真っ黒な穴を生み出し、二人はその黒穴に吸い込まれていった。
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