悪魔祓いを志したあの日
夢を見ていた。
懐かしい、幸せだったころの夢。
周りと比べると少しばかり貧乏で、曾祖父も、祖父も、父の姿も生まれたころから見たことが無かったけれど、それでも女手のみで頑張って生活していた毎日。
友達だってたくさんいて、日々を幸せに生きれることを神様に感謝しながら元気いっぱいに町中を駆けずり回っていた。
どうか......どうかここまでで終わって欲しい、この続きは見せないでくれ。私はそう願うも、夢は夢。本人の望む望まないは関係なく舞台は進んでしまっていく。
舞台は移り変わり、少しだけ時間が経った街の中、私はいつものように友達の家に遊びに行った。
「ごめんね。お母さんがもうあなたとは遊んじゃダメだって」
突然そう言って扉を閉める親友の顔は、申し訳なさよりも何かに怯えるような顔だったのは今でも覚えている。
どうして!なんで!?と私は扉を叩くも、返ってくるのは扉の無機質な反響音だけ。
一番の親友だと思っていた相手から放たれた言葉の刃はぐさりと胸に突き刺さって、心に出来た大きな傷から涙がとめどなくあふれ出た。
「お前の家は、神様の教えに背いた最低な家だって父さんが言ってたんだよ! そんな奴が学校に来るんじゃねぇ!」
舞台が移り変わり、私は学校に通う年齢になっていた。
そして入学から少し経ったある日の教室で、クラス一やんちゃだった少年が私に花瓶の水をぶちまけて、そう言葉を言い放った。
私はわけがわからず泣き出すも、クラスの男子も、女子も、イジメは絶対に許さないと言っていた優しい先生ですらその惨状を見て見ぬふりをしていた。
そんな地獄に変わった場所に長くいられる筈もなく、私は曾祖母の伝手を頼って、神父様が一人だけで切り盛りする小さな教会で物事を学ぶようになった。
「すまない。私も君の曾お婆様には大変お世話になった故、周囲の反対を押し切って勉強を教えてあげていた。けれど君がシスターになってしまったら、もう守ってあげることが出来なくなってしまうんだ。許してくれ」
舞台は私が勉強を学んでいた小さな教会の中に移り変わり、尊敬すべき神父様に将来の夢について聞かれた。
私の始まったばかりの人生の中で、ずっと優しくしてくれたのは家族の他には神父様だけだった。そこで私は、私のように理不尽なイジメに合っている人を助けながら、お世話になった神父様をこれからも助けていきたいという意味を込めてシスターになりたいと答えた。
けれどそんな私の夢を、神父様は悲しげな顔で否定した。
信頼していた人間からの完膚なきまでの否定。ついに私は我慢できず理由を聞いた。聞いてしまった。ここで素直に夢を捨て、適当な国に留学でもしてしまえば今の私ほどの苦労は無かったというのに。
「君の家系は、元々は代々教会の司教様を輩出している由緒正しき家だったんだ。けれど、曾お婆様の代に人魔大戦という悪魔との戦いが起こり、君の家を含めてこの国の信徒達は黒鋼の魔王という強大な悪魔と戦うことになった」
そこで神父様はこらえるような、あるいは迷うようなしぐさを挟んだ上で続きを話した。
「君は知らなくて当然だろうが、真に神様に認められた人間は、神様の力を分け与えてもらうことがある。その力を以て、この国は一致団結して黒鋼の魔王に戦いを挑んだんだ」
神父様が辛そうに、本当に辛そうに嗚咽を漏らす。
「けれど、それでも黒鋼の魔王には敵わなかった。次から次に力尽きていく仲間達。私も長年の神様への献身が認められて、とある方法でその時の光景だけは見せてもらったよ。あれは地獄そのものだった」
その時の光景を思い出してしまい、どうにか記憶を頭から追い出そうとしたのだろう。神父様が目をつぶりながら眉間を手で押さえ、首を振った。
「そのお話で、どうして私が神様の教えに背いたことになるの......?」
あまりにも現実味の無い話。そして私がシスターになれない事との関係性が見いだせず、神父様の言葉を遮り質問をしてしまった。
「......あぁ、そうだね。君にはその話の方が重要だ。次々に仲間達が倒れていく光景、その光景を見てとある神父様は力を得るためにある行動に出てしまったんだ」
「とある行動?」
予想がつかない私は子供らしく、コテンと首を傾げた。
「そう、悪魔を倒すために悪魔の力を欲してしまった。神に仕える身でありながら、悪魔の甘言に耳を貸してしまったんだ」
「どういうこと?」
「この戦いでは双方の同意を基に、とある契約が許されていたんだ。その身に悪魔を宿すことで、強大な力を振るうことが出来る悪魔殺しの契約というものが」
「悪魔殺しの......契約」
「本来は力もなく、神様に祈りを捧げることもしない不心得者のための契約だった。だけど神父様は受け入れ契約した。そしてその力で悪魔を討伐したんだ。そのおかげで今もこの国は平和でいられる」
神父様は言葉を切った。
私はおとなしく続きを待つも、いつまでたっても話始める様子が無かった。
「まさか、終わり......?」
「そうだね......この昔話はこれでお終いだ」
「そんな......その話が私に何の関係があるの!? なんで私はみんなに否定されなくちゃならないの!?」
私は叫んだ。神父様から聞かされた話と私の関係性が、最後まで見いだせなかったから。
そしてそんな私の表情を見て、神父様はまたも苦しそうに、けれど何かを覚悟したかのような顔になった。
「うん、そうだ......私が......赤の他人である私が君に伝えてあげなくちゃならないんだ。さっき私は、悪魔と契約してしまった神父様がいたと私は言ったね?」
「......はい」
そんな苦しそうな顔の神父様を見て、頭に血が上っていた私も少しだけ戸惑いながら頷いた。
「その......神父様がね......君の曾お婆様のお兄さんだったんだ......」
「えっ?」
「悪魔と契約してしまった神父様というのは、君の親類だったんだよ。結果的に必要な行為だったとはいえ、神を信じ切れなかった罪。許されざる存在である悪魔と契約してしまった罪。そして親類でありながらその行いを止められなかった罪。それが君が裏切者と呼ばれてしまっている原因なんだ......」
神父様はもはや顔面蒼白で今にも倒れそうになりながら、その言葉を口にした。
「そんな......そんな......だって曾お婆様のお兄様は、みんなを守るために必死の思いで悪魔と契約したんでしょう!? 最後は全てを守って見せたんでしょう!? どうして!? どうしてその人は罪に問われなきゃいけないの!? どうして生まれてさえいなかった私まで、裏切者なんて言われなきゃいけないの!?」
そう言って私はわんわん泣き出し、神父様は背中を優しくさすって慰めてくれた。
けれどこの時私が泣き出した理由は、真実を知ったことによる悲しみからではない。皆を守るために自分の全てを犠牲にしたご先祖様の選択が、悪とされてしまったことによる悔しさからだった。
この世には理不尽が蔓延っている。
何の罪も無いのに友人は去っていき、何の罪も無いのに少年が正義を盾に暴力を振るい、何の罪も無い少女が祖先の行動によって将来の夢を奪われた。
そんな世界の暗い部分を、幼きあの日に知ったからだろう。私は理不尽から逃げまどうのではなく、戦い、ねじ伏せる事を選択したのだ。
舞台は変わらない。
しかし、そこにはずっと成長した私と、恐ろしいほど老け込んだ神父様の姿があった。
「止めておきなさい。確かに君の家柄を考えれば神様から奇跡を授かる可能性は十分にあるだろう。けれど、どこで知ったのかは知らないが、悪魔祓いにだけはなってはいけない。あそこは簡単に人が死ぬ」
「承知しています」
「元気に挨拶を交わした隣人が死体すら残らず、いや死んだ方がましだと思える姿で発見されることが珍しくないんだ」
「元よりいないも同然の扱いでした」
「っ......君には出自の問題がある。あそこの信心深さは教会随一だ。そんな場所に君が行ったところで、待っているのは歓迎の言葉では無い。断罪の暴力だぞ!」
神父様はあの時のように、いや、あの時以上の脅しを込めた否定の言葉を口にした。
今だからこそ言える。この時の神父様は優しさゆえに脅しをかけ、教会関係者になる道をあきらめさせようと必死だったのだろう。
「いいえ、神父様。あの時から私は決めていました。私は、私の人生を歪めた悪魔達を絶対に許さないと。だから私は前に進むんです」
(そして、神の奇跡と契約の力で悪魔達を殲滅し、ご先祖様の正しさを同時に証明するつもりです)
後ろの言葉こそ口にはしなかったが、この時から私はたった一人で戦い抜く覚悟を決めていた。
「頼む、頼む。行かんでくれ。その道を歩んだところで君の幸せはどこにもない!」
「神父様、それは間違いですよ。私の幸せは望まぬ迫害に見舞われる人々を救う事。そして、悪魔による被害を一つでも減らす事なんです。だから、ごめんなさい」
私が微笑みながらそう返すと、神父様はがっくりとうなだれ何も言ってこなくなった。
そんな神父様に一礼し、私は教会から外に出た。そして、そして。
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「ん、んう......酷い夢」
そう言いながら、マルティナはベッドから起き上がった。
悪魔祓いに所属した初めの頃は何度も見た、始まる前から多くの道が潰れていた少女の夢。
この夢を見るのは随分と久しぶりだった。
「あいつとの決闘の前だからでしょうね」
マルティナが思い浮かべるのは、とある少年。何も知らない癖に、マルティナの意志の全てを否定した同年代の少年。その理不尽な否定が心の奥底のトラウマを刺激し、あの夢を見せたのだろう。
「本当に、この世は理不尽ばかり」
あの少年とは違い、優しさからマルティナの事を最後まで否定していた神父。
風の噂では、マルティナが神から奇跡を授かった頃に病で亡くなったらしい。死の際の病床で誰かに謝罪を繰り返していたらしいが、自分に対してではない事を祈った。
「せっかく教えて貰った言葉遣いもこの通り、最悪になってしまったものね。神父様、どうか自分を責めないでください。私はあなたのおかげで、意志のままに今を生きることが出来ています」
神父と同時期に家族にもそのことを話した。彼女なりに思う所もあったのだろう。全てを知っていた曾祖母は、少しの口論はあれど選択を応援してくれた。
「大人に近付いた今だから分かる。お母さん達は私以上に苦しんでいたのね」
幼少期は少しばかり貧乏な家だと、漠然と考えていた。しかし、教会の暗部に所属したから分かる。あの家は教会の関係者達がこれ以上の裏切者を出さぬために、あえて用意した見せしめ用の家だったのだろう。
そうでなければ背信者の家族など、国外追放か闇に紛れて事故死させるのが妥当だ。そしてそんな悪意をギリギリまでマルティナから隠し通していた家族達も、マルティナ同様強い女達だったのだろう。
「時間は、まだあるわね」
そう言ってマルティナはベッドの傍に置いてあった。一本の槍を手に持った。
この槍は教会から悪魔祓いの任務のために貸与された、プラスの魔素の込められた神聖な代物だ。そんなものが悪魔祓いでありながら、悪魔と契約した悪魔殺しでもあるマルティナに貸与されるのは、普通ならおかしいと感じるだろう。
「ハッ! 笑っちゃうわよね。悪魔を殺す力に良いも悪いも無いなんて」
覚悟しながら通った暗部への門。けれども厳しかったのは、採用試験を通過するまでだった。
そう、悪魔祓い達はマルティナの出自など、どうとも思っていなかったのだ。
むしろ、血の滲むような訓練の末に奇跡二つと契約まで果たした彼女は、新人ながら一目置かれる存在となっていた。
そのため、マルティナは槍の貸与はおろか、教会の息のかかった施設は司教待遇で入場することが出来る。一番神の教えに忠実な信徒達が、一番柔軟な思考を持っているなど誰が予想できようか。
そんな柔軟な思考の持ち主である悪魔祓い部門の長官からすら止められた事を、マルティナは実行しようとしている。
「やってやるわ......」
知識の魔王、継承のダンタリアの討伐。
それを実行すれば、多くの組織が自分の命を狙うようになるだろう。けれどマルティナにとって、悪魔が平然と現世を闊歩する事はどうしても看過出来なかった。悪魔によって誰かが虐げられる事が、悪魔に抗った事で人々に虐げられる人が何よりも許せなかった。
神の背信者と後ろ指を刺されるのは、自分だけで十分だ。
「私は運命に勝ってみせる!」
少女は己の信念を貫かんがため、戦いの舞台へと赴いた。
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